1万円札→渋沢栄一
5千円札→津田梅子
1千円札→北里柴三郎
一万円札の渋沢栄一は、2021年大河ドラマ『青天を衝け』の主役にも選ばれております。
渋沢栄一には実際どんな功績があったか「近代資本主義の父」その生涯を振り返る
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実はアメリカでも2020年前後に紙幣の顔が変わり、20ドル紙幣には黒人女性初となる
【ハリエット・タブマン】
が採用されるのですが、皆さんご存知でしたか?
おそらくこんな印象を抱いた方が多いと思われます。
いったい誰?
何をした人なの?
大統領級の偉人なのか?
キング牧師やローザ・パークスならばまだわかる。
しかし、世界史の時間でも習ったことのない、このハリエット・タブマンとは、如何なる実績をお持ちの方なのか?
知られざる激動の生涯をたどってみましょう。
※2019年11月公開の伝記映画
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見直されるアメリカ建国神話とハリエット・タブマン
コロンブスがアメリカ大陸を発見し、イギリスはじめヨーロッパから入植者が上陸。
イギリスとの独立戦争に勝利し、悪しきインディアンと戦いながら、アメリカを建国する――。
アメリカ合衆国の建国についてはそんな勇敢なる神話が、長いこと語られて来ました。
3分でわかるアメリカ独立戦争が起きたキッカケは「お金」と「お紅茶」だ!
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しかし、21世紀になってもなってそんな視点から語ろうものなら、一体どういうことかと思われかねない。
熱狂的なトランプ信者ならばまだしも……という時代になりました。
コロンブス・デーは「先住民族の日」に。
コロンブス・デーから先住民の日へ 欧州人の侵略により数千万人の犠牲者が出た
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『荒野の七人』(1960年)リメイク版『マグニフィセント・セブン』(2016年)の七人には、黒人、先住民、メキシコ系、アジア系が加わりました。
これは当時の人種構成を反映した結果でもあるのです。
「ポリティカル・コレクトネス」云々言われるところではありますが、「ホワイトウォッシング」されていた歴史から、本来の要素を取り戻しただけのことと言えます。
ホワイトウォッシングを軽視するなかれ~歴史的差別の問題は根深し
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なんだ、紙幣にタブマンってそういう狙いか。
配慮ですね、はいはい……という冷笑を向け思考停止してしまいます。
彼女は賢く、勇気に溢れ、劇的な生涯を送り、権利のために戦い抜いた。
紙幣の顔にふさわしい人物でした。
奴隷ミンティの少女時代
18世期半ば――アフリカ西部から奴隷として連れてこられ、メリーランド州ドーチェスター郡の農園に売られたハリエット・タブマン。
母もこの農園で生まれ育ちました。同じく奴隷であった父と結婚したのです。
タブマンは、アフリカにいた先祖から数え、孫世代にあたります。
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奴隷同士の結婚で生まれた女児は、生年すらはっきりしません。
ハリエット・タブマンもまたそうであり、生年は1820年か21年とされています。
アラミンタ・ロス、ミンティという愛称で呼ばれましたが、本稿では結婚後の姓「タブマン」表記で統一させていただきます。
幼いタブマンには、忘れがたい恐怖の記憶がありました。
姉二人が、過酷な差別が待つ深南部に売却され、二度と会えなくなってしまったのです。
家族を引き離される恐怖と苦痛が、彼女の中に刻まれました。
5歳のタブマンは、奴隷として最初の主人に売られ、子守や家事をこなすことになりました。
そこでの女主人に嫌われ、暴言と虐待に遭いつつ、生きることとなったのです。
タブマンにとって数少ない幸運は、黒人奴隷が直面していた性的虐待の被害を避けられたことでした。
「黒人奴隷少女は恐怖と淫らさの中で育つ」ハリエット 地獄の体験記はノンフィクション
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そんな彼女は、15歳の時、生死を彷徨う大事故に見舞われます。
あるとき、彼女が収穫の手伝いに向かった農園で、黒人奴隷が白人の許可を得ずに買い物に行きました。
「ちっ、勝手に逃げやがって。おいお前たち、店まで行って連れ返して来い」
タブマンたち奴隷数名は、捕縛を手伝うためその店へ向かわされました。
そこで白人の監督者は、逃げた奴隷を奴隷を縛るようタブマンに命じます。
彼女が拒むと、その隙に相手は逃げしまいました。
「何やってんだてめえ!」
激怒した監督は、2ポンド(0.9キロ)の分銅を逃亡者めがけて投げつけます。このとき、タブマンは逃亡者をかばうため、追っ手が殺到する店の入り口を塞ぎました。
「逃げて!」
空中に放たれた分銅は、逃亡者ではなく、かばった彼女の頭部に激突。
意識を失い、倒れてしまいました。
生死をさまようほどの重傷です。
この時の後遺症は、生涯彼女を苦しめることとなります。
ナルコレプシーと頭痛に苦しめらる。いきなり眠り込んでしまう。そんな障害が残されたのです。
それだけではありません。彼女は幻想的で奇妙な夢を見ることが増えました。
これは神のお告げではないか?
そう思い、タブマンはメソジストとしての信仰を深めてゆきます。
ジャンヌ・ダルクのような、神秘的な体験が彼女にはあったのです。
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自由への逃亡
1849年、タブマンはある決意を固め、実行に移します。
それは逃亡でした。
彼女はその頃、自由州ペンシルバニア州に近いメリーランド州北部の農園にいました。
1844年に結婚していた夫のジョン・タブマンは自由黒人です。自由州に近いためか、この地は半数が自由黒人であったのです。
自由はどうすれば手に入るのか?
自由黒人の夫となっても、女性は奴隷のまま。
産んだ子も奴隷です。
夫を通してみた自由黒人への道は、眩いものではあります。
しかし、そんな夫の妻である彼女自身は、主人が死亡するとどこへ売られるのかわからないのです。
1847年に主人が死亡して以来、タブマンは売却の恐怖に悩まされていました。
幼い頃、彼女の姉二人が地獄のような深南部に売られていった記憶。
家族を引き裂かれた悪夢が、彼女の胸に蘇ってきます。
そこで、弟二人と一度は逃亡を試みるものの、弟たちが引き返そうと言ったため失敗。
二度目は単独で、クェーカー教徒の助けを得ながらペンシルバニア州都・フィラデルフィアにたどり着いたのでした。
これで私も自由の身――しかし、そこにとどまることは賢明とは言えません。逃亡奴隷が逃げ込む土地として認識されているのですから。
しかも、1850年には奴隷逃亡の幇助を罰する【逃亡奴隷法】が成立してしまいます。
タブマンは、それでも留まりました。
後に残した家族と連絡を取るため。そして、もうひとつ大きな目的がありました。
黒人のモーゼ、白人の賞金首
私一人だけが自由になるのでは、不十分だ――。
反乱を起こす?
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いや、逃亡という道がある!
タブマンは、逃亡奴隷のために「車掌」となることを選びます。
当時、自由黒人の有志ウィリアム・スティルは鉄道を利用した逃亡奴隷のルートを確立しつつありました。
フレデリック・ダグラス
ジョン・ブラウン
レビ・コフィン
トーマス・ギャレット
といった奴隷解放運動家らと知遇を得て、タブマンはその運動に参加しました。
こうしたルートは「地下鉄道」、タブマンのようなメンバーは「車掌」と呼ばれたのです。
彼女は勇気ある「車掌」としてその名を知られるようになりました。
1851年、メリーランド州で弟夫婦ら11人らを逃亡させることに成功。
このあとも、タブマンは奴隷を導きます。
逃亡ルートの確保、滞在用の家管理、危険極まりない任務を、料理人の仕事の合間にこなしていたのです。
昼は料理人、夜は逃亡奴隷を導く――。
その二重生活は、「車掌」から「指導者」の名が相応しいほど、めざましいものとなってゆくのです。
「あなたこそ、黒人のモーゼだ!」
逃亡の手引きをするタブマンは、そう称されるほどになりました。
メリーランド州からカナダまで、タブマンのネットワークは広大なものに……。
当然、白人奴隷からは敵視され、ついには賞金首とされたほどでした。
危険を顧みず、自由への道を歩く黒人たち。
彼らはしばしば『行け、モーゼ』を口ずさみました。
この歌は、奴隷解放の象徴であり、現在でも多くの人々が口ずさむ歌です。
かつてイスラエルがエジプトの領地であったとき
おお、我が民を解放せよ
民は激しく迫害され抗うことすらできなかった
おお、我が民を解放せよ
行け、モーゼよ
エジプトの大地を下り
古きファラオに告げるがよい
我が民を解放せよ
タブマンが活動した期間は12年間ほど。
解放した奴隷の数は、70人から300人以上まで諸説があります。賞金、回数も同様です。
しかし、ここで数を確定させることは不可能かつ無意味だとも思うのです。
彼女が直接導いただけではなく、整備したネットワークを使った奴隷も含めれば、莫大な数となるしょう。
それだけではありません。
彼女という黒人のモーゼが、どれほど人々に勇気を与えたことか。
その勇敢さは、これだけに留まりません。
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