どうする家康感想あらすじレビュー

どうする家康感想あらすじ

『どうする家康』感想あらすじレビュー第1回「どうする桶狭間」

ヤッホー! 徳川家康の愛用していた金色の甲冑が映ります。

ナレーションは寺島しのぶさん。神君家康公について語り、平和な世があるのは家康公のおかげと説明します。

いついかなる時も勇敢――かと思ったら、逃げ出して「もう嫌じゃあ!」と叫んでいて、見ている方は何がなんだかわからない。

ギャップ萌えでも狙っているのカナ?

そんなことを思いつつ、2023年大河『どうする家康』が始まりました。

初っ端からVFX処理が甘い気がしますが、ともかくオープニングへ。

横書きでパステルカラー。

明るく生き生きとした路線は、2021年を思い出させる。

2020年『麒麟がくる』と2022年『鎌倉殿の13人』は暗くて威圧感がありましたもんね。

そして第一回のサブタイトル「どうする桶狭間」で、はじまりはじまり!

 


あらすじ

三河というか弱い国の松平元康は、駿河の今川家で人質生活を送っていました。

そこで瀬名に出会ってめでたく結婚。

嫡男・竹千代も生まれ、絶好調。

そんなとき、桶狭間の戦いが起きて大ピンチ!

織田信長が迫ってくる、どうする家康!

 


あらすじ:おじさん構文バージョン

お疲れサマ、みんな大河見てるカナ?

三河という、弱小国の、松平元康は、駿河の今川家で、人質生活を送っていたんダネ。

でも、そこでカワイイ瀬名チャンに出会って、めでたく結婚。

嫡男・竹千代も生まれ、絶好調デス。

そんなとき、桶狭間の戦いが起きて大ピンチ!

とっても強い織田信長が迫ってくる、どうする家康!?

大変だけど、頑張っテネ!!

おじさんは家康チャンの味方ダカラ!!

 


どうする今年

さて、今年のレビューは色々な考察を中心に進めてゆきます。

まずは『孫子』「行軍」編でも。

孫子は当時の軍隊を観察して記されたものですが、大河ドラマにも応用できます。

では見てみましょう。

杖つきて立つ者は飢うるなり。

汲みて必ず飲む者は渇するなり。

利を見て進まざる者は労(つか)るるなり。

鳥の集まる者は虚(むな)しきなり。

夜呼ぶ者は恐るるなり。

軍の擾(みだ)るる者は将の重からざるなり。

旌旗(せいき)の動く者は乱るるなり。

吏の怒る者は倦みたるなり。

馬に粟(ぞく)して肉食し、軍に懸缻(けんふ)なくして其の舎に返らざる者は窮冦なり。

諄諄(じゅんじゅん)翕翕(きゅうきゅう)として徐(おもむろ)に人と言(かた)る者は衆を失うなり。

数(しばしば)賞する者は窘(くる)しむなり。数罰する者は困(つか)るるなり。

先に暴にして後に其の衆を畏るる者は不精の至りなり。

来たりて委謝する者は休息を欲するなり。

兵怒りて相い迎え、久しくして合わず、又た解き去らざる者は、必ず謹みてこれを察せよ。

これを『どうする家康』に当てはめて訳すとこうなる。

あまり立ったり座ったりしない人が多いのは、所作指導が甘いからだ。

いちいち説明台詞が多いのは、色々と切羽詰まっていて描写ができてないのだ。

殺陣ができるはずの役者の動きがおかしいのは、現場が疲弊している。

同じようなVFXで誤魔化しているのは、エキストラが少ないからだ。

やたらと叫ぶ場面が多いのは盛り上がらないことを警戒しているからだ。

人物の身分秩序が甘く、上下関係がおかしいのは考証が甘く、担当者の進言が無視されているのだ。

女性がやたらとピンクやペールカラーばかり着ているのは受けを狙っている。

怒鳴ったり怒ったり焦る場面ばかり、感情の起伏が激しいのは脚本そのものに根本的な問題がある。

ナレーションもマップも使わず、戦況説明がないのはそもそも兵法を理解していないからだ。

ネット受けを狙い、ハッシュタグのよい投稿ばかりみていると作品そのものを見失う。

ネットの声ばかりを集めた記事は、書き手が疲れているのだろう。ネタがないのかもしれない。

昨年とばかり比べる傾向は、そのおこぼれが欲しいからだろう。

役者が本領を発揮せず、大仰な演技ばかりしているとなれば、現場が相当乱れている。必ずそこを見てこれを察せよ。

 

考証はどうする

大河ドラマは作品ごとにどれだけ考証を取り入れるか?

その辺の事情は、かなり差が出てきて、事前のインタビューからも判断できます。

◆小和田哲男 家康はなるべくしてなった「天下人」ではない(→link

歴史学者として数多のメディアにも登場する小和田哲男氏は、大河ドラマの作り手にとっては都合のいい存在と言えます。

上記インタビュー記事でも、彼の考証があまり機能していないのでは?ということを示している。

以下の部分です。

これまで家康と正室である瀬名(築山殿、つきやまどの)は政略結婚というのが通説でした。

しかし、今回脚本を担当した古沢良太さんは、「恋愛結婚」として描くようです。

最初にその案を聞いたとき、私は「当時、恋愛結婚はありません」とアドバイスしようとしたのですが、いや、待てよ、と。

「恋愛結婚はないとアドバイスしようとして止めた」とあり、小和田氏は源頼朝豊臣秀吉を引き合いに出しながら、そのまま受け入れた。

確かに源頼朝と北条政子のような、恋愛結婚の例はあります。

しかし、徳川家康と築山殿の場合は、その蓋然性が薄い。

本来は、今川家と徳川家(松平家)という重要な関わりの中で二人の婚姻があったはずなのに、それを恋愛に持っていくのですから、今年は考証よりも“ノリ重視”の大河にすると見受けられます。

それは夫が出陣したあとの妻のリアクションにも出ています。

『鎌倉殿の13人』では【承久の乱】の際に政子と実衣が仏に祈っていました。実衣は亡き夫・全成そっくりのしぐさで激しく祈っておりました。ああいう所作は仏事指導が入らなければできません。

『どうする家康』の場合、考証の手間がかからない所作が多い。

走る。

座る。

しかも、そういった動きも所作が甘く、あまり指導をしていないのでは?と感じさせられます。

細かい描写だけでなく、ストーリーの根幹にも疑念があります。

松平元康は三河の国衆で、まず“人質”というイメージの捉え方が古い。

本作では、粗末で雑に扱われていたかのような待遇を意識させていながら、今川家の嫡男である今川氏真とも親しく接していて、家康がどういう立ち位置なのか、いまいちよくわからない。

人々の上下関係もかなり緩いでしょう。

家臣でも元康に相当失礼な言動をしていますし、男女がホイホイと出会えてしまう状況も妙です。

戦国時代は、鎌倉時代よりはマシとはいえ、そこまで忠義が強いわけではありません。

あんな情けない元康なら、もはや首を取られていてもおかしくないのでは?

感覚を現代人に寄せすぎではないでしょうか。

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