その恩恵を受けて長生きした徳川家斉が、11代将軍として鈴の廊下を歩いてゆきます。
美女三千人が侍る場所を進む家斉の側には、母・治済の姿もあります。
今週もまた不穏な空気が流れています。
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なぜ大奥には美女が三千人もいるのか?
「なぜ大奥には三千人もの美女がいるのか?」
そんな素朴な疑問はあると思います。
実際には三千人もいなかった――という指摘もあり、そもそも“三千人”というのは白居易『長恨歌』由来とされています。
後宮の佳麗三千人
三千の寵愛一身に在り
この手の決まり文句と実数が一致しないことは珍しくなく、四天王といいながら五人以上いるとか、八百八町だの八百八橋とか、“とにかく数が多い”というものだと飲み込んでおきましょう。
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そんな大奥で、男女逆転という意外性が描かれたのがシーズン1でした。
シーズン2でその構造が再び逆転すると、かえってさまざまな問題が浮かんできます。
幕府の悩みも様変わりすることになった――そう静かに告げられる中、話は始まります。
家斉は房事過多ゆえに腎虚である
久々に就任した男の将軍・徳川家斉は、どこか虚な目をしています。
赤ん坊の声が聞こえてきて「また生まれたか」と淡々と口にする。
背後を歩む一橋治済は、家斉にさらに女を選ぶように迫り、紅唇を歪ませる。
この場面だけでも、地獄のような様相を呈しています。
家斉の顔を見た瞬間、小川笙船ならば「これは腎虚ですな」とでも診断を下すことでしょう。
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顔色がやや黄ばんで見えます。血虚(貧血)だと蒼白い。虚弱体質というよりも、精力の使い過ぎで頭が常にボーッとしている表情でしょうか。
原作に似ているだけでなく、江戸後期の風刺画に出てきそうなリアリズムが満ち溢れていて、中村蒼さんの再現度が圧巻。
腎虚とは「房事過多」――要するに性行為のしすぎでエネルギー不足となるという意味です。
後宮美女三千人というけれども、たとえ皇帝であっても房事過多となれば止められる。生命力や判断力が低下してしまい、為政者として腑抜けになるのを避けるためです。
東洋医学では、酒色の不摂生は戒められるものでした。
渋沢栄一とその妻のやりとりから【儒教には性的規範がない】なんて誤解も日本では広まりましたが、そんなはずはありません。
東洋の君主は酒色に溺れないことが基本なのです。「英雄色を好む」という言い訳が通じるのは、政治能力を保てればの話。
そこを踏まえると、もうこの時点で母の治済が邪悪だとわかります。
すでに子は大勢いる。そのうえで目が虚になるほど房事に励む我が子を止めぬどころか、むしろ煽っている。寿命を縮めることがわかっていながらそうしている。
まさに我が子を種馬扱いする鬼畜の所業です。
子沢山は大問題だ!
徳川家斉には「オットセイ将軍」という不名誉なあだ名があります。
オットセイが実際に子沢山というよりは、腎虚の特効薬に用いられるからであり、愛飲していたからこそ、そう呼ばれている。
むろん海外からの輸入品で、お値段は高くつきます。
それにしても家斉を演じるのって、相当大変だと思います。
オットセイ将軍の印象が強く、江戸時代もののポルノ映画の題材にも選ばれたりする。タイトルも露骨です。
『色情大名』
『エロ将軍と二十一人の愛妾』
本作『大奥』では、色に溺れた様子ではなく、むしろ残酷な性虐待として描いているところが、時代と価値観の転換点を感じさせますね。
家斉の子沢山は、幕府内にも弊害を生じさせます。
「たった5年で11人!」
そう驚愕し、治済に詰め寄るのは生真面目な松平定信。
世継ぎ以外はそれなりの家に送り出さねばならない。その婚礼費用がかかる。これでは破産してしまうと焦っています。
博物館や歴史記念館などには、地元姫君の婚礼道具が展示されていることがしばしばありますね。
貝合わせセットだけでもどれだけお金がかかったことか。あの豪華さを思い出しつつ、話を追っていきましょう。
定信の抗議に、治済はこう返します。
「私は将軍の母。あなたはただの老中に過ぎない」
唖然とした定信が、吉宗公の孫としてともに正しき政道を天下に示すのではなかったか!と叫びますが、もはや後の祭り。
治済は定信の言葉遣いをやんわりたしなめつつ、金がないならどこかから都合するのが仕事だといいます。
そして吉宗公の孫として恥じぬよう努めを果たせと言い放ち、その場から去ってゆきました。
庶民の暮らしを見ぬ公方様
怒りが収まらない定信は、金平糖を食べている家斉のもとに乗り込んでいきます。
母の治済は、定信を老中と見下したものの、息子の家斉は「はいっ!」と応じてしまう。
誰が真の権力者なのか。態度でわかりますね。
定信がテキパキと財政逼迫についてまくし立てると、うんざりした顔をしてしまう家斉。
この場面は示唆的で重要かもしれません。
吉宗編では、怒り立ち上がる民衆の姿が映されました。
しかし、ここではそうした様子が見えてこない。幕閣は知識として財政難を理解しているけれども、どれほど実感が伴っているのか。
シーズン1では家光も、吉宗も、民衆の暮らしぶりを直に見る機会がありました。
それと比較してどうでしょう。
甘い菓子をつまみつつ、ウンザリした顔をするこの公方様は、地に足がついていません。
ただし、救いはあり、彼自身も問題を把握していて、実は房事にそう乗り気でもない。
東洋医学の腎虚は迷信でもないのです。性行為は体への負荷が大きく、頓死のリスクもあります。
財政難という名目があれば、苦行と化した房事を断ってもよい。家斉としてはそうなってもおかしくはありません。
ただし、それも母の許可を得ねばならず、治済は、定信が私たちの血筋を絶やしたいのだと言い出します。
そう言われても「え?」と返す家斉の鈍感さよ。治済はそんな我が子の無知を笑い飛ばします。あの家はいつかは将軍を輩出したいと思っているのだから、当たり前なのだと。
この家斉の種馬問題に、何か嫌なものが影を落としてきましたね。
徳川の血筋問題である――家康があれほど子沢山であったにも関わらず、家光時代にはおぼつかなくなり、分家から世継ぎを迎えてどうにかしてきた将軍の血統。
その血統由来の権力闘争が煮詰まり、政治は後回しになってゆきます。
そんな中で家斉は、治済と定信という、吉宗の孫二人に挟まれて身動きができなくなっています。
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