大河ドラマ『光る君へ』の第1回放送で登場した藤原時姫を覚えていらっしゃいますか?
三石琴乃さんが演じる藤原兼家の妻で、藤原道長の母であるばかりか、長男の藤原道隆、入内した藤原詮子、さらには、まひろの母・ちやはを刺殺した藤原道兼も彼女の息子です。
長男・藤原道隆(井浦新さん)
次男・藤原道兼(玉置玲央さん)
三女:藤原詮子(吉田羊さん)
三男・藤原道長(柄本佑さん)
史実の結果から残念ながら第2回放送では画面から消えていましたが、彼女の存在を頭の片隅においておくと今後の物語に深みが出てくるかもしれません。
というのも、上記の兄弟だけでなく、一条天皇、定子、彰子、伊周、隆家、頼通……等々、彼女の孫が権力闘争の中心に巻き込まれるからです。
藤原兼家の妻なのだから当然とはいえ、こうした状況を彼女は望んでいたのかどうか。
第1回放送では優しげな人柄で道兼をたしなめる場面もあった藤原時姫。
彼女はいかなる経緯で藤原兼家の妻となり、その生涯をすごしたのか、振り返ってみましょう。
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藤原兼家の嫡妻
藤原時姫は、藤原兼家の【嫡妻】です。
日本史でお馴染みの【正室】ではなく、この呼び方で本妻となります。
当時の貴族はどんな婚姻形式だったか?
というと男性が女性の家に向かう【通い婚(妻問結)】であり、三日続けて通うと婚姻が成立。
このとき食べる餅は「三日餅」(みかよいもち)と呼ばれます。
貴族には通常、複数の妻がいて、嫡妻となる女性のもとで男性と夫妻の子が暮らし、その様子は大河ドラマ『光る君へ』の第1話でも描かれていました。
道長の父である藤原兼家は、藤原北家の貴公子であり、妻も複数います。
ざっと以下の通り。
妻だけではなく、妾もいました。
嫡妻に選ばれた時姫は、やはり特別なのでしょう。
兼家は嫡妻を決めぬまま、複数の妻の元に通っていた時期がありました。
ライバルは藤原道綱母
藤原時姫にとってライバルだったのが、才色兼備である藤原道綱母でした。
時姫の長男である藤原道隆(953年生)と長女・藤原超子(954年?)が生まれた翌年、時姫を母としない道綱(955年)が生誕。
藤原道綱母は、自身が嫡妻に選ばれなかったことを嘆きました。
わざわざ自邸前まで牛車でやってきて、そのまま別の場所に向かうような焦らしをする兼家に、道綱母は翻弄され続けるのです。
結果、そのときの恨みつらみを『蜻蛉日記』に記し、彼女は後世に名を残していますが、怒りは兼家に、羨望は時姫に向かっていました。
時姫の父・藤原時正は、従四位上・摂津守であり、実はそこまで身分が高いとは言えません。
藤原道綱母の父・藤原倫寧は、正四位下・伊勢守です。
血統という点でいえば、大差はない。逆に、大きな格差でもあれば諦めがつきやすかったはずで、そうではないからこそ藤原道綱母は悶々としたのでしょう。
なにせ彼女は「本朝三美人」と言われたほどの美貌で知られます。
※日本の美女ベスト3で衣通郎姫・藤原道綱母・光明皇后
美貌の母を持つ息子の藤原道綱は、当時でも有数の美男と評判でしたが、「物を知らない男である」と藤原実資に酷評されています。
『光る君へ』での道綱役は上地雄輔さん、実資役はロバート秋山さん。
ともかく、こうしたドロドロの経緯を経て、時姫は東三条殿で暮らすようになりました。
優雅なようで生々しい関係があったのです。
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