毎週土曜日13時50分に『光る君へ』をマンガで振り返る――第35話の注目は道長の金峯山詣と藤原彰子の告白でしょう。
リアルに命の危険もある金峯山詣。
そうまでして娘の懐妊を祈る藤原道長と、まひろと物語を通じて自分の気持ちに目を向けることを知った藤原彰子。
二人はどのようにして前へ進むのか、第35話を漫画で振り返ってみましょう!
某強壮剤
◆アラフォー以上の方ならご理解いただけるでしょうか。
「ファイトー!」
「いっぱーーーーつ!」
そんな掛け声でお馴染み、大正製薬「リポビタンD」のテレビCMは1961年にスタート。
この【ファイト一発フォーマット】が採用されたのは1977年勝野洋&宮内淳コンビからで、実は、エミー賞受賞で世界中から注目されている真田広之さんも1981年に勝野洋さんと共に出演されています。
【参考】
リポビタンD広告の歴史/大正製薬(→link)
狙撃
◆金峯山寺は奈良県吉野郡吉野町にあり、現在の京都御所からは徒歩で約85kmの距離。
車ならば約100kmで3時間という、平安当時であれば相当な距離となります。
例えば、真田信繁(幸村)が隠遁生活を余儀なくされた高野山金剛峰寺一帯は、そこから西へ約50kmにあり、霊験あらたかな山中に建つ佇まいは、なんとなくイメージがかぶるかもしれません。
とにかく、それはキツい旅だったでしょう。
そもそも金峯山は、役行者も修行をしていた山岳信仰のスポットです。
当時の平安貴族として金峯山詣に出るのは、道長が初だったようで、8月2日に出発するとまず船で進み、石清水八幡宮へ。
そこから複数の寺に立ち寄りながら8月9日、いよいよ金峯山(標高1714m)に登り、11日には実に多くの宝物や経典を供養奉納しています。
ドラマで道長が地中に埋めていた「金銅藤原道長経筒」――これを実際に埋めたのは8月11日のこと。
素材は銅製で、表面には金メッキが施され、中には道長が自ら書写した経典が入っていました。
長いこと地中に埋まっていた経筒が、地中から掘り出されたのは江戸時代・元禄4年(1691年)のことであり、現在は金峯神社の所蔵で、京都国立博物館にて保管されています。
ちなみに、藤原彰子が書写した法華経は「彰子の経箱」として比叡山横川の如法堂に安置されている、そんな言い伝えもあります。
しかし、そうまでして当時の道長は何を祈ったのか?
というと藤原彰子の懐妊と、自らの極楽浄土への往生を祈念していたようです。
兄弟喧嘩
◆藤原伊周が道長を暗殺しようとしたのは本当か?
というと、実際は「藤原伊周と藤原隆家の兄弟が平致頼(むねより)を用いて道長を暗殺しようとした」という記録があります。
伊周の道長暗殺計画は史実だったのか?まんが『大河ブギウギ 光る君へ編 第34話』
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詳細は前回の本記事に掲載されていますので、ご興味があれば是非!
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