べらぼう感想あらすじレビュー

背景は喜多川歌麿『ポッピンを吹く娘』/wikipediaより引用

べらぼう感想あらすじ

『べらぼう』感想あらすじレビュー第23回我こそは江戸一利者なり 親離れ子離れの苦しみ

2025/06/16

源内の死から三年目、冬の夜――田沼意知は蝦夷上知計画の仲間に蔦屋重三郎を引き込もうと誘いをかけてきます。

「お断りします。手前のことで手いっぱいなんで」

蔦重はキッパリと断ります。

九郎助稲荷が映りますが、あの饒舌な狐も沈黙したまま……。

「そうか。気が変わったら言ってくれ。それからこの話は他言無用で頼む。花魁のためにもな」

そう言い残して去ってゆく意知。

蔦重は「花魁のため」という言葉に引っかかっているようです。

この冒頭の場面は実に美しい。

傘の紙と骨の透き通った質感。蔦重と意知の横顔を照らす光。まるで絵が動いているような美がそこにはあるのでした。

 


抜荷で企む大文字屋の二人

蔦重は思い出しています。誰袖が抜荷のことを聞いていたことを。

しかし、本人に確認しても、ぬけぬけと「手すさびに青本を」というばかりです。

蔦重は「田沼意知様と何をしているのか?」と言い出そうとして、慌てて「花雲助」と言い換えます。

蔦重がヤベエと気づいたのは、相手の身元を知っているってこともあるんですね。誰袖は「ここですることなんて一つしかありんせんよ」とすっとぼけておりやすが。

「カボチャに言う!」

誰袖に話しても埒が明かないと悟ったのか。蔦重は大文字屋に話を打ち明けようとすると、そのカボチャが「花魁!」と叫びながら走ってきました。

「“ぬクけケにキ”のカラクリ考えてみたんだがよ!」

何やら暗号で語る大文字屋ですが、蔦重のように答えがわかっていればすぐに見抜けるものですね。

呑気に「抜荷」なんて言っている場合かと、さすがに呆れ返る蔦重。

相当きな臭い話で、下手すりゃ血も流れると大文字屋を諭すのですが……。

「どんだけうまい話だと思ってんだよ! 花魁があのお方に身請けされりゃ、おめえどんだけ金入って、どんだけ名があがるか!」

おぉ~、いかにもボンボンぽかった二代目が、初代のようながめつさを見せつけて来やがりました。

『近世商賈尽狂歌合』に描かれた大文字屋/国立国会図書館蔵

こりゃ先代の、誰袖を蔦重に見受けされる遺言状なんざ、ケツ拭いて捨てちまったんじゃねえの。親孝行の概念すらすっとばしてこその忘八だもんな。

すると本人もハッとして、穏やかな笑みを浮かべて言います。

「こんなうまい話、逃せるかってんだよ……」

取らぬ狸の皮算用をする誰袖と大文字屋に呆れつつ、蔦重は去ってゆきます。

どうにも危ねえな。駿河屋なんてむしろ揉め事にゃあ慎重で、唐丸だった男を吉原に引き取ることすら嫌がっていたじゃねえすか。

初代だったらこんな危ねえ船に乗らなかった気がするけどね。武士と吉原が揉めると色々面倒ですからねえ。

 


蝦夷地とオロシャに行ってみてえもんだ

蔦重は須原屋に向かい、四方赤良『万連狂歌集』100部を受け取っています。

なんでも横流しなんだそうで、「抜荷」みてえなもんだから、店先では捌けないそうです。

あの人格者である須原屋も、危ねえことをしてるとわかりますわな。

「抜荷」という言葉に反応したのか、蔦重は須原屋に「蝦夷地のことを知ってます?」と尋ねます。

驚きつつ、どうしてそんなことを尋ねるのか?と聞き返す須原屋に、「青本のネタでさぁ」と誰袖と同じ言い訳をする蔦重。

須原屋は暇かどうか?と確認しながら、何やら地図を取り出してきました。

かなりざっくりしていた三浦庄司のものよりはマシではあるものの、こちらも相当なものですな。しかもこの地図には「オロシャ」まである。

「どんな所か行ってみてえよなぁ」

そう笑い合っていると、蔦重は“印”に気付きます。これは一体なんなんだ?と尋ねると、須原屋はコソコソと耳打ちしてきます。

ゴローニン事件を描いた『俄羅斯人生捕之図』/wikipediaより引用

ヤベエ場面だぜ……こりゃ相当、すごいもんを出して来ちまったな……。

抜荷よりは安全かと思っているかもしれませんが、この地図は幕府からすれば全否定するしかない危険文書ですぜ。

これは日本人の海外認識に関係がある話でして。

当時の日本人は蝦夷地のことをぼんやりとしか認識しておらず、そこの蝦夷(アイヌ)と交易さえすればいいとみなしておりました。

本州の北にでかい島がある。その先のことは認識できていない。

それなのに、デケエ国が蝦夷地のすぐ隣にあるってなったら、どうするのか?という話です。

今からすると信じがたいかもしれませんが、ロシアの存在が意識になかったんですね。

日本人の意識の中に、ヨーロッパがいつ出てくるか?

ファーストインパクトとしては、織田信長のもとにやってきたフロイスらでおなじみのカトリック宣教師になります。

それが布教を禁止され、プロテスタント国であるイギリスとオランダとの交易が始まり、最終的にイギリスとの関係が途絶えてオランダのみとなりました。

オランダは小国ですので、そこまでインパクトはありません。

遠い国からきて、友好的な関係を構築する。相手も目的は東洋との交易を守ることですので、物騒な野心はないわけです。

いわば遠くて無害な存在としてのヨーロッパが日本人の意識の中にありました。

それが結構近くに、やたらとでかい国があって、何かを狙ってきたらどうか……洒落になっておりません。

しかもロシア人としては冒険感覚でもあるので、日本の房総沖あたりにきて「異国を探検したぞ!」というノリなのです。

ここでいったんドラマを振り返ってみましょう。

鳥山検校はじめ、盲人組織である当道座があくどい高利貸しをしていた話がありました。

あれだけ問題のあった金融業でも、神君家康公が認めたとなると迂闊に手出しができなかった。

蝦夷地問題もそうで、家康がなまじ「蝦夷地では松前藩に交易を任せておけばいい」と定義したものだから、なかなか変えることが難しくなっていたのです。

そうはいっても、ロシアからすればそんな事情はお構いなしで、南下してきます。

そこで幕府も対応策を取るわけですが、そんなオロシャについて好奇心旺盛な江戸っ子たちが知りたがったら色々とまずい。

知識は水のように流れまして、女帝による支配なんて興味津々で受け止められたりするわけですな。

ロシアの女帝・エカチェリーナ2世/wikipediaより引用

そういう極めつきの危険情報を、須原屋は扱っているわけでして、これも伏線でしょうか。

幕府も無策ではありませんでしたが、このあと江戸文人のネットワークは止まらなくなります。

その様を実感するべくおすすめしたいのが、幕末の浮世絵です。

京都方面の政治闘争を戯画にして描いているわけですが、どうしてここまで精緻な情勢を掴んでいたのか? それを江戸っ子も理解していたのか?ともかくたまげますぜ。

そういう情報が江戸に流れてゆく様子が可視化されるというのが、本作の凄さだとつくづく感じます。

 

狂歌本が売れに売れて、蔦重もすっかり有名に

四方赤良こと大田南畝が、扇を差し出すファンに囲まれております。

高き名の ひびきは四方に わき出て

赤良赤良と 子どもまで知る

稲荷が狂歌を詠んでいます。

すると、子どもの一人がこうツッコむ。

「あからなのに、あかくない!」

俺を見て 又うたを よみちらすかと

皆の思はん こともはづかし

即興でそう詠みながら、顔に朱を塗り、おどけてみせる。

天明3年(1783年)、大田南畝が狂歌師・四方赤良として大ブレークしていました。

大田南畝(四方赤良)/国立国会図書館蔵

そして、その勢いに乗ったのが敏腕編集である蔦重です。

熊野屋の宴に向かうと、そこには関取三名がおりました。

「おおっ、これが」

「蔦重!」

「俺も買ったよ!」

幕内力士の若元春関、遠藤関、錦木関が出演しています。嗚呼、なんてえ豪華なんだろう!

力士といやぁ和装で髷も結っているので、いつも通りっちゃそう思えるようで、何かが違いまさぁ。江戸時代のセットの中にいると、本来の彼らの姿があるようで感動します。

勝川春章の相撲絵/wikipediaより引用

力士は江戸っ子にモテる職業であり、皆が憧れる大スターでした。

そんな関取が三名も画面の中にいると実に鮮やかで華があり、これぞまさしく眼福です。

 


今も昔もインフルエンサーの評価は大事だ

そんな大スターと飲み会ができる蔦重は、狂歌の指南書も青本も絶好調です。

このころから「青本」は「黄表紙」と呼ばれるようになったとか。表紙が色褪せて黄色になるからそう呼ばれるんだってよ。

かくして蔦重は江戸一の目利き、「利者(ききもの)」と呼ばれるようになりました。

本人が創作するのではなく、見抜く力があるということですな。

ちなみに『光る君へ』ですと藤原公任にあたりますかね。

藤原公任(月岡芳年『月百姿』)/wikipediaより引用

彼は、歌はじめ作品評が注目されていました。ドラマでも描かれたように、藤原彰子の女房たちに戯れながらについて「このあたりに若紫はおいでかな」と言ったことがあります。『源氏物語』について言及したわけです。

それに対して紫式部は「光源氏も実在しないのに若紫がいるわけないでしょう」と思ったことを書き記しました。

ドラマではズバリそのことを口にしておりましたね。

あれは紫式部が圧巻の塩対応をしているようで、公任が目利きであることを踏まえると、「一流インフルエンサーも認めた!」という記録として読めなくもない。

平安中期ではあくまで宮廷内で完結していた、そんなインフルエンサーの影響が、江戸時代中期は百万人が住まう江戸で展開されるようになっていたってことでやんす。

そんなわけで蔦重は、相撲見物に富本本の打ち合わせ、さらには土山様との宴会と予定が立て込んでいました。

売れっ子の呼び出し女郎並の忙しさ――ふじはそんな蔦重を風雲児だと言うものの、夫である駿河屋の親父殿は面白くなさそうな表情です。

おもしれえな。嫉妬って気がするぜ。

かわいい蔦重をとられて焼き餅焼いてねえか。女同士はドロドロなんて言うけど、男同士だってそういうもんだぜ。

駿河屋は「吉原におんぶに抱っこで何が風雲児だ!」と吐き捨てており、子離れできねえという印象ですね。

 

接待狂歌に励む武士たち

さて、本物の風雲児――ではなく「風雲爺がいる」と稲荷が語るのは田沼意次です。

意次は要職を田沼派で固め、息子の意知を奏者番に抜擢。

その無双ぶりを佐野政言が見つめており、一人の武士がこう詠みました。

願わくば 田沼様とは 思へども

せめてなりたや 公方様には

これは当時の定番の喩えですね。

「飛ぶ鳥を落とす勢いの“誰か”になるのは無理でも、将軍や大名にならなってみてえモンだ」と願望を詠むわけですな。

田沼意次/wikipediaより引用

長谷川平蔵が「さすがに公方様はやり過ぎだろ」とコメントすると、政言は何をしているのかと困惑しています。

平蔵が、ドヤ顔で何やら本を差し出します。

なんでも田沼派のビッグウェーブに乗り損ねた武士たちは、狂歌を嗜み、土山様にコネを作りに行っているんだそうで。昭和のサラリーマンが上司や取引先相手に接待ゴルフをしたみてえなモンだな。

そして場面は、接待狂歌へ。

会場となる土山邸は「酔月楼」という洒落た名前がつけられていました。カネが唸っているのでしょう。完全に調子こいてますね。

そこへ、長谷川平蔵が、佐野政言らと共にやってきました。

屋敷の中では、芸者が音楽を奏で踊り、大層賑わっています。現代で言えばDJブースで音楽をガンガン鳴らし、テキーラショットをあおりながら、踊り狂っているという感じでしょうか。

華やかな場面に面食らった政言は「これは……350俵の組頭屋敷ではなかろう」と当惑するしかない。

すると土山の声が響いてきました。

わが庵は 都のたつみ(南東)……

「わが庵は……」とは、いかにも気取ったことを詠んでいるわけで、実にこの時代らしい話でもあります。

以前も何度か触れましたが、北東アジア圏が近世に到達した結果、大都市が誕生し、そこで文芸活動する者が現れました。

中国ですと魏晋時代の「竹林の七賢」あたり。彼らは別にユニットを結成して竹林で寝起きしていたわけでもありませんが、一応は俗世の喧騒から離れていたということにはされているわけです。

それが明代ともなると、街中に暮らしつつ、文人活動ばかりを行い、官吏にならない「市隠」が登場してきます。

そうした生き方は、近世以降でないと成立できません。

なぜなら一定数の人が居る都市だからこそ、創作活動でカネを稼ぐことができ、衣食住が足るというわけです。

日本は戦国時代を経ているため、明よりも数世紀遅れました。

しかし太平の世で江戸が百万都市となり、識字率も上がって印刷技術が向上したため、出版文化も花を咲かすことができた。

土山が「わが庵」だのなんだの言っていますが、あくまで風流を気取っているだけで……こんな豪勢な屋敷のどこが庵なんだ?という話です。

そんな江戸でも「竹林の七賢」モチーフは定番人気。

浮世絵では七賢を女体化した美人画なんてものもありました。

女体化した竹林の七賢・鈴木春信画/wikipediaより引用

昔から日本人は女体化が好きだったんですね。

しかし、土山らのこのパリピっぶりは……こんなんでいいのでしょうか。

武士は本来、官僚として働くべきでは? そんな歪みも浮かんできます。

 

土山は蔦重が欲しい

その歪みを察しているのは、ここでは佐野政言だけでした。

他の武士たちは「田沼様の覚えがめでたければできる」と浮かれてワクワク。

平蔵も、どうやったら近づけるのかと考えています。

と、そこで見つけたのが、和泉屋の相手をしている蔦屋重三郎でした。

和泉屋は蔦重に「日本橋に出るつもりか?」と尋ねています。

笑いながら即座に否定する蔦重。

そこに平蔵がやってきて、例のシケ(垂れた一筋の髪の毛)をフッと吹いておりやす。

平蔵は懐から狂歌攻略本も取り出し、使っていることをアピール。この本は、判型がかなり小さいですね。

もしも「こういう本がうちにもありゃいいなあ」と思われた方には、芸艸堂の「和綴じ豆本シリーズ」がおすすめでやんす。

平蔵は、同僚武士たちに土山と接触する機会を作ってやりたいんだとか。

そこで蔦重は土山のもとへ彼らを引き連れていく。

と、大田南畝もいて、蔦重を狂名の「蔦唐丸!」と呼んできます。

「江戸一の“利者”は350俵の勘定組頭などもはや後回しか」

チクリと言う土山宗次郎に対し、蔦屋重三郎が即座に返す。

「んなわけねえじゃねえですか! 意地悪、言わねえでくだせえよ……」

ここで武士たちが紹介されるのですが、長谷川平蔵のあとに佐野政言が挨拶をしようとしたところで、大田南畝が「長谷川といえば!」と大声で話し始めました。

火付盗賊改方の息子で、かつ吉原で極めて豪気な振る舞いをなさった!

噂になってんだねえ。若気の至りと言いつつ、狂歌をこれから始めたいと切り出す平蔵。

「ひとつ、赤良先生に大いにモテそうな名をお願いしたく」

「では、稀代のモテ男、在原業平にちなんで、“あり金はなき平(ひら)”で」

ここでシケを吹き飛ばし、こう返す平蔵。

「金はなくてもモテると」

そう笑い飛ばしております。ったく、バカだな、こいつら。平蔵は江戸のモテ職業に入る与力でも目指してえとこかもしれんね。

月岡芳年の「在原業平と二条后」/Wikipediaより引用

平蔵に続いて、今度は横川と縦川と武士二人が名乗ります。

自己紹介の機を逸してしまった政言は唖然としている……。南畝はそんな相手に気づかず、横縦コンビに狂名を考えています。

蔦重が政言の存在に気づいて「どうかおそばに」と言っても彼はこう返します。

「よい、やはり拙者はかような場は慣れぬし……親の具合もようないので長居できぬしな。では」

ボソボソとそう答えると、出ていってしまうのでした。

土山が、雲助の話を断ったことについて、蔦重に話しかけてきます。

「この話の先にはあらゆる儲け話が転がっておる。一枚噛んでおけば、いずれは蝦夷地の本屋商いを取り仕切ることができるように」

「いやぁ、吉原のしがない本屋にゃあ話が大きすぎまさ」

蔦重が頑なな姿勢でいると、土山は思わぬ提案をしてきます。日本橋に店を買ってやるか。

そして「そのほうが赤良本ももっと売れる」とまで言い出すのです。

出来すぎた話で信じきれない、されど心が動かされている様子の蔦重。いったいどうなってしまうのか。

 

蔦重の野望

耕書堂に帰ってきた蔦重は、歌麿に日本橋出店の話をしています。

歌麿が「近頃、みんなにそれ言われてんでしょ」と返すと、蔦重は「土山様が金を出してくれるってんだよ」とソワソワ。

「毎年、自分に運上おさめりゃいいって」

「それ、間違いなく得するのは土山様だけだよ」

「そうかなぁ」

「蔦重は吉原にいるからちょいと格好よしなんだよ。江戸一の利者が江戸の外れの吉原にいる。それが粋に見えんだよ」

『東都新吉原一覧』二代目歌川広重/東京都立中央図書館蔵

そう歌麿がつっこみを入れます。

調子こいた蔦重を嗜めるところは、なんだか瀬川を思い出しちまうなぁ。

「んじゃ、ここそのままにして、日本橋に二店目ってな、どう?」

「親父様が蔦重に話があるみてえだよ」

ちょっとぶっきらぼうに言うと、スタスタと歌麿は歩いていってしまいます。

「おい、親父様も俺に日本橋って?」

「だといいけどね」

甘えているようでそっけない歌麿は、なかなか重いものを感じさせます。

瀬川よりも湿っぽくねえか? 歌麿は蔦重と出会って過ごした吉原から出たくないような、そんな切ない思いも感じさせます。重たいねえ。

さて、呼び出された用件は何なのか。

りつが渡してきたのは、蔦重ブランドを見込んでの店の引き札(チラシ)、品を入れる袋を作って欲しいというおなじみからの依頼でした。

引き札(広告用のチラシ)/wikipediaより引用

大河ドラマだってそうじゃねえか。『べらぼう』公式ロゴ入りの商品があるもんな。

版権やインフルエンサービジネスのはしりみてえなもんよ。

りつとしても儲かるし、吉原のためにもなるだろうと言うわけですが、その内容が結構厳しいんですよね。孫の祝いに四方赤良の狂歌集はさすがに無理だ、と蔦重は苦い顔をしています。

「おめえ、近頃いい気になってやしねえか? 前だったらこんな話、間違いなく乗り気んなったろ」

蔦重がキョトンとしていると、親父殿は苦々しくこう言います。

「勘違いすんじゃねえぞ、吉原のおかげでおめえはここまでんなれてんだ。俺たちが手ぇ引いたら、その日のうちに潰れんだからな」

そう立ち上がりつつ、親父殿が凄んできます。

ここでまるで反抗期の息子とその父親のような会話となります。

「ああ、分かりました! やらせてもらいます」

「なんだその言い方!」

「まぁまぁ、重三も忙しい身だからさ。できるだけでいいからさ」

りつが止めに入り、なんとかなりましたが……でもなんかこう、危うさも感じるんですよね。

こういう俺が庇護してやったという驕りって、蔦重は俺には無縁だと思っているかもしれません。

でも、歌麿が巣立ちたいと言い出したらどうなっちまうんでしょう。

 

稼いでも稼いでも尽きぬ土山の欲

田沼意知は、土山が蔦重に持ちかけた話を耳にしています。

「江戸一の利者の本屋は土山のもの。これはなかなかに気分ようございますし、そうなればおのずと蝦夷の話にも引き込めましょうし」

「いずれは蝦夷での本屋商いのうまみも懐にということか。あれだけ貯め込んでもまだ足りんか」

「私のような小身は金だけが頼りで」

どこか気だるげにそう返す土山宗次郎。

こりゃすごくいい視点をついてきやしたぜ。今にまで残る、先住民搾取の末にマジョリティが利益を得る問題ですね。

先住民利権だのなんだの怪しい情報が今日もインターネットの海を漂っていますが、何世紀にもわたって先住民を低賃金で酷使し、その儲けを懐に入れてきたのは支配側でした。

この場面の背後には、そんなアイヌの姿も浮かび上がってくるように見えます。

蔦重はそうでもありませんが、江戸の本屋がアイヌをモチーフにして利益を得ていたことは確かです。

アイヌ絵というジャンルがあります。

今回も出てきた松前廣年にもその作品がありますが、江戸の場合はアイヌを実際に見たこともなく、蝦夷地に行ったこともない絵師までもが想像と資料を元に描きます。

イオマンテを描いたアイヌ絵『蝦夷島奇観』村上島之允(秦檍麿)画を平沢屏山が模写/wikipediaより引用

それを版元が売り、客が買い、経済を回していた。

しかし回った結果の利益がアイヌ当事者に渡るかというと、全くありません。

現在は、和人がフリー素材でアイヌの模様を配布したり、勝手に衣類に使って販売すると問題視されます。

アイヌの晴れ着/wikipediaより引用

そんな搾取を避けるためにもアイヌデザインのものを購入する時は、認定ロゴ入りのものを買いましょう。

 

女郎蜘蛛の糸にかかるものたち

田沼意知と土山宗次郎の二人は大文字屋にいるようです。

隣室から漏れ聞こえてくる会話に反応し、その部屋を覗きにいきます。

と、そこにいたのは松前廣年、大文字屋市兵衛、そして誰袖花魁でした。

大文字屋が、琥珀がさらに欲しいと訴えています。揃いの簪を作りたい、その手配を頼みたいのだとか。

しかし、さすがの廣年も「琥珀は相当に値が張るぞ」と弱気になっています。

大文字屋は厚かましく「そこはぜひ、できるだけお手柔らかに願えると助かりますナ」などと言い、去ってゆくわけですな。ニッと微笑む誰袖。

「主さん、琥珀というのは何故かように高いのでありんすか?」

二人きりになると、甘えるように囁く誰袖。

商人が利を載せるからだと廣年が答えると、誰袖は商人を通さず直にオロシャから買えば安く手に入ると提案します。

「ならぬ! ならぬ! それでは抜荷となってしまう! 異国と勝手に取り引きをすれば御法度! 下手をすれば取り潰しじゃ!」

廣年は立ち上がり、錯乱気味にそう言います。

誰袖が見上げながら、こう続けます。

「けんど、主さんが安く手に入れ、親父様に高値で買い取らせれば、相当の金がお手元に残りんしょう?」

「差し出口をきくな! 女郎ごときが!」

そう怒鳴られると、誰袖の目に水晶のような涙が浮かび、ぽろりと落ちます。見守る大文字屋も「でた」と言う、男殺しの一撃ですな。

動揺してしまう廣年が優しく声をかけると、誰袖が潤んだ瞳でこう続けます。

「わっちはその金があれば、主さんともっとお会いできるかと思いんして……」

「これ、泣くでない。わかった。ひとつ、考えてみるゆえ」

「嬉しうありんす! んふふ……主さん、ぜひ、いつの日か、身請けを……」

「うむ、考えてみるゆえ。もう、泣くでない」

そう抱きつく誰袖。

男子の鉄腸どころか骨まで蕩けそうな廣年。

しかし、誰袖の顔にはありありと、獲物を捕らえた猫のような満足げな表情が浮かんでいます。

そしてそれを眺める意知は、この傾国の美貌に吸い付けられたような目になっています。

嗚呼、花魁の背後で髑髏が蠢いているようです……。

月岡芳年『新形三十六怪撰 地獄太夫 悟道の図』/wikipediaより引用

 

蔦重は日本橋に出店したい!

耕書堂では、歌麿が絵を描き、蔦重が仕事をしています。

あの小野忠五郎もいました。

どうやら蔦重が仕事を依頼していたようで、まだこんな摺物屋の請け負い仕事をしているのかと忠五郎は驚いています。吉原からの依頼だと断れねぇ……と答える蔦重。

すると忠五郎が耳寄り情報を持ってきます。

日本橋にある鶴屋の向かいの店が空くんだとか。

驚く表情の蔦重に、忠五郎も吉原からの脱出を持ちかけてきます。

彼はかつて吉原の小店という同じ境遇である蔦重を嫉妬していましたが、今では応援しているようですね。歌麿が振り向いて、気にしているようですが……。

さっそく蔦重が価格を確認すると、ざっと千両くれえだとよ。高いねえ。

さすがに蔦重が顔を顰めると、忠五郎は「けどお前さんなら、吉原に頼みゃあ貸してもらんだろ?」と言います。

どうもそういう感じじゃねえとぼやく蔦重。前は応援していたんだけどねえ。

「いっそ日本橋から言ってきてくんねえかなあ」

そう煙管を片手に蔦重がぼやいていると、歌麿がこう言います。

「忠さん、聞かなくていいですよ」

「蔦屋は江戸一の利者! タダでいいから日本橋に店出してくださいって」

確かに蔦重、なんか調子こいてて危なっかしいよな。

忠五郎が笑って聞いていると、りつが「日本橋のお偉いさんたちがあんたも一緒に話あるって」と伝えにきました。

こうなりゃ、調子こきの重三は浮かれますわな。

やはり歌麿はどこか不安げです。

 

流通ルートがないと良いものを作ろうが流れない

呉服屋の白木屋が持ち込んできた話とは、『雛形若菜』の人気を上げるため吉原あげて力を貸して欲しいというものでした。

呉服屋としては、ファッションカタログでもある西村屋の『雛形若菜』を盛り上げていくことにしたそうです。

後回しにされた蔦重の『青楼名君』。

グッドニュースどころかバッドニュースで、蔦重の顔が少しひきつっています。

悔しそうに『青楼』のどこが『雛形』に劣るのかと粘る蔦重は、華やかさや面白さだって負けちゃいねえ!と強気です。

北尾政演『青楼名君自筆集』/出典:ColBase(→link

おまけに入銀は吉原持ちで制作費もタダ。

しかし、作品としては優れていても売れていないと白木屋は浮かぬ顔です。

蔦重が「市中ではかなり売れている」と反論しても、話はもっと大きなスケールでした。

「江戸の外では、どうですか?」

白木屋が本質をズバリついてきましたね。蔦重の顔も「スンッ」となってしまいます。

りつに、その辺りどうかと聞かれると「往来物のツテがあるところに頼んだりはしてまさ」と返しています。

白木屋は満足げに「そこが西村屋さんとはまったく違うところです」と言います。

鶴屋や西村屋には諸国の本屋から大口の買い付けが来る。遠く名古屋、京、大阪、仙台まで流通する。地方の本屋や小間物屋にまで流れるんだとか。

駿河屋はここで「ケッ、いつまで経っても脇が甘えな!」と吐き捨てるのでした。

りつも「これはこれで手伝うってことでいいかい?」と提案。

『青楼名君』はやらないわけでもないし、江戸の外まで女郎の名が売れるのは吉原にとってもいい話だと……そう言われたら反論できませんね。

蔦重はそれでも、江戸の外まで流れりゃ『青楼』が『雛形若菜』に勝てる!と燃え始めました。

「見ててくだせえ! あっという間に日の本中に流してみせますから!」

「わかりました。しばらく待ちましょう」

こう啖呵を切った蔦重に、駿河屋はますます苛立ち、りつも動揺しています。

さて、そんな宛てはあるのかね。白木屋たちが去ったあと、駿河屋が怒鳴り出し、りつも同調します。

「おい……おめえおめえおめえ! 何勝手なこと言ってんだ!」

「そうだよ! 吉原にとっちゃ双方ある方が……」

「うちの品を売れるように計らうのは当然じゃねえですか」

蔦重が断言すると、駿河屋は吐き捨てます。

「しゃらくせえ! 吉原あっての蔦屋だろうが!」

「親父様、近頃はうちに金出してえって人もいんですぜ」

さすがに駿河屋はもう限界だぜ。蔦重につかみかかると、そこへ松葉屋と丁子屋がやってきました。

なんでも和泉屋のご隠居が亡くなったそうです。明日葬儀だと聞いてりつは返します。

「迷うとこだね。私らが出るのを嫌がる人も多いからね」

それがなんでも、息子である今の旦那から見送って欲しいと頼まれたんだとか。松葉屋は蔦重を誘うものの、駿河屋が「出てる暇なんてねえだろ!」と遮ってしまいます。

「蔦屋様は世話んなった馴染みより、てめえの品流す方が大事(でぇじ)だろうからよ!」

「……じゃあそうさせてもらいまさ」

蔦重は呆れたように立ち上がり、出て行ってしまいます。

 

須原屋、蔦重の日本橋進出を励ます

江戸の市中――蔦重が西村屋の前で、地方出身らしき大荷物を背負った男に声をかけます。

錦絵を見せよう……とすると、相手は「西村屋の『雛形』買ってりゃ言われとるで」と即座に返答。

別の男に声を掛けても「急いでっから!」と取り付く島もありません。

彼もまた西村屋に向かい『雛形若菜』を買っていくのでした。

鳥居清長『雛形若菜の初模様 大文字屋内まいずみ』/wikipediaより引用

そこで蔦重は、須原屋に錦絵を書物扱いで流すよう頼みに行きます。

と、これがさすがに無理なんだとよ。狂歌本とは違うわけですな。

須原屋は蔦重を座らせ、こう提案します。

「なあ蔦重、おめえ、日本橋に出る気はねえかい? 日本橋に出りゃな、この絵は一発で方々の国に出回ることになるんだぞ」

西村屋、鶴屋の品ならば江戸の外に流れてゆく。それは日本橋に店があるからだ。日本橋に出店してこそ一流と認定される。そこの品なら間違いないと買っていくのだと。

蔦重も日本橋に出店すりゃあ、それで先に進むというわけでさ。他の本だって、日本橋にでりゃほっといても流れに乗るってよ。

しかも売り上げも桁違いになる。蔦重にとっても作者にとっても良いことづくめです。

しかし、そう簡単な話なのか。

蔦重も冷静になって、吉原を出たら『細見』も催事の本も一切出せなくなります。吉原には山のような借金もあります。

須原屋は金のことなんてどうにでもなると笑いとばすものの、細かいことを考えたら無理だと言います。

「それでもよ、俺ゃ、おめえに日本橋に出てもらいてえ。あの源内さんのためにもよ。お前さんはな、今江戸で、一番面白えものを作ってるんだ。そいつをこの日の本の津々浦々に流すということは、この日の本の人々の心を豊かにすることじゃねえか? なっ? 耕書堂って名にゃあ、そういう願いが込められていたんじゃなかったのか?」

源内の名を出されると、蔦重は動揺してしまう。須原屋から出ても、どこか上の空です。

江戸の街の風景も出てきますが、ここ最近の時代劇でも最高峰の映像ですね。

出来の悪い時代劇はエキストラがまず少ねえ。人がいたとしても道具や衣装の手抜きが目立つ。なにげなく道を進んでゆく、俵を満載した車なんてそうそう見られません。

作るのに手間暇かかるんでしょう。本作はそうしたことを惜しまず、浮世絵で見た景色の再現を誠実にこなしています。

蔦重はここで手を合わせています。

まるでこの時代の江戸そのものに感謝するような、あるいは源内のことを思い出させてくれた須原屋に感謝するような、綺麗な動きなのでした。

歌川広重『名所江戸百景』「日本橋江戸ばし」/wikipediaより引用

 

吉原もんなんて所詮、差別される

和泉屋のご隠居の葬儀に、忘八たちが参列しています。

すると「吉原もんだ」「吉原の人?」「初めてみた」とざわつく他の参列者の声が入る。

彼らは他の参列者とは別の場所へ移動させられそうになります。

「吉原の方と同じ扱いなら帰ると仰せのお方がいらっしゃいまして……」

「そのあたりは何度も確かめたぜ!」

「それでもいいっていうから来たんだよ!」

そう反論するものの、土下座して頼み込まれたら意地を張ってても仕方なく、折れるしかない。

そんなことくらいわかっちゃいるんです。扇屋が声を掛けて立ち上がり、外に出ていくのでした。

雨が降り出し、彼らは濡れるしかありません。

読経の音が聞こえてくる……なんとも醜悪に思えまさぁ。宗派によるとはいえ、悪人だって救うのが仏の教えでしょう。

蔦重は葬儀に出られず、家で和泉屋を弔っています。

思えば和泉屋の荷物持ちをしたから田沼様にも会えたんだとか。

そこから全てが始まった――ドラマの初回からそう思い出している蔦重。

田沼意次との邂逅。

源内から託された「耕書堂」。

煙管片手に考えていると、外から葬儀から戻った忘八たちの声がしました。雨に濡れてしまったようです。

蔦重があわてて出ていくと、いつもの「吉原もん」扱いをされたと彼らは諦めたように返してきます。

蔦重は彼らが去ったあと、雨に濡れたまま何か思うところがあるようで、歌麿もその姿を見ています。

「任せたぜ、蔦の重三」

瀬川のそんな言葉も思い出されます。

瀬川を描いた思い出の『青楼美人合姿鏡』を見ながら、彼は一人、行燈の灯りのもとで何か決意を固めてゆきます。

勝川春章『青楼美人合姿鏡』/国立国会図書館蔵

手には「耕書堂」と書いた紙。すると歌麿が入って湯呑みを置き、こう声をかけました。

「行きなよ、蔦重。何がどう転んだって、俺だけは隣にいっからさ」

何もかも見透かしたようにそう励ます歌麿でした。

 

とにかく、俺ゃ、日本橋に移りてえんです!

忘八たちが集まり、松葉屋がそこでぼやいています。

以前より女郎や芸者に気遣っているのに、まだ吉原者を蔑む目は変わらない。

食えなくて死ぬしかねえ子を、兎にも角にも食わせてるのは誰なのか。そう社会の最底辺を支えている自負を語ります。

確かに体を売らせているが、女を買う客はそうした子らに何もしていねえ。そんな理屈をこぼすわけです。

そこへ蔦重が入ってきます。

駿河屋が「錦絵はあっという間に日の本中に流れるようになったのか?」と嫌味を言うと、そこも含めての話であるとのこと。

「皆様にお願いがございます。俺に日本橋に店を出させてくだせえ!」

そう深々と頭を下げます。

皆驚くなか、駿河屋が愕然としつつ、このことを予感していたような顔になります。

この店はどうするのかと問われると、人に任せるか、いっそ畳むとのこと。

「とにかく、俺ゃ、日本橋に移りてえんです!」

「とち狂ってんじゃねぇ! おら! おめえは吉原の本屋だろうが!」

駿河屋が激怒し、蔦重を足蹴にし、締め上げます。

松葉屋が「やり過ぎだろ」と声をかけるも、すかさず蹴りが飛び、障子が開けられ、階段の方へ。

「おお? 誰のおかげでここまでになれたと思ってんだ! 忘八にも程があんだろうが! べらぼうめ!」

正面切って階段落ちが映されます。

階下ではふじが駆け寄り、無事を確かめる。

血をぬぐい、蔦重が親父殿を見上げて言います。

「俺ゃ、忘八でさ。けど、親父様。俺ほどの孝行息子もいませんぜ。江戸の外れの吉原もんが、日本橋のまん真ん中に店、張んですぜ。そこで商い切り回しゃ、誰にもさげすまれたりなんかしねえ!」

そう言いつつ、堂々と立ち上がります。

着物の裾をはしょり、帯に入れて、落ちた階段を一歩ずつ踏みしめて、登ってゆきます。

「それどころか、見上げられまさ。吉原は、親もねえ子を拾ってここまでしてやんだって。大したもんだ、吉原の門だ。丑寅(うしとら)の門は懐が深えって。俺が成り上がりゃあ、その証しになる。生まれや育ちなんか、人の値打ちとは関わりねえ、屁みてえなもんだって。そりゃ、このまちに育ててもらった、拾い子の、一等でけえ恩返しになりゃしませんか?」

親父殿と同じ高さまできて、彼は頭を下げつつ、こう言います。

「皆様、俺に賭けてくだせえ」

「勝ち目は? しくじりゃ、所詮吉原もんはって言われるだけさ」

りつがそう問いかけます。

「俺には、歌麿がいる」

蔦重はそう言い切りました。

まぁさん(朋誠堂喜三二)、(恋川)春町先生、(四方)赤良先生(大田南畝)、(北尾)重政先生、(北尾)政演(山東京伝)、(富本豊志)太夫、(唐来)三和、(志水)燕十さん、近頃は(北尾)政美もいい。

一人一人名前をあげ、血の流れる口元を引き締め、こう言います。

「俺の抱えは日の本一に決まってる! 俺に足んねえのは日本橋だけなんでさ!」

東海道五十三次之内 日本橋/wikipediaより引用

そう頭を下げるのですが……でもよ、見てくれよ。忘八たちゃあ、ちっと寂しそうな顔じゃねえか?

仲間として天秤にかけて、自分が知り合った連中をあげたってことだもんな。

親離れ子離れだ。

目が泳いでる駿河屋が切ないねえ。

でも、蔦重の言うこたもっともだよ。ここで初めて階段から落とされて、蔦重は登った。蔦重にとってこの階段は滝だ。いま、初めて登った。

蔦重はこの階段を登竜門にしてえんだよ。ここの蔦重は、滝を登る鯉なんだ。あとは竜になるしかねえんだよ!

葛飾北斎『鯉の滝登り』/wikipediaより引用

さて、このあと、佐野政言の家が出てきます。

年老いた父に桜を見せようとする子。しかし、父の政豊は「ところで佐野の桜はいつ咲くのだ?」とその桜すら認識できておりません。

「もう咲いておりますよ、父上」

政言の顔には、絶望感が微かに滲んでいます。

蔦重は親離れを望んでいますが、それすらできない者もいるのです。

 

丸屋を売りに出したのは眼鏡の才女

鶴屋の向かいにあった丸屋が売りに出されています。店の中からは女性の声が。

「富は屋を潤し、徳は身を潤す……」

四書五経の『大学』から引用ですね。黒眼鏡の奥に目を光らせながら、その才女は言います。

「日本橋のためとなる方に、お譲りできれば本望です」

目の前にいたのは鶴屋喜右衛門でした。

「ほかに、買い手に望むことはありますか?」

「吉原の蔦屋耕書堂だけは、一万両積まれようともお避けいただきたく」

のっけから耕書堂を毛嫌いしているこの女性。どうしたって眼鏡に目が行きますよね。

でもそれだけじゃねえんだ。着物の色からして落ち着いていますし、髷の結い方も地味です。ガチガチの堅物。噛み締めたら歯が欠けちまいそうな女ですわ。

そもそも、いきなり『大学』ですしね。

橋本愛さんといえば2021年の大河ドラマ『青天を衝け』のときも主役の妻でした。

あのときは、モデルの千代が儒教教典を読みこなす才女だったのに、ドラマではその要素が消失。

現代人向けのかわいい女にされていてガッカリしたものです。そのリベンジを見ている気分ですね。

そしてこれまた、すげえ勉強になる設定なんですぜ。

蔦重の妻は記録がほぼない。吉原者への差別感情もあることからか、同じ吉原出身者と推測されることもあります。

それが敢えて、吉原の女とは対極にあるガチガチ女、しかも極め付けの堅物にしてきました。

しかも、一人娘でやんす。江戸時代は一人娘が婿を入れて、家や店を存続させることもしばしばあります。男の側が名前を変えることが今よりずっと多い時代でした。

店の経営にせよ、農業漁業にせよ、夫婦や一家単位で切り回します。

歌川国芳の名所絵揃物『東都富士見三十六景』の内「佃沖 晴天の不二」/wikipediaより引用

近世まで多くの国や文化圏で、家単位で商売を回すことが多かったわけです。

西村屋は鱗形屋孫兵衛が投獄された際、その妻相手に『吉原細見』の板木を譲るよう持ちかけていました。

鶴屋喜右衛門だって、丸屋の一人娘の意向を丁寧に確認しているわけです。

この時代は経営者の一人として女性に筋を通すことが当然でした。

それが日本ですと、明治時代になると法律で「既婚女性は無能力者」と定義されてしまいます。能力がないという意味ではなく、法的な行為は男性である夫の意志がなければ決められないということです。

2024年前半期朝ドラ『虎に翼』ではこのことが出てきて、視聴者には衝撃とともに受け止められておりました。

つまり、江戸時代だからこそ西村屋は鱗形屋の妻に契約についてを持ちかけていたものの、明治になると既婚婦人の意向など無視しても合法になったということです。

ドラマを比較することで、女性の地位の変遷や、家庭像が見えてくるわけですな。やはり江戸時代中期を大河ドラマにしてよかった。

しかし、いってえ、なんでこうなってんだい?

これも話すと長くなっけどよ。男性が外で働く。女性は家庭内にとどまる。こういう形態は限られた階層か。あるいは近代以降の家族形態つうことだよ。

よく『サザエさん』こそ本来の姿で、理想の家族だと誤解している方を見かけますが、ああいう家族像は歴史的にみればごく最近のもの。普遍的でも伝統的でもありません。

近現代への流れの中で出来たもので、冷戦後はむしろ西側陣営がこれを標準として刷り込むようにしたのです。

ソビエト連邦や中国では女も男に負けじと働き、化粧もろくにせず、あんな女房しかいない東側はかわいそうだと思わねえか?

西側諸国では、一軒家のマイホームのドアを開けりゃァ、かわいい女房が出迎えてくれる、ってなもんですね。

詳しいことは専門家の本をご参照ください。

『ちびまる子ちゃん』や『クレヨンしんちゃん』に家庭像を見出すのは時代遅れということだけは言っておきたいと思います。

 

扇屋、奥の手を連れてきた

丸屋の噂は吉原にも流れていました。

蔦重の往来物が丸屋の息の根を止めたとか。

あるいは一人娘の元婿が、扇屋の花扇に入れ揚げちまって、店の金をつぎ込んだとか。

さすがに丸屋攻略は厳しいんじゃねえか……?

駿河屋なんざ、丸屋じゃなくても売ってくれないとまで言い出しました。

するとそこへ扇屋が入ってきます。

「お待ちどんぶり二人連れ。お連れしたぜ」

ある男が入ってきたものの、何処の誰だか皆わかりません。

「扇屋さん、どなたで?」

「俺たちの奥の手ってとこさ」

「奥の手?」

蔦重も当惑しておりやす。パッと見は気の弱そうな男ですが……。

扇屋の花扇に入れ揚げちまった、丸屋のバカ婿あたりかな?

 

MVP:蔦屋重三郎

今回の蔦重は「江戸時代の家族とは何か?」が見えてきました。

血のつながりはなくとも駿河屋にとっては親子であり、その親離れと子離れの過程でぶつかりあっています。

普遍的なようで、実はそうでもない。

これは佐野政言とも合わせてみるとより際立ちますが、この時代ならではの儒教規範も見えてきます。

丸屋の娘が儒教教典を出してきたことも意義を感じます。

当時は今よりもずっと儒教規範が大事。

例えば、災害の際に親を置いて子が子逃げるようなことがあると処罰され、親殺しは大逆無道の犯罪として一切容赦がありません。

この尊属殺人規定が違憲とされたのは、なんと昭和になってから、昭和43年(1973年)のことでした。『虎に翼』でも描かれましたね。

ただ、蔦重が言うように吉原もんはそんな「孝」すらない忘八だと思われている。

だからこそ蔦重は筋を通して、むしろ親孝行で恩返しをしていることをアピールして日本橋に向かわなくちゃならねえ!というわけですね。

蔦屋重三郎/wikipediaより引用

今の視点からすりゃ、児童労働をさせられてきた吉原なんて、飛び出して当然といえる。

しかしそこは時代のしがらみで、そこに説得力を持たせつつ、あの台詞をビシッと決めなくちゃなりません。

時代の制約を入れつつ、現代の視聴者にも理解できる仕上がりにしてきました。

本当に素晴らしいドラマだと思います。

脚本も、演出も、演技も、全てが高い位置で止まり続けている。毎回毎回、実にてえしたもんを見せてもらっておりやす。

といっても、蔦重には限界もあるし、危うさもあります。

蔦重は女郎の待遇改善をずっと訴えてきて、そのために本を出すと誓っておりました。

しかし、日本橋に出るとなると、それがどこかに消えちまうことになりますわな。

一応、進歩したことは「女郎や芸者の扱いはよくした」という今回の忘八のぼやきから伝わってきます。

遊郭擁護論として定番の「食えない子を育てている」も突いてきました。

ただ、それではどうしたって弱いから「耕書堂」とかけて、日本一の本屋にするという大目標を建ててきた。

歌麿以下、抱えている連中を大事にするというのも、皆が納得できる動機でしょう。

そう、うまくまとめたようで、その歌麿がどうにも危ういんでさ。

歌麿を成功させることが蔦重の目標になっていましたが、その歌麿がいざ大きく羽ばたこう!というとき、笑って送り出せるのか? お互いぶつかり合わねぇか?

 

総評

歴史を学ぶとはなにか?

大河ドラマとはなにか?

改めて突きつけてくるドラマだと思います。

先日、浮世絵展を見に行きまして。

喜多川歌麿の作品を見ると、その描線や髪の生え際の描き方が生々しくて、ドラマの女性たちと重なって、いかに彼の目と腕が女性の姿を精緻にあらわしていたのかと驚きました。

もうひとつ、歌川国芳の絵を見ていたときのこと。

銭を握りしめて絵草紙屋の前にいるような気持ちがしました。目の前の絵は額縁の中、美術館にあるはず。そのはずが脳内では絵草紙屋の前にいました。

次はどんな作品かとソワソワしながら待っていたら、「そうきたか!」と叫びたくなるような、とてつもなくかっこいい絵が売り出されくる。

それを待ちかねたように買い、見つめる誰かの気持ちがスーッと浮かんできたのです。

『べらぼう』にはそんな江戸っ子気分を運んでくる仕掛けがあって、このドラマを見ていてよかったとつくづくしみじみ思いました。

歌川国芳『通俗水滸傳豪傑百八人之壹人 浪裡白跳張順』/wikipediaより引用

それだけでなく現実社会も映してきます。

放映日にはトランプ大統領の軍事パレードが開催され、そのニュースが流れてました。

そこにはうっとりとして陶酔する賛成派の男性と、反対するデモの様子。

賛同する男性は白人中年です。ははぁ、なるほど。そう合点がいきやしたぜ。

このへんは専門家の研究書でも読んで欲しいんですけど、かいつまんで説明します。

今アメリカが蝕まれている問題として1990年後半から「絶望死」というものがあり、白人中年の労働者階級が、自殺、薬物中毒、飲酒による肝臓疾患といった死因で亡くなる数が増大しています。

白人以外の人種や、他国ではこうした現象は起きておらず、その原因は何か?と研究されている状況です。

ただ、見えてきている現象はあります。

彼らは自分の親世代の収入を上回れない。頭打ちの状態に陥っています。

その状態が続くと、希望を見出せず、自暴自棄になるか陰謀論やヘイトに呑まれていってしまうんですな。

そうはいっても他の人種だって差別はある! 白人で、男性というだけでマシでしょ! そうなりますわな。

しかし、マイノリティ属性の人々は、その困難に寄り添うムーブメントがあるにもかかわらず、白人男性はなまじマジョリティなだけにないんですよ。

そうアメリカの話を長々としちまいましたが、これは江戸時代中期以降の武士にもあてはまるのではないでしょうか?

支配階級で特権を有しているとされる。しかし金はないし、出世の見込みもあるわけでもない。

性格的に発散できるタイプならまだマシです。ノリノリで狂歌を学べる長谷川平蔵タイプですね。

佐野政言と似たタイプの、内向的な下級武士である倉橋格には、文人である恋川春町としての顔がある。そこで己を発揮できるわけです。

しかし、それもできないからこそ、佐野政言は鬱屈してゆきます。

彼は生まれつき邪悪なわけでもない。

武士に生まれたんだから恵まれていると思われてしまうかもしれない。

しかし、そこにはモヤモヤとした絶望感が漂っている。

そういうものを甘えだのなんだの無視していると、取り返しのつかないことになるのではないか? そんな絶望の問題に取り組んでくるようですね。

世の中には、IT教育だのAIだのを学びたいから、歴史の授業をやめろなんて暴論もあるようです。

しかし、そうでないことは本記事の読者様でしたらご理解いただけるでしょう。

歴史というのは、人類が体験してきたトライアンドエラーの塊。

今、これから再現しようと思ったら犠牲が出過ぎるからできねえようなことも、歴史は証明してくれます。

歴史に興味がない人が思いつきで言い出すようなことは、実は過去に大体失敗していたりしますね。

例えば優秀なアスリートと、美人女優を結婚させて子どもを産ませたら人類が完璧になるんじゃねえか? とか、Xあたりでイキっている奴は、夏の蚊みてえに定期的に湧いてきますわな。

しかし歴史を紐解けば、そんな単純でもない例はいくらでも見ることができる。

上流階級の近親婚姻など、結局は悲惨なことになってしまう。

それにしても大河ドラマを見て、アメリカの格差問題まで頭に浮かんでくるとは思いもよりませんでした。

毎回、お釈迦さまの掌で暴れている孫悟空みてぇな……。

本作のテーマがどんどん広がるようで、それでもブレていないのは「創作物による発散の重要性」でしょうか。

昨年の『光る君へ』は、女性たちが書くことと読むことで心を晴らす物語でした。

主人公のまひろ(紫式部)やききょう(清少納言)はもちろんのこと、平安文人たちが救われてゆく過程が描かれていたものです。

今年はどうやら、創作できない男性が追い詰められる様も描くようでして……。

もしも佐野政言があの場で狂歌を詠んでいたら?

うまくストレスを発散していたら?

悲しいことに、どうしたってそう思ってしまいます。

逆に言えば、文化の効用が見事に描かれているんですね。

差別もきっちりと描いています。

吉原ものの受ける差別。

捨吉の受けてきた搾取。

田沼意知と土山宗次郎の認識からこぼれ落ちているアイヌの搾取。

支配階級でありながら苦しむしかない佐野政言の苦しみ。

天下万民の苦しみに対し、とりこぼさないように寄り添ってくる、そんな菩薩の慈悲なんだか、地獄の鬼なんだか、わからないようなものがずっとあります。

大河ドラマを見て、現代社会のニュースを見て、分析する。

その現実と思考を磨く砥石という意味なら、今年は随一ですぜ。ここまで勉強になるもんなのか。すげえもんだな。

ついでに再放送される『三か月でマスターする江戸時代』もオススメしておきたい。

テキストも、この値段でよくもこんなもん作れたもので「そうきたか!」と言いたくなるほど素晴らしいのです。

今年は日本史知識アップデートの一年となりそうだ。

📘 『べらぼう』総合ガイド|登場人物・史実・浮世絵を網羅


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【参考】
べらぼう/公式サイト

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武者震之助

2015年の大河ドラマ『花燃ゆ』以来、毎年レビューを担当。大河ドラマにとっての魏徴(ぎちょう)たらんと自認しているが、そう思うのは本人だけである。

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