蔦屋重三郎を守るため、“丈右衛門”に刺されて小田新之助は亡くなりました。
ヤツは一体何者だったのか?
長谷川平蔵から知らせを受け調べたものの、ついぞその男の身元はわからなかった――三浦庄司がそう語ると、生け捕りにできなかったことを悔やしがる蔦重。
「あの手の者は捕まれば自ら命を断つのが常。気にするな」
三浦が慰めます。
そのうえでしばらくの間は食事に気をつけるよう釘を刺します。
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田沼意次の恩返し
「町人のそなたをそれほど深追いするとも思えぬが、まぁしばらくはな」
三浦の心配は果たして杞憂なのか。
蔦重を確実に殺したいなら、路地裏で刺して川にでも叩き込むのが手っ取り早いかと思います。幕末であれば、京都だけでなく江戸でもそういうことがありました。
「しかし、とうとう巻き込んでしまったな」
「いや、私は自ら巻き込まれに行ったようなものでございますから」
すると三浦が、打ちこわしの折の礼として小判を差し出します。
当時の小判は一包み25枚。俗に“切り餅”とも呼ばれ、それが二包で計50枚となりますね。仮に小判一枚を現在の価値で10~20万円とすると、その合計は……500万円から1,000万円! 確かになかなかの金額ですね。
三浦が微笑みながら、田沼意次が蔦重に満足していると告げると、蔦重も小判を受け取り懐へ。
まぁ、腑に落ちる金額かもしれません。なんせ田沼のしていたことはメディアの買収とも言えます。
蔦重は、打ちこわしを治めた田沼意次の老中復帰時期について尋ねます。
田沼やその派閥の者たちが“銭”を用意して、打ちこわしを鎮静化させたことを知っているからこそ、蔦重がそう思うのは自然なことかもしれません。
しかし、江戸の民衆たちは露とも知りません。つまり世論は一切味方をしない、苦しい状況の中で意次はどうなるのか。
「いつごろかのう」
三浦は笑って誤魔化すようではあります。
これは新之助との対比になっているともいえます。
新之助を殺した“丈右衛門”にせよ。似た役回りの大崎にせよ。そしてこの蔦重にせよ。
裏でコソコソ動いているものだから、その成果を誇れることはない。そういう意味では虚しいものです。
新之助はお天道様のもと、大々的に義を掲げて世に知らしめたのだから、そりゃあ、幸せな男だったと思いやすぜ。
老中首座・松平越中守定信就任
みの吉が大慌てでスッ飛ぶように走ってきました。
何気ねえようでこれが大変なんですよね。
走り方がナンバ走りで今とは異なるうえに、裾がはだけるからインティマシーコーディネーターさんとも打ち合わせしているのでは? 草鞋だと足も痛くなる。
それにしても、なぜ、そこまで大慌てだったのか?
というと老中首座の人事でした。田沼意次ではなく松平定信だったのです。
思わず、大声でハッキリと悪態をつく蔦重。セキュリティ意識がちぃと低すぎやしねえか……。
打ちこわしの一ヶ月後、天明7年(1787年)6月19日――松平越中守定信は、老中首座となりました。

松平定信/wikipediaより引用
まだ若く三十になったばかりだけでなく、あの吉宗の孫。おまけに大飢饉の際、白河藩領から一人の餓死者も出していない。
期待するなという方が無理ですわな。
おまけに、白河の米をお救い米として江戸に送っていました。
実際は、それを遅配させ、打ちこわしになったことなど江戸っ子たちにはわかるはずもなく、皆が皆、浮かれ気分で盛り上がっています。戯作者の烏亭焉馬も、定信を誉めています。
もうおまんま食い上げはねえ! むしろたらふく!
極めて楽観的でやんす。
さらには「定信が柔術で大きな熊を倒した噂話」まで入るのが、実は日本的だったりします。
清や朝鮮ではまず出てこないであろう発想。
為政者や官僚は政治力や人徳で世を治めることが理想であり、個人的武勇伝は日本独特と言える。
さらには5歳で『論語』をそらんじたなんて話まで続き、ここにも日本文明の進歩を感じさせやすぜ!
『鎌倉殿の13人』の頃の武士は、まず『論語』を読めたかどうかというレベル。
ドラマでは、北条政子が京都出身のりく(牧の方)から漢籍を渡され、必死に読みこなそうとしておりました。
読み書き能力が圧倒的に低かったんですね。
『麒麟がくる』では、明智光秀が幼くして『論語』含めた四書五経を読みこなし、斎藤義龍の読解が遅いことを父の道三が指摘していました。
そこから太平の世が訪れた江戸中期になると、『論語』もその価値も江戸っ子がちゃんと理解しており、「知性のバロメータ」として使うまでになっているじゃありませんか。
知識のトリクルダウンが見えますね。
さて、江戸っ子たちの噂話が映るなか、それをじっと聞きつつ団子を食べている誰かの手元がアップになっておりますが……。
メディアに踊らされる民意
若きエリート政治家・松平定信の登場に喜び、無邪気に盛り上がる江戸っ子たち。
現代の私達は、果たしてこの状況をどう見るのか。
・名門世襲
・若さ
・刷新への期待感
そんな曖昧な情報だけで「ありがてえ、あのお方ならきっと世を救う!」なんて思っちゃいませんかね。
噂に踊らされる民衆の姿は、過去の大河ドラマでも出てきています。
『八重の桜』では、京都の警護を会津藩が担っていたのに、なぜ地元民たちに嫌われるのか、と会津藩士・山本覚馬が嘆いておりました。会津藩士は貧しく、金を落とさなかったことも響いていたようです。
反対に『花燃ゆ』では、長州藩士がいかに京都で人気だったか?という点を強調していました。
ただし、そう単純な話でもなく、長州藩士は確かに金をたっぷり落とす一方、常に暴力沙汰とは隣り合わせでした。
おまけに明治維新と共に天子様を東に連れて行き、果たして地元民たちは喜べたものでしょうか?
『青天を衝け』では、マッチョイズムを振り回し、ポピュリスト政治家の元祖といえる徳川斉昭が、江戸市中でも人気を集めていたと描かれていました。

徳川斉昭/wikipediaより引用
しかし、これもどうなのでしょう。水戸藩士は幕末当時飛び抜けて気が荒く、江戸っ子は警戒していたようです。
いずれにせよ、古今東西、民衆は目の前の何かよいものに飛びつきがち。そして後になって政治的背景やその結果を突きつけられ不満を募らせる。
こうした状況を針小棒大に取り上げることの是非を学んでこそ、歴史を学ぶ意義となりましょう。
例えば『西郷どん』終盤に出てきたような西南戦争における西郷隆盛期待論は、西郷がそこまで好かれていたというよりも、明治政府が江戸っ子から徹底的に嫌われていたことが反映された心情とも言えます。
今年の大河ドラマはそこまで学ぶ意義を掬い取ってくれて脱帽です。
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