東洲斎写楽の作品/大河ドラマ『べらぼう』で話題の写楽がついに登場・その作品『三代目大谷鬼次』と『三代目澤村宗十郎』

東洲斎写楽『三代目大谷鬼次』と『三代目澤村宗十郎』/wikipediaより引用

べらぼう感想あらすじ

『べらぼう』感想あらすじレビュー第46回曽我祭の変

蔦屋重三郎のもとに、おていさんを連れた歌麿が現れました。

また「ていが出家すると言ってるぞ」と蔦重に凄む歌麿。

菩提を弔いたい人がいる……と彼女は説明します。愛児を失った母らしい思いと言える。

しかし歌麿は「蔦重のためだ!」といい、ていの尽くし方を理解しろと蔦重に詰め寄ります。

ていの献身の甲斐あって、歌麿は納得しました。蔦重が色指定をしていた『歌撰恋之部』は、まるで自分が指示を出したように思えた、と歌麿。

よその本屋は優しくて、何も注文を出してこない、楽しくない。蔦重の無茶が恋しくなったそうで、なんだか共依存カップルじみたことを言い出します。

蔦重は自分のやり方は正しかったと確信します。そして『婦人相学十躰』で没にした作品のことを思い出させます。

あのくらい目立つところを際立たせる役者絵を描いて欲しい。しかも、それで源内先生を生きていると思わせたいのだそうで。

歌麿も納得しています。

蔦重が役者の真似をして、歌麿が描き始めます。

 

今回も破綻から始まる

いきなり全てが破綻しています。

東洲斎写楽が同時代の大物絵師という説は確かにあります。しかし、そのとき真っ先に除外されるのが喜多川歌麿、絵のタッチが違いすぎる。

「欠点を強調する」というのもおかしな話です。

魅力的に見せなくては売れない、とかつての蔦重は判断を下していました。正しいことでしょう。それを、なぜ今さら急に欠点を強調するのか。しかも江戸っ子の大好きな役者でやりますか?

源内生存説に必要というのは、もう無茶苦茶。

平賀源内/wikipediaより引用

先週くどくどと指摘したので繰り返しませんが、源内は絵師として知られていたわけではありません。

写楽の正体は「斎藤十郎兵衛で確定している」ことだけが問題でもなく、何もかもおかしいので話として成立していないんですな。

しかし、このていの説得は大絶賛されていました。

あっしとしても予測はできたことでして、難しくありません。ていの行動は「壁になりたい腐女子」ムーブそのものでした。

これは古代まで遡ると魏晋時代の『世説新語』「賢媛」あたりまで到達できるんじゃないかとあっしは思いますが。そんな知識は特に誰も求めていねえと思いますんで、結論からでも。

ていの言動はまさしく至高の理想なんですよ。

ボーイズラブは生産性がないということが一つの符号となっておりますね。

男性同士が愛し合っても子は為せないし(それを変える設定もありますがここでは割愛)、婚姻関係にも至らない。

愛好するにせよ、読書の範疇に入るか? 高等な趣味として人に語れるか? というと、当事者すらそれを肯定できないから「腐」なんて字を用い、自虐しつつ日陰で愛することが不文律とされてきたのでしょう。

それをていは、ただ壁になって推しカプを見守るだけで、世界美術史に残る東洲斎写楽の誕生に貢献した。

これを偉大なる功績、発想の転換と呼ばず何と言うべきか――腐女子を自認していた方々、あるいはサブカルに詳しい個性的な自意識の持ち主であると考える方々にとって、これほどの甘露はまたとないことでしょう。

そりゃま、浮かれますわな。神展開と思いますわな。

そして、こういうことを書くからあっしは楽しみをぶち壊す嫌な奴扱いをされるわけですね。

でも言っておきやすが、このていがスーパー腐女子論を展開したのはあっしだけのことじゃねえ。

高らかに「おていさーーーーん!」と叫ぶような、絶賛する意見は複数確認してます。

それを指摘しただけで「事実陳列罪」扱いされるのは、たまったもんじゃねえんですよ。これはお忘れなく。

 


家基の祟りを恐れる家斉、源内生存説に沸く者たち

松平定信が、尼寺に潜んでいた大崎を尋問中。

長谷川平蔵もずいぶんあっさりと見つけて、ここまで引っ張ってきたものですな。

定信は二重スパイに仕立て上げます。大崎は定信に何者かを見せつけております。

そのころ江戸城では、11代将軍・徳川家斉が一橋治済に訴えておりました。

徳川家斉の肖像画

徳川家斉/wikipediaより引用

徳川家基の祟りが恐ろしい。そのせいで子が亡くなると思っているようで、一橋ばかりが恵まれていると不信を感じているようです。

治済は家重の血筋だから家基は体が弱かったのだろうとこじつけ、むしろ一橋に感謝しているはずだ、恩人だと言い出しました。

北尾重政は、歌麿の描いた絵を見せられて納得しています。

皆こりゃ面白いと大はしゃぎ。

しかし、これが源内に結びつくのか?という疑問も出てきます。

それよりも役者の似絵にする、五十出すと言い切る蔦重。

実に蔦重に甘い世界で、彼の無茶振りと強引さを周りが認める世界観になってしまいました。

なんかこう、転生ものじみてるっつうか、うまくいきすぎで気持ち悪ィな、オイ。

北尾重政が予算はあるのかと突っ込みます。蔦重はニンマリ。定信から大量の小判を得ていましたね。

すると歌麿が、自分は役者には詳しくないと言い出しました。また、むちゃくちゃになってきましたねえ。そもそも歌麿が描いたと世間にバレたら源内説が通じなくなるという問題も発生します。

蔦重は鶴屋喜右衛門と座元に話をつけにいきます。

鶴喜が歌麿の役者絵を出すと話し、座元たちはそれならよいとホクホク顔で話に乗ってきます。

蔦重はもったいぶって「歌麿に対抗する絵師を探している」と言い出しました。みんなで決めるとのことです。

 

「プロジェクト写楽」は参加者が続々と集まる

蔦重は嘘をつくことに心の痛みを感じないのでしょうか。

鶴喜まで巻き込み出しました。歌麿との仲直りを伏せて、別名義で出す。それを隠そうとします。

このドラマそのものもそうですが、写楽の設定を捻ったせいで、嘘に嘘を積み重ねてどんどん破綻していく。そのことを面白がるばかりで、リスクも何も考えちゃいない。

そういうところは悪い意味で「忘八」ですね。

盛り上がるなら倫理なんて知ったこっちゃねえということですか。そうやって信頼関係を壊してよいと思っているんですか。

鶴喜も引っかかるところはあるのか、くどくどと嫌味を言います。

経営が苦しいのに、確実に当たる歌麿の役者絵にしない。そのうえで嘘に鶴喜まで巻き込む。

露見したら日本橋全体の信頼性をも落としかねない策の説明を求める鶴喜。

「くだらねえバカ騒ぎをして、春町先生への供養にしてえんです」

そう語る蔦重。まさに霊言シリーズっすね。

源内の次は春町かよ。鶴喜は呆れたような顔で諦めて去ってゆきます。ここで相手を殴り飛ばさねえ鶴喜は、なかなか理性的な江戸っ子だな。

ここから先がますますトンデモ展開に。

プロジェクト写楽は志願者が続々集まってくるということで、一人の老人もやってきます。

蔦重は俺の親父だとその老人を言いますが、わざとらしく「源内」と呼びかけそうになり、さらにあの特徴ある“髷”が画面上でアップにされます。

ただ、これもおかしい。髷の形がかつての源内を彷彿とさせますが、そんなはずがありません。

もしも源内が生きているならば、髷には白髪が混じっていて、毛量も相当減っていることでしょう。つまり、これが源内であるはずはないのです。

もう、ノリが『黄表紙』なんですな。

黄表紙はじっくりと古典の時間に習うものじゃありません。

当時の世相を取り込んでいるし、軽妙なので教養ともみなされません。その場のノリを取り入れればいい、軽妙な読み物なんです。設定が破綻していてもノリがよければいい。

要するにこのドラマも、そういうものになってきました。

定信すら絡んでいる隠密の計画ならば、こんなニタニタしながら軽いノリでやってはいけないでしょう。

 

江戸版・絶対失敗する企画会議

そしてこの場面には、失敗する要素が詰まってます。

プロジェクトメンバーがワイワイ自分の好きな場面を語る。

こういうこたぁ指摘したかねえが、まぁさんなんて秋田から江戸へ出てきたばかりでしょう。センスが古びていてもおかしくない。

彼らはおじさんです。

いったい役者絵を買うのは誰なのか?

というと、若い江戸娘も重要な顧客でさ。

おっさんが考える「イマドキの若い娘はこういうのがきっと好きなんダナ!」という企画会議江戸版なんすよ。

「若い女は見る目がないからイケメンばっかり見ていていかん! 俺らの考える名優名場面はこれだぁ!」

とおっさんが言い合いながら開発した商品が売れてたまるかってんだよ。

もう十年前には「ダサピンク現象」として提言されていましたね。

そっか、写楽が大失敗したのは江戸版ダサピンク現象か。そんな描き方は流石に鬼すぎねえか?

もう、見ていてあっしゃぁ、こいつら全員地獄に堕ちねえかなと思っちまいましたからね。

なお、ここで山東京伝がいるのも悲惨っちゃそうで、彼は生涯を江戸一のインフルエンサーとして生きました。

こんなおっさんにされるのも気の毒で。

ちなみに京伝の弟・山東京山は、幕末の最晩年にまで江戸ギャル向け出版を続けた文人です。

プロジェクトメンバーが複数の絵を描き、組み合わせていく過程が描かれます。

テレビの絵的には面白いかもしれませんが、紙の価格を考えるとどうなのでしょう。

『光る君へ』では、高級品である紙を裕福ではない紫式部が大量確保できたはずがないから、スポンサーとしての藤原道長がいたという前提で話を進めました。

江戸時代は平安時代よりも確かに紙は安くなった。

とはいえ、そう簡単に使いっぱなしにするものでもありません。

リサイクルもしていたし、裏紙を使うこともありますよね。定信の潤沢な資金提供があるとはいえ、贅沢を超えて、わざとらしい無駄遣いに思えてきます。

浮世絵に使うとなれば、品質も求められるしね。いったい本作はいつからそういう状況まで無視するようになったのでしょう……。

思えば食客の米の消費量についても、蔦重はまだしも、ていは細かく気遣っていました。

急激に、物量に対しての配慮が無頓着になっているんですね。

くどいようですが金さえあればどうにもなるものでもありません。

浮世絵の紙は一気に大量生産するものではないのです。

それにこんなコラージュやモンタージュで作るというのも、絵師を小馬鹿にしていると言うかなんというか……そんな雑コラで傑作が生まれると本気で思っていますか?

 


春朗が西洋風技法を取り入れ、定信は「東洲斎」を提案

ここで「さらに蘭画を感じさせる工夫」が出てきます。

勝川春朗が独特な説明をしていた「短縮法」ってやつですな。

蘭画由来を入れて斬新な写楽が生まれたとするわけですが、どうにも納得がいかねえ。

確かに葛飾北斎は西洋由来の遠近法を取り入れています。

葛飾北斎が曲亭馬琴『椿説弓張月』の中に描いた挿絵

葛飾北斎が曲亭馬琴『椿説弓張月』の中に描いた挿絵/wikipediaより引用

それに私淑し、強い影響下にあった歌川国芳はさらに西洋画を取り入れた人物画を描いた。

歌川国芳『誠忠義士肖像 潮田又之丞高教』

歌川国芳『誠忠義士肖像 潮田又之丞高教』

明治維新を挟んだ、国芳の弟子である月岡芳年はそれをさらに発展させる。

月岡芳年「芳年武者旡類 相模次郎平将門」

月岡芳年「芳年武者旡類 相模次郎平将門」/wikipediaより引用

繋げられなくもない。

全く繋がらないことはないけれども、それにしたって強引じゃねえかな。

仕上がった絵を見た松平定信は「東洲斎」と雅号に加えるよう指示を出しました。東国の誉としたいという意味です。

 

「推し活」に欠点強調は必要だろうか?

絵を売るためには場所も重要だ――ということで蔦重は芝居町に耕書堂の支店を作り、役者絵の販売に精を出すこととしました。

金をかけて、プロモーションもバッチリ。大々的に写楽を売り出します。

ズラリと並んだ写楽の絵を見て、客たちはざわつく。

かくして写楽の絵に人は群がり、飛ぶように売れてゆきます。

東洲斎写楽『三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛』

東洲斎写楽『三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛』/wikipediaより引用

すると、一人の役者が近づいてきました。

中山富三郎――その名も「グニャ富」という役者です。

デフォルメの効いた描写に怒り出すグニャ富。

店主である蔦重はどうやってなだめるのか?と思いながら見ていたら、蔦重、軽くいなすではありませんか。なんでも、この騒ぎがかえって話題になったんだとか。

それにしても、蔦重は性格が酷くなってませんか……。

わざと相手の欠点を強調する。しかも事前に断りも入れず、これでは騙し討ちのようなものです。

そもそも役者絵は推し活のお供としてある。

推しの欠点を強調されたグラビアを誰が買うのか――つまりは失敗して当然の販売戦略。極めて単純な話です。

ドラマで蔦重が擁護されるどころか、金勘定ばかりしている根性の腐り切った広告ギョーカイのおっさんにされるなんて、どうしたらいいのかわからねえ。

蔦重が今いたら、許可なしに撮影して抗議しても取り合おうとしない、驕り昂ったテレビマンあたりでしょうかね。嗚呼、こういう輩はむしろ失敗して欲しいぜ。

推しの美点を引き出し、デッサン力も写楽より遥かに上。

そんな歌川豊国がいないこの世界線では、江戸っ子はすっかり写楽に夢中になって、正体探しに熱中していると語られます。

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源内生存説に動揺する江戸

そんな中、杉田玄白が「写楽の正体は杉田玄白だと言い出した」という噂が広がります。

真面目かつ蘭学をおさめる玄白が、そんなバカな噂を流しているなんて、ちょっと考えたくもないけど……まぁパラレルワールドだと思えばよいですかね。

幕閣もこの与太話に乗っかって、一橋治済に疑いの目を。

大崎は治済に、恐怖で顔を引き攣らせながら「あの手袋が届いた」と見せにきます。

『一人遣傀儡石橋(ひとりづかいくぐつのしゃっきょう』という作品です。

一橋治済の仕掛けは見抜いたという告発を黄表紙仕立てにしたんですね。

大崎はすっかり源内生存説を信じていて、あの話の続きだと語り出す。大崎まであの話を読んでいた?この点、なんだか不可解に思えますが……まぁ治済も源内生存説を信じかけています。

田沼残党の高岳を探ってみてはどうか?そうした大崎の提案に対して、治済も素直に承諾します。

三浦庄司は、治済のもとへ『石橋』が届いたという知らせを受け、満足している。

このあとは写楽の話題で盛り上がり、源内説を論じる江戸っ子の姿が描かれました。

あまりにうまくいった計画に、蔦重は頬を叩きます。

あの滝沢瑣吉まで乗っかってくる始末。

そのころ治済は「源内は潰れた浄瑠璃小屋にいる」と大崎から聞かされています。

ただ、誰も源内の顔を知らない。治済ならば確認できる。曽我祭の賑わいに紛れて確認できないか?と大崎は言い出します。

治済はこの提案にも乗っかるのでした。

 

曽我祭

あっという間に曽我祭が始まり、盛り上がります。

月岡芳年「芳年武者旡類」より『曽我五郎時宗、五所五郎丸』/wikipediaより引用

祭のお供として写楽の絵も売れます。治済も大崎を連れてやってきて、写楽の絵を買っていきます。

治済はぬけぬけと、蔦重に写楽源内説を問い糺し「あの戯作もおもしろかったぞ」と告げる。

どの戯作か?蔦重が返すと、忘れたと笑い飛ばす治済。

大崎が「釣りはいいので」と蔦重に何かを渡して出て行きました。

祝いの饅頭が配られており、治済も手に取ります。

すると、どこかに潜んでいる長谷川平蔵のもとへ、仙太が饅頭を持ち込んできます。饅頭には役者の名前が書かれているようです。

治済はすっかり祭を満喫しています。

富三郎は治済が見せた写楽の絵を治済から奪い取ると、破ってしまいます。

大崎がそろそろ帰るよう促すと、治済がおもむろに語り始めました。

『石橋』の筆跡に見覚えがある。あれは定信の字だ。

大崎が驚いていると、治済は気づかなかったのか?と少しずつ詰めてゆきます。

迂闊だったと謝る大崎。

不審を覚える治済。

治済はこのことから三浦は源内を浄瑠璃小屋で匿っていないと喝破し、祭りも楽しんだから帰ると言い出します。

平蔵たちは浄瑠璃小屋に潜み、治済を狙っていたのか。

大崎は治済に「確認しなくてもよいのか?」となおも必死に訴えますが、治済は饅頭を食べてから行くと素っ気ない。そして言葉を付け加えました。

「そなたがな」

ゆっくりと饅頭を大崎に食べさせる治済でした。

 


毒饅頭が配られていた

治済を討つべく隠れていた長谷川平蔵の部下たちが突然倒れ出しました。

毒饅頭のようです。

耕書堂にもこの饅頭が届けられます。

店先で倒れた大崎を見たみの吉が、役者のせいで心臓麻痺でも起こしたのかと呑気に語っている。いやいや、蔦重と一緒に助けに行こうぜ。

と、そこへ平蔵がやってきました。

「饅頭を食うな! 毒だ!」

耕書堂の従業員たちが慌てて吐き出します。

その背後では大崎の屍が運ばれようとしていて、平蔵が止めて、彼女の顔を確認。

蔦重は、立派な身なりの侍と一緒に絵を買っていたと語ります。

平蔵が、その侍は「傀儡好き」、あの女は大崎だと蔦重に告げ、毒饅頭を食わされたと言い出しました。

ようやく自分たちの店も狙われていたことに気づく蔦重。

平蔵に浄瑠璃小屋へと連れて行かれます。

どうやら治済が、饅頭配りに毒饅頭を紛れ込ませたのであり、名入りでないのが毒でした。

毒饅頭は関係者にのみ配られ、知っていると警戒していると平蔵は言います。

「けど、なんでうちまで……」

おいおい、蔦重よ、どうした。あまいにも危機感が無さすぎではありませんか。いや、まぁ、そんなもんか……とは思いつつ、あの慎重なていまでそこを見逃すというのはおかしいと思います。

そうはいっても、誘き出すための源内騒ぎとここでやっと平蔵が告げて謝っているので、蔦重だけが迂闊というわけでもないのか。いや、そうはいってもなぁ。

しかし蔦重は怒り出し、武家でもないのにどうやって身を守るのかと言い出します。

今さらそこに怒ってもなぁ。リスクがあるからこそ小判の山をくれたのだとも考えられる。

ここで謎の男が出てきて、平蔵に「なぜ蔦重を連れてきたのか?」と問いかけます。

男の顔は、一橋治済と瓜二つでした。

徳川治済(一橋治済)の肖像画

徳川治済(一橋治済)/wikipediaより引用

 

MVP:『蔦重栄華乃夢噺』制作チーム

『べらぼう』ではなく『蔦重栄華乃夢噺』制作チームとはどういうことか?

理由は後述します。

 

総評

次回は「饅頭こわい」だわ。大崎は生きているように思えるわ。おまけに一橋治済と同じ顔の男はいるわ。

今週はついていけなくなって脱落した人もいるかもしれません。

そうはいってもあと二回。惰性で見ることはやめませんかね。

大崎が目撃した重要な人物は、おそらく徳川家基。このあたりまでは想像がつきます。

写楽は第一弾の段階で「危険なので終わりにした」という名目にする。予告でていが後悔したようなことを言っているし、毒饅頭で懲りてそうするのでしょう。

写楽は売り出しに失敗しておらず、むしろ好評なのにやめたことにする。

このパラレルワールドで、歌川豊国と二代目西村屋与八は消えた。

歌川豊国『雨乞いの小野小町』

歌川豊国『雨乞いの小野小町』/wikipediaより引用

それどころか第二期以降の写楽もいない。

そういう歴史修正路線で終わらせるのだろうと思えてきました。

このことに、先週まで怒髪衝天級に苛立っておりました。感想やら何やら読むとさらに怒りが沸々と湧いてきたもんです。

それってぇのも、歌川豊国についてほぼ言及されないんですよ。

写楽にしたって、正体が斎藤十郎兵衛でないかどうかは二の次だとあっしは思っておりやす。

それよりも売れていないのに売れたことにしたい。そういう心理が問題です。

何度も指摘しておりますが、写楽の過大評価は西洋由来。

当時の江戸っ子の感性でなく、フェノロサであるとか、西洋の顔色ばかり窺っている野口米次郎だとか、そういう西洋目線の評価が嫌なんですよ。

豊国を支持した当時の価値観を小馬鹿にしてくるようで腹立ってなりませんぜ。

ただ、そうした反応も含めて世の中の機微ってもんを学ぶことができました。

世の中、教養が大事だなんて言われますよね。『山月記』だの『枕草子』だの。そういう学校で習った類の話は共通意識としてあって、それで語り合うことは必要なじゃれあい、粋な文化だと肯定的です。

しかし、ここからはみ出すのはまずいってことが見えてきやした。

同じ中島敦にせよ、教科書掲載の『山月記』はありだ。しかし、そうではない『弟子』を引っ張ってきて、「孔子が子路が死んだあと、塩漬け肉を食べられなくなったのは泣けるよね(孔子の弟子である子路は処刑され、肉が塩漬けにされたこと)」と言えば嫌われちまうんでしょうね。

似たようなネタでも漫画化された『封神演義』の「ハンバーグ事件」なら話が通じるんでしょうけれども。

要するに、若い頃、匿名巨大掲示板に出入りしていた世代を狙って、その心理に刺さる小ネタを使っていくことが正しい世の中の機微。教養の範囲。

そこをくすぐっていけば、ある程度SNSでバズるドラマが作れるってことでさぁね。

写楽がまさにそれでしょう。

たとえば『写楽殺人事件』は1983年、昭和53年の作品です。

このころの記憶がうっすらある層にとっては、謎の写楽だけで刺さるネタになる。斎藤十郎兵衛確定は結構前であるとはいえ、浮世絵を熱心に追いかけていなければ掴めない話かもしれませんよね。

そういう昭和末から平成のにおいがする懐かしネタを再度焼き直せば、高年齢層を対象としたコンテンツならバズる。そんなうまい広告戦略があるドラマっちゃそうなんです。

これとセットにする価値観は何かというと、賢しらぶって「でも歌川豊国は」だのなんだの言い出す、武者のようないけすかないマウンティングバカ、空気の読めないめんどくさいヤツを排除することでしょう。

わかっちゃいるんですよ。写楽の話をしているとき、豊国なんざ持ち出したら場の空気が氷点下になりますよね。

ましてや相手が、鈍臭い相手だから歴史トリビアをお見舞いしてマウントしてやろうという気持ちで満々だったら、これはもう火を見るよりも明らかだ。

こっちはただ話をしたいだけなのに、マウンティングしてきてプライドを傷つけたと相手からクズ扱いされるのは、散々味わってきたので仕方中橋。

オタクマインドに適正な範囲のみを心がけるか、相手を褒めるか、そもそも話題を逸らすか。

そういうことをこれからも実行していこうと誓うだけでごぜぇやす。それが世の定め。こんなことウダウダ書いてないで、こう書いた方が好かれることは合点承知の助でやんす。

「斎藤十郎兵衛説は確たるものではありません。複数人説もありです。史実を見てありえないとは言い切れません。」

(付け加えておきますと、あっしは複数人説は取りません。本業の絵師ではないので画力が安定しておらず、精神的打撃や酷使のせいで、作風が安定しなかったのだと思いやす)

「そもそも大河はドラマ。エンターティメント。史実だのなんだの言うヤツには“しゃらくせえ!”と言えばいい。野暮なんです。」

んじゃ、なんぜそう書かねえかって? そりゃ……。

 

【ネタバレ注意】邯鄲の夢

あっしゃぁ、うまい芝居だろうが騙されるのはごめんでしてね。

最終回まで気分よく騙されてえ。

「そう、きたか!」

そう叫びてえ。

そういう方はここでお引き取りくだせえ。できれば今回と次回はコメント欄も読まねえ方がいいと断っておきやす。

先週までは怒髪衝天していたものの、今は一周回ってむしろ面白い。そんな境地でやんす。

実質的な最終回は43回で、あとはパラレルワールドじゃねえか。あっしゃーそう突っ込んできやしたね。

こりゃ夢オチじゃねえか? そんな考察もあります。

いくらなんでも大河ドラマでやっちゃいけねえと思わせておいて、今年だけはこの禁じ手をできる仕掛けがあるってことに気づいちまったんですよ。

恋川春町作、黄表紙元祖とされる『金々先生栄花夢』のあらすじを思い出してください。

あれは夢オチ作品でした。現代人は「夢オチ」と呼んでおりますが、当時は「邯鄲の夢」という漢籍由来の展開とされておりましたね。

そして改めて本作のタイトルを見直しますと、『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』。

つまり、第44回以降は黄表紙『蔦重栄華乃夢噺』というオチにするのではないか。それが最終回になって明かされるのではないか。そう気づいたんですよ。

こんなことをしても「実在したあの作品へのオマージュでやんす」とできるのは今回だけですから。

てなわけで、この感想をスタッフが読んでいるとは思っちゃいねえけれども、もしもそうだとしたら「あのウゼエ武者も騙されてやがるぜ」とニヤついていたかもしれねえってわけでさ。

その手は桑名の焼き蛤!

気取って言やァ「衆人皆酔えるに、我独り醒めたり」ってな。

あっしは唐丸の正体は当てたし、新之助が義民ルートに進むことも当ててきやしたぜ。今回も当ててスカッとした年越しをしてえもんだが、どうなりますかね。

これは警告だとも思えます。

写楽の正体がおかしいという批判記事が出ました。

そのコメント欄も目を通すと、いやぁ、苛立っているのなんのって。恐ろしくなるようで、予想通りに思えるんですな。

人間ってナァ結局、苦い現実よりも甘い嘘を好むもんだ。なまじ甘い嘘に酔いしれると、なかなか相手の意見に耳を傾けなくなるもんです。

甘ったるいフィクションに酔いしれるのもほどほどにしな。そう引っ叩いてこそ、この手練れチームの仕事だと思いやすぜ。

喜多川歌麿ポストカードセットを買ったはずが、最後の一枚が月岡芳年の無惨絵だったみてえなオチだわな。

粋じゃねえの。そんくらい期待してますぜ!

『ポッピンを吹く娘』喜多川歌麿

『ポッピンを吹く娘』喜多川歌麿/wikipediaより引用

月岡芳年『英名二十八衆句』/wikipediaより引用

そもそも、いつからおめえさんらはこのチームがそよ風職人だと思っておりやした?

初回から朝顔姐さんの屍を投込寺に捨てたドラマですぜ?

足抜け成功させたふくと新之助を、とよ坊まで巻き込んで死なせた作品ですぜ?

森下姐さんは『おんな城主 直虎』で小野政次をあんなふうに始末した手練れですぜ?

『鎌倉殿の13人』最終回が春の微風に思えてくるぜ、きっと。

📘 『べらぼう』総合ガイド|登場人物・史実・浮世絵を網羅

🎬 大河ドラマ特集|最新作や人気作品(『真田丸』以降)を総まとめ


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【参考】
べらぼう公式サイト

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武者震之助

2015年の大河ドラマ『花燃ゆ』以来、毎年レビューを担当。大河ドラマにとっての魏徴(ぎちょう)たらんと自認しているが、そう思うのは本人だけである。

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