替え玉作戦の後、一橋治済は阿波へと送られてゆきます。
縛られ、閉じ込められた箱の中で暴れまわり、用を足したいと訴える治済。
そして監視役から脇差を抜き取ると腹を刺し、そのまま逃げ去ってゆきます。
これほどの重罪人の監視となれば、二人一組で行うべきでは?と思っていたら、案の定、治済は川を逃げ去ってしまいます。
しかし、逃げたのも束の間、雷鳴が鳴り響き、振り上げた治済の刀ではなく、頭に落雷しておしまい。
平賀源内らしき姿がそばにあったのでした。
そういえば鳥山石燕は雷雨の夜、平賀源内を思わせる絵を残しておりましたね。
しかし、この手の怪力乱神を出しまくるのは、果たしてどこまで許されるのやら。
源義平は処刑される際、難波三郎経房に復讐すると誓い、のちに落雷となって相手を殺したとか。浮世絵もあります。

月岡芳年『布引滝悪源太義平霊討難波次郎』/wikipediaより引用
替え玉成功、穏やかな暮らしを送る“一橋治済”
東洲斎写楽は、斎藤十郎兵衛が続きを描くことになりました。
しかし使い回しをして、斎藤十郎兵衛の技量が劣るためか人気が出ず、打ち切りになったそうです。

東洲斎写楽『三代目市川高麗蔵 中山富三郎 忠兵衛 梅川』/wikipediaより引用
“一橋治済”は、すっかり無害な人になったような描かれ方をしております。
「とうしゅうさいしゃらく」という名前に「さいとうじゅうろうべえ」が隠されているとか、はっきり言ってどうでもいいんですよ。
しつこいようですが、治済が善良になったとすると、再来年の『逆賊の幕臣』に話が繋がらなくなってしまいます。
むしろ本物の悪事三昧はここからでしょう。家斉の子作りだって続行します。
昨年の『光る君へ』も、最終盤は紫式部自身の人生から逸脱しているという指摘はありました。
ただし、ああした要素は時系列では後の時代を描く『平清盛』や『鎌倉殿の13人』に繋げることができた。本作は『逆賊の幕臣』に繋がるリンクを切っているのが実にたちが悪い。
このあと、写楽プロジェクトに集った面々がペラペラと語り合っておりますが、この人らは結局何がしたかったのやら。
遊びたかっただけに思えてきます。新しい絵を生み出してやるという気概は見えてきません。
それに話としてもあまり面白くない。
本物の浮世絵師の奇行の方が、エッジが効いていて面白いのですから、どうしたものでしょう。
江戸っ子というよりも、令和のギョーカイ人のいけすかなさが漂っていて、なんともいいようがねえんだな。
ちなみに、喜多川歌麿幸せそうにしていますが、これまた実際の歌麿が写楽を罵倒していたことを踏まえると、曰く言い難いものを感じてしまいます。
国学者・本居宣長
地本問屋の動向も出てきて、本居宣長の話になります。
要するに本居宣長は国学者で、儒学を「屁」扱いされているそうです。
なぜ捕まらないのかと訝しむ蔦重は、彼とわざわざ伊勢で話をつけ、江戸で売ることにします。
この国学隆盛も、再来年大河を踏まえるともう少しきちんと描いて欲しいところではありますが、期待するだけ無駄だったということでしょうか。
もうなんというか、江戸後期の出版攻防は『3ヶ月でマスターする江戸時代』の岩下哲典先生の回の方が面白い。オンライン講義もありますぜ。
◆ペリー来航絵巻「金海奇観」を読み解く(東洋大学入試サイト)
岩下先生のことを考えていると、仙台藩と蝦夷地の関係の掘り下げが不足していたのではないかとか。
工藤平助の娘である只野真葛が出てこなかったこは惜しまれるとか。
屁で踊っている暇があるならやるべきことはあったんじゃないかとか。
そういう封じていた不満が湧き出してきて止まりません。
曲亭馬琴のその後
曲亭馬琴についてもフォローがあります。
が、これまたなんとも中途半端でして……『べらぼう』は文化大河としては中途半端なところが多く、あえて扱わない重要要素もあります。
そのひとつが、明代白話小説の隆盛と、その後継といえる江戸出版文化についてです。
これは嫌な予感がしておりました。
関連番組でも明代以降の木版出版についてあまり言及されてこなかった。
曲亭馬琴を出すならフォローするかと思っていたのに、それもない。
曲亭馬琴の強みは、明代以降の白話小説読解力です。
このころの白話小説は古典に対応していた日本式漢文読解ではできず、ハードルが高い。馬琴の強みはここで、彼には明清小説の読解ができた。
それゆえ日本版『水滸伝』といえる『南総里見八犬伝』を生み出すわけですが、そこをすっ飛ばすわけですか。
大木康先生の本でも読んでろって? 小松謙先生の『熱狂する明代』とか? ま、そうするしかないですかね。

『忠義水滸伝』/wikipediaより引用
馬琴を描くのに、このあたりの素養を省くのはさすに雑ではありませんか。
映画『八犬伝』でも見て補うしかありませんね。
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『べらぼう』馬琴と北斎の続きを楽しみてぇなら映画『八犬伝』を見るしかねぇな
続きを見る
なにより馬琴は、松平定信以来の文武奨励が彼の作風に合致しております。
そういう時勢と噛み合った江戸の創作文化とドラマのプロットが、最終盤に来て噛み合わなくなったのはどうしたものでしょう。
浮世絵の歴史においても『水滸伝』は大変重要です。
歌川国芳の「武者絵」を語る上で、出世作となる『通俗水滸伝豪傑百八人之一個』は見逃せないもの。

『通俗水滸伝豪傑百八人之一個 浪裏白跳張順』歌川国芳/wikipediaより引用
ま、本作は蔦重関連以外はどうでもよいのでしょうか。
惚れたあの人を見つめる二人の男
蔦重が平蔵と共に話しています。
なんでも瀬川らしき人物を見つけたのだとか。
かつての惚れた女の姿を二人の男が見つめています。
平蔵は咳き込んでいて体調が悪いようです。
彼は岡場所に警動が入ると告げてきます。吉原は厳しくなるけれど、蓮の花が咲く泥沼であって欲しいと希望を告げる。
このあと蔦重は吉原に戻り、「新吉原町定書」を作ることにしたのでした。
本業も好調。蔦屋は硬軟両方で成功したと語られます。
歌麿の美人画を吉原で見せていると、蔦重は倒れてしまいます。
脚気です。
「江戸患い」とも呼ばれる病気であり、江戸から離れると回復することもあるとか。
ちなみに山東京伝も脚気が死因とされております。
京伝の弟の京山は幕末に流行したコレラで亡くなっておりますので、京伝も節制すれば長生きできたかもしれませんね。

山東京山文・歌川国芳画/流行猫の戯『道行 猫柳婬月影』/wikipediaより引用
歌麿はすっかり立ち直った
蔦重は病を押して、本作りを続けます。
ここから先は蔦重と関わりのある人と、本作りを続ける場面が続きます。
そんな中、歌麿は山姥の絵を蔦重に見せます。

喜多川歌麿『山姥と金太郎 盃』/wikipediaより引用
歌麿は、山姥を母親、金太郎を自分に見立てたといいます。
彼は蔦重のおかげで立ち直ったのでした。
拍子木の音とともに
そんなとき、九郎助稲荷が巫女の姿をして、拍子木の音と共に出てきました。
「メイワク火事では救っていただいてありがたい」
蔦重に礼を伝え、ひとつだけ質問に答えると言います。
驚きつつ疑いつつ「百年後の髷はどうなっているか?」と尋ねますが、九郎助稲荷は「ほんとですか?」という蔦重の最初の言葉で一つ目の質問で使い切ったと言うのでした。
そして昼九つ、午の刻にお迎えに来ると宣言。
それまでに皆に別れを告げるように、合図は拍子木だと告げています。
蔦重はここで目を覚ます。
そして、ていはじめ、皆に死の準備を進めるように告げました。二代目はみの吉となるようです。
仕事の今後はていがぬかりなく準備を進めています。寺に葬儀のことで声を掛けています。
この一連の場面で私が心底嫌だったのは、西村屋を厄介者扱いをしているところです。
くどいようですが、二代目西村屋与八は初代蔦屋重三郎よりも浮世絵の歴史で見れば重要な版元といえる。

葛飾北斎『富嶽三十六景 凱風快晴(赤富士)』※版元は西村屋/wikipediaより引用

葛飾北斎『富嶽三十六景 山下白雨』※版元は西村屋/wikipediaより引用
蔦重を上げるために西与を貶めるって、今さらなぜそんな幼稚なことをしてしまうのか。
案の定、「蔦重が長生きすれば葛飾北斎にも関わった」といったような論調も出てきて本当に腹立たしい限り。
蔦重だけが大物版元のように描かれるのは誤誘導でしょう。
しかも「陶朱公のように生きられたか?」と聞き返す蔦重ですが、死ぬ間際に「そうではなかった」とていが返せるはずもありません。嫌な甘えだと思ってしまいますね。
『光る君へ』のまひろの方が、ダメな男に対する態度は節度があった気がします。まぁ、まひろが特殊な気もしますが。
そして屁踊りをして、みんなで蔦重を惜しみつつ、「拍子木が鳴らない」と告げ、蔦重は息を引き取るのでした。
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