東洲斎写楽の作品/大河ドラマ『べらぼう』で話題の写楽がついに登場・その作品『三代目大谷鬼次』と『三代目澤村宗十郎』

東洲斎写楽『三代目大谷鬼次』と『三代目澤村宗十郎』/wikipediaより引用

べらぼう感想あらすじ

『べらぼう』感想あらすじレビュー第48回(最終回)蔦重栄華乃夢噺

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『べらぼう』感想あらすじレビュー第48回蔦重栄華乃夢噺(最終回)
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遠慮なければ近憂あり

いつもの〆に入る前に答え合わせでも。

さすがに夢オチにはなりませんでしたね。こちら、私の予想は外れました。

しかし「これでは写楽ゆかりの地を怒らせて禍根を残す」という懸念については、当たってしまったようで。

◆『べらぼう』写楽に、徳島新聞コラムが「しゃらくさい」 (徳島新聞デジタル版

一部を引用させていただきます。

研究者の間ではもはや〝正体不明の浮世絵師〟ではなく、れきとした徳島藩お抱えの能役者であったことは定着したといえる

そうであれば今回の『べらぼう』で、写楽をあいも変わらぬ〝謎の絵師〟として扱ったのは、時計の針を逆回りにしたかのようだ。

四国地方は大河で扱われにくい。

香川枠の平賀源内はあれだけ大きく扱っておいて、写楽はこんな設定では、そりゃあ怒られないほうがおかしいもので。

作品に対して精一杯の気遣いをしながら、どうにか反論の文章を記す徳島新聞が本当に気の毒です。

地元軽視でいえば、群馬はようやく報われます。

小栗忠順の大河ドラマ招致運動は正月時代劇で間に合わせられ、呼んでもいないのに地元に禍根を残した楫取素彦大河(2015年『花燃ゆ』)がやってきた。

それから干支が一巡りして、やっと小栗大河が実現。

てなわけで、私の中ではもう再来年大河で頭がいっぱいです。

浮世絵にしたって、今来ている風は幕末明治絵師の再評価でやんす。

いまどき写楽のナゾを蒸し返すのではなく、当時の江戸の情勢を考えれば「豊国だろ、そこはヨ」で終わりにしたい。

少なくとも私はそう。再来年大河に期待します。

岩下哲典先生の『江戸の海外情報ネットワーク』でもまた読まなきゃいけねえな。

 


MVP:歌川豊国

歌川豊国『市川高麗蔵と市川八百蔵』

歌川豊国『市川高麗蔵と市川八百蔵』/wikipediaより引用

今年、私は『べらぼう』を楽しみつつ、ストレスが溜まる状態にも置かれておりました。

大河関係の展覧会には、歌川派が出てこない。

蔦重死後の隆盛だからそれも仕方中橋。

しかし、最終盤では東洲斎写楽に勝つ存在として歌川豊国を出し、二代目西村屋与八も目立つだろうと思っておりました。

それなのに、結局出てきませんでしたね。

これがどれほどの衝撃か――過去作品と比較しますと、2009年大河ドラマ『天地人』の慶長出羽合戦に最上義光が出なかったことや、2019年大河ドラマ『いだてん』でロス五輪の西竹一が出てこなかったことあたりに匹敵すると思います。

幕末の江戸で、浮世絵はこのように言われておりました。

「歌川派にあらずんば絵師にあらず」

絵師になりたいと思ったらば、豊国の弟子世代にあたる名所絵の歌川広重、武者絵の歌川国芳、役者絵の歌川国貞、この三者の誰にするか、そう選ぶようになった程の隆盛だったのです。

今も残る浮世絵、日本画の系統は、歌川派に通じるとされています。

耕書堂は現在には残っていませんが、歌川国芳の絵を手がけた伊場仙は今も日本橋にある。

豊国スルーにより、このドラマは疑念を呼び覚ますことになりました。

日本が誇る文化「浮世絵」の歴史と、自分たちの都合を天秤にかけて、後者を選んだのではないか――。

私は今後、『べらぼう』の話をする人と浮世絵の話をすることはないでしょう。

最低限「豊国が出なかったことは残念でしたね」という意見が一致しなければ、安心して話すこともできません。

一体どうしてこうなったのでしょう?

写楽を大物扱いする自体がもう古い話で、今は幕末明治絵師再評価の流れになっております。

このドラマのことは頭からいち早く焼き消して、玄冶店派(げんやだなは・歌川国芳一門)のことでも考えることにします。伊場仙の浮世絵ミュージアムにも行かねばなりませんね。

ただ、救いはあります。現在放映中の朝ドラ『ばけばけ』は、『べらぼう』の失速を補うように思えました。

陰翳礼讃と呼びたいほど美しく繊細な照明。そして北香那さん扮する江藤リヨは、月岡芳年の描く美人画のよう。そんなリヨの父である江藤知事を演じる佐野史郎さんが月岡芳年を語る文章を目にしました。

そして『べらぼう』最終回の翌朝、松野家の壁には月岡芳年の絵が貼られていたではないですか!

月岡芳年『大日本名将鑑』

月岡芳年『大日本名将鑑』/wikipediaより引用

大河が何をやらかそうが、歌川派は圧倒的に強い。

だからといって大河ドラマ枠が免罪になるわけもなく、再来年『逆賊の幕臣』には是非とも落合芳幾や月岡芳年を出していただきたいものです。

芳幾は安政の大地震(東京都立図書館)。芳年は上野戦争。

そして二人とも家茂上洛を描いているからには、出す機会はありますよね。

岩下哲典先生はそのあたりにお詳しい方ですし、期待しております。

 

総評

ドラマ全体の総評は後で出させていただきますが、ここまで竜頭蛇尾になった大河ドラマもなかなかないのでは?

43回放送までは素晴らしい。

それが44回からはズタズタになった。

私が散々批判してきた特定の大河ドラマとの共通点が見えてきます。

2011年『平清盛』
2019年『いだてん』
2023年『どうする家康』

これらの作品は視聴率はそれほど高くはありません。

ただ、そうはいっても地上波全体の視聴率低下傾向はあり、その数値だけを信頼するのは危ういとは思います。

とはいえ温度差を示しているとも言えるのではないでしょうか。

何の温度差かと言いますと、SNSやインターネット上のファンダムの熱気と、それ以外です。

要するにエコーチェンバー現象が起きているのです。

これらの作品の脚本家は1960年代後半から1970年代前半生まれにあたります。それより下の40代も含め、50代、60代にかけはインターネットを使ったドラマ鑑賞に親和的です。ある程度声も大きい。

つまり、40~60代の声の大きなファンを囲い込み、その情緒をくすぐることを狙えば、ファンダムは盛り上がるんですな。

ただし、それは声の大きな特定の範囲内だけで、それ以外は冷静――そこが温度差です。

本作の44回以降でいえば、おていさんの「壁になりたい腐女子ムーブ」やら「プロジェクト写楽」やら、中年以上だったら刺さる要素が満載でした。

あっしは声優や芸人起用はそこまで問題視しません。実際によい演技でした。

しかしオタク狙いがここまでくると、やり過ぎ感があってどうしたものかと思わされます。

あざとい。今にして思えば『麒麟がくる』は池端俊策先生が信念を貫いた結果、ああいう本能寺になったのだという、野山で凛然と咲く山百合のような気高さがあったものです。

一方で『どうする家康』の本能寺と、今回の蔦重と歌麿の関係は何かが違う。

造花のような不自然さが出てきてしまったように思えるのです。

役者さんの責任では全くなく、そういう作り物の『JUNE』を感じさせるブロマンスを「こういうのが好きなんですよね」と出された感じがして、どうしたらよいのやら。

『どうする家康』の時も似た趣旨のことを書いた記憶があります。

オタクを自認するクラスメートが校内放送でアニメソングを流し、得意顔をしているのを見ちゃった時のような気まずさがある。

十代の学生ならば咎めるまでもない。ああ、好きなんだね。それで終わる。

しかし、中年になってからそれをやられてもどう反応すればよいのか。

そして、今回のように、ちょっとでも指摘しようモンなら、親の仇のように嫌われて憎まれるところまでがお約束なんですよね。

“推し”が陰謀論者やヘイターになった結果、ファンまでそうなってしまう。それを嗜めると「私はただの推しが好きなオタク、そんな私の心を傷つけた!」とこちらが悪党扱いされてしまいます。

これは、ようやくこちらも対処ができるようになってきました。

現代人にとって、資本主義と結び付けられたオタク活動やら、推し活は、かつての宗教のような忠誠心と高揚感を養う場。

主君を貶された武士とか。師匠を馬鹿にされた絵師とか。そのくらいのテンションで激怒しちまうものなんでしょう。そんな理不尽な怒りには付き合いきれねえっすよ。

でも言わせてくだせえ。

『べらぼう』という作品は、あっしがここ数年苛立っている「オタクは自分の推しは神の如く崇めるのに、それ以外の他者の推しや尊厳は粗雑に扱うのか?」の典型例でやんすね。

蔦重を持ち上げるために、どんだけ他のもの、浮世絵の歴史を貶めてしまったか。

オタクがしばしば語る「どんなものにも推している人はいると理解しているから、貶めないんだ」という言葉をあっしは信じちゃおりません。

こういうことを言ったそばから、自分が好きな作品を見てもいないのに、周りが貶しているというだけで的外れなディスりをしてきた人がいたもんです。

これを書いている2025年12月時点にも、とある公開中のアニメ映画が酷評を浴びております。

この作品についてはもう貶すことが常識と化しており、オタクだと自認する層においてその傾向が顕著といえます。

大河ドラマにせよ、『天地人』『江』『花燃ゆ』『西郷どん』は貶すことが常識扱いですね。

そういうオタクムーブの暗黒面が存分に発揮されたのが、44回以降の『べらぼう』でした。

蔦重以外の版元、そして歌川派の消滅。

こうなってくるとそれまで見ないようにしてきた取捨選択も気になるところ。

振り返ってみれば切られた要素はあまりに多い。

思いつく限りあげてみやしょうか。

仙台藩

高岳と最も関係が深く、伊達重村は田沼時代を象徴する外様大名の一人。

登場人物が増えすぎるから仕方ないとはいえ、蝦夷地やロシア情報を先行して認識したのはこの藩。

幕末史への接続を考えるならば出して欲しかった。

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朱子学

『麒麟がくる』の時、このチームのドラマでこうも漢籍が巧みに取り入れられているのは、脚本家か、スタッフか、どちらの力量かと感銘を受けたものでした。

答え合わせはできた。池端俊策先生がの力量が大きかったようですね。

明代白話小説・『水滸伝』

江戸の出版文化隆盛は、明代都市部のものの後追いといえます。

木版印刷の白話小説を輸入し、それを参考にしてアレンジすることが根底にある。

中でも『水滸伝』は重要です。

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さして期待していなかったとはいえ、『光る君へ』ではできていた中国文学の取り入れ方を、今作はできなかったとはどうしても思ってしまいます。

蝦夷地・アイヌ

せっかく蝦夷地とロシアを出しておきながら中途半端。

松平定信最大の心残りは恋川春町ではなく、外交と北方問題でないと政治家として大変幼稚だということになりますが。

再来年の小栗忠順が心底いたたまれない。

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只野真葛

江戸期を代表する女性文人。活躍時期がやや後であるとはいえ、父である工藤平助が出たからには言及だけでもして欲しかったところ。

『光る君へ』から日本の女性文人の流れが繋がった。

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歌麿の特性を出すのであれば、こうしたライバルも必要だったのでは?

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歌川豊国

何度でも繰り返す。歌川派を盛り上げた彼を出さないのは本当に無茶苦茶。

「昭和平成の少年漫画雑誌」をテーマにしたドラマがあったとして、『週刊少年ジャンプ』が出てこなかったとしたらどう思います?

それくらい不自然なんですな。

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山東京伝の弟。『べらぼう』でも『逆賊の幕臣』でも出せる、そんな驚異的な枠になり損ねましたな。

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二年連続の文化大河とされた今年、全体的な出来としては『光る君へ』に及ばなかったと思えます。

しかも最終コーナーを回ったあたりで勝手に転んだようなもので、どうしてこうなったのか……理解できかねます。

43回までは、今までで一番面白い大河ドラマだと思えていたのに、44回以降はもう思い出すことも苦痛となりました。

一番憂鬱なのが、このドラマのファンダムとは浮世絵の話だけはしないでおこうと思えたこと。

仮に私が「歌川豊国が出なかったのは残念だった」と言ったとしましょう。

すると、血相をかえて眉毛を釣り上げて「でも! 私はプロジェクト写楽もありだと思うの!」だの、「西村屋はキャラ立ちしてないし!」と怒りながら反論され、こっちがとっちめられるんでしょう。

そんなリスク冒せるか!ってんだよ。

「プロジェクト写楽」について言やァ、読売新聞の考証担当者インタビューを読みましたぜ。写楽は蘭画ではないと言っておられましたね。

あっしの見立てが正しいとわかったんで満足でやんす。

不可解なのは、あの雑でわけのわからない勝川春章のポージング付き遠近法説明で、腑に落ちたとする意見が多かったこと。狐に化かされちまったのは、あっしか、相手か、どっちですかね。

 

シール付録のためにチョコレートを捨てる精神性

44回以降の『べらぼう』を言い表すといえばこうです。

その櫝(とく)を買いてその珠を還(かえ)す。

『韓非子』より。珠を売る商人が付加価値をつけるために、豪華な箱を作って売ろうとしました。客は箱だけ買って珠は返してきました。

現代社会でもハンバーガーセットの付録だけを取って、食べ物を捨ててしまう人はいます。かつてはチョコレートやポテトチップでも同じ問題があったものです。

小手先の販売戦略を前面に出した結果、本質を見失ってしまうことはいかがなものか。そんな戒めの言葉です。

思えば写楽ブームはずっとそんなものだとは思えてきます。

ユリウス・クルトが書いてもいない言葉を捏造されたり。クルトの伝記でも決着している斎藤十郎兵衛説をわざと盛り上げたり。

ならば、写楽を通して浮世絵という、日本が誇る文化理解が進んだのか?というと、あっしにはそうは思えねえんす。

広告代理店が生み出した人工的なものに踊らされて一時はパーッとなるものの、それが浮世絵そのものへの導線になるとは思えない。箱の中に入った珠玉は捨てられちまうんですな。

まァ、いいんです。あっしは箱よりも、中身を愛でますんで。

ただし、世の中にはこちらが嫌な思いをするとわかっていても、やらなければいけねえ諫言ってもんがある。

『べらぼう』が際立って危険な点を、置き土産として書いておきやす。

 


「見えざるピンクのユニコーン」にゃあ、あっしゃーうんざりだぜ

あっしゃにはオタ活をする友人知人がおりましてね。悲しいことに、その上に「元」とつくことがめっきり増えてきやして。

どうしてこうなっちまうのか?

ま、こっちも言い方がきついってなァわかっちゃいるんですが。でもそれだけか? そう思って色々当たってみたんですよ。

『ストーリーが世界を滅ぼす』とか、そのものズバリ『陰謀論 民主主義を揺るがすメカニズム』とか、洗脳に関することも調べやした。

ここでは『あなたを陰謀論者にする言葉』参考にしつつ、『べらぼう』の危険性を考えてみたいと思います。

・一橋治済黒幕説

これは広げすぎたと思います。

確かに徳川家基暗殺説は当時からありました。松平定信失脚の背後にも見え隠れしています。田沼意知の死も、不可解な要素が多いものです。

そこまではまだしも、平賀源内まで絡めてしまうのはやりすぎです。

その落とし前をつけるために白昼堂々毒饅頭配布までいくと、江戸版ディープステートにすら思えてきて何が何やらわかりません。

・因果応報の落雷

その治済は落雷で亡くなりました。

落雷と天罰を結びつける考え方は、一世紀の時点で王充が『論衡』で否定していますね。非合理的な迷信でしかない。

因果応報が実在するなら、それこそ小栗忠順を冤罪処刑した者も非業の死を迎えて欲しかったものですよ。

・写楽ブームとオリエンタリズム

写楽ブームは現在では解析されてきており、本欄でもしつこいほど繰り返したものです。

根底にあるのは西洋目線のオリエンタリズムだと思います。

自分の知らない文化圏には素朴なものがある。ここで終わればよいものを、差別的でもあるし、スピリチュアルであったりするからたちが悪いものでもある。

西洋人著者の浮世絵評を読んでいると、ありもしない神秘思想を読み取っているようなものがあって、戸惑うこともしばしば。

そんなもの個人の自由といえばそうですが、こういう思想はしばしばカウンターカルチャーと結びつき、陰謀論コミュニティの成分となり得るから厄介です。

写楽ブームは早く脱したほうがよいムーブメントだと思っているのに、大河ドラマで引き戻されたのは色々と洒落になっておりません。

・優越感

だから、もう斎藤十郎兵衛以外ねえって言ってんだろ!

あと何度そう毒づく羽目になるのだろう。そんな嘆きがまだ押し寄せてきますが、それでもまだ書きます。

なぜ斎藤十郎兵衛を否定したいからというと、そこにある心理は「クラスの誰も知らない世界の秘密を知ってしまった!」とワクワクするような、その手のランドセルを背負った幼心の発露だと思うんですよ。

そういう優越感は、成人したら決別すべきだと私は思いますが、それができない人がいる。それどころか大河ドラマで禿げました。

「プロジェクト写楽」の次は「反ワクチン」だの「ゴム人間」だの言い出しても、あっしとしちゃ、さして驚きませんぜ。

このドラマにはもう言及したくない(といいつつ、するけど)と痛感させられたのは、SNSでこんな趣旨のコメントが流れていくのを目にしたときです。

「斎藤十郎兵衛説しかありえないとか言ってた連中、今どんな顔してんのw」

どんな顔も何も、いつも通りのツラしてるんじゃねえのか。

問題は顔でなくて、こういうことを書き込んだり、共感する側の心理っすね。

そうやって得られた優越感をSNSに書き込んで発信する時点で、ドラマ鑑賞を楽しみのためでなく、誰かを殴る棒として使っているんですよ。

・国学

本居宣長が出てきて、儒教批判をしました。

このことをテンションあげて喜び、「大陸の儒教を否定したああああ!」と喜んでいるSNS投稿を見て、ああ、この人は国学のことを真面目に考えたり、学んだことがないのだなと暗い気持ちになりました。

国学は江戸版「日本スゴイのディストピア」への入り口、オカルトと近い。過激化した結果、日本文化に重大深刻な打撃を与えています。

大陸文化以前の日本を追い求めるあまり、漢字もかなも否定することになる。

ハングル文字をパクったような「神代文字」を捏造したりし始める。

仏教もインド由来だからけしからんと言い出し、寺を襲撃したり、仏像や鐘を鋳潰しだしたりします。

これが幕末にかけて盛り上がっていく背景には、ロシアに端を発する西洋への恐怖心もある。

結果、こじらせた攘夷志士がヘイトクライムをやらかし、政治は乱れます。

再来年の小栗忠順を苦しめることになる危険思想です。

幕臣が開国へと舵取りを進める中、素朴な国学徒たちは「今に神武天皇以来の古き良き日本が戻ってくる!」と信じて暮らしておりました。

それでもご存知の通り、明治政府はガラリと一転し、西洋風の文化制度を取り入れます。

神武以来の古代復興を信じていた国学徒は、果たしてどうなったか?

島崎藤村『夜明け前』を読んでみればわかります。

こういう古代日本を過剰に崇める思想は、ただの愛国心と片付けてよいものではありません。スピ系陰謀論と隣り合わせです。

「私」を「和多志」、「気」を「氣」と記し出すところと近いのです。

・吉原=反ポリコレ、キャンセルカルチャー論、逆張り

一年前かよ。今更かよ。そうぼやきたくもなりますが、最後に蒸し返しておきやしょう。

私は何度も記してきた通り、吉原を扱うことそのものは否定しません。

ただ、「大河で吉原を扱うなんて反ポリコレだー!」と言われ出したらひとまず話を変えたい。

この日本式「ポリコレ」という言葉も本来の意味を失い、「三角メガネのPTAババアが怒り出しそうなエロ要素を表現することw」程度になっている気はしますが。

ともあれ、そういう反ポリコレだからと『べらぼう』賞賛をする意見は目にしました。

セットとなるのが、打ち切りしたり、規制することを「キャンセルカルチャー」とする論ですかね。

そういう雑な論争には今更乗りたくもねえところですが、何かの逆張りだからと肯定されるというのも、どうしたことかと思う次第。そういう論争は本作を肯定しているからと乗っかることは考えものだとは言っておきやす。

こういう点と点を繋げて見えざるピンクのユニコーンを描いたのが、44回以降の『べらぼう』でした。

脳内にドラッグをドバドバ噴出させるし、エコーチェンバーでは盛り上がるから大変楽しい。みんな揃って脳内「屁踊り」でもしているんでしょうな。

あっしはそんな儀式に参加するこたぁ御免です。『三国志』の世界観だと、ノリが黄巾党の乱ですからね。絶対に近寄りたくねえ!

確かに月岡芳年のノリが見たかったっちゃ、そうなんです。だからといって、浮世絵の中でも鑑賞中、最もバッドトリップしかねないとあっしが思っておりやす『新形三十六怪撰』「蒲生貞秀臣土岐元貞甲州猪鼻山魔王投倒ノ図」を再現されるとは思ってもいねえことでしたよ。

制作チームだけじゃない。ファンダム、SNS、ネットニュース。もろもろが一丸となって狂気の世界を作り上げてきました。

あっしは入りたくねえよ、こんな世界観……『月百姿』にしてくだせえ。

月岡芳年『蒲生貞秀臣土岐元貞甲州猪鼻山魔王投倒ノ図』

月岡芳年『蒲生貞秀臣土岐元貞甲州猪鼻山魔王投倒ノ図』/wikipediaより引用

 

月岡芳年『月百姿 玉兎 孫悟空』

月岡芳年『月百姿 玉兎 孫悟空』/wikipediaより引用

ここまで読んで、こう言いたい方はいますよね。

「うるせー歴オタw あんたが好きな浮世絵師の作品でも見ていればww」

ああ、そりゃとっくにそうしてるぜ。落合芳幾も面白ぇよな。てなわけで、再来年大河ドラマ予習のためにも、幕末絵師対策に抜かりはねえぜ!

ではあと一回、総評でお会いしましょう。

📘 『べらぼう』総合ガイド|登場人物・史実・浮世絵を網羅

🎬 大河ドラマ特集|最新作や人気作品(『真田丸』以降)を総まとめ


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【参考】
べらぼう公式サイト

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武者震之助

2015年の大河ドラマ『花燃ゆ』以来、毎年レビューを担当。大河ドラマにとっての魏徴(ぎちょう)たらんと自認しているが、そう思うのは本人だけである。

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