土曜日の再放送に合わせて、大河ドラマ『豊臣兄弟』をマンガで振り返る――第34回のテーマは徳川家康でしたね。
賤ヶ岳の戦いで柴田勝家に勝利し、天下人を宣言した羽柴秀吉は、織田信雄を抑え込みながら織田政権内での専横を強めていきます。
これに我慢ならない信雄は、徳川家康を味方にして巻き返しを画策。
果たして信雄と家康は、秀吉に対抗できるのか……ということで、さっそくマンガ本編へGO!
筑前のコト

◆勝手に伊賀へ攻め込み、大敗をして信長に激怒されたこともある織田信雄。
愚将という評判も根強く、味方とするには非常に不安で、早くもフラグを匂わせてくれています。
小鳥

◆大坂城を視察してきた腹心の石川数正に、秀吉からの茶会の誘いを断る家康。
人質時代の回想が始まります。
懐けよ!

◆ver.1 もしも小鳥の気性が荒かったら?
飼育失敗

◆ver.2 もしも小鳥が早くに死んでしまったら?
逃げた小鳥

◆「部屋から飛び出て、屋根ぐらいの高さで飛ぶ、手のひらサイズの小鳥を火縄銃で撃ち落とすことは可能?」
そんな質問をAIに投げかけたところ、以下のような返答をいただきました。
「極めて困難です。実質的に不可能と言えます」
ですよね。
中川清秀の裏切り者描写で、不名誉な話題が世間で広まる本作は、実は初っ端から挑戦的な表現の連続でした。
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帰還

◆ちなみに小鳥を撃ち落とした今川氏真は、小牧・長久手の戦いのころ徳川家康の庇護下にいた可能性が高いです。
天正十一年(1583年)7月に家康が近衛前久を接待したとき、氏真も同席していた記録が残されています。
今川家が滅亡したあと北条家の世話になっていましたが、その後、徳川家を頼っていたんですね。
家康との仲は決して険悪でなかったのでしょう。
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交渉

◆家康は人質を求められ、それを断って秀吉との戦争を決意したのか?
そんな疑問も湧いてくるやり取りも本作の独自解釈でしょう。
織田信雄が、親羽柴派の重臣たちを成敗することは、事前に家康も承知しており、人質に関係なく合戦に及ぶ流れでした。
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ハーブ集め

◆可愛い長丸(徳川秀忠)を人質に送りたくない!
そんなシーンが堂々描かれ、可哀想になってくるのが方がいます。
戦後、実際に人質として羽柴家へ送られた於義丸こと結城秀康で、家康の次男でしたが、母親の立場の違いから徳川家の跡取りには徳川秀忠が選ばれたと考えられています。
秀康母の於万の方は妾であり、西郷局は妻であったと見られていたんですね。
そもそも秀康は生誕時に、父の家康から認知されておらず、秀吉との和睦のために初めて子供として扱われた、そんな悲しき立場でした。
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◆『豊臣兄弟』総合ガイド|秀吉と秀長の生涯・家臣団・政権運営等の解説
参考文献
- 黒田基樹編『戦国大名の新研究3 徳川家康とその時代』(2023年4月 戎光祥出版)※黒田基樹「家康の妻と子どもたち」
文:五十嵐利休
【参考】
豊臣兄弟/公式サイト






