井伊直虎は男だった――。
2017年の大河ドラマを控えた昨年12月、突如、驚きの説が発表された。
井伊美術館(京都市)館長の井伊達夫氏によるもので、『おんな城主 直虎』の放送を控えたこの時期になぜ?と思われた歴史ファンも少なくなかったであろう。
NHKは「大河ドラマはあくまでフィクション」というスタンスで静観しており、ドラマも好調な滑り出しとなったが、もし仮に直虎が男性だった、あるいは男性であることが証明されてしまえば少なからず影響は避けられないだけに、内心穏やかではないかもしれない。
いずれにせよ戦国ファンにとっては、興味深いこの一件。
本連載、本郷和人・東京大教授の歴史キュレーションで、「直虎は男なのか?女なのか?」を掘り下げ、歴史学から考察する第二弾。
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姫「それじゃあ、井伊直虎の『よく分からないところ』を具体的に見ていきましょう」
本郷「うん。まずねえ、なんといっても法名だといわれる『次郎法師』だな」
姫「簡単に整理すると、天文13年(1544年)に直虎の許嫁だった井伊直親の父・直満が今川家への謀反の疑いをかけられて自害させられ、直親も信濃に逃亡した。直虎は龍潭寺で出家し、次郎法師という出家名を名乗った、というのよね」
本郷「うん。でもね、『次郎法師』なんてお坊さんの名前、ましてや尼さんの名前、他では見たことも聞いたこともないんだ」
姫「え?どういうこと? 井伊の家では跡取りが『次郎』もしくは『法師』を名乗ることになっていて、その2つをくっつけて法名にした、とか説明されてるんじゃない?」
本郷「『井伊家伝記』ではそうなっているね。この史料はウィキにも載っているように、享保15年(1730年)に成立したもの。著者は井伊谷の龍潭寺の住職である祖山というお坊さんだ」
姫「直虎が女性だといっている唯一の根拠ね。だけど、この史料は歴史事実に忠実か、というと、そうでもない、という指摘がなされているのよね。それはいろいろなところで言われているから知ってる」
本郷「そうか。先にそっちか。あのさあ、そもそも龍潭寺が2つあるのはご存じ?」
姫「浜松の龍潭寺と、彦根の龍潭寺よね。井伊家が彦根の大名となることにより、浜松は井伊谷の龍潭寺の住職を招いて建てたのが彦根の龍潭寺でしょ。井伊家の菩提寺で、禅寺なのよね」
本郷「そうだね。井伊家は何といっても譜代の筆頭。たいへんに有力な大名だ。彦根の龍潭寺はその庇護を受けてたから、安泰だ。一方で、時が経って井伊家の人々の中で遠江国井伊谷の記憶が薄れていくにつれて、井伊谷の龍潭寺は忘れられていく。もしも龍潭寺が井伊家の庇護を受けたいなら、あなたのところとうちのお寺は非常に深い関係にあったんですよ、とアピールする必要に迫られるかもしれない」
姫「そうか。井伊家の家老である木俣さんの請いを受けるかたちで浜松・龍潭寺が『井伊家伝記』をまとめたのは、そういう意図のもとでの行為かもしれないわね」
本郷「うん。実際に、『井伊家伝記』ができあがると、井伊の殿様が参勤交代の途中に浜松・龍潭寺にお参りするようになるみたいだ。もちろん、常識的に考えて、そのときは手ぶらでは行かないよね」
姫「この史料の成立にそういう意図が秘められていたとすると、歴史事実に忠実でない部分があったとしても、別におかしくないわけね」
本郷「そうなんだ。もちろん、うっかり間違った、ということはどの史料集にもある。それに加えて、井伊家と龍潭寺の結びつきを強調したいとなると、こういう書き方の方が良いな、と創作した部分がでてきても不思議ではない」
姫「わかった。それを念頭に、いろいろ考えることにするわ。それで法名の『次郎法師』だけれど、あなたは違和感を感じるワケね」
本郷「うん。禅宗の僧侶が『次郎法師』なんて名乗るイメージがわかないんだ。直虎は祐円という法名ももっている。これは井伊直政を家康に仕えさせた後に、『女城主直虎』からもう一回尼になったときに名乗るのかな。これは分かるんだ。祐円なら、しっくりくる」
姫「しっくりくる、って言われてもねえ。経験則が大事なのは分かるけれど、もう少し納得のいく説明はできないの?」
本郷「そうだな・・・。そういえば、直虎の位牌が龍潭寺にある。そこには『妙雲院殿月船祐円大姉』という戒名が刻まれていて、『直盛の娘』という説明も付いてる。それから、最近になって龍潭寺の塔頭である妙雲院(今は無住の寺)でも位牌が見つかり、そこにも同じ戒名が刻まれていた。このことから、井伊直盛の娘に『妙雲院殿月船祐円大姉』の戒名を持つ人がいたことが証明できる。もっとも、その人が直虎かどうかに関しては、何の証拠もないんだけれどね」
姫「そこまでは、理解できたわ」
本郷「それでねえ、戒名とその人物の法号の関係なんだけど、武田晴信は出家して法号が信玄。彼の戒名は『法性院機山信玄大居士』。上杉輝虎は出家して法号が謙信。戒名は『不識院殿真光謙信大居士』。あとそうだな、黒田官兵衛は出家して法号は如水。戒名は『龍光院殿如水円清大居士』。あと法号が有名なのは細川藤孝か。法号は幽斎だよね。戒名は『泰勝院殿前兵部徹宗玄旨幽斎大居士』。その息子の細川忠興は法号は三齋。戒名が『松向寺殿前参議三斎宗立大居士』。こんな具合だ」
姫「へえ。生前に名乗っている法号は、必ず戒名に取り込まれるのね」
本郷「そうなんだよ。この法則を使うとね、たまにヘンなことが分かる。たとえば、関ヶ原の時に加賀の前田家に滅ぼされた同国・大聖寺城主の山口宗永。彼の戒名は、ごめんね、手元にデータがないので全体は分からないんだけど、『宗永』の字が入っているんだ。このことから、彼は『山口むねなが』ではなく、『山口そうえい』であり、諱は別にあることが推測できるんだ」
姫「うん。それは、また、理解した。そうすると、どうなるの」
本郷「位牌に記された戒名から、井伊直盛の娘に生前『祐円』を名乗った女性がいる、ということは固いことになるんだ」
姫「なるほどね。尼の祐円さんは間違いなく実在した、と。それで、位牌に書いてあることから、彼女が天正10(1582)年8月26日に亡くなっていることは、ほぼ確実なのね」
本郷「そうだね。だけど、彼女が井伊直虎と同一人物かどうかは、何の保証もない。それを説いているのは、もう一度言うけれど、『井伊家伝記』だけなんだ」
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