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【和田惟政】
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甲賀武士をとりまとめる
和田惟政は外交官としての役割を果たし、甲賀の土豪たちを取りまとめて信長への忠誠を誓わせております。
惟政のこの動きは、後世の甲賀イメージにも関係している部分がありまして。
例えばフィクションでは、伊賀と甲賀忍者が幾度となく殺し合いをしております。
現在に至っても、忍術対決手裏剣投げ勝負をしておりますが、歴史的な事情もあるのです。
◆甲賀(滋賀県甲賀市)
・六角氏から織田氏に忠誠を誓う。そのあとも豊臣、徳川家康と情勢に応じたフレキシブル対応
甲賀よりも伊賀が忍者アピールに前向きかつ積極的であるのは、やはり家康を救ったという江戸幕府のお墨付きが大きいのでしょう。
そこをクローズアップして、ともかく忍者フィクションでは殺し合いをしまくったように描写されたわけです。
近場の同業者ですので互いが協力したこともありますし、ケースバイケースというのが実態でした。
◆「忍者の日」に歴史的和解…「伊賀VS甲賀」はアニメや小説が創りあげた虚構!?(→link)
フロイス絶賛「和田惟政こそ摂津の総督」
和田惟政は岐阜に赴いたころから、二重の肩書を持ったようなものでした。
・足利幕府
・織田家臣
これは明智光秀や細川藤孝もそうであり、六角氏攻略では勝手知るものとして先陣に立つ――そんな惟政が確認できます。
史実の明智光秀は本当にドラマのような生涯を駆け抜けたのか?
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時代は、信長の勢いに従いつつありました。
三好義継、松永久秀らも信長に降り、畿内の勢力図は塗り替えられてゆくのです。
そんな信長の協力のもと、将軍に返り咲きを果たした義昭。
和田惟政も「摂津三守護」の一人とされ、芥川城や高槻城城主を歴任することとなります。
フロイスの『耶蘇通信』で、
「惟政こそが都と摂津の総督である」
と記されるだけでなく、フロイスの『日本史』でも好意的な記述が目立ちました。
ルイス・フロイスは信長や秀吉にどんな印象を抱いていた?日本に骨を埋めた宣教師
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しかし、注意しなければならないことがあります。
こうした宣教師たちの記述には、自分たちに好意的な人間に対するバイアスや、欧州の本国へ伝える誇張が含まれるものです。
実際、惟政はカトリックに好意的でした。
高山飛騨守友照(高山右近重友の父)と親友でもある和田惟政は、高山からキリスト教のことを聞いて好印象を抱いておりました。
友人の影響というだけでもなく、惟政自身も宣教師の言葉に説得力を感じていたと思われます。
なんせフロイスと信長の仲をセッティングしたのも、惟政と言われているのです。
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当時は、松永久秀も含め、宗教に寛容な人物が多いものでした。
惟政はフロイスが感銘を受けた記述が多いのですから、きっとその中でも上位の理解度であったのでしょう。
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