徳川家康に実妹と実母を送り、これ以上ないプレッシャーをかけた豊臣秀吉。
ついに家康は上洛を果たす――。
されど天下統一事業への仕上げはここから。
大友氏からの要請を機に九州へと送り込んだ先陣部隊は早くも暗雲立ち込める。
長宗我部元親・長宗我部信親ら親子と、仙石秀久らが戦の方針を巡って対立。
眼前には、勇猛な島津四兄弟の中でも、特に戦場で際立った才を発揮する島津家久が迫っているのであった。
謁見前夜
◆家康を服属させてこそ秀吉の天下統一事業は進む――。
そのために実妹を無理やり離婚させて輿入れさせ、さらには実母を送り込んだ秀吉。
強烈な政治外交プレッシャーを受けた家康は、ついに秀吉の前に屈するのでした。
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姓と氏
◆天正13年(1585年)に関白就任した羽柴秀吉は、その翌年、正親町天皇より「豊臣姓」を賜ります。
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最大のライバルだった家康は臣従し、もはや天下人の立場はほぼ不動!
と、見えた矢先、九州では軍目付として送り込んだ仙石秀久がトンデモナイ行動に走るのでした。
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