麒麟がくる感想あらすじ

麒麟がくる第19回 感想あらすじ視聴率「信長を暗殺せよ」

織田信勝の死体を前に、土田御前が泣いています。絶望しきる母。

一方、殺した信長は、呆然とした顔をして座っています。

そこへ土田御前がやって来るのでした。

「母上、申し訳ございませぬ」

「満足ですか? 弟を手にかけ、尾張を手中に収め……そなたはむごい。私はこの先、何をよすがに生きていけばよいのか……」

「それほどお嫌ですか? 私も母上の子です。されど幼き頃より遠ざけられました。母上を喜ばせようとすればするほど遠ざけられた 」

「そなたはいつも私の大切なものを壊す。私が大切に育てた小鳥を死なせ、茶器を割り、幼き頃より、そなたはいつもものを壊し、私を傷つけた……そなたがそばにいるだけで、私の心は穏やかではなかった。それを癒してくれたのが信勝であった。そなたはまた、私の大切なものを壊したのじゃ! 私の大切なものを!」

母は我が子の顔で掌で挟み、こう訴えます。

「そなたは弟を殺しただけではない。この母も殺したのです!」

子は目に涙を浮かべても、こぼれることはありません。母は泣き崩れるばかりです。

廊下で帰蝶は座り、何事かを考え込んでいる。

そこへ信長が来て、気の抜けたようにだらりと柱にもたれかかり、脚を伸ばすのでした。

「終わった……わしは父も弟も母も失った」

そう気が抜けたようにいうしかない信長です。その様子を帰蝶はじっと見守るのでした。

 


信長の何が狂っているのか?

信長が狂気だのなんだのさんざん言われております。土田御前も鬼母扱いされている。

たとえ血が繋がっていようと、人間は理解しきれるものではありません。

本作の信長像はさんざん狂っていると言われます。

しかし狂気って何でしょう?

信勝の死は、もうはっきりいってしょうがない。信長の苛立ちはわかります。

先週うだうだと書きましたが、あれは水差しに毒が入っていたことは確定だということでして。

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もう、その時点で、死ぬしかないとは思う。

もっと! まじめに! 丁寧に! 暗殺をしろと!!

信勝は、本気でやる気あるのか?って話です。斎藤道三にせよ、義龍にせよ、もっと真剣に暗殺をしてきた。

命がけで乗るかそるかというところで、あんな舐め腐った態度なら、やはり処断しかない。

信長の狂気よりも、信勝の舐め腐った甘えのある暗殺への態度が嫌だと私は思いました。

そこまでつらつら考えて思ったわけですが、光秀は極めてまじめに、絶対に成功させると凄まじい気合と覚悟で【本能寺の変】へ突入するのでしょう。

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本気を出さねば暗殺できない。それが本作の織田信長ということだ。

そう。土田御前が嘆く、誰かの大事なものを壊してしまうことだって、信長は意図的ではないと思います。

気がつけば壊れている……。

以前、信長は墓石だのお守りだの、誰かが大事にしていそうなものをガンガンぶっ壊すタイプだと書きました。

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やはりそうだったのか、と納得しております。

信長は天才とか憧れの武将とか言われますが、実際、同じようなタイプが学校なり職場なり、自分の身近にいたらどうなるか?

「あいつキモいわ」

「ウザいよ」

「もう明日から会社来るなよ」

「LINEでブロックしよっと……」

となる可能性が大ではありませんか。

私としては、信長は狂っているわけじゃないと思う。むしろやはり、染谷さんが語る通りピュアなんだと思います。辛いんですよ、本人も、周囲も。

 


将軍・義輝が京へ

さて今回は「作:前川洋一」。『軍師官兵衛』の脚本家です。

脚本家一人で世界観を組み立て、作り上げるのではない。2010年代半ばからの改革を経て、前川氏も本領発揮といったところでしょう。

時は永禄元年(1558年)、斎藤道三の死から二年。将軍・足利義輝は近江・朽木から、三好長慶と和睦し京へ戻りました。

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長慶は黄金の煌びやかな太刀を献上します。

「これなるは、心ばかりの品にございまする」

上様あっての京だの、首を長うしてお待ちしていただの、どうかごゆるりとだの、ぬけぬけと言いますけれど、主君のそばに居る、三好側の松永久秀といい、足利側の三淵藤英細川藤孝兄弟といい、リラックス感はありません。

物量。おもてなし。そういうものは、権力の繁栄でもあります。

権威は将軍家が上でも、物量と財政では逆転現象が起きている。

これは戦国時代のあと、実は江戸時代まで続いていく話です。武士が貧乏である一方で、商人が金持ちになる。

そういう状況は、この時代、世界のあちこちで見られるようになってゆきます。

マネーの力を外交に使うテクニックは、信長・秀吉・家康も無縁ではありません。

松永久秀が甘いものを光秀に贈っていましたが、三英傑も糖分という食べるマネーを天下人として使いこなしています。

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※関連のオススメ本としては川北稔氏『砂糖の世界史』(→amazon)あたりでもどうぞ。Kindle版もございます。

 


称念寺の和尚も感心する光秀の才

さて、越前では。

明智光秀は、禄も受けずに浪人生活を送っていました。

『論語』衛靈公篇より

子曰、君子病無能焉。不病人之不己知也。

子曰く、君子は能無なきを病う。人の己を知らざるを病えざる也。

立派な人間は、自分が無能であるかもしれないことを心配する。他人が自分を知らないことを悩んだりはしない。

なかなかおもしろいことを教えていますね。

すごく、心に響くところを用いてきた気がする。

こういうご時世だから、リツイートやファボの数、フォロワーの数を人間は気にする。

ドラマレビューになぞらえたら、こんなところかな?

→欲張りなレビュアーは、自分の予想が当たらないかもしれないことを心配する。業界人の評価と自分の意見が一致しないことで、悩んだりはしない。

まぁ、光秀の性格でもあるんでしょうね。光秀は自己実現、自己評価重視型であると。

そんな光秀について、称念寺の和尚も感心しています。

子どもたちの元気な声がいい。読み書き、行儀作法も身につくと親も口を揃えている。教え方がうまいそうです。

ドラマの感想は自由でよいのですが。光秀が地味だとか、どこがすごいのかわからないとか、才能がわからないなんて意見もあるようです。

しかし子どもをこうも見事に指導できるって、すごいことだと思います。光秀は地味でも無能でもなく、わかりにくい人徳という才能があるのでしょう。人の本音を引き出せる何かがある。

松坂桃李さんの名前の由来でもある、こういう言葉がピッタリだ!

「桃李もの言わずとも、下自ずから蹊を成す」

桃や季の木は、何もアピールしてこない。けれども、その美しい花や甘い実を求めて、人はその下に来るから道ができてしまう。

光秀という人物には、美しい花と甘い実のような徳があるのです。それを演じる長谷川博己さんも、桃李の類の方なのでしょう。

 

「鷹を公方様に献上せよ」

そんな光秀が、朝倉義景の屋敷に呼ばれます。そこには鷹がおります。

「どうだ? 見事な鷹だろう?」

そう自慢してきます。

 

土岐頼芸のこともあるし、鷹がダメな人グッズじみて思えるかもしれませんが、特にそういうことでもありません。

ただ、義景自ら丹念に育て上げているところは、ちょっと注意した方がいいかも。

世話は誰かに任せて、仕事や勉強でもやれよと。

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義景はミッションを依頼してきます。

◆ミッション「鷹を公方様に献上せよ!」

足利義輝が京に戻り、めでたいことだから諸大名に挨拶に来るよう、上洛を求めている。

わしにも書状が届いだが、わざわざ京まで出向いて火中の栗を拾うこともあるまい。面倒なことに巻き込まれるのはごめんじゃ。

この鷹を献上するのだ。公方様は、たいそう鷹狩りがお好きなようなのでな。それでしばらく様子見じゃ。

これもまあ、皮肉っちゃ皮肉です。

呼びかけても、大名は上洛する気がない。

光秀の父・明智光綱のころは上洛を名誉なこととして受け止めていて、知性や教養をアピールできるとはりきったものです。それがめんどくさい話になっている。

鷹もなぁ……。将軍権威が安定して頂点に達した江戸時代は、御巣鷹山がたくさんありました。鷹狩りの鷹を育成するための山です。そういう境地は遠いのです。

今週って贈答問答と会話劇ばかりで地味なようですが、すごく勉強になる話が多いと思えます。

血が流れないようで、すごく渋くていい要素が多くて、味があります。

 


妻の煕子がやや子を宿す

うれしそうに食事をしている光秀。

煕子がこう聞いてきます。

「公方様に御目通りを?」

「そうだ。鷹を届ける」

「それでさきほどから、うれしそうなお顔を」

「うむ」

夫婦の単純な会話のようで、信長と帰蝶ほどわかりやすい愛はないようで、それでいてゆるぎない信頼関係を感じます。

長谷川博己さんの演じる“よい夫”とはこうすべきというお手本のようなお芝居。“なんちゃら砲”とか別に要らんのです。お互い通じ合い、信じ合い、わかりきっている安らぎがそこにある。

光秀は嬉しそうに語ります。

義輝様は立派な志をお持ちの方だ。京の様子も変わったことであろう。この目で見ておきたい。

そう語る夫に、煕子はこう言います。うちのことは心配なさらず、子どものことは左馬助に任せておけばよい。

と、ここで煕子が、体調が悪そうにします。

「気分が悪いのか? 顔色が悪いぞ」

そう心配し、額を触る光秀。おそらく信長はこういう気遣いはできないでしょう。

「実は……やや子が……」

そっと夫の手を腹に当てる煕子。

「何? 煕子……でかした、ははははははっ!」

思わず妻を抱きしめ、痛いと言われて謝るところまで、見事なよき夫です。

「おお、すまぬすまぬ! 大事にせねばな。ああそうか、やや子が! ああ、うむ。母上はこのことを?」

そう言われて、煕子はまず十兵衛様に伝えたいと思い、伝えていないと言います。光秀は母に報告しています。

妊娠発覚の場面として、過不足がなくてよかったと思います。あざとさがないけれども、光秀と煕子の喜びが伝わってきます。

それにしても、これはお金も稼がないといけませんね。
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