織田信勝の死体を前に、土田御前が泣いています。絶望しきる母。
一方、殺した信長は、呆然とした顔をして座っています。
そこへ土田御前がやって来るのでした。
「母上、申し訳ございませぬ」
「満足ですか? 弟を手にかけ、尾張を手中に収め……そなたはむごい。私はこの先、何をよすがに生きていけばよいのか……」
「それほどお嫌ですか? 私も母上の子です。されど幼き頃より遠ざけられました。母上を喜ばせようとすればするほど遠ざけられた 」
「そなたはいつも私の大切なものを壊す。私が大切に育てた小鳥を死なせ、茶器を割り、幼き頃より、そなたはいつもものを壊し、私を傷つけた……そなたがそばにいるだけで、私の心は穏やかではなかった。それを癒してくれたのが信勝であった。そなたはまた、私の大切なものを壊したのじゃ! 私の大切なものを!」
母は我が子の顔で掌で挟み、こう訴えます。
「そなたは弟を殺しただけではない。この母も殺したのです!」
子は目に涙を浮かべても、こぼれることはありません。母は泣き崩れるばかりです。
廊下で帰蝶は座り、何事かを考え込んでいる。
そこへ信長が来て、気の抜けたようにだらりと柱にもたれかかり、脚を伸ばすのでした。
「終わった……わしは父も弟も母も失った」
そう気が抜けたようにいうしかない信長です。その様子を帰蝶はじっと見守るのでした。
信長の何が狂っているのか?
信長が狂気だのなんだのさんざん言われております。土田御前も鬼母扱いされている。
たとえ血が繋がっていようと、人間は理解しきれるものではありません。
本作の信長像はさんざん狂っていると言われます。
しかし狂気って何でしょう?
信勝の死は、もうはっきりいってしょうがない。信長の苛立ちはわかります。
先週うだうだと書きましたが、あれは水差しに毒が入っていたことは確定だということでして。
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もう、その時点で、死ぬしかないとは思う。
もっと! まじめに! 丁寧に! 暗殺をしろと!!
信勝は、本気でやる気あるのか?って話です。斎藤道三にせよ、義龍にせよ、もっと真剣に暗殺をしてきた。
命がけで乗るかそるかというところで、あんな舐め腐った態度なら、やはり処断しかない。
信長の狂気よりも、信勝の舐め腐った甘えのある暗殺への態度が嫌だと私は思いました。
そこまでつらつら考えて思ったわけですが、光秀は極めてまじめに、絶対に成功させると凄まじい気合と覚悟で【本能寺の変】へ突入するのでしょう。
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本気を出さねば暗殺できない。それが本作の織田信長ということだ。
そう。土田御前が嘆く、誰かの大事なものを壊してしまうことだって、信長は意図的ではないと思います。
気がつけば壊れている……。
以前、信長は墓石だのお守りだの、誰かが大事にしていそうなものをガンガンぶっ壊すタイプだと書きました。
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やはりそうだったのか、と納得しております。
信長は天才とか憧れの武将とか言われますが、実際、同じようなタイプが学校なり職場なり、自分の身近にいたらどうなるか?
「あいつキモいわ」
「ウザいよ」
「もう明日から会社来るなよ」
「LINEでブロックしよっと……」
となる可能性が大ではありませんか。
私としては、信長は狂っているわけじゃないと思う。むしろやはり、染谷さんが語る通りピュアなんだと思います。辛いんですよ、本人も、周囲も。
将軍・義輝が京へ
さて今回は「作:前川洋一」。『軍師官兵衛』の脚本家です。
脚本家一人で世界観を組み立て、作り上げるのではない。2010年代半ばからの改革を経て、前川氏も本領発揮といったところでしょう。
時は永禄元年(1558年)、斎藤道三の死から二年。将軍・足利義輝は近江・朽木から、三好長慶と和睦し京へ戻りました。
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長慶は黄金の煌びやかな太刀を献上します。
「これなるは、心ばかりの品にございまする」
上様あっての京だの、首を長うしてお待ちしていただの、どうかごゆるりとだの、ぬけぬけと言いますけれど、主君のそばに居る、三好側の松永久秀といい、足利側の三淵藤英と細川藤孝兄弟といい、リラックス感はありません。
物量。おもてなし。そういうものは、権力の繁栄でもあります。
権威は将軍家が上でも、物量と財政では逆転現象が起きている。
これは戦国時代のあと、実は江戸時代まで続いていく話です。武士が貧乏である一方で、商人が金持ちになる。
そういう状況は、この時代、世界のあちこちで見られるようになってゆきます。
マネーの力を外交に使うテクニックは、信長・秀吉・家康も無縁ではありません。
松永久秀が甘いものを光秀に贈っていましたが、三英傑も糖分という食べるマネーを天下人として使いこなしています。
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※関連のオススメ本としては川北稔氏『砂糖の世界史』(→amazon)あたりでもどうぞ。Kindle版もございます。
称念寺の和尚も感心する光秀の才
さて、越前では。
明智光秀は、禄も受けずに浪人生活を送っていました。
『論語』衛靈公篇より
子曰、君子病無能焉。不病人之不己知也。
子曰く、君子は能無なきを病う。人の己を知らざるを病えざる也。
立派な人間は、自分が無能であるかもしれないことを心配する。他人が自分を知らないことを悩んだりはしない。
なかなかおもしろいことを教えていますね。
すごく、心に響くところを用いてきた気がする。
こういうご時世だから、リツイートやファボの数、フォロワーの数を人間は気にする。
ドラマレビューになぞらえたら、こんなところかな?
→欲張りなレビュアーは、自分の予想が当たらないかもしれないことを心配する。業界人の評価と自分の意見が一致しないことで、悩んだりはしない。
まぁ、光秀の性格でもあるんでしょうね。光秀は自己実現、自己評価重視型であると。
そんな光秀について、称念寺の和尚も感心しています。
子どもたちの元気な声がいい。読み書き、行儀作法も身につくと親も口を揃えている。教え方がうまいそうです。
ドラマの感想は自由でよいのですが。光秀が地味だとか、どこがすごいのかわからないとか、才能がわからないなんて意見もあるようです。
しかし子どもをこうも見事に指導できるって、すごいことだと思います。光秀は地味でも無能でもなく、わかりにくい人徳という才能があるのでしょう。人の本音を引き出せる何かがある。
松坂桃李さんの名前の由来でもある、こういう言葉がピッタリだ!
「桃李もの言わずとも、下自ずから蹊を成す」
桃や季の木は、何もアピールしてこない。けれども、その美しい花や甘い実を求めて、人はその下に来るから道ができてしまう。
光秀という人物には、美しい花と甘い実のような徳があるのです。それを演じる長谷川博己さんも、桃李の類の方なのでしょう。
「鷹を公方様に献上せよ」
そんな光秀が、朝倉義景の屋敷に呼ばれます。そこには鷹がおります。
「どうだ? 見事な鷹だろう?」
そう自慢してきます。
土岐頼芸のこともあるし、鷹がダメな人グッズじみて思えるかもしれませんが、特にそういうことでもありません。
ただ、義景自ら丹念に育て上げているところは、ちょっと注意した方がいいかも。
世話は誰かに任せて、仕事や勉強でもやれよと。
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義景はミッションを依頼してきます。
◆ミッション「鷹を公方様に献上せよ!」
足利義輝が京に戻り、めでたいことだから諸大名に挨拶に来るよう、上洛を求めている。
わしにも書状が届いだが、わざわざ京まで出向いて火中の栗を拾うこともあるまい。面倒なことに巻き込まれるのはごめんじゃ。
この鷹を献上するのだ。公方様は、たいそう鷹狩りがお好きなようなのでな。それでしばらく様子見じゃ。
これもまあ、皮肉っちゃ皮肉です。
呼びかけても、大名は上洛する気がない。
光秀の父・明智光綱のころは上洛を名誉なこととして受け止めていて、知性や教養をアピールできるとはりきったものです。それがめんどくさい話になっている。
鷹もなぁ……。将軍権威が安定して頂点に達した江戸時代は、御巣鷹山がたくさんありました。鷹狩りの鷹を育成するための山です。そういう境地は遠いのです。
今週って贈答問答と会話劇ばかりで地味なようですが、すごく勉強になる話が多いと思えます。
血が流れないようで、すごく渋くていい要素が多くて、味があります。
妻の煕子がやや子を宿す
うれしそうに食事をしている光秀。
煕子がこう聞いてきます。
「公方様に御目通りを?」
「そうだ。鷹を届ける」
「それでさきほどから、うれしそうなお顔を」
「うむ」
夫婦の単純な会話のようで、信長と帰蝶ほどわかりやすい愛はないようで、それでいてゆるぎない信頼関係を感じます。
長谷川博己さんの演じる“よい夫”とはこうすべきというお手本のようなお芝居。“なんちゃら砲”とか別に要らんのです。お互い通じ合い、信じ合い、わかりきっている安らぎがそこにある。
光秀は嬉しそうに語ります。
義輝様は立派な志をお持ちの方だ。京の様子も変わったことであろう。この目で見ておきたい。
そう語る夫に、煕子はこう言います。うちのことは心配なさらず、子どものことは左馬助に任せておけばよい。
と、ここで煕子が、体調が悪そうにします。
「気分が悪いのか? 顔色が悪いぞ」
そう心配し、額を触る光秀。おそらく信長はこういう気遣いはできないでしょう。
「実は……やや子が……」
そっと夫の手を腹に当てる煕子。
「何? 煕子……でかした、ははははははっ!」
思わず妻を抱きしめ、痛いと言われて謝るところまで、見事なよき夫です。
「おお、すまぬすまぬ! 大事にせねばな。ああそうか、やや子が! ああ、うむ。母上はこのことを?」
そう言われて、煕子はまず十兵衛様に伝えたいと思い、伝えていないと言います。光秀は母に報告しています。
妊娠発覚の場面として、過不足がなくてよかったと思います。あざとさがないけれども、光秀と煕子の喜びが伝わってきます。
それにしても、これはお金も稼がないといけませんね。
浮かない顔の藤英・藤孝兄弟
光秀は上洛にあたり、きっちりと素襖(すおう)を着ています。
少し加齢をさせて落ち着いた色にはなっておりますが、それでも木行の青緑が特徴です。美しい翡翠のような色合いが素晴らしい衣装。これを着こなす長谷川博己さんも立派です。
京都では「一服一銭 よい茶でござる 茶はいかがかな」という物売りが歩いております。一見平和に見えますが、果たして……。
「おお十兵衛殿!」
公方様の元へ向かうと、細川藤孝がうれしそうに迎えてきます。
兄弟でも、兄の三淵藤英はトーンが落ち着いています。
光秀はその節は心配をかけたと詫び、藤孝には口添えの書状を送ってもらった御礼を言っています。
そして朝倉義景からの鷹を見せるのです。これはさぞや喜ばれると将軍の家臣である兄弟は言うわけですが……。
藤英としては、朝倉義景が上洛されなかったことを残念がる気持ちも当然あると。
京都はまだ様々な争いがある。それをおさめるためにも上洛を促しているのに、なかなか集まらないと嘆いているのです。
幕末の京都のように、諸藩がゴタゴタ集まって勢力争いをしてもややこしいものですが、上洛しなければしないで、悩ましいんですね。
これは現在社会にも通じる話かもしれない。
国を束ねるトップの権力者よりも、地方自治体の首長が目立つようになり、独自の判断で動くようになったら、それは世の中が変わる兆しであるかもしれないということです。
ここで少数派の上洛大名として、尾張の織田信長の名前が出てきます。
そして上様は、公家の二条家に招かれ能を見るため、そこに同道するよう光秀は誘われる。
将軍・義輝との再会
かくして光秀は、義輝と再会します。
「上様、明智十兵衛にございます」
「うむ。覚えておるぞ。朽木で会うたな。あれから何年たつかのう」
「九年にござりまする」
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そんなに経過しているのです。
「時が変われば、人も世も変わる。されどいつ見ても変わらず胸を打つのは、能じゃ。能はよい。そなたも見るがよい」
「はっ、ありがたき幸せ」
そう言う光秀は、うれしさが顔に出ています。本作の光秀はポーカーフェイスどころか、むしろ顔に気持ちが出やすいのです。
ここで、劇中9年経過ということで、思うところを書いておきますが。
再来週の6月7日(第21回放送)で、一旦休止となる間、何をするか。
どの国のドラマを見るにせよ、一点だけ念頭においた方がよい要素があると思います。
【最終回放映が10年以内のものとする】
80年代に書かれたテレビドラマの歴史なんて、私は振り返る気にもならない。比べるにしても、ここ10年以内と区切ることが最低限の範囲だと思います。
なぜなら、時が変われば、人も世も変わる。ドラマもそう。
昨年の大河はハッキリ言ってどうでもよいのですが、あのドラマとスポーツだの自分の好きな何かと絡めた記事はまだあるようです。
あの大河がコケた理由をあげて、本作を持ち上げる流れもある。そんなもん「月明星稀」の四文字で十分だとは思いますが。
さらには昨年の大河は革新的で、ポリコレを重視したからこそ受けないという理論もあるようです。
どうでしょうか。ポリコレなんて昨年もありません。あったにせよ、世界基準から10年以上遅れたものでしょう。
主人公が年上の女性を「ババア」と罵倒することがギャグ扱いのドラマに、ポリコレがあってたまるかという話です。
ジェンダー要素にせよ、差別にせよ。その告発をふまえた歴史ファンタジードラマ『ゲーム・オブ・スローンズ』が世界中で熱狂的に支持される時代です。
ポリコレ嫌いばかりなら、あのドラマは受けないでしょう。まあ、トランプ大統領も好きだと言っており、何も気づかずに面白がる人も当然います。
本作には、明確に意識を変えてきた要素がある。
その証拠として、2016年『真田丸』のきりを挙げたい。ぶっきらぼうなきりは「現代人」だとされました。が、私の見立てでは、現代にも当時にも存在する、ごく少数の性質を持った人物だと思います。ああいう人はいつの時代にもごく少数いて「変人」扱いをされている。
『源氏物語』には末摘花という変わった女性が出てきます。どれほど醜いか笑いものにされるわけです。
見た目以上に、言動がユニークな点も注目したいところで、末摘花は極めてマイペースな人物です。空気は全く読まないから、バカにされてもあっけらかんとしています。
一方、紫式部という人物は「空気を読む」ことを重視していたと思えます。
読み書きできる漢字だって、知らないふりをしているあたりがそう。それゆえ、ありのままに才智を見せる清少納言を嫌っていたものです。そういう空気を読める人からすれば、ああいうタイプは「変人」になります。
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無関係な話でもない。このへんのことを念頭に置いて、信長や光秀のことも考えたい。
高政あらため義龍もそこにいた
光秀は、藤英と藤孝の兄弟に、公方様が以前と変わらぬ様子で安心したと告げます。
藤孝は何か言いたいようで、兄の藤英はそれを止めようとしています。
そしてここで、斎藤高政改め斎藤義龍がやって来ます。
髭をたくわえ、貫禄を増した義龍は、光秀を見つめるわけです。
「次会うた時は、そなたの首を刎ねる」
そう言っていた相手を目にして、光秀は緊張感を漂わせています。
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斎藤殿は数日前に上洛。今は義龍と名乗っていると説明がなされます。
将軍が見ている能は「春日龍神」です。
現代人からすれば古典芸能ですが、当時からすれば革新的で新しいものでした。
龍神様とは、水を得れば大きく飛び立つもの。光秀、あるいは信長の境遇と照らし合わせるとおもしろいと思えます。
蛟竜雲雨を得ば池中の物にあらず――小さな蛇ほどの竜でも、雲から降り注ぐ雨を得れば、大きく飛び出してゆく。
夢がある言葉のようでいて、『三国志』の周瑜が劉備を警戒して発した言葉ですので、危険人物をマークする言葉でもあります。このあと、藤孝が配下の者から聞く噂とも合わせて考えたい。
その噂を光秀が尋ねると、「上洛する信長の暗殺計画」だと漏らされます。
斎藤義龍が京に入ろうとする信長に刺客を放ち、既に待ち構えているのだと。
将軍様のお膝元でそのような狼藉をするのは酷い話でもある。動機としては、義龍が信長が雲雨を得る前に摘み取っておくこととも考えられるわけです。それ以外でも、道三や帰蝶がらみでいろいろありましたが。
光秀が将軍に止めていただけないか?と尋ねるいうと、藤孝は苦い顔になります。
「今の上様には抑えるお力はありませぬ……」
「ん?」
藤孝は十兵衛殿にお話ししようと思っていたことを漏らします。以前にも増して力を持っているのは三好長慶で、将軍は無力なのだと。
そして光秀に、どうして信長を救いたいのかと藤孝が聞いてくる。
光秀は振り返ります。
「以前、信長様が道三様と対面した折、こんなことをいっておられました」
家柄も血筋もない。これからは戦も世の中もどんどん変わりましょう。よろず己で我らが作るしかない。我らも変わらねば――。
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「やすやすと死なせたくないお方です」
「では松永久秀様に相談されてみては? 今、京を治めているのは実のところ、松永殿ゆえ」
かくして、光秀は己の人脈で信長を救うために奔走するのです。
「十兵衛! はははっ、生きておったか」
それにしても、先週は信勝で、今週は義龍ですか。
織田彦五郎もおりましたっけ。
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「誰が確実に信長を殺すか選手権! ミッションをクリアするのは誰だ? 最終回で光秀です!」
……みたいなノリも感じるところではあります。光秀の挑戦は失敗どころか、大勢の人が挑んで失敗したことの成功という見方はできると。
で、このドラマは光秀が地味だなんだと言われておりますが、ある意味信長主人公という理解でいいと思いますよ。
光秀は仕事のできる松永久秀の元へ向かいます。
「十兵衛! はははっ、生きておったか」
堅苦しい挨拶はいらない。心配しておったと久秀は上機嫌です。
光秀は「お忙しい中申し訳ございませぬ」と断りつつ、挨拶をします。
久秀は山城守(=斎藤道三)のことを残念であったと言います。ソウルメイト扱いでしたもんね。
本木雅弘さんにせよ、吉田鋼太郎さんにせよ、上品さとワイルドさを兼ね備えていて、すごいものがあると思えます。
顔の作りが似てないけれども、独特の雰囲気が似通っている。二人が同時に出てくる場面はないけれども、シンパシーを感じることは理解できるのです。
『柳生一族の陰謀』でも圧巻だった吉田さんのゲスさと朗らかさ、そして冷酷さと熱情を同時に出せるところがすごい。
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久秀は越前での暮らしぶりを聞いてきます。子どもの読み書きを教えていると光秀は答えます。11年ぶりだと二人は確認。
そう……連歌会での三好長慶暗殺未遂事件以来です。
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「そなたには借りがあるな」
「おそれながら、その借りをお返しいただくわけにはいきませんか?」
「ん?」
光秀の交渉開始。
几帳面ですよね。光秀はしたたかと言いますか、細川藤孝にきっちり書状のお礼を言う一方で、貸し借りのことで久秀の協力も引き出します。
信長も、道三に救われた貸し借りを言っておりましたっけ。
暗殺の標的となる織田信長は、尾張平定報告のために上洛するとのことです。
全土制圧よりも若干早く……
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何か別の目的でもあるのでしょうか。
義龍の信長暗殺計画はどうなる?
光秀との話を終えた松永久秀が斎藤義龍のもとへ。
義龍もこれには「わざわざお越しになるとは」と驚いていると、久秀はお願いがあると切り出します。
公方様が京に戻った。京は静かになると思ってみたら、不届き者が後をたたない。厳しく取り締まらねばならないものの、なにぶん我々だけではできない。いかにも不穏な動きもある。
そこで強者揃いの斉藤家にも、是非とも力を貸していただきたい。
そうお願いするのです。
「不穏な動きとは?」
ここで久秀は、上品な動きで義龍の横に来て、耳打ちをします。こういう所作が綺麗ですね。
「……上洛している織田信長殿を、何者かが狙うているということでございます。何かご存知か?」
「いや」
「公方様がお戻りになったというのに、斯様な狼藉は言語道断。厳しく取り締まらねばなりませぬ」
久秀は義龍に、近く将軍家の要職につけると餌をちらつかせつつ、京の安寧を守るのも、将軍家にお仕えする者の務めだと押して来ます。
「お引き受けくださいますか」
もう一度念押し。
さすがに義龍も断りきれず、これで暗殺計画はお流れになりました。
信長がピンチに陥るようなことをしてもよいようで、繰り返すばかりでは能がない。光秀の人徳、交渉力、そして久秀の知能で計画は一滴の血も流さずに終わりました。
ハートブレイク義龍は未練たらたら
久秀は光秀にこう言います。
「これで貸し借りなしだな」
「ありがとうござりまする」
「ふふ……斎藤殿がお主を呼んでいるぞ。話があるそうだ」
なんということでしょう。義龍は本当に光秀が好きなんだなぁ……。
部屋に来た光秀に対し、義龍はこう言って来ます。
「松永久秀をかつぎあげるとは考えたな。此度のことどうやって知った? まあよい」
そして信長を討ってみせる宣言をします。
これは前も書いたのですが。帰蝶の光秀への恋愛感情は過大評価される一方で、義龍の光秀への執着は過小評価されていると感じます。
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別れても好きな人……義龍はそういう状態に突っ込んできている。
◆義龍のハートブレイク
・道三と自分で、道三を選ばれ……
・信長と自分でも、信長かばってない?
帰蝶より、光秀に執着しているでしょう。
別にボーイズラブとかそういうことでなく。男女間だけに特別な執着心があるというのも、偏見だとは思えるのです。
義龍は、おぬしは道と誤ったとウダウダ……わしに従っておれば、今頃美濃で要職についておった、今は浪人だとネチネチ……悔いておらぬと相手が返すと「強がるな」と言ってくる。
未練がましい奴だなぁ。
さらには、こう訴える。尾張を呑み込み、美濃を大きく豊かにする心積りだが、わし一人ではできぬ、助けがいる。
そしてこうきました。
「どうだ、もう一度考え直し、わしに仕えてみぬか? 手を貸せ」
上から目線で誘っているようで、一生懸命お願いしている未練たらたら男にしか見えん。
「断る」
でも、光秀には通じないんだなぁ。
「どこか仕官の口でもあるのか? ならば……」
「今さらお主に仕える気はない!」
「ははははは! 相変わらず頑固な男よ」
「一体どうした? 次に会うたらわしの首を刎ねると申していたおぬしが……」
光秀、さすがに気持ち悪くなってきたのかな? どうかなぁ。鈍感だしなぁ。
忖度に疲れ果ててしまった義龍だから光秀が欲しい
ここで義龍は全部吐き出してしまいます。
「今まで血を流しすぎた。弟を殺し、父を殺し、わしに従うものは数多おるが、ただわしをおそれ、表向きそうしているにすぎぬ。腹の中では何を企んでおるのか、わかったものではない」
すごいところに突っ込んできたな!
このドラマは、意見を忖度して言わないことを明確に「悪」であり「不健康」であると描いています。
義龍はそういう不健康さに疲れてしまった。
光秀はよく「はぁ?」という。
これが「ありえない!」という意見があった。が、それはどうでしょう。戦国時代はありえないのか、それとも書いた側のビジネスマナーか? 常識か?
本音で意見のやりとりをしないことが当然――上司が鹿を見て馬と言うなら笑顔で従う。
そういうことを常識であり当たり前だと考え、生きてきた。
反論や自分の意見を語ることすら「腹を据えて」やらねばならない人生を送ってきたのだとしたら、光秀の行動がありえないのでしょうけれども、世の中、そうじゃない人間、世界もあるということです。
というより「そのほうがよいのではないか」と、義龍の疲れた顔からも伝わってきます。
光秀はそんな義龍にこう言います。
「悔いておるのか?」
「悔いておると申したら、わしについてくるか?」
「お主にはつかぬ」
光秀はキッパリ言い切りました。
人がよい、人徳がある光秀には、素直になって話してしまう。光秀は受け入れる時はそうできる。
一方で相手が率直な意見が欲しい場合には、そのことをを察してきついことをだって言えるのです。
義龍はもう、隠せることは何もありません。
「十兵衛……お主、一体何がしたいのか」
光秀は澄み切った目で相手を見つめ返します。
「道三様に言われたのだ。大きな国を作れと。誰も手出しできぬ大きな国を。いまはまだ自分でもどうしてよいのかわからぬ。しかし道三様のそのお言葉が、ずっとこの胸の内にあるのだ」
「大きな国……父上が。美濃よりもか」
「そうだ」
「分かった。行け」
沈黙のあと、義龍は寂しそうにこう言います。
「さらばだ。もう会うこともあるまい」
斎藤義龍は二年後、病によりこの世を去る――。そう語られるのでした。
将軍相手にガッカリ感もろ出しの信長
三日後、信長は将軍義輝に謁見します。
「面をあげよ」
こう言われ、信長はハキハキした口調で「織田上総介にございまする」と名乗ります。
尾張の平定がなりますことを公方様にお知らせすべく、参上したと言うわけです。恐悦至極にございます、と丁寧に言い切ります。陽気で明るそうにすら思える、そんな素直な信長です。
田舎者だから京都は珍しいものばかりだともかわいらしくアピールできるのですが。
ここから先、「おそれながら」と前置きし、さらにお願いをしてくる。
尾張がまとまっているのに、隣にいる駿河の今川義元、美濃の斎藤義龍が攻め入ろうとしてくる。
無益な戦をやめるよう、上様から命じて欲しいと言うのです。
「あいわかった。そなたの申す通りだ」
義輝はそう言い、藤英に今川の官職を聞いてきます。治部大輔(じぶのたいふ)だと返されると……。
「左京大夫(さきょうのだいぶ)でどうだ。今川より上だぞ」
こう将軍から提案され、信長はむすっとした顔になっています。
相手が将軍だろうと、モロに「がっかりだな……」という表情が出てしまう。
「それで今川が引き下がりましょうか?」
「引き下がらぬなら、将軍家の相伴衆になるがよい。相伴衆なら今川も手を出すまい。みなそう思わぬか?」
公式サイトには、きっちりとどういうことか書かれています。
幕府のナンバー2・管領職に次ぐほどの高い身分をオファーしたということです。
今年は脚本の難易度が高く、視聴者が調べないと置き去りにするようなものもある。
それでいいのかもしれない。噛み砕きすぎてこちらを信じていないような、そういう甘っちょろいものには飽きていたところです。
要するに義輝は大盤振る舞いをしたわけですが、信長はやはりムスッとしている。光秀はその気持ちを察したのか、不安そうな顔になっています。
セリフもないのに、顔だけで露骨にムスッとしていて空気を悪化させている。そんな信長を演じる染谷将太さん。
それを察知して顔が曇る、綺麗な空気と水でないと萎れる植物のよう。そんな光秀を演じる長谷川博己さん。
絶品の高度な演技が展開されています!
コミニケーションがずれる
義輝はため息をつき、ここで語り出す。
幼き頃より、父と近江と京と行ったり来たりしている。それから五年ぶりに京都に戻ってきたが、全てが変わっていた。
父もいない。帝も替わった。皆いなくなった。それゆえ、今のわしにはそれくらいのことしかできぬ――。
義輝が、あの藤の花のように美しい公方様が、そう言ってきたならば、普通の人なら「おいたわしや……」となりそうなものです。
それなのに、嗚呼、それなのに、信長はむっつりしている。ふてくされている……。
なんなんだよ!
信長怖いよ、勘弁してくれよ!
先週の信勝を怒鳴りつけている時より、ある意味怖いというか。
信長の狂気とはいう。それを受動的なようで、能動的なようで、高度に出してきたと思えます。
でも、信長の狂気とやらは、シンプルでピュアといえばそうです。
接待先と食事をして「ここの料理はまずいっすね。俺は好きじゃないんですよ」と言い切る奴がいたらどうなのか?
そういう単純な話です。もらったお菓子をまずいと言い切る。プレゼントを気に入らないとフリマアプリで叩き売る。
現代人の誰もが一度は、信長タイプと出会ってきたはずです。危険すぎて音信不通にしたのかもしれませんけどね。そういう相手に対して「なんなのこいつ!」と怒っても、問題は解決できない。
「へえ、まずいのか。同じような店でもっとうまいところに心当たりあるかな?」と聞けば、案外解決したりするものです。
時代が戦国と現代で違うからこそ、誰かを手にかけたりはしませんが、コミニケーションがずれるということですね。
信長の地雷はどこにあるかわからない。でも、地雷を踏んだとき、彼ははっきりと態度に出しています。その時点で「なんか悪いことしちゃいました?」と言えればいいんですが……。
信長の狂気というか、めんどくささというか、子どもっぽさというか。さんざん描かれてきて、手詰まり感があるところ。
そこを最新の知見を得て、練り直してきた。
繰り返しますが、本作とは信長を描くことを目指しているのです。麒麟は信長のことであってもよい。
革新的な人物とは、才能とは?
何かがずれて、周囲は疲弊してしまうかもしれない。そういうマイナス面まで描くとなれば、信長を見る目を通した方がより深く描けるはずだ。
信長にせよ、光秀にせよ、本作は高度で難しい解釈を使っていると思えます。
脚本を渡されて、読んで、演じて、どうしたものかと思いつつも、皆が全力を尽くしていると伝わってくる。紛れもない力作です。
この再会が最もそっけない
光秀は信長を追いかけます。
「お久しぶりでございます!」
「藤孝殿から聞いた。越前にいるらしいな。あれからわしもいろいろあってな」
ここの信長なんですが。
久々に光秀と再会した、三淵藤英と細川藤孝の兄弟、松永久秀、足利義輝、そして斎藤義龍らと比べてみますと……。
一番そっけない。
藤孝のように無事を喜ぶわけでもない。久秀のように斎藤道三のことを思い出すわけでもない。ましてや義龍のような情熱はない。
不思議だとは思いませんか?
運命の二人ならば、ビビビッと何かあってもよさそうなところ。いろいろ言われてきた帰蝶との関係を踏まえて、そこを意識させるとかできるはずです。
それが信長はそっけない……。
これも彼の性格なのでしょう。弟・信勝の死のせい? いや、それも違うと思います。
光秀は信長に「お疲れのご様子……」と声をかけます。
「わしが相伴衆になれば今川が手を引くと思うか?」
ここで信長、思い切り光秀に近寄ります。
信長は何か気になるとやたらと接近する。距離感がどうにもが取れない。
「いえ……」
光秀がそう言うと、信長は一方的に尾張情勢を語り出します。
今川が尾張に入り込んで出城を築こうとしている。手も足も出ない。それで上洛したのに、将軍も苦しんでおられるようだ。そうやって自己都合をガーッと言う。
本当にこの信長、勘弁してほしい。やはり同僚にいたらめちゃくちゃ疲れるタイプです。
「今の世はどこかおかしい……尾張が心配じゃ。わしは帰る。いずれまた」
小走りでシャカシャカと、余韻も何もなく走って行く。
運命の二人であって、光秀の態度や頷き方から、光秀はそれを感じていることがわかります。
信長は、ピュアでシンプル、自分の都合が大事です。頭がそのことで一杯だから、光秀のことも、義輝の苦悩も、はっきりいいってどうでもいい。自分の失望や不満がモロに顔や態度に出てくる。
尾張を差し出すかわりに摂津をくれ
このあと、光秀は久秀に会いに行きます。
聞けば、久秀のもとに信長がふらりと昼間やって来たそうです。尾張に帰るので挨拶がしたいのだと。お土産も持参しました。
信長は、ムスッとした顔をしちゃうし、露骨に不機嫌さを出してしまう。
「空気読め!」
「マナーを守れ!」
「常識ってもんがあるだろうよ!」
そう言われても、本人としては不満が募ることでしょう。
将軍の前で笑顔を見せ、恐悦至極だのなんだのテンプレを覚えて挨拶もした。
久秀にだって、お土産持参で挨拶ができる。
ちゃんと俺は世の中のルールってもんを意識して、できる範囲で守ってんだよ! なのに、おかしいとか言う世の中がおかしいんだもん! そう言いたくはなることでしょう。
「それにしてもあれは妙な男じゃのう」
「と申しますと?」
久秀はここで、信長の突拍子もないことを言い出します。
国を取り替えてくれ。尾張を差し出すかわりに摂津をくれと申したそうです。戦はもううんざりだ。尾張は周りを敵に囲まれて、戦が絶えない。堺で交易をしたい!
光秀も戦はいやだとしみじみと語りました。
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それは実は信長も同じです。いくさの子ではないのだな。思い切り好きな交易をしたいと言い出したわけです。
だから摂津と尾張をトレードしろと。松永久秀ならできると言いだしたとか。
「うつけだというが、ただのうつけではない……」
久秀は笑い飛ばします。
摂津は三好様の領国なのに、そんなホイホイ交換できるわけがないと。何を考えているのか。本気なのか、戯言なのかわからん。そう笑い飛ばすのですが。
笑い飛ばせないものも、あるにはある。
敗北したあと、このままでは負けるとわかっていても、牧は夫のいた土地にとどまると言った。
明智光安は、明智城を枕に討ち死にしてしまった。
土地と人間とは、そう簡単に切り離せるものではないのです。
それを信長はホイホイできる。
自分がそうだから、他人もそうだろうと相手の気持ちも確認せずにぶちかます。
そういう悪しき傾向を、彼は見せてきてはいる。松平竹千代の父・広忠の首を取り、箱詰めにする。
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土田御前の愛着がある小鳥や茶器を、幼児期からぶち壊しまくってきた。
信長という人物の本質は、物心がついた頃から変わらない。他の人にとって愛着のあるものでも、利害だのなんだのをふまえて、簡単に踏んづけてぶち壊す傾向があるということです。
「松永様はどう思います?」
光秀に問われ、久秀はこう言います。
「うつけだというが、ただのうつけではない……」
光秀は、亡き道三様が信長から目を離すなと言っていたと告げます。久秀はますます興味を持つのです。
信長は将軍への失望も語っていました。もはや当てにできないと。
ここで久秀は、義輝の若さや、京都に戻ったのが五年ぶりであることを語ります。
そのうち将軍らしさも身につくだろう。そう語る相手に、光秀は「そうだとよいのですが」と懐疑的です。
光秀としても、将軍が戻り京が落ち着いたと思っていたものの、大名同士の争いも仲立ちできない、実質的な京都の支配者は三好様だと語ります。
武士を束ね、世を平かにできるのは誰なのか? 光秀にはわからなくなってきたのです。
「それはわしにもわからん。また戦になるかもしれぬ、ならぬかもしれぬ。ふふふ……」
そう笑う久秀を前に、光秀は杯をのぞきこむのでした。
信長はそそくさと帰るし、自分のことしか考えていないようには思えました。
けれども、物語は動いてゆきます。
将軍ではなく、これからは世を変える人物が必要で、それは信長のような人であると、光秀は感じ始めたようではあります。
MVP:土田御前&斎藤義龍
土田御前の悲しみ、怒り、絶望感。
いろいろな層がある感情だとは思うのです。
信勝を殺したことへの憎しみ。怒り。我が子でありながら理解できない。触れているだけで血が流れそうな、そんな信長への恐怖。
そういう化け物を生んだのが自分だと思うと、胸が破裂しそうになってしまう。
人間って、血の繋がりがあるから理解しあえるというほど、実は単純でもない。そういうことを演じきっていて、すごいと思えました。
そして斎藤義龍ですが。
彼もコミニケーションエラーに苦しんでいます。
父・道三の割を食ったようで。彼の物語は劇的で、きっちり完結していると思えました。
悲劇的な男です。
光秀を追い求め、必要としているのに、そのことに気づけたのは、彼を失ってからだった。
美濃の国を得た結果、自分の本音を語りあえる唯一無二の存在を失ってしまった。
義龍は「自我なき人間」の悲劇そのもののようにも思えます。
土岐頼芸や稲葉良通の、利害関係ありきの応援や期待が流れ込み、流されるままに悪事をやらかしてしまう。
道三から得られぬ優しさを求め、それにすがりついてしまった。
人とは優しくされたがっているものです。
優しい口調でくるんだ自分と同じ意見を求めてしまう。その優しさとは、自分にとって都合が良いということでもある。都合が悪いことは、それがたとえ真実だろうと【悪】となってしまう。
そう流されてしまって、光秀も【悪】だと遠ざけ、首を刎ねるとすら言い切った。
けれども自分の気持ちと向き合ってみれば、光秀は【悪】どころか、求めてやまないものだとわかったのです。
彼の父・道三は、孤高大好きではあっても、話し相手や意見は欲しい。うわべの優しさよりも、正直さを求めていた。
孤独で、自分の力が試される状況が大好きで、それを愛してはいる。けれども、自分の価値観や考えを受け入れて、正直に話し合える人がいるとうれしかった。
そういう父の境地に至ることもなくさまよい、本当に必要な光秀のことをやっと悟り、再会もできた。それなのに相手は頑固で素直で、結局自分を受け入れてくれない。
圧倒的な孤独が完成しきっていて、悲しくてたまらないものがありました。
あそこで光秀が「うんわかった、仕官するよ!」と頑固さや素直さを捨てて言い切ったところで、なんか違うとなりそうなのが、業が深いところなのです。
義龍と光秀は、古典的な悪役とヒロインを思い出させました。
悪役は、姫の機嫌を取ろうとドレスやアクセサリーを持ってくる。ヒロインは「こんなものいらないわ!」と突っぱねる。
姫が素直にそういうドレスを着たところで、悪役は「こういう姫は求めてないな」となると思うんですよ。
その手のひねくれた状況に、義龍は突っ込んでいて凄まじかった。
総評
こんな苦しい時代です。
本作は、「マスコットがくる」でパロディにされるほど絶好調です。
本作は越年しつつも、44回をやりきると言われました。
こういうこと言うとまたムカつかれそうですけど、予想通りではあります。
この状況下で行き詰まっているのか、そうでないかは役者の顔を見ればわかるでしょう。
脚本なり現場の乱れを役者が庇おうとしているドラマは、気合いが入って常時叫んでいたり、顔色が悪化しているから伝わってくるものです。
NHKの二枚看板の比較を見ればよくわかります。
例えば……染谷将太さんは色白でもないし、メイクで肌の色をトーンアップしているわけでもない。
それでも顔色が悪く見えるかというと、そうでもない。健康的に日焼けして精気に満ちていることが『なつぞら』でも本作でも伝わってきます。
それに比して、精神が疲れ果てて顔色が悪い役者はわかるもの。こういうことでしょう。
本作は絶好調で、止まる理由もない。
休止前に、風間俊介さんの賢さに満ち満ちた家康も出てくるようで、うれしい限りです。
本作は2010年代半ばからNHKが挑んでいる新知見を取り入れようシリーズでしょう。
大河『真田丸』『おんな城主 直虎』
朝ドラ『半分、青い。』『なつぞら』『スカーレット』
あたりでも取り組んできて、その集大成になるのですから、放送を途中でやめる選択肢はないと踏んでいます。
それはただ単にお前の好きなドラマだろ! そう突っ込まれることは予測できるのですが、ここであげた作品には共通点があるのです。詳細は省かせていただきますが、今日の放送回でも、染谷さんが演じた『なつぞら』の神地と、本作の信長は共通点のある行動を取っていました。
ともかく……今週は土田御前が冒頭で語った、誰かにとって大事なものを破壊する残酷さが流れていました。
このことに、ピンとくるものはあった。
人間は優しさを求めている。その優しさとは、同意であったりするものだという気づきは、レビューを書いていて噛み締めました。
好きな作品を貶されるとムカつく現象も、土田御前が語るように、好きなものを破壊されるということなのでしょう。
私個人は『47RONIN』のようなアホ映画が好きなので、そういうところにピンと来ていない部分はありました。
そして最近、納得できたこともある。
批判と誹謗の区別がつかない現象があるという悟りを得たのです。
確かに過去作品を貶してきた。それで散々こういうことを言われてきた。好例として、2018年下半期朝ドラです。
「私たちのハセヒロさんを貶さないで! 嫌いなんですか?」
私が嫌いなのは【長谷川博己さんが演じた立花萬平というゲス】であって、俳優本人ではありません。
「なんであいつはあの朝ドラを貶したのに、今年大河は褒めるんだ? ハセヒロ嫌いだろ?」
答えは簡単。作品そのものを見ているから。役者の好みとは切り離す。
私は長谷川博己さんが好きでしょうか、嫌いでしょうか? どちらでしょう?
答えはどちらでも結構です。
なぜ、そういう区別がつかないのか?
「織田信長は好きではない」という意見は、こういう意味ではありません。
「織田信長の像を駅前に飾る岐阜県民も嫌い」
当たり前ですよね?
しかし、どうにも、そこの区別がつかない方がいる。
私の好きなある朝ドラは、作品批判と脚本家や俳優への誹謗中傷の区別がついていないコメントが多くて驚きました。
「あんな調子こいた脚本家のドラマなんてどうせダメに決まっている! ハイセンスな私が見るまでもない! この脚本家に似た女から被害を受けた私が被害者です!」
ずーっと朝から晩まで、SNSでこういうことをつぶやいていた。
「あの女優、調子こいてるよね! あんな顔したヒロインなんてどうせ苦労知らずのバカ女に決まってる!」
そういうことを言われていたヒロインが、戦災孤児設定だった時にはびっくりしましたね。
演じる女優が嫌いすぎて、戦災孤児すら巻き添えにして侮辱にするようなことを、これまた一日中SNSに書き込んでいる。薄寒いハッシュタグを使うことはお約束です。
ドラマ評価って意外と難しいと思えてきた。
本作は、こういう先入観がつきまといました。
「2019年大河という革新的な作品を見て、目が肥えた私にはちょっとね……」
「どうせジジババ好きのつまらない大河でしょ」
徹底分析と言いつつ、退屈な今年と比べ昨年大河がどれだけ挑戦的でハイセンスであったか語る記事も出てくる。
それが今になってみると、こうなってきた。
「斬新で大河を見なかった層にも受けている」
「革新的だ」
もう、何がなんだかわからん。
ドラマというよりも、人間心理がわからん。
そう思いつつ、わかるものはある。
本作の信長や道三の気持ち。戦を止める実効性のない将軍にせよ、相伴衆という身分にせよ、そんなもんただのお守り札ですよね? そういうものに頼らないで生きていくという気持ちには、励まされることは多いのです。
ただ……やりすぎると長良川であり、本能寺なんですよね……。
これまで戦国武将のことを語る人とは、会話が続かないし、むしろしたくなかった。
戦国武将から生き方なんて学べるもんかよ。自分の知識とうんちく語りしたいだけなんじゃないの? なら別の奴と楽しくおしゃべりしてろ、こっちは歴史は大の苦手だ。
そのくらいの気持ちはあったもんですが、やっと戦国武将の気持ちを理解して、そういう生き方をしたいと思えた。
本作って不思議でおもしろいと思えます。
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【参考】
麒麟がくる/公式サイト



























