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【麒麟がくる19回】
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尾張を差し出すかわりに摂津をくれ
このあと、光秀は久秀に会いに行きます。
聞けば、久秀のもとに信長がふらりと昼間やって来たそうです。尾張に帰るので挨拶がしたいのだと。お土産も持参しました。
信長は、ムスッとした顔をしちゃうし、露骨に不機嫌さを出してしまう。
「空気読め!」
「マナーを守れ!」
「常識ってもんがあるだろうよ!」
そう言われても、本人としては不満が募ることでしょう。
将軍の前で笑顔を見せ、恐悦至極だのなんだのテンプレを覚えて挨拶もした。
久秀にだって、お土産持参で挨拶ができる。
ちゃんと俺は世の中のルールってもんを意識して、できる範囲で守ってんだよ! なのに、おかしいとか言う世の中がおかしいんだもん! そう言いたくはなることでしょう。
「それにしてもあれは妙な男じゃのう」
「と申しますと?」
久秀はここで、信長の突拍子もないことを言い出します。
国を取り替えてくれ。尾張を差し出すかわりに摂津をくれと申したそうです。戦はもううんざりだ。尾張は周りを敵に囲まれて、戦が絶えない。堺で交易をしたい!
光秀も戦はいやだとしみじみと語りました。
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それは実は信長も同じです。いくさの子ではないのだな。思い切り好きな交易をしたいと言い出したわけです。
だから摂津と尾張をトレードしろと。松永久秀ならできると言いだしたとか。
「うつけだというが、ただのうつけではない……」
久秀は笑い飛ばします。
摂津は三好様の領国なのに、そんなホイホイ交換できるわけがないと。何を考えているのか。本気なのか、戯言なのかわからん。そう笑い飛ばすのですが。
笑い飛ばせないものも、あるにはある。
敗北したあと、このままでは負けるとわかっていても、牧は夫のいた土地にとどまると言った。
土地と人間とは、そう簡単に切り離せるものではないのです。
それを信長はホイホイできる。
自分がそうだから、他人もそうだろうと相手の気持ちも確認せずにぶちかます。
そういう悪しき傾向を、彼は見せてきてはいる。松平竹千代の父・広忠の首を取り、箱詰めにする。
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土田御前の愛着がある小鳥や茶器を、幼児期からぶち壊しまくってきた。
信長という人物の本質は、物心がついた頃から変わらない。他の人にとって愛着のあるものでも、利害だのなんだのをふまえて、簡単に踏んづけてぶち壊す傾向があるということです。
「松永様はどう思います?」
光秀に問われ、久秀はこう言います。
「うつけだというが、ただのうつけではない……」
光秀は、亡き道三様が信長から目を離すなと言っていたと告げます。久秀はますます興味を持つのです。
信長は将軍への失望も語っていました。もはや当てにできないと。
ここで久秀は、義輝の若さや、京都に戻ったのが五年ぶりであることを語ります。
そのうち将軍らしさも身につくだろう。そう語る相手に、光秀は「そうだとよいのですが」と懐疑的です。
光秀としても、将軍が戻り京が落ち着いたと思っていたものの、大名同士の争いも仲立ちできない、実質的な京都の支配者は三好様だと語ります。
武士を束ね、世を平かにできるのは誰なのか? 光秀にはわからなくなってきたのです。
「それはわしにもわからん。また戦になるかもしれぬ、ならぬかもしれぬ。ふふふ……」
そう笑う久秀を前に、光秀は杯をのぞきこむのでした。
信長はそそくさと帰るし、自分のことしか考えていないようには思えました。
けれども、物語は動いてゆきます。
将軍ではなく、これからは世を変える人物が必要で、それは信長のような人であると、光秀は感じ始めたようではあります。
MVP:土田御前&斎藤義龍
土田御前の悲しみ、怒り、絶望感。
いろいろな層がある感情だとは思うのです。
信勝を殺したことへの憎しみ。怒り。我が子でありながら理解できない。触れているだけで血が流れそうな、そんな信長への恐怖。
そういう化け物を生んだのが自分だと思うと、胸が破裂しそうになってしまう。
人間って、血の繋がりがあるから理解しあえるというほど、実は単純でもない。そういうことを演じきっていて、すごいと思えました。
そして斎藤義龍ですが。
彼もコミニケーションエラーに苦しんでいます。
父・道三の割を食ったようで。彼の物語は劇的で、きっちり完結していると思えました。
悲劇的な男です。
光秀を追い求め、必要としているのに、そのことに気づけたのは、彼を失ってからだった。
美濃の国を得た結果、自分の本音を語りあえる唯一無二の存在を失ってしまった。
義龍は「自我なき人間」の悲劇そのもののようにも思えます。
土岐頼芸や稲葉良通の、利害関係ありきの応援や期待が流れ込み、流されるままに悪事をやらかしてしまう。
道三から得られぬ優しさを求め、それにすがりついてしまった。
人とは優しくされたがっているものです。
優しい口調でくるんだ自分と同じ意見を求めてしまう。その優しさとは、自分にとって都合が良いということでもある。都合が悪いことは、それがたとえ真実だろうと【悪】となってしまう。
そう流されてしまって、光秀も【悪】だと遠ざけ、首を刎ねるとすら言い切った。
けれども自分の気持ちと向き合ってみれば、光秀は【悪】どころか、求めてやまないものだとわかったのです。
彼の父・道三は、孤高大好きではあっても、話し相手や意見は欲しい。うわべの優しさよりも、正直さを求めていた。
孤独で、自分の力が試される状況が大好きで、それを愛してはいる。けれども、自分の価値観や考えを受け入れて、正直に話し合える人がいるとうれしかった。
そういう父の境地に至ることもなくさまよい、本当に必要な光秀のことをやっと悟り、再会もできた。それなのに相手は頑固で素直で、結局自分を受け入れてくれない。
圧倒的な孤独が完成しきっていて、悲しくてたまらないものがありました。
あそこで光秀が「うんわかった、仕官するよ!」と頑固さや素直さを捨てて言い切ったところで、なんか違うとなりそうなのが、業が深いところなのです。
義龍と光秀は、古典的な悪役とヒロインを思い出させました。
悪役は、姫の機嫌を取ろうとドレスやアクセサリーを持ってくる。ヒロインは「こんなものいらないわ!」と突っぱねる。
姫が素直にそういうドレスを着たところで、悪役は「こういう姫は求めてないな」となると思うんですよ。
その手のひねくれた状況に、義龍は突っ込んでいて凄まじかった。
総評
こんな苦しい時代です。
本作は、「マスコットがくる」でパロディにされるほど絶好調です。
本作は越年しつつも、44回をやりきると言われました。
こういうこと言うとまたムカつかれそうですけど、予想通りではあります。
この状況下で行き詰まっているのか、そうでないかは役者の顔を見ればわかるでしょう。
脚本なり現場の乱れを役者が庇おうとしているドラマは、気合いが入って常時叫んでいたり、顔色が悪化しているから伝わってくるものです。
NHKの二枚看板の比較を見ればよくわかります。
例えば……染谷将太さんは色白でもないし、メイクで肌の色をトーンアップしているわけでもない。
それでも顔色が悪く見えるかというと、そうでもない。健康的に日焼けして精気に満ちていることが『なつぞら』でも本作でも伝わってきます。
それに比して、精神が疲れ果てて顔色が悪い役者はわかるもの。こういうことでしょう。
本作は絶好調で、止まる理由もない。
休止前に、風間俊介さんの賢さに満ち満ちた家康も出てくるようで、うれしい限りです。
本作は2010年代半ばからNHKが挑んでいる新知見を取り入れようシリーズでしょう。
大河『真田丸』『おんな城主 直虎』
朝ドラ『半分、青い。』『なつぞら』『スカーレット』
あたりでも取り組んできて、その集大成になるのですから、放送を途中でやめる選択肢はないと踏んでいます。
それはただ単にお前の好きなドラマだろ! そう突っ込まれることは予測できるのですが、ここであげた作品には共通点があるのです。詳細は省かせていただきますが、今日の放送回でも、染谷さんが演じた『なつぞら』の神地と、本作の信長は共通点のある行動を取っていました。
ともかく……今週は土田御前が冒頭で語った、誰かにとって大事なものを破壊する残酷さが流れていました。
このことに、ピンとくるものはあった。
人間は優しさを求めている。その優しさとは、同意であったりするものだという気づきは、レビューを書いていて噛み締めました。
好きな作品を貶されるとムカつく現象も、土田御前が語るように、好きなものを破壊されるということなのでしょう。
私個人は『47RONIN』のようなアホ映画が好きなので、そういうところにピンと来ていない部分はありました。
そして最近、納得できたこともある。
批判と誹謗の区別がつかない現象があるという悟りを得たのです。
確かに過去作品を貶してきた。それで散々こういうことを言われてきた。好例として、2018年下半期朝ドラです。
「私たちのハセヒロさんを貶さないで! 嫌いなんですか?」
私が嫌いなのは【長谷川博己さんが演じた立花萬平というゲス】であって、俳優本人ではありません。
「なんであいつはあの朝ドラを貶したのに、今年大河は褒めるんだ? ハセヒロ嫌いだろ?」
答えは簡単。作品そのものを見ているから。役者の好みとは切り離す。
私は長谷川博己さんが好きでしょうか、嫌いでしょうか? どちらでしょう?
答えはどちらでも結構です。
なぜ、そういう区別がつかないのか?
「織田信長は好きではない」という意見は、こういう意味ではありません。
「織田信長の像を駅前に飾る岐阜県民も嫌い」
当たり前ですよね?
しかし、どうにも、そこの区別がつかない方がいる。
私の好きなある朝ドラは、作品批判と脚本家や俳優への誹謗中傷の区別がついていないコメントが多くて驚きました。
「あんな調子こいた脚本家のドラマなんてどうせダメに決まっている! ハイセンスな私が見るまでもない! この脚本家に似た女から被害を受けた私が被害者です!」
ずーっと朝から晩まで、SNSでこういうことをつぶやいていた。
「あの女優、調子こいてるよね! あんな顔したヒロインなんてどうせ苦労知らずのバカ女に決まってる!」
そういうことを言われていたヒロインが、戦災孤児設定だった時にはびっくりしましたね。
演じる女優が嫌いすぎて、戦災孤児すら巻き添えにして侮辱にするようなことを、これまた一日中SNSに書き込んでいる。薄寒いハッシュタグを使うことはお約束です。
ドラマ評価って意外と難しいと思えてきた。
本作は、こういう先入観がつきまといました。
「2019年大河という革新的な作品を見て、目が肥えた私にはちょっとね……」
「どうせジジババ好きのつまらない大河でしょ」
徹底分析と言いつつ、退屈な今年と比べ昨年大河がどれだけ挑戦的でハイセンスであったか語る記事も出てくる。
それが今になってみると、こうなってきた。
「斬新で大河を見なかった層にも受けている」
「革新的だ」
もう、何がなんだかわからん。
ドラマというよりも、人間心理がわからん。
そう思いつつ、わかるものはある。
本作の信長や道三の気持ち。戦を止める実効性のない将軍にせよ、相伴衆という身分にせよ、そんなもんただのお守り札ですよね? そういうものに頼らないで生きていくという気持ちには、励まされることは多いのです。
ただ……やりすぎると長良川であり、本能寺なんですよね……。
これまで戦国武将のことを語る人とは、会話が続かないし、むしろしたくなかった。
戦国武将から生き方なんて学べるもんかよ。自分の知識とうんちく語りしたいだけなんじゃないの? なら別の奴と楽しくおしゃべりしてろ、こっちは歴史は大の苦手だ。
そのくらいの気持ちはあったもんですが、やっと戦国武将の気持ちを理解して、そういう生き方をしたいと思えた。
本作って不思議でおもしろいと思えます。
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文:武者震之助
絵:小久ヒロ
【参考】
麒麟がくる/公式サイト