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【島津忠恒】
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嫁いびりは天下一品
むろん戦国時代のことですから、暗殺や謀殺に走った武将や大名なら他にもたくさんおります。
それでも忠恒の悪さが際立つのは、自分の正妻『亀寿』に対する意地悪エピソードが残されているからでしょう。
忠恒の妻・亀寿は、先代の当主・島津義久の娘で、元々は朝鮮出兵で亡くなった兄・久保の奥さんでした。要はイトコですね。
分家の男児と本家の娘を結婚させて、御家の跡継ぎとするのは、大河ドラマでの井伊直虎と井伊直親の関係に似ております(直虎と直親は婚約だけに終わりましたが)。
井伊直虎が今川や武田などの強国に翻弄され“おんな城主”として生きた生涯46年
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井伊直親(徳川四天王・直政の父)が今川家に狙われ 歩んだ流浪の道
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忠恒と亀寿は、兄が亡くなった後に再婚したのですが、もともと彼女は「人柄は良いが見た目はチョット……」とされる姫でございました。
しかも忠恒から見て5歳も年上。
2人はイトコの関係ながら、こんだけ仲が悪けりゃ、そりゃあ実子には恵まれません。
そこで忠恒はあてつけのように
・将軍家から養子を貰おうとした
のです。
家老の平田増宗を暗殺したのはこれに反対したからのようです。
さすがに義父の目の黒いうちは遠慮もあったようですが、
・義久が死ぬとソッコーで亀寿と別居
・そして側室を8人囲って子作りしまくり33人
とまぁ、あてつけどころか、まるで狂ったかのように子作りに励んでしまっているのです。
「真田日本一の兵」の主
更には亀寿が死んだ後もひどいものでして。
・「奥さん死んじゃったけどそこまで悲しくないなぁ」という意味の歌をわざわざ亀寿の女中に送り付ける
・墓を建てなかった
さすがに奥さんの墓が無いというのは人格を疑われても仕方ないですよね。
まぁ、これは後で忠恒の息子がちゃんと建てたようですが、それでも
・島津の歴代藩主で唯一、正室の墓が隣でない
と最後まで不仲でありました。
なお、大坂の陣における真田幸村を
「真田日本一の兵(つわもの)」
と評したのはこの忠恒です。
真田信繁(幸村)は本当にドラマのような生涯を駆け抜けたのか?最新研究からの考察
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しかし本人は冬の陣に不参加で、夏の陣では現場に間に合っておりません。
このことがあまり語られないのは、ヘタすりゃ真田の名前を傷つけてしまうからでしょうかね。なんだかなぁ。
「島津に暗君なし(島津家にバカな当主はいない」と言われます。
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確かに能力は低くないようですが、それでも、ウーンと唸ってしまうのが忠恒さん。
日本史ワル査定としてこんな感じでしょうか。
↓
悪人度 ★★★★☆
影響力(権力)★★★☆☆
嫁いびり度 ★★★★★
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文/馬渕まり(忍者とメガネをこよなく愛する歴女医)
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参考】
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島津忠恒/wikipedia
武功雑記