寛永元年(1624年)4月29日、徳川家臣団の一人にして、初代・京都所司代の板倉勝重が亡くなりました。
大切な役目の初代ですから当然教科書に載っているかと思ったのですが、少なくともワタクシの手元にある古い日本史Bには掲載されておらず……。
まぁ、紙面に限りがあるから仕方ないですね。
「いやいや、地味な仕事だったから載らなかったんだろw」
そう思われた方もいらっしゃるかもしれません。

板倉勝重/wikipediaより引用
これが、実は結構イイ仕事をしていた人なんですよ。
37歳まで僧侶として暮らしていた板倉勝重
実は板倉勝重は、当初、武士ではありませんでした。
生まれは松平家に仕える武家でしたが、次男だったため幼い頃にお寺へ入っており、37歳まで僧侶として暮らしていたのです。
しかし、父や兄、さらに弟といった実家の男性が軒並み戦死してしまったため、天正9年(1581年)、徳川家康の命で実家に戻り家を継ぐことになりました。

徳川家康/wikipediaより引用
僧侶から武士へ。
足利義昭や今川義元などもそうだったように当時はよくあったにせよ、この歳から適応するのは大変だったでしょう。
やはり乱暴なことには向かなかったのか、それも家康の意向だったのか。
戦場には出ず内政で力を発揮していきます。
実家に戻ってきたのが【本能寺の変】の前年(天正九年=1581年)でしたから、家康があまり大きな戦をしていなかった時期だったというのも関係しているかもしれません。
地道な努力がやがて実を結び、勝重は少しずつ領地を与えられて出世。
関ヶ原の戦い翌年(慶長六年=1602年)、加増と同時に京都町奉行(京都所司代の前身)に任命されました。
この時期に徳川家光の乳母を公募し、春日局を抜擢したともいわれていますね。
名裁きぶりが『板倉政要』にまとめられ
正式に江戸幕府ができたときには官位を授かり、数年後には1万石以上の領地をもらって見事大名になりました。
奉行としてはなかなか公正な人物で、名裁きぶりが『板倉政要』という本にまとめられています。
ただし、明の書物から翻訳されて勝重や重宗の功績にされた部分もあるようです。
また、さらに『板倉政要』の中から大岡忠相(大岡越前)の功績にされた逸話もあります。
これは功績をパクった・パクられたというよりは、後世もしくは同時代の人々が「この人はこんなにいいお奉行様だったんですよ!」と考えていた証左でしょうね。

大岡越前守忠相/wikipediaより引用
そんな中、勝重が行ったことがほぼ確実視されている政策の一つが『猫放し飼い令』です。
当時の京都ではネズミによる米の食害その他諸々がひどく、皆悩んでいました。
市内がそんな感じだったということは、おそらく宮中や公家の屋敷でも似たようなものだったでしょう。とはいえネズミのすばしっこさに人間が太刀打ちできるわけもなし。
そこで「猫を放してネズミを捕らせればいい!」と言ったのが勝重だったのです。
「猫を放し飼いにしない者は罰する」という珍妙な文章だったそうですが、効果はバツグン。
慶長七年(1602年)にこのお触れを出していますので、就任直後のお手柄といったところでしょうか。
猿楽の興行中、粗相をした客にブチ切れ抜刀!?
勝重はなんだかんだ言って戦国の武士でもありますから、温厚なだけの人ではなかったようです。
大坂の役については推進派だったり、禁中並公家諸法度が出たときには指導・監視を強化。
「やるときはやる」タイプだったんでしょう。
出典がはっきりしない逸話の中には「京都の御所で猿楽(能)の興行があり、招待客の一人が粗相をして刃傷沙汰を起こした際、いきなりキレて刀を抜いた」なんてのもあります。
部下が間に入って何とか穏便に収まったそうですが、武士ってやはり怖いですよね。
75歳で息子・重宗に職を譲った
そんな感じで血気盛んな面もあった板倉勝重でしたが、さすがに寄る年波には勝てず、75歳で息子・重宗に京都所司代を譲り隠居しました。
亡くなったのが4年後。
当時の寿命や「ギリギリまで現役だった」とみると、かなりタフな人だったのかもしれません。
若い頃はお寺暮らしで質素な生活だったでしょうから、頑健にできていたのでしょうか。
『板倉政要』には息子・板倉重宗についての話も多く記録されています。以前取り上げた後光明天皇に諫言してやり込められた人ですね。
親子共に地味ではありますけれど……知恵の使い方というか心の広さというか、そういうものは現代人も大いに手本としたいところですね。
なお、板倉勝重の息子・板倉重昌は【島原の乱】で諸侯の支持を得られず、

板倉重昌/wikipediaより引用
自爆のような突撃で亡くなってしまいました。
しかし、板倉家が滅びるようなことはなく、明治時代まで家は続いております。
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【参考】
国史大辞典
阿部猛/西村圭子『戦国人名事典(新人物往来社)』(→amazon)
峰岸純夫/片桐昭彦『戦国武将合戦事典(吉川弘文館)』(→amazon)
板倉勝重/Wikipedia




