寛永13年(1636年)3月19日は徳川家臣・酒井忠世が亡くなった日です。
酒井家はいろいろな系統があって少々ややこしいですが、忠世の家は「雅楽頭家(うたのかみけ)」と呼ばれ、徳川四天王に数えられる酒井忠次とは違う血筋でした。
忠次のほうは「左衛門尉家(さえもんのじょうけ)」と呼ばれています。

酒井忠世/Wikipediaより引用
どちらも古い時代から松平家に仕えていた、まさに譜代の家臣でした。
10代後半から家康や秀忠の側近
酒井忠世も幼い頃から徳川家康に仕え、10代後半辺りから家康や徳川秀忠の側近を務めました。

徳川秀忠(左)と徳川家康/wikipediaより引用
家康が関東に移ると、父とは別に加増を受けて川越城主となっています。
この頃は10代後半で、秀忠付きの重臣として扱われるようにもなりました。
秀忠は忠世の7歳下なので、歳の近い側近として選ばれたのでしょう。
朝鮮出兵では名護屋城に滞在し、関ヶ原の戦いでも会津征伐や第二次上田合戦などに従軍しています。
譜代の武将として各方面に出ずっぱりですので、上田合戦では逸る秀忠をなだめる場面などもあったのではないでしょうか。
音楽の才? 家康の命で雅楽頭を名乗るように
それだけに秀忠からの信頼も上々でした。
特に、当人が二代目の征夷大将軍になると、忠世はそれまでの忠勤を評価されてか、筆頭年寄として一段と高い立場になります。
この場合の「年寄」は老中とほぼ同じ意味で、現代でいえば大臣のようなものです。
その後、大御所となった家康の命で雅楽頭(うたのかみ)を名乗るよう命じられました。
「雅楽頭」は朝廷の雅楽寮(うたりょう)という役所のトップのことです。
文字通り音楽を担当する役所なのですが、忠世が楽の才を持っていたとか、楽器が得意だったという話はありません。
むしろ無口で有名な人でした。
おそらく忠世の先祖が雅楽助(雅楽寮のナンバー2)を名乗っていたからの名乗りだったのでしょう。
同じ酒井氏でも、忠次のほうは「海老すくい」という踊りが得意で、

酒井忠次/wikipediaより引用
大河ドラマ『どうする家康』でも何度も描かれましたので、こっちのほうが何となく雅楽頭の通称が合う気がするかもしれません。
まぁ、このころ忠次は既に他界していますし、上記の通り忠次の系統は左衛門尉(さえもんのじょう)家と呼ばれていたのですが。
朝廷・幕府がギクシャク 最悪のタイミングで火事騒動が
こうして幕府の中でも指折りの重鎮になった忠世。
大坂夏の陣が終わり、父・重忠の領地を受け継ぎ、さらに家光付きになり……と、次代までの活躍を期待されました。

徳川家光/wikipediaより引用
しかし、晩年に差し掛かる頃、思わぬ失敗をしてしまいます。
忠世は寛永九年(1632年)5月から「西の丸留守居」という役職に任じられていました。
文字通り、江戸城の西の丸を管理する役目で、将軍の後継者や、前将軍の正室・側室などが住む場所であり、現在では皇居のある位置にあたります。
それだけにプレッシャーも大きく、任じられて二ヶ月後に中風で倒れたこともありました。
そのときは家光から養生するよう命じられ、無事復帰したのですが……。
寛永十一年(1634年)に、家光が紫衣事件(エライお坊さんの扱いがきっかけで幕府と朝廷が対立した事件)などによって悪化していた朝幕関係改善のため、上洛して留守にしている間に、西の丸で火事が起きてしまったのです。

江戸城西の丸御殿/wikipediaより引用
忠世の忠勤に対する家光のご褒美かもしれない
酒井忠世はこの責任を問われ、家光の命により寛永寺で謹慎となりました。
当然、政治の場からも失脚します。
幸い、徳川御三家などからの赦免要請があったため、年内には許されました。
寛永十二年(1635年)2月には家光に拝謁、5月に西の丸に復職されますが、老中職には戻れず仕舞い。
このころ忠世は既に62歳なので、
「復職はさせてやってもいいが、老中の職務はキツいだろう」
という理由があったのかもしれませんね。
家光はああ見えて老人には優しいほうですし、忠世の屋敷にも御成したことがありますから、政治的なこと以外もいろいろ話していたでしょう。
そして一年後、忠世は64歳で亡くなりました。
最後の一年間は、家光から忠世の忠勤に対する有給休暇のようなものだった……というのは、ちょっと綺麗過ぎる想像ですかね。
厳しい武家の世界とはいえ、そういうあったかい話があってもいいんじゃないかと思うのです。
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【参考】
国士大辞典
煎本増夫『徳川家康家臣団の事典』(→amazon)
酒井忠世/Wikipedia
雅楽寮/Wikipedia




