アイヌの歴史

1904年に撮影されたアイヌの人々/wikipediaより引用

明治・大正・昭和

アイヌの歴史を振り返る~漫画ゴールデンカムイで注目される北の大地

2016年のマンガ大賞に続き、2018年の手塚治虫文化賞に輝いた『ゴールデンカムイ』。

2018年4月からアニメ化(→link)され、2019年には大英博物館「日本の漫画展」にアシリパさんがメインキャラとして登用。

そしてマンガ版では最終回を迎えながらも、アニメ放送で再び盛り上がっているのはご存知かもしれません。

 

同作品には、現代人の我々がほとんど知ることのないアイヌの生活様式やアイヌ語、料理がたくさん出てきます。

あらためて北海道の独特な地名や単語がアイヌ語由来だったことに唸ったり、野草が食べられると驚いたり。

同じ日本に住む民族ながら、その生活についてほとんど知る機会がなかったということにも、私は驚きました。

美味しいお料理や、生活の知恵は、作中のアシリパさん(※本来「リ」は小文字)に教えてもらうこととしまして……。

本稿ではアイヌの歴史を学ぶ入口として、案内させていただければ幸いです。

 


アイヌの歴史 どこを起点とするか?

アイヌの歴史は、どこが始まりか?

これが結構迷いました。

石器時代から始めるというのもありなのですが、和人として書く以上、和人と接触が始まったところを起点とします。

したがって、中身は「アイヌと和人の交流史」になります。

ご了承ください。

文化的には、

・石器から鉄器に変わる

・土器が鍋に変わる

・竪穴式住居からチセに変わる

あたりから始めます。

居住地域は、

・北海道

・サハリン南部

・千島列島

となります。

北海道博物館内に復元されたアイヌの家屋チセ/photo by タクナワン wikipediaより引用

 


東アジア交易圏でのアイヌ

文字を記録しないアイヌの歴史をたどる場合、他国との交易や対立から見て行くことになります。

13世紀から14世紀初頭、中国の元王朝は周辺諸国へ出兵しました。

その中には、日本列島を襲った「元寇」も含まれているわけです。サハリンアイヌも元王朝を迎え撃ち、アムール川下流域まで侵攻しました。

元(モンゴル)の後、明王朝とは朝貢関係にありました。

明代というのは東アジアで交易が盛んになった時期です。

アイヌの居住地からも、当時、尊ばれていた朝鮮半島で作られた白磁等が出土します。アイヌは、明と津軽安藤氏と交易をしており、この交易圏に含まれていたのです。

実際、津軽安藤氏は、室町幕府にラッコや昆布を献上しています。

ラッコとは、なかなか驚きですよね。

長禄元年(1457年)、和人がアイヌの少年と口論になり、殺害してしまう事件が起こります。

これを契機に、アイヌが武力放棄(コシャマインの戦い)。

当時、北海道南部に12館あった和人の拠点の内、10カ所を陥落させました。

このとき、花沢館主・蠣崎季繁の客将であった武田信広が活躍し、アイヌを撃破します。信広は蠣崎氏の養子となり、蠣崎信広と名を変えるのでした。

信広から四代くだって蠣崎慶広の時代。

豊臣秀吉に拝謁し、本領安堵されると、徳川時代になって松前氏と名乗りを変更します。

松前慶広になったワケです。

アイヌとの交易を中心とした松前藩は、こうして生まれました。

米の生産を中心とした他藩とは違い、松前はアイヌとの交易が収入源という特殊な藩です。

こうした制度は「場所請負制」と呼ばれ、アイヌの人々を苦しめることになる制度でした。

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