後水尾天皇/wikipediaより引用

江戸時代

後水尾天皇が春日局にキレて譲位! 朝廷と江戸幕府の難しい関係とは

こちらは2ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
後水尾天皇
をクリックお願いします。

 

春日局になめられてとうとう怒りの譲位!

実際に、彼らのほとんどは後に大赦されていて、紫衣も戻されています。

この事件の後、さらに後水尾天皇を怒らせたのが春日局でした。

徳川家光の乳母のあの人です。

春日局
明智家重臣の娘・春日局が強い!敗戦を生き抜き夫と離婚し将軍乳母に

続きを見る

彼女は教育係だけでなくいろいろな仕事をしていましたが、寛永六年に元々病弱だった家光が寝込んだとき、伊勢神宮まで平癒祈願へ行ったことがあります。

伊勢神宮・宇治橋鳥居
日本人が知らない「伊勢神宮七つの秘密」初詣でお賽銭を投げたらダメ!

続きを見る

そのついでに宮中のご機嫌伺いのため、御所へ上がろうとしたのです。

が、元々彼女の身分的にそんなことができるはずはありません。

それなのに、わざわざ直前に遠い祖先の血を辿り、当時の主と義理の兄弟として縁を結んで体裁を整えるという、あからさまにその場しのぎの対応をして参内しました。

この世で最も尊いとされていた天皇への拝謁を、武家の人間が後から取ってつけた身分でやろうとし実行したことで、後水尾天皇の怒りは頂点に達します。

そして幕府に何の連絡もせず、当時まだ5歳だった娘・明正天皇に譲位してしまったのでした。

 

上皇としてその後も宮廷には関わっていた

後水尾天皇も「私の意見を蔑ろにするなら、いつ譲位しても構わないよな?^^」と思ったのかもしれません。

ここまでがコレじゃあ、そう言いたくもなりますわな。

とはいえ全てを放り投げたわけではなく、上皇としてその後も宮廷には関わっていたのですが。

ついでに……幕府との対立も終わらず、後々まで尾を引いていくことになります。

刃傷沙汰など物騒なことにならなかったのは、妻の和子(まさこ)が間に入ってうまく取り持っていたということが大きいようです。

嫁姑のバトルはよく聞きますが、舅(幕府)と夫の争いなんてさぞ気苦労が多かったでしょうね。

あれ? 一番可哀相なのって和子では?

あわせて読みたい関連記事

後光明天皇
江戸幕府を相手に一歩も引かず! 後光明天皇の豪快痛快エピソード

続きを見る

霊元天皇
霊元天皇は江戸幕府にも退かぬ!媚びぬ!省みぬ!子供は35人いた!?

続きを見る

知られざる名帝・光格天皇~幕府に引かないスタンスが明治維新へ繋がる?

続きを見る

東山天皇
東山天皇が赤穂事件を経てナゾの死~孝明天皇と同じ天然痘のようだが

続きを見る

徳川家康
徳川家康 史実の人物像に迫る!生誕から大坂の陣まで75年の生涯 年表付

続きを見る

禁中並公家諸法度17条をわかりやすく! 公家衆法度も一緒に確認だ

続きを見る

紫衣事件はナゼ起きた?そもそも紫衣とは?後水尾天皇が譲位したその後は?

続きを見る

春日局
明智家重臣の娘・春日局が強い!敗戦を生き抜き夫と離婚し将軍乳母に

続きを見る

伊勢神宮・宇治橋鳥居
日本人が知らない「伊勢神宮七つの秘密」初詣でお賽銭を投げたらダメ!

続きを見る

長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
後水尾天皇/wikipedia

TOPページへ

 



-江戸時代
-