慶安元年(1648年)8月20日は、福知山藩主・稲葉紀通(のりみち)が自決した日です。
この人は「頑固一徹」の語源になったといわれている稲葉一鉄の子孫にあたり、大河ドラマ『麒麟がくる』では斎藤家の重臣としても登場していましたね。
たぶん性格的にも先祖の影響を受けていたと思われます。
というのも、自決に至った経緯が頑固というか短気というか、
なぜ戦乱もない江戸時代に自決することになってしまったのでしょうか。
大坂の陣が終わり内陸部の福知山へ
紀通は慶長八年(1603年)生まれ。
大坂冬の陣で初陣を果たしたというギリギリ戦国武将に入る世代の人でした。
しかし、大坂夏の陣が終わると、今度は行政能力が求められるものです。
周りの家臣に支えられて、度重なる転封にも耐え、最後にやってきたのが福知山藩でした。
現在の京都府福知山市にあたり、戦国時代は、あの明智光秀や、その婿の明智秀満(明智左馬助)と縁が深かったことでもお馴染みですね。

明智光秀/wikipediaより引用
彼が最初にいたのは、父から受け継いだ伊勢・田丸藩でした。
ここは海が近かったので、四季折々、旬の魚に舌鼓を打っていたでしょう。
参勤交代その他諸々の負担で、全国のお殿様たちは苦しい生活を余儀なくされましたが、海が近ければ新鮮な魚が手に入りますから、これ以上ない楽しみだったことは想像に難くありません。
しかし、福知山藩は内陸部。
川魚や干物ならともかく、冷蔵技術もない時代に新鮮な海水魚はなかなか手に入りません。
日頃は我慢できたものの、とある冬の日に家臣と雪見酒をしていたとき、ふととても美味しい魚のことを思い出してしまいました。
それが寒ブリでした。
産卵を控えて脂が乗り、最も美味しくなるという冬のブリ。
いかにも日本酒に合いそうですよね。おっとよだれが。
うっかり思い出してしまった紀通は、どうしても寒ブリを食べたくなってしまいました。
とはいえブリは海水魚ですから、福知山の領内では手に入りません。
そこで考え抜いた末、紀通は名案を思いつきます。
「ウチで取れないなら、隣の藩に頼んで送ってもらえばいいじゃないか!」と。
100匹欲しいだと!? 賄賂に使うつもりか
そこでおねだり先になったのが、丹後・宮津藩の京極高広でした。
「蛍大名」こと京極高次の孫で、紀通とほぼ同世代の大名です。
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近江の戦国武将・京極高次が「蛍大名」と揶揄されてしまった理由とその生涯
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この人のもとに、
「隣同士のよしみで、寒ブリを100匹ほど都合してもらえないだろうか?」
という、なんとも呑気な手紙が届きました。
いくら好きでも一人で100匹も食べきれるわけはありません。
おそらく紀通は、家臣にでも振舞ってやろうと思ってたんでしょうね。エエ人や。
ところが高広は、そんな心温まる背景とは受け取りませんでした。
今のように通販やお取り寄せがないこの時代、地元の名産物は大きな価値を持ちます。ものすごく単純にいうと、【幕府や他の藩への賄賂】になりえます。
ときの将軍は三代徳川家光。
真偽のほどは不明なものの「目黒のさんま」の話があるくらいですから、魚は好きだったことでしょう。
さんまは将軍の食べるようなものではないとされていましたが、ブリは出世魚=めでたい魚ですから、縁起という面からしても問題なかったハズ。
そんなわけで、高広は見事トンチンカンな方向に想像をめぐらせますが、「魚をやらん!」と言うとただのケチな奴になってしまうので、寒ブリ自体は送っています。
賄賂として、幕府や他の藩へ送れないよう、頭を切り落とした状態で……。
紀通ガンギレ!火縄銃でブッコロシ!
これが届いた紀通はビックリ仰天。
椿の花が「丸ごと頭が落ちるようで縁起が悪い」とされるのと同様、「頭を落とした魚を送る」というのは、完全に宣戦布告にしか見えませんでした。
怒りのあまり、せっかく送られたブリを庭に投げつけて踏み潰したそうです。もったいないオバケが出るぞ。
ちなみに京都ではネズミ対策のための「猫放し飼い令」が出されていたので、もしかすると福知山藩でもその辺に猫がたくさんいたかもしれません。猫にとっては大歓迎だったでしょうね。
ともかく紀通の怒りはさらに加速。
「丹後から来る奴は全員首をはねろ!!」という命令を出します。
以下の地図でご確認していただきたいのですが、丹後方面から京都(山城)に入るためには、どうしても丹波の福知山藩を通らなくてはいけません。
それを禁じてしまったのでは、人も物も行き来ができなくなってしまいます。
しかし、激おこスティック(ry)状態の紀通にそんな事情を考慮する余裕はなく、自ら火縄銃で士農工商問わず、果ては飛脚までブッコロしまくってしまいました。
この時点で誰か止めれってばよ(´・ω・`)
甲冑に身を固めて乱射しまくり最後は自決の悲劇
当然のことながら、釘を刺しただけのつもりでいた高広はビックリ仰天。
取るものもとりあえず幕府に届け出ました。
寒ブリの話をしたのかどうかはわかりませんが、幕府は「頭大丈夫かアイツ? とりあえず改易な」(超訳)と処分を決めます。
しかし、正式な処分が下る前にこれを知った紀通は、最早どうにもならないと考えてか、甲冑に身を固めて福知山城からさらに火縄銃を乱射。
最後は自らに向けて撃ち、自決したといわれています。切腹説もありますね。
結局、稲葉家は改易になった上、紀通の嫡男も幼くして亡くなり、完全にお家断絶となってしまいました。何てこったい。
これはあくまで俗説なのですが、いかにもありえそうな話ですよね。
せめて高広が「そちらへ着くまでに傷むといけないので、頭を落としておきました」とか書き添えておけば、ここまでの事態にはならなかったかもしれません。
もしくは紀通が、福知山の名物と交換にブリをもらっていれば、まだマシだったかもしれません。
戦国の気風がまだまだ残っていた時代と、最後の戦国武将世代が悪い方向にかみ合ってしまった悲しい事件と申しましょうか。
人の心の中を完全に知ることはできないのですから、やはりコミュニケーションは大事ですね。
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【参考】
中江克己『江戸三〇〇年 あの大名たちの顚末 (青春新書インテリジェンス) 新書』(→amazon)
日本人名大辞典
稲葉紀通/Wikipedia










