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【松尾芭蕉】
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江戸を出発した松尾芭蕉は……
江戸を出発した芭蕉は、東海道を西に進むと、伊賀~大和~吉野~山城~美濃~尾張へ。
故郷・伊賀に一度戻って年を越し、木曽、甲斐を経て、貞享二年(1685年)4月、再び江戸へ戻る……という、なかなかのハードコースでした。
途中で伊賀へ寄ったのは、この旅の前年に他界した母親のお墓参りのためだったそうです。
この旅は『野ざらし紀行』にまとめられています。
書名は、出発の際に詠んだ
「野ざらしを 心に風の しむ身哉」
から来ています。
長い旅へ出るからには、途中で行き倒れて死んでもおかしくはない――そんな悲愴な気合が込められていたんですね。
ちょっとメンタルヘルス的に心配になるような句ですが、むしろ旅の中で芭蕉の心中はだいぶ健全になったようで、後半には少しずつ前向きさや素直さが伺える句が出てきます。よかったよかった。
以降「旅に出ては道中で俳句を詠み、帰ってきてから句集にまとめて刊行」というパターンを何度か繰り返しました。
現代の旅ブロガーみたいですね。
そして元禄二年(1689年)3月。
とうとう江戸の庵(芭蕉庵)さえも人に譲ってしまい、弟子の河合曾良(かわいそら)を伴いながら『おくのほそ道』の旅に出ます。
当時45歳の芭蕉には、かなりハードな旅程
東北・北陸を半年かけて踏破。
美濃から伊勢を経て郷里・伊賀に帰る、またしてもかなりの長距離コースでした。
当時45歳の芭蕉が計画するには、かなりハードな旅程です。
芭蕉も曽良も無事にやり遂げているのが何よりですが、知人友人からするとハラハラしたでしょうね。
この旅の後は、上方で一時滞在しては著作を行い、また引っ越すという生活を二年ほど続けています。
そして元禄四年(1691年)10月に江戸へ戻り、翌年5月に新しく庵を建てて、しばらく江戸に落ち着きました。
こうしてみると、俳人というより「引っ越しが趣味な人」みたいに見えてきた。まぁ、葛飾北斎には勝てませんが。
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三年ぶりの江戸俳壇は決して愉快ではなかったようです。
が、新しい俳人・志太野坡(しだ やば)と宝生沾圃(はっとり せんぽ)に期待をかけて指導。
志太野坡は三井越後屋の番頭を務めていた才人で、元は芭蕉の弟子である宝井其角(たからい きかく)に俳諧を教わっていました。
芭蕉からすれば、孫弟子が直弟子になったようなものですね。
其角については以下の記事でどうぞ。
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服部沾圃は、かつて能役者をしており、内藤義英に仕えていました。
義英とは、前述の内藤義概・次男であり、小姓騒動では割りを食って江戸に隠遁しつつ、芭蕉らと交流していたと言われています。
そこで沾圃とも縁ができたようです。
「義仲公の隣に葬ってほしい」
彼らの成長に満足したのでしょう。
芭蕉は江戸での新しい風を上方の俳壇にも伝えようと、元禄七年(1694年)5月、もう一度西へ旅に出ました。
しかし、寄る年波もあってか、体調は優れなかったようです。
運の悪いことに、この年9月には大坂在住の弟子たちの確執をとりもつために伊賀から足を運んでいます。
よほどの心労があったらしく、そこで倒れて10月12日に息を引き取ってしまいました。
享年51。
旅の疲れのせいなのか、ケンカの仲裁が直接の原因なのかはわかりませんが、弟子たちはさぞやるせない気持ちになったでしょうね……。
芭蕉は死に際して、辞世とともに一つ遺言を残しました。
「近江の義仲寺(ぎちゅうじ)、義仲公の隣に葬ってほしい」
源平時代の武士――特に源氏でありながら敗者となった木曽義仲(源義仲)や源義経などに感じ入るものがあったようで、芭蕉は彼らに関する句をいくつか詠んでいます。
義仲寺にも何回か立ち寄っていました。
なぜ義仲が一番だったのか?
こればかりは、本人のみぞ知るというところで……乱暴者な義仲からすると「え、なんでアンタみたいな文化人が俺の隣に?」と困惑したかもしれません。
義仲寺は元々、合戦を生き延びた巴御前が義仲を弔ったところだといわれており、巴御前自身のものとされるお墓もあります。
現地を訪れて、芭蕉の心の内を想像してみるのもいいかもしれませんね。
なお、木曽義仲の記事については以下の関連記事から御参照いただければと存じます。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典「松尾芭蕉」「おくのほそ道」
松尾芭蕉/wikipedia