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【元禄地震】
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関東を襲う相模トラフ
今回は「相模トラフ」についても少し深く見ておきましょう。
日本は狭い島国である割に、山が多いですよね。なんせ国土面積の3/4が山であり、大陸ほどのだだっ広い平原はありません。
なぜこんな地形になったのか?
というと、日本列島の周辺では、地球を形作るパズルピースのような「プレート」が複雑に重なり合っているからです。
パズルならばお互いの境目がぴったりくっつきますが、プレートはそうはいきません。
隣り合うもの同士の片方が、もう一方の下に沈み込んでいきます。
そして、上になったプレートが隆起し、山ができるわけです。
これがあっちこっちで起きているために、日本列島は「決して広くない面積の中に、隆起した地形が多い」ということになるわけです。
プレートにもいくつかの種類があります。
元禄地震と大正関東地震に関わってくるのが、相模湾で重なっている「フィリピン海プレート」と「北アメリカプレート」。
その境目のことを「相模トラフ」、ここを震源として起きる地震を「相模トラフ地震」と呼びます。
大仏殿を流したのは相模トラフという説も
元禄地震(1703年)と大正関東地震(1923年)の間に起きた安政地震(1855年)。
この安政地震については、今のところ震源が特定できておらず、相模トラフ地震には含めないことが多いようです。
関東の地震については記録が乏しいため、これ以前の地震のうち、どれが相模トラフ地震に含まれるかはまだ確定していません。
ただし、鎌倉幕府を始めとして、周辺に政治拠点があった時代の地震については、含めても良いのではないかといわれています。
例えば、明応四年(1495年)に鎌倉大仏(高徳院)の大仏殿を流失させたのではないか?とも目される巨大地震。
明応地震と呼ばれ南海トラフ巨大地震という見方が有力視されておりますが、相模トラフ地震ではないか……という見方も出ています。
元禄地震と大正関東地震の間は約220年。
仮に明応四年の地震が相模トラフ震源だとすると、ここから元禄地震までは208年で、周期が見えてきます。
この三つの地震だけが相模トラフ地震であれば、少なくとも今この記事を読んでいる方が生きている間には、これらと同じ地震は起きないだろう……ということになります。
よく取り沙汰される「首都圏直下地震」はまた別物……というか、相模トラフ以外の震源により起きうる地震の総称なので、地震への備えをするに越したことはないのですけどね。
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長月 七紀・記
【記事参考】
内閣府の防災情報ページ(→link)
国史大辞典「元禄地震」
元禄地震/wikipedia