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【鳥居耀蔵】
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ライバルに密貿易や謀反の罪を着せ
渡辺崋山を例に挙げると、嘘くさいタレコミで身柄を確保し、家宅捜査へ。
崋山が「これチョット過激だから発表するのやめとこ~」とお蔵入りにしていた『慎機論(このままでは日本が侵略されて植民地になるよ、という内容)』を証拠として、蟄居処分にしたのです。
それだけではありません。
同時に
・ライバルに密貿易や謀反の罪を着せる
というリアルなでっち上げもやっており、この辺りは水野忠邦も噛んでいるとされます。
どいつもこいつも曲者過ぎて……。
しかし耀蔵のヤバイ行動はこれで終わりではありません。
水野忠邦が復職して財産・職をボッシュート
天保の改革が批判にあうと今度は態度を一変させるのです。
・反水野忠邦派に寝返り、機密資料を全部横流し
結果、水野忠邦は失脚して老中をクビになりました。
コトはこれで終わりませんよ。
その後も色々あって半年後、今度は反水野派のトップが失脚すると、忠邦が老中に返り咲いたのです。
そうなると、まぁ、裏切り者の耀蔵は許されるワケもなく、不正と職務怠慢を理由に奉行を解任、全財産を没収されました。
さらには他家に身柄預かりとして、明治維新の恩赦まで20年間も軟禁状態となったのです。
晩年の耀蔵は実家の林家を頼って、割と穏やかに過ごしたようです。
亡くなったのは明治6年で、当時78歳というかなりの長寿ですから、彼にハメられた人々は、まぁ報われませんね。
耀蔵にとっては半ば仕事だったとはいえ、でっち上げや言論弾圧はイケマセン。
ってなわけで、今回のワル査定は星3つ。
悪人度 ★★★☆☆
影響力(権力)★★☆☆☆
外国嫌い度 ★★★★☆
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文/馬渕まり(忍者とメガネをこよなく愛する歴女医)
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【参考】
国史大辞典
鳥居耀蔵/wikipedia
蛮社の獄/wikipedia