平等院鳳凰堂

平等院鳳凰堂/photo by 663highland wikipediaより引用

飛鳥・奈良・平安

平等院鳳凰堂の意外な歴史|源融から紆余曲折を経て藤原道長そして頼通へ

2025/03/03

お寺なんて年に1~2度しか行かない――。

そう仰る方でも、毎日のように目にしている寺院があるのですが……お気づきですか?

十円玉に描かれているあの絵。

そうです。

天喜元年(1053年)3月4日に完成した平等院鳳凰堂ですね。

最近はsuicaやpaypayなどのキャッシュレス時代とはいえ、その存在を知らない方はいないでしょう。

しかし、肝心の平等院鳳凰堂については「藤原頼通が関係しているんだよね……」ぐらいの知識で留まっている可能性もありそうです。

良い機会ですので、本日は平等院鳳凰堂の歴史を振り返ってみませんか。

 


 はじめ源融から次々に所有権が移り変わり

まず所有権に関して。

実は平等院の土地と建物は、さまざまな皇族や貴族の手を渡り歩いています。

はじめは、源融(みなもとのとおる・嵯峨天皇の子)が土地を手に入れて別荘を建設。

源融/wikipediaより引用

その後、以下のように受け継がれていくのです。

源融

宇多天皇

源重信(宇多天皇の孫)

藤原道長

藤原頼道(道長の息子)

宇多天皇は、いったん臣籍降下して一般人になってから、再び皇族に戻って天皇になったというレアケースの人物。

宇多天皇/wikipediaより引用

そして、その孫・源重信が引き継ぎ、後は藤原道長から藤原頼通へ、という教科書でもお馴染みの展開ですね。

当初からお寺だったわけではなく、元は教科書で出てくる”寝殿造り”そのままの構造でした。

なので、お寺になってからも釣りをするための離れ(釣殿)などがあったそうです。

 


この世はおしまいだー! 神様どうかお救いをー!

現在残っている鳳凰堂は、道長が亡くなった後に頼通が手を入れたものです。

当時の世相は「末法の世(=末法思想)」が拡散。

「お釈迦様の時代から千年も経って、もう悟りを開ける人がいない! この世はおしまい! 神様仏様どうかお慈悲を!」という考えが広がっておりました。

そのため貴族の間では、まさしく仏にすがる思いで念仏を唱えたりお寺を建てたり、自ら出家したりするケースが増えていきます。

末法思想なんてバカだな、ははっ……って、今なら思うかもしれませんが、当時は単なるオカルトと捨て切れません。

平安時代は地球的に寒冷な時期で、疫病や天災も多く、そうした災いは【為政者の責任】とも考えられたからです。

平等院をはじめ、この頃のお寺にはそうした意識が反映されています。

「浄土式庭園」と呼ばれ、極楽浄土をイメージした大きな池などを作ることにより、本物の極楽に近付こうとしました。

そもそも金銭でどうこうするなんて仏の道に反してるんじゃないの? と色々ツッコミたいところですが、結果として素晴らしい建築物を残しているのですから、後世のためにはなっているかもしれませんね。

 

平泉町の中尊寺は消失したが平等院は奇跡的に

他に、この手の有名どころでは、奥州藤原氏が作った平泉の中尊寺などがあります。

鎌倉時代に大きな火事があったので建物は現存していませんが、あれも残っていたらさぞかし素晴らしい眺めだったのでしょう。

極楽浄土への象徴とされた中尊寺/photo by 竹麦魚(Searobin) 
wikipediaより引用

逆に言えば、平等院鳳凰堂が残っているというのが結構奇跡的な話だったりします。

宇治は京都の中心地からは少し離れているエリアで、特に南北朝時代には楠木正成が戦場としたため、平等院の中にあった建物も多くは焼失してしまっています。

その中で鳳凰堂だけが「平安貴族が建てたお寺」かつ「仏像・仏画・庭園等含めて」残っています。

平等院さんの公式サイト(→link)を参照して、ざっとリスト化してみました。

【建造物】

・鳳凰堂→建設当時唯一の遺構

・観音堂→鎌倉時代に再建

・養林庵書院→江戸時代に建設

【仏像】

・阿弥陀如来坐像→仏師定朝(じょうちょう)の作

・雲中供養菩薩像→同じく定朝の工房で作られました

・鳳凰の棟飾り→現在は二代目を使用※初代は博物館の中

・梵鐘→現在は博物館の中

・十一面観世音立像→現在は観音堂で保管

【絵画】

・鳳凰堂中堂壁扉画→現存する日本最古の大和絵風「九品来迎図」

・鳳凰堂の堂内彩色→柱や天井を極彩色で装飾

平等院というと、どうしても建物としての鳳凰堂ばかりに気が向きがちですが、美術品もなかなか豪華なんですよね。

次に現地を訪問されたときは、気合を入れて御覧ください。

 


 江戸奉行の取り決めで天台・浄土宗は仲良くね♪

現在の平等院は、天台宗と浄土宗が共同で管理するという珍しいお寺でもあります。

江戸時代に寺社奉行が取り決めたもので、その後、特に争いは起きていないようです。

2001年には”平等院ミュージアム鳳翔館”という施設が作られ、院内にあった宝物を見学できるのはもちろん、記録を元にして往時の姿を再現したCGなども見られるのだとか。

同様の試みは他の歴史建造物でも行われていますし、そのうち3Dプリンターで立体化されたり、3D映像で安土城とか江戸城が出てくるかもしれませんね。


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【参考】
国史大辞典
平等院/公式サイト
藤原頼通/wikipedia
平等院/wikipedia

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長月七紀

2013年から歴史ライターとして活動中。 好きな時代は平安~江戸。 「とりあえずざっくりから始めよう」がモットーのゆるライターです。 武将ジャパンでは『その日、歴史が動いた』『日本史オモシロ参考書』『信長公記』などを担当。 最近は「地味な歴史人ほど現代人の参考になるのでは?」と思いながらネタを発掘しています。

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