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【本当は怖い平安京】
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現物支給で生きる人々
『光る君へ』は、食事が細かく再現されています。
貧しい藤原為時の家は粗末な一方、藤原兼家の食事は本当に食べ切れるのか?と思うほど大量の膳が運ばれていきます。
あれを見る限り、なかなか美味しそうで。
平安時代の人は大食いなのか?と思うかもしれませんが、そう単純な話でもなく、あれは食べ残すことが前提です。
食べ残した食事は捨てるのではなく、使用人たちがおいしくいただきます。
当時は貨幣もなく、使用人たちは現物支給により勤務先を決めていて、恩義が定着するまで長い時間がかかります。当時の使用人は、金の切れ目が縁の切れ目そのものといえました。
この「偉い人は下々のものにごちそうしよう!」という慣習が、鎌倉幕府では「旅館振舞」(はたごふるまい)といった、わけのわからぬ悪習となりました。
要するに、坂東のワイルドな人々は御家人に向かって「宴会やりますよね!」と押しかけていたのです。
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当時は貨幣がないっていうけど、和同開珎があると習ったのだが……と思う方もおられるでしょう。
あれは唐を模倣し、国家としての体裁を整えるために造ったものであり、いわば狭い地域の限定クーポンのようなものです。全国的には使えません。
そんな状況の日本に南宋から銅銭を取り入れたのが、平清盛ということになります。
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ゆえに短命だ
平安時代の歴史を見ていると、あっさり人が亡くなっていることがわかります。
紫式部自身も「女は長生きしないもの」と書き記しています。女性の場合は妊娠出産による死のリスクが高かったからです。
男性も、ストレスが溜まったと思ったら、亡くなっていることが往々にしてあります。
藤原道長にせよ、権力者の頂点に立てたのは、二人の兄に対し、長生きできたことが大きい。
そんな道長の持病は糖尿病です。
栄養バランスが悪い当時、白米を食べ続ける貴族は罹患しやすい状態であったのでしょう。
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逆説的に言えば、そうした慢性的な病気に悩まされる程度まで、道長は長生きできたということです。
人間関係でストレスが溜まりやすいうえに、栄養状態も悪い。
平安貴族はなかなか大変な世界を生きていました。
決して優しいとは言えない平安京。
それでも当時の貴族からすれば、地方はありえないほど野蛮な土地でした。
地方よりはマシかもしれない。
海を超えてよくわからない船も来るし、武士だの盗賊だのいるわけだし、そんな地の果てに左遷されたらおしまいだとみなしつつ、生きていたのでした。
優雅なようで、実は困難な日常が待ち構えている――それが紫式部の生きた時代でした。
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【参考文献】
安田政彦『平安京のニオイ』(→amazon)
繁田信一『殴り合う貴族だち』(→amazon)
繁田信一『王朝貴族の悪だくみ』(→amazon)
山本淳子『源氏物語の時代』(→amazon)
藤川桂介『暮らしの歴史散歩 生き生き平安京』(→amazon)
他









