あきちえ北条時政の娘たち

北条時政/wikipediaより引用

源平・鎌倉・室町

北条時政の娘あき(重成の妻)ちえ(重忠の妻)の悲劇~鎌倉殿の13人

『鎌倉殿の13人』第21回に政子や義時とは母が異なる北条家の妹が2名登場しました。

“あき”と“ちえ”です。

それぞれ稲毛重成と畠山重忠の妻となり、北条家の面々が介する場に夫と共に座していましたが、それにしてもいささか唐突で不思議に思いませんでしたか?

北条時政には一体何人の子供がいたのか?

実は時政は、数回にわたり結婚しており、子が多数いました。

劇中では京都で出会った若い妻・りく(牧の方)を娶るところにスポットが当てられ、他の妹たちにもようやく出番が回ってきたところです。

実はこの姉妹たち、幕府草創期の混乱に巻き込まれ、その家族がかなりの悲劇に見舞われます。

知られざる北条家の娘たちの歴史を振り返ってみましょう。

 

多くの娘に恵まれた時政

意外かもしれませんが、坂東武士は一夫一妻が一般的。

時政のように複数の配偶者がいる場合、過去の妻とは離別または死別してからの再婚でした。

当時は母子ともに出産時の死亡率は低くなく、そうした経緯から複数の妻となるケースは多いものですが、それにしたって時政は子が多い。

ゆえに全員がドラマに出るわけではなく、中には生母が不明だったり、諸説ある人物もいます。

以下にまとめてみましょう。

伊東祐親の娘が母である子供たち

男子:北条宗時

女子:北条政子

男子:北条義時

女子:阿波局実衣

女子:足利義兼の妻(『草燃える』では高子)

伊東祐親はドラマでも注目された八重の父ですね。義時にとっては祖父にあたり、よって八重と義時は叔母・甥の関係になります。

伊東祐親
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義時の兄である宗時と、姉の政子は「兄と妹」とされましたが、史実では宗時の生年が不明であり「姉と弟」ではないか?とする説もあります。

次に母親が不明なきょうだいたちを見てみましょう。

◆母が不明

男子:北条時房北条時連から改名)

女子:あき・稲毛重成の妻(『草燃える』では栄子)

女子:ちえ・畠山重忠の妻(『草燃える』では元子)

女子:滋野井実宣の妻

女子:河野通信の妻

これまた第21回放送に登場した北条時連(北条時房)と共に、あきとちえの二人も母は不明です。

北条時房
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とはいえ時政の娘に代わりはありませんから、義時と重忠は義兄弟の間柄となりますね。

なお稲毛重成は坂東八平氏の出身で、重忠とは従兄弟の関係になります。

なかなかややこしい。

関東八平氏
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最後に、ドラマでは何かと騒ぎを起こす、りく(牧の方)の子供たちを見ておきましょう。

◆牧の方(りく)が母である子供たち

男子:北条政範

女子:平賀朝雅の妻(源国通に再嫁)

女子:三条実宣の妻

女子:宇都宮頼綱の妻(藤原師家に再嫁)

女子:坊門忠清の妻

女子:大岡時親の妻

ご覧のとおり、後妻である牧の方もまた多産であり、しかも女子が多い。

なぜか時政は、女子に恵まれたため、重要ではない人物はドラマで省略されます。その理由は後述しましょう。

 

牧の方の娘たちは京都と鎌倉を繋ぐ

『鎌倉殿の13人』では、りくが重たそうな腹を抱えるシーンがあります。

ずっと妊娠しているのではないか?

そう思えるほど子をよく産み、史実でも、時政が牧の方を娶ったとき「わかき妻」と周囲から認識されていました。

親子ほどの年齢差があると思われていて、実際、政子より若いとする説もあります。

りく(牧の方)
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娘の数を見ると、牧の方は確かに若く、そして健康だったのでしょう。

そしてその娘たちは多くが公家に嫁ぎました。

時政が失脚し、牧の方らが共謀者とされた後も、特に娘たちの地位が低下するようなことは起きてはいません。

むしろ彼女たちは、京都と鎌倉をつなぐ役目を果たしました。

頼朝と政子の間に生まれた娘たちは夭折し、大姫の入内もなくなり、

大姫(源頼朝の娘)
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京都とのパイプ役を果たすことはできなかったのですが、政子と義時の異母妹たちがその役目を果たしたのです。

一方で、御家人たちとの繋がりを果たしたのが、母が不明の姉妹“あき”と“ちえ”でした。

 

酒の席での言い争いが思わぬ事態に

前述の通り、“あき”と“ちえ”の二人は第21回から登場。

過去の放送で、畠山重忠が「そろそろ妻が欲しい」とつぶやいたとき、義時は「適齢期の妹が二人いる」と言いましたが、彼女らだったんですね。

この妹たち一家が、酷い動乱に巻き込まれてしまいます。

振り返ってみましょう――。

劇中では尾碕真花さんが演じる時政の娘あき。

稲毛重成に嫁いだ彼女は建久6年(1195年) 6月、 病没してしまいます。

そのことで世を儚み、出家した重成は、3年後の建久9年(1198年)に妻を悼んで相模川に橋を架けました。

しかし、その落成供養に出席した源頼朝が落馬し、そのまま頼朝は亡くなってしまいます。

なんとも数奇な運命ですが、この橋は大正12年(1923年)、液状化現象により地中から出てきて実在が確認されています。

彼女(あき)についてはいったん置いておき、もう一人の妹“ちえ”について注目します。

劇中では福田愛依さんが演じる“ちえ”は畠山重忠に嫁ぎました。

畠山重忠
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そして重忠の子・重保を産むのですが、元久2年(1205年)11月、その重保が酒の席で平賀朝雅と言い争いになってしまいます。

後の結果だけ見れば、相手が悪かった、と言うべきか。

平賀朝雅の妻もまた、牧の方を母とする北条時政の娘であり、ちえとは異母姉妹の間柄になるのですが、だからといって事態は治まらず、むしろ悪化。

朝雅の妻が、実母である牧の方に重保への不満を訴えたのです。

構図としてはこんな感じですね。

重忠の妻ちえ(姉)時政と母不明の娘
vs
朝雅の妻(妹)時政と牧の方の娘

不幸の極みとなっていくのは、ここからです。

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