北条政子/wikipediaより引用

源平・鎌倉・室町

なぜ北条政子は時代によってこうも描き方が違う?尼将軍の評価の変遷

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北条政子の評価
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大正:武士の妻の鑑

大正時代、皇国史観の影響もあり、政子は歴史の中に埋没してゆきます。

しかし、そんな彼女を見出す目線も出てきました。

20世紀になると、女性参政権運動が広まり、職業婦人が誕生し、日本でも女性の権利について議論が活発化。

そんな大正時代となると、政子の評価は高まります。

あの【亀の前騒動】すら、武士の家庭道徳を保つためのものとみなされました。

明治政府初期の元勲は、日本史上においても最低の部類に入ると思われるほど好色でした。

「当時はそんなもの」という擁護論もしばしば見かけますが、当時から「あまりに下劣だ」と批判されていたものです。

こうした伊藤博文井上馨渋沢栄一といった人物は、時代がくだると「天保老人」と下の世代から呆れられている。

彼らからすれば、政子はむしろ正義の執行者であったのでしょう。

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徴兵制が成立した時代は、日本人に武士としての気風が求められた時代でもあります。

夫や我が子を戦場へ送り出し、家庭を守る良妻賢母こそ、求められる女性像。

夫と我が子を失っても己の責務を全うする女性像として、政子はうってつけのロールモデルでした。

 

昭和:政治に巻き込まれた“かわいそうな女“

昭和20年(1945年)――アジア・太平洋戦争が終結しました。

日本はアメリカに憧れる西側の一員となり、第二次世界大戦は、女性の地位をも変えてゆきます。

東側最大のソビエト連邦は、女性兵士を大勢戦線に投入しています。

イギリスやアメリカではせいぜい後方支援であった女性兵士が、ソ連では女性の戦闘機パイロットや狙撃手もいた。

そんな男女平等を掲げる共産主義国家に対し、西側は資本主義の健やかな家庭像を打ち出しました。

快適なマイホーム、マイカー、そして機械化により家事から解放され、夫と我が子に惜しみない愛を注ぐ専業主婦がいる、そんな像です。

女性とは、働いて帰宅した男性を癒し、家事をこなす、愛くるしい存在であることが理想とされました。

敗戦から十年も経ていない、1950年から7年間連載された吉川英治『新・平家物語』は、こうした女性像を反映していると思える政子の描写があります。

吾妻鏡』において、政子が山木兼隆の館から逃げ出し、頼朝の元へ向かっていったと回想される場面です。

この作品では、政子が発案しながら、男たちが政子を担いでゆく、姫の略奪のようなシチュエーションにされています。

※1972年の大河ドラマ原作にもなり政子は栗原小巻さんが演じた

これは吉川英治の好みの問題でもあるかもしれません。

『三国志』でも、元となった『三国志演義』から貂蟬の設定が変えられています。

『演義』では董卓死後も生存している貂蟬が自害する。どうにも女性をか弱くする傾向を感じてしまうのです。

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むろん時代の空気もあったのでしょう。

1979年『草燃える』は、鎌倉幕府成立の物語であり、政子が物語の中心におり、岩下志麻さんが演じました。

この作品では頼朝の死後、義弟の北条義時が次第に冷酷な政治家になってゆく姿が描かれています。政子は歴史通り尼将軍と呼ばれるまでになりながら、野心家である周囲に振り回される存在でした。

例えば、この作品では頼朝との仲にせよ、野心を秘めた兄・北条宗時のお膳立てとされているのです。

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昭和時代の政子は、大河にせよ通底する要素も感じられます。

女は本来、野心家ではない。良妻賢母であることこそが最も幸せなのである。

といった先入観による誤解から、はみ出してしまい、権力を持ち合わせてしまうと、ろくでもないことになるのだ。

北条政子とは、夫や家庭のために尽くした女だ。しかしなまじ権力に近づきすぎたから、悪女とされ、不幸に陥るのだ。

政子を思いやるようで、彼女の主体性や聡明さを軽視しているように思えます。

悪意をもってこうしたのではないにせよ、どうしたって時代の限界は感じてしまいます。

家庭という幸せな場所にいられない女はこうなるぞ!

――そう警告するように見えるのです。

 

平成:“男勝り”でエネルギッシュ

女性に、かわいらしい良妻賢母を求める傾向は、平成になっても続きました。

そんな平成大河の典型例として2002年『利家とまつ』が挙げられます。

まつは夫・利家をたしなめる強烈な逸話もあり、気が強い。

それが大河では優しい癒し系にされ、味噌汁でなんでも解決する、平成の理想が反映されたヒロイン像でした。

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2005年『義経』では、財前直見さんが政子を演じました。

主役が義経である以上、分別のある大人の女性という描き方です。

2012年『平清盛』は平清盛が主役であるものの、語り部は源頼朝でした。

杏さんが演じた政子は、平成らしい「男勝りで活発なボーイッシュヒロイン像」が反映されていたと思えます。

この作品は演出過剰気味であり、あまりに汚し方がわざとらしい衣装には賛否両論があった。

政子も例外ではなく、ボサボサのおかっぱ頭で顔が汚れたまま山で動物を狩り、猪を背負っていた。

成人してからは眉毛を剃り落とし、毛皮を巻くというワイルドな衣装でした。

パッと見た瞬間にワイルドなヒロインとわかる造形は、漫画やゲームキャラクターのようだと感じたものです。

ただし、活発さやジェンダー観は、ここまであからさまに出るものであるか疑念は感じました。

見るからにワイルドであることが、男勝りであるとすること。

そんな『平清盛』のにおける政子のアプローチは、残念ながら令和ともなると古臭くも思えてきます。

2014年『バッド・フェミニスト』というエッセイが話題をさらいます。

フェミニストはスカートを履いちゃダメ?

女らしい格好のままじゃダメなの?

そんな問題提起がされたのです。

どんな格好をしていようが、自分らしさは出せる。そんな時代で北条政子は、どんな像になるのでしょうか。

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