べらぼう感想あらすじレビュー

背景は喜多川歌麿『ポッピンを吹く娘』/wikipediaより引用

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『べらぼう』感想あらすじレビュー第20回寝惚けて候 ついに開くは天の岩戸か地獄の釜か

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『べらぼう』感想あらすじレビュー第20回寝惚けて候
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嗚呼、江戸は、この世はめでたい

「世に吉原があるたぁ、まぁ、めでてぇねぇ」

江戸っ子らしく、しみじみと言う南畝。蔦重は畳が焼けていることを指摘します。

「十年欠かさず陽は昇り、十年欠かさず日は暮れた。めでてぇこったの太平楽」

そう返されます。なるほどね。考えてみりゃ、地震や火事がありゃ畳は変わっているわけでしてね。

「障子が破れておりやすが」

「穴の向こうにゃ富士が見える。あなあなあなあな穴めでたし」

蔦重は笑って「なんでもかんでもめでてぇんですか」と言います。

「そうよ。了見しとつでなんでもめでたくなるものよ」

「ひとつ」を「しとつ」と江戸っ子らしく言う南畝先生。いやあ、江戸っ子オブ江戸っ子っすわ!

なんでもめでてぇ。太平の世。これが江戸っ子のセンスなんですね。

田沼意次平賀源内との対話でも「誰も戦のやり方を覚えておらぬ」とありました。

さらに遡りまして、同じ制作チームの『麒麟がくる』があります。光秀は戦のない世の中を熱望し、それを作り上げることが最終目標でした。

明智光秀/wikipediaより引用

そんな麒麟到来の後の世がこの江戸です。

何事もなくノホホンとしていられることそのものが「あ、めでてぇな!」と浮かれ騒いでこそ、江戸っ子でしょう。

それを察知した蔦重は、なんでもかんでも「めでてえ」と寿(ことほ)ぐお江戸案内を書けないか?と持ちかけます。

南畝は「ああ、いいねぇ」と快諾。やりたいものがあるか?と問われると「今なら狂歌」と返します。

さきほどの「くれ竹の」がそうなんだとか。定吉を抱いている須原屋市兵衛も「近頃やる人が増えた、その会も増えた」と付け加え、南畝が畳み掛けます。

「一度覗きに来るか? 狂歌の会」

「行かないでか!」

引き受ける蔦重です。

ちなみに寝惚先生が天才少年としてデビューを果たしたのは「狂詩」で、漢詩のパロディでした。

「狂歌」はそれよりもハードルがだいぶ下がり、参加者も増えているわけですな。

実はちっとおもしれぇ現象があるんです。

若い中国人の間で俳句が少しばかり流行っているんだってよ。

漢詩はルールが多すぎてどうにもうまくいかない。ACGN(アニメーションAnime・漫画Comic・ゲームGame・小説Novel)を愛好する若者は、詠み易い俳句に向かうんだそうで。

日本語も受験科目として点がとりやすいということもあってか、なかなか人気。

日本後選択でACGNが好きな人は俳句を嗜むってことですな。まさかこんなことで現代社会と江戸時代が繋がるとは驚きやしたぜ。

 


岩戸屋、本を仕入れに蔦重のもとへ来る

蔦重が耕書堂に戻り、大田南畝を訪問したことを聞いたりつが「狂歌は読み捨てだ」と言っています。

いわばおふざけチャットログのようなモンで、わざわざ残すようなものではない。

その場のノリであり本にするもんでもないと、りつは懸念しています。

すると歌麿が、喜三二先生の『見徳』を百部擦り増しするか?と聞いてきます。その売れ行きに驚く蔦重。歌麿はしみじみと幸せそうですね。

するとそこへ地本問屋の岩戸屋がやってきます。

驚きながらも受け入れる蔦重。なんでも『細見』を仕入れているそうで、今日は『見徳』も欲しいと切り出しました。頼まれている分もあって50部必要だそうで……一気に来たねぇ!

画像はイメージです(地本問屋の様子/国立国会図書館蔵)

しかし蔦重は、うちの本を仕入れてよいのかと戸惑っています。

「大事ねえと思うんだよなぁ。『見徳』は言い訳が立つから」

岩戸屋曰く、今年一番の本を置いてねえってなぁ、本屋としてまずい。そう言い訳ができると。蔦重も注目します。

「言い訳さえ立てば……」

これだよ、これぞ坂東だぜ。『鎌倉殿の13人』を思い出してみなせぇ。

物語が始まった時点では、坂東武者はみんな原則として平家に逆らっちゃいけなかった。それを源頼朝を言い訳に立てて、北条としちゃ娘婿ってんで源氏を押し立てた。

そうしたらバタバタと源氏についちまった。そういう状況が起きるってことだ。

 


清長の絵で描いて欲しいニーズ

小泉忠五郎が『細見』の改(あらため)作業を進めています。

するとそこへ西村屋与八がやってきて、改をやめさせると引っ張っていきます。

西与がいかにも裕福そうな若旦那に持ち込んでいるのは『雛形若菜』です。

磯田湖竜斎の後任に鳥居清長を迎え、ますますパワーアップしているんだそうで、清長の絵をうっとりと若旦那が眺めていると、

鳥居清長『雛形若菜の初模様 大文字屋内まいずみ』/wikipediaより引用

横の女郎が「主さん」と甘えるように声をかけます。

「わっち、載りとうおす」

「こりゃ、やらねえわけにはいかないねぇ」

かくして商談成立。浮世絵と当時の美的感覚でも補足させていただきますと……。

明治になると、高橋由一が油絵『花魁』を描きました。

『花魁』高橋由一/wikipediaより引用

リアルでそっくりで喜ばれるかと思ったら、モデルの花魁は泣き出したそうです。

それはなぜか?

浮世絵のように理想的に美化されていなかったからだそうです。

今だってアニメや漫画風のイラストならば、目が大きくて中に星が煌めくような絵柄になったりするでしょう。リアリティよりもああいう独特の二次元センスが重要ってことですね。

萌えイラストになるかと思っていたのに、リアルテイストで描かれたら、泣いちゃうわけですよ。

リアリティとは、浮世絵に求められるようで、そうではないのかもしれない。

例えば歌川国芳は『誠忠義士肖像』という西洋画の技法を取り入れた赤穂義士を描いておりやす。

歌川国芳『誠忠義士肖像』/wikipediaより引用

しかし人気が出ずに打ち切りになりました。

リアリティよりも、理想が大事――これが浮世絵に求められる美的感覚なのでしょう。このことは東洲斎写楽を描く上で重要な点になりそうです。

てなわけで、女郎が清長に描いて欲しいのは、現実の己よりも美しい絵になりたいという、切実な願いなのでしょう。

現代人からすりゃわかりにくいかもしれねえが、当時の江戸っ子からすりゃ夢のように美しかったわけでさ。

蔦重はりつと何事か相談中。そして歌麿に声をかけます。

歌麿は一心不乱に絵を描いています。染谷将太さんは朝ドラ『なつぞら』でも、一点集中するアニメーターの演技が素晴らしかったものでした。今回も絵師らしさがあふれていますね。

「清長そっくりに描いて欲しい」

蔦重としては、ただ似ているを超えて、清長そのものに見えるように描いて欲しいのだとか。

「やれってんならやってみるけど、そんなことしてどうすんの?」

不思議がる歌麿。蔦重には秘策があるようですぜ。

「本屋がうちの本を仕入れる言い訳が立つようにしてやんだよ」

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