金剛――北条義時と八重の子は、頼朝によって名付けられました。
外は雪が降っています。
あけっぴろげな室内がいかにも寒そうで、この子が冬の生まれだとも示している。
秋に上総広常が誅殺され、その後に生まれました。
金剛とは仏法の守り神。源氏を支えるべくして生まれた者にふさわしい――と、頼朝が宣言。
義時も、衣装が立派になりましたね。本来ならば主君から我が子の誕生を祝福されて嬉しいはずなのに、礼を言いつつもどこか沈鬱な顔です。
源氏を支える運命とは、自分が味わっている重責そのものであり、我が子にも背負わせるのか……という苦悩を感じます。
金剛の祖父である北条時政も、そつなく挨拶をしています。伊豆から戻ってきたんですね。
政子が金剛の子を覗きに行こうかというと、八重がにっこり微笑んで「ぜひ」と答える。
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もう頼朝が間に挟まらないから、ギスギスしていません。
伊豆にいると謀反を疑われる
頼朝は時政の帰還を喜んでいました。
なんでも安達盛長まで使わしたようで、時政は一切のことを義時から聞いています。
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そして頼朝は、御家人を束ねていけるのはやはり舅だと甘ったるく誉めています。
微笑ましいようで、苦いものもある。
上総広常は万寿の乳母(めのと)に立候補して、それを頼朝からあっさり断られ、比企に任じられていました。
御家人が頼朝に取り入ろうとするのであれば、実力云々ではなく、どうにも女系の関係が大事らしい。
比企尼に北条政子……果たしてこれを御家人はどう思うのやら。
義時は思うところがあるのか、父・時政に御家人が萎縮していると相談しています。
何か落ち度があれば、その所領は誰か別のものになる。
「御家人たちの馴れ合うときは終わりました……」
義時がそう告げると、時政はだから戻ってきたと言います。
伊豆にいたら、いつ謀反の疑いがかけられるかわかったもんじゃねぇ。そんな風にボヤきながら、今後はさらに源氏に取り入り、付き従うことしかないと悟っています。
このドラマの時政は、策士と評される北条時政にしてはノホホンとしているように思えました。
しかし、このやりとりからは、この時政は生きるために策を飲み込むしかなかったと見えてきます。
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頼朝を頂点とする殺伐とした世界……と、ここで確認したいことがあります。
頼朝嫌い! ムカつく! 腹立つ!
そんなネットの声を集めた記事が盛り上がっていました。
しかし、です。番宣資料で本作のコンセプトを再確認したところ、主人公の北条義時についてこう書いてあります。
源頼朝にすべてを学び、武士の世を盤石にした男
二代執権・北条義時
いくら頼朝を嫌っても、その後をついていくのが主人公。
我々も、がんばってこの謀略まみれの世界を呑み込んで参りましょう。
りくと政子の考え方
大きな代償を払い、御家人たちをまとめあげた頼朝。
一方、弟の義経は鎌倉からの援軍を待っています。
戦が近づいている。
政子は義母であるりくと対面しています。彼女も時政と共に戻ってきました。
政子は、これからは御家人たちと鎌倉殿を繋ぐことが役目だと悟っている。話を聞いてやることが御台所の役目だと。
実衣が「御家人たちの駆け込みどころ」とまとめますが、聡明な彼女は状況を整理する能力がありますね。
しかし、りくは賛同していない様子。
これからは内より外。御家人の面倒を見る暇があるなら、京都で平家のように大きな力を持つ方策を考えるようにと答えます。
それにはともかく子を作ること。
男なら後継ぎ。女なら公家相手に政略結婚。平家はそうして力をつけました。
【外戚政治】ですね。
隣国の中国ではこれで散々痛い目にあったので、その歯止めをする方法も考えられたものですが、日本はそうではない。
困惑する政子は「万寿がいる」と返答しますが、それでは足りない、あと3人は必要だとりくが言う。しかも実衣に対しては、若いから10人産めとのこと。
りく自身も北条の後継を産むため頑張ると笑顔になります。
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どうです、このりくの言葉。この場面だけでも本作は腹が据わっていると思えます。
この発言は「女は産む機械」と同様。まさしく子どもを産むことだけに価値があるとした、一歩間違えれば炎上ものの発言です。
しかし、それは言葉尻を捉えて妙な解釈をするからそうなる。
こういう考え方がたとえ当時は当然だとしても、どれだけ女性を苦しめたか描けばよい。
それに、この会話に参加している女性全員が、そう単純ではない結末を迎えます。子を産んでも簡単に死ぬ仕組みならば、意味がないということでもあるのです。
この場面は政子とりくの違いがハッキリと見え、結果的に平家システムは失敗し、北条システムが成功します。
りくは古く、政子は一歩先を行くビジョンがあったとわかるのです。
それに当時は、今よりもずっと死産と産褥死が多い。
本作の登場人物には複数名の妻がいるケースが多い。それは一夫多妻ではなく、妻との死別が頻発したからです。今週もその事例が登場します。
頼朝への追討令
頼朝は御家人を前にして苦り切っています。
後白河法皇が、己に対して追討令を出してきた。義仲が背後にいることは明白。許せぬ、討たねばならぬと宣言します。
そして、和田、畠山、土肥、千葉氏ら御家人が、義経につくように言われます。
総大将は源範頼。
軍奉行は梶原景時。
景時の名が出るだけで、御家人に動揺が走ります。
上総広常を討った一件で、景時は頼朝の信任と共に、御家人の反発と不信も得てしまった。
こういう汚い仕事をする家臣は組織には必要不可欠であり、景時は偉いと思います。
そして必要悪のような家臣を失うと、政権には往々にして亀裂が入るものです。景時の動向から目が離せません。
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頼朝は鎌倉に残る。
居留守は北条時政と比企能員。
信頼関係を考えれば反旗を翻さないこの両者が適切ではあるのですが、妙な野心と対立の芽生えがありそうです。挨拶の時点で、何かライバル心が芽生えています。
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ここで大江広元が、義仲を滅ぼせば義仲の所領、平家を滅ぼせば平家の所領が分け与えられると、御家人たちに告げます。
「よっしゃあ!」
ワクワクする和田義盛。これはもう忠犬になりきってしまった……。
ただし、忠犬の育成は必ずしも盤石を意味するものではなく、延々と“餌”を与え続けねばならぬ必要も生じます。これがなかなか厄介。天下草創の時期ならば仕方ありません。
頼朝と御家人たちのヤリトリを見ていた義時に、また変化が見られます。彼らの行動、言動をすべて聞きとり、己のノウハウとして吸収しているように見える。
かつての明るさは消え、別の何かが芽生えています。
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義時が八重に別れを告げています。
金剛が生まれて間もないのに心苦しい。
そう告げる夫に、八重はもう一度誰かのために生きる気持ちになったと言います。
母・八重には生きる力を与え、父・義時には『この子が大人になるころには世の中を安寧にする』と思わせる、金剛という存在。
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世を変えるため義時は出陣してゆきました。
範頼軍と義経軍の合流
寿永3年(1184年)も明け、鎌倉を出立した源範頼の本軍が、墨俣にいる義経先発隊と合流しました。
と、早くもここで不協和音が勃発。
和田義盛が梶原景時と同席したがりません。
この場面で切ないのが、文官でありながら義経の側に派遣されてきている中原親能さん……。顔が疲れております。
こんなことしたくないですよね。文書整理あたりが本来の仕事であり、弟の大江広元は鎌倉にいるのに。
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範頼が弟・義経と再会すると、まず勝手に攻め込んだりしていなかったことを褒めました。
しかし、小競り合いをしたと笑顔で返す義経。
胃痛で苦しんでそうな親能が「止めたのですが!」と苦しげに続けます。
それでも義経は無反省で、あちらが挑発したと答えれば、範頼も「鎌倉殿には私が命じたことにする」とフォローしている。そして景時がやんわりと嗜める。
義経:暴走する
範頼:暴走する奴をかばう
景時:庇うことを嗜める
三者三様の性格が浮かんできますね。
無反省の義経は、必ず義仲の首を取って見せると言います。おぉ、義経よ……。
こんなとき、兄の義円ならこう言えたでしょう。
将、外にあっては、君命も奉ぜざるあり――。
『孫子』の引用で「前線の将軍は君命であっても受け入れられないことはある」という意味ですね。
利発な義円ならそうしてことをスムーズに運べたはず。
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しかし義経はそうじゃない。
彼の軍略は天性の素養が大きな割合を占め、脳内でいつもドクドクと湧き溢れている。
朝起きた途端に湧いてくる。自分でも止めようがないから、叫び出したいほど合戦がしたかった。
戦のない鎌倉を「空気が澱んでいる」と言ったのもその現れでしょう。
こういう人物には、何らかの戦略を駆使する暇つぶしがあればよいのです。
現代ならばスポーツ、あるいはテレビゲームやスマホでも。せいせいガチャに金をぶち込むくらいで済んだかもしれないのに、乱世に生まれたからこそ義経は“伝説”となります。
今週の義経を「バーサーカー」と呼ぶトレンドや記事も見かけますが、わざわざ北欧神話由来の単語を持って来なくてもよいのではありませんか。
そもそも狂戦士とは、和田義盛のように矢に向かって馬を走らせるような武士でしょう。
義経はもっと精密です。
殺すことにかけて極めて精密で、かつ、それを好む。
東洋の言葉で表すなら、奸雄とか梟雄、はたまた豺狼(さいろう)でもよろしいかと存じます。
残酷なことを好み、かつ凶暴で頭が切れる。そんな人物に見えます。
使者を斬れ 冷静さを失わせろ
木曽義仲がいる京都の寝所では、近江に接近してきた鎌倉勢を意識しております。
手を組むつもりはないのか!と悔しがる義仲。
残念ながら小競り合いが始まったと告げる巴御前。
それでも義仲は、一縷の望みを託して文を送ります。
義仲は純粋過ぎました。
平家討伐という「義」があれば、同じ源氏として戦えると信じていた。上総広常もそう。頼朝は父の仇を討つという「義」のために生きていると思い込んでいた。
しかし、人間はそういう者ばかりではありません。
一方、義経サイドでは、軍議が開かれ、京を攻めるなら勢多と宇治だと言い切ります。
作戦は無事に進むようでいて、義盛が景時の指示を聞きたがらずに止まってしまう。
それを諌める義時は、今週も苦労が尽きません。景時は、あくまで頼朝の命令で上総広常を斬ったことを再確認。恨むのならば鎌倉殿を恨むのが筋! と叫ぶのですが、ここで景時が止めに入ります。
不穏だなぁ。
義時は、己に言い聞かせているというか……無意識のうちに謀反の種を撒き散らしていますね。だからこそ景時も止めに入るのですが、一方で義経はこう。
「笑えるなあ」
人としての情けがあまりに欠けている。
と、そこへ弁慶がドスドスと現れ、何やら報告。義仲から文が届いたことを伝えます。
「ハァ? 寝ぼけてるのかー!」
共に平家を倒したい――そんな義仲の申し出に対し、義経には全く話が通じません。そして彼は使者の首を斬ることを思いつきます。
景時が「武士の作法に反する」と言っても、「義仲の頭に血を昇らせるんだ」とウキウキしながら義経は意図を語ります。
戦は平静さを失った方が負けだ。
そして和田義盛に斬首を命じます。
この義経の人選センスもいいですね。この場にいる中で、何の疑問やわだかまりもなく出来るのは義盛ぐらいのものでしょう。邪悪という意味ではなく単純ですので。
義経はさらに「こちらを味方と思っているならば兵数も掴んでいない」と察知。
軍勢は一千しかいないと偽りの噂を流すよう義時に命じます。
畠山重忠が「あれほど生き生きとした九郎殿は初めて見ます」と少し驚いていると、土肥実平も「引き絞られた矢だ」と返す。
しかし、この場面のこの策、『麒麟がくる』ならば通じないでしょう。
使者殺害は最悪の行為で、こじれにこじれるため、戦場では絶対的な禁忌です。戦国時代になると、家中の掟で禁じられたことも多い。
ところが鎌倉時代は徹底されていません。
最悪の例として、鎌倉幕府が元朝の使者を斬ったことがあげられます。
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そんな昔のコト……と思うかもしれませんが、モンゴル出身の大相撲力士たちは、しばしば神奈川県藤沢市にある常立寺(じょうりゅうじ)を訪れます。
ここに「元使五人塚」があるのです。
要は、梶原景時の方が時代を先取りしていたのですが、そんなコンセンサスも無かった為に却下されてしまった。
義経の戦術は画期的ではあるものの、戦国時代となると通じないと思えることも多い。この時代ならではの存在なのです。
届けられた首
斬られた首を前にして、愕然とする義仲。
激しく怒り狂いますが、同時に「義経たちの挑発に乗ってはならん」と己を抑制します。
しかし、この先は失敗です。挑発するということは、相手に小細工があると考えてしまうのです。
攻め手の分断を見抜き、勢多と宇治から来るところまでは理解します。
義仲軍の地図は、鎌倉勢とは違い、漢字を使っておらず素朴です。
そんなタイミングで、彼らのもとへ新たな一報が届けられます。
鎌倉軍は1千しかいない。
そんな偽の情報を聞いて、義仲は考えます。
頼朝は北の藤原秀衡を恐れて、兵を出せない――。
「鎌倉方、恐るるに足らず! この戦、勝ったッ!」
テンションの上がる義仲ですが、彼は決して愚かではありません。情報確認が足りなかった。
これまた、後世であれば起こりにくい事態といえます。戦国時代ならば、忍者なりを駆使して情報を集め、もっと盤石な戦い方ができたでしょう。
そして……。
草陰から敵兵を確認して義仲らは慄きます。鎌倉軍は二万はいる。今井兼平が目で見て確かめるべきだったと悔しそうにしています。
仕方なく義仲は、兼平に橋を外すように命じますした。
義経の計略に追い詰められ、京を捨てると決意したのです。
しかし橋を外すことは、義経には予想済みでした。その上で畠山重忠に先手を率いて川を渡れと命じます。
敵の矢に狙われ、格好の的になると躊躇する重忠。彼は自軍の損耗を嫌う言動が多く、兵を愛する将ですね。
義経は次のもう一手を明かします。
強者を二人選び、川岸で先陣争いをさせる。そこに敵の目が注がれている隙に、畠山が川を渡るのだ。
先陣争いも兵を乱す原因であり、戦国時代では禁止している家もあるほどでした。
義無き法皇に義仲の思いは通じず
義仲は京にある後白河院の御所へ向かいます。
しかし、法皇は平知康、丹後局と隠れています。それでも呼びかけ、京都の地を離れて北陸へ向かうと告げる義仲。
こんなときでも、力及ばず、平家追討を果たせぬことを詫びています。
いっそ法皇を連れて北陸へ!
そう語ると法皇は冗談じゃないと慌てている。
義仲はわかっていました。
そうしたところで、その先に義はないと。そして彼の果たさなかったことは頼朝が引き継ぐと信じていると。三種の神器が戻ることを信じていると。
「最後に一目、法皇様に御目通りしたくござったが! それも叶わぬは、この義仲の不徳のいたすところ。もう二度と、お会いすることはございますまい。これにて御免」
義仲が潔く去ると、丹後局はこう漏らします。
「思えばかわいそうなお人でございましたな」
「義だのなんだの……手前勝手は平家と変わらんわ」
そう吐き捨てる後白河法皇。
本作は、義を理解しない人間が、どれだけ浅ましく醜いのかを描いてくる。
主人公周辺がやたらと「義だ!」と叫ぶのではなく、それを捨てた人間の醜さを描くことで浮かび上がらせる。
結局のところ、後白河法皇に政治のビジョンなどありません。
彼の人生ははこれでしょう。
遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけん。
『梁塵秘抄』
白拍子とこういうことを歌いながら、楽に生きていけたらいーのよ。仁とか義とか、どうでもええ。
そういう仁義のなさ、薄っぺらさが持ち味でしょう。
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遊び方もハンパじゃない後白河法皇|血を吐くほど今様を愛し金銀でボケる
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もちろん、お手本にしてよい人物ではなく、反面教師にはなる。
どんなあくどい陰謀をかましても、これも「義」のためと言い張ればなんとかなるかもしれない。これから先、北条義時が習得しそうな技能です。
法皇と義経
義仲の捨てた京へ、鎌倉勢が大和大路から入ってきました。
街の中には飢民がいる。勝利の喜びよりも、虚しさが満ちている。
義仲一人が悪いわけでもなく、飢饉と戦が起きたことそのものが悪い。
そんな末法の世を見て、義時の顔は暗い。
彼らは法皇の元へ向かいます。
「もっと近う」と言われてドスドスと近づく義経。和田義盛ですら慌てるのだから、中原親能の胃痛が心配になってきます。
しかし、名を名乗る義経に対し、法皇は怒らぬどころか、何か感じたようではあります。
義経は宮中と結構関係があったとか、藤原秀衡人脈とか、色々な要素が絡みあってのことでしょう。
ただし、朝廷に近い距離感というのはどうにも危うくもある。
法皇は京都は一安心といい、休めというと義経は即座に断ります。いますぐ義仲の首をとり、平家を滅ぼすと宣言するのです。
「休め=本気で休めとは言っていない」という論法を振りかざす法皇からすれば、まあ、それでよいのかもしれず、案の定、笑って喜んでいますね。
義経は、将兵の疲労はどう考えているのやら……。
このとき畠山重忠が、戦が終わったら嫁探しをしようかと言い出します。
義時が、うちの妹二人が余っていると言うと、まんざらでもない様子の重忠です。
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彼は性格がよいので、三浦義村とはちがって自分の美貌を悪用したりしない。義時も妹を勧めたくなりますよね。
義盛も新しい嫁が欲しいとボヤいている。すでにいるではないか、と指摘されると「ウサギみたいにおとなしくて物足りない」んだとか。
いやいや、義盛に釣り合う嫁なんているか!と突っ込みたくもなりますが。
と、そのタイミングで緋袴の女房たちが、廊下を通ってゆきます。
重忠が頭を下げると、彼女たちも美貌にうっとり。しかしなぜか義盛が走っていって、坂東とちがう女房どもにご挨拶しようとします。
いや、義盛さん、この方たちはウサギどころか雀ぐらいのか弱さですよ。
案の定、悲鳴があがりました。
義仲と兼平の死
京を出た義仲は近江方面へ。
しかし、範頼の軍勢が待ち構えています。
「巴、お前はここで落ち延びよ」
小屋の陰に隠れながら、義仲が告げます。
切なそうな顔で見返す巴御前。義仲は鎌倉の木曽義高への文を彼女に託し、わざと捕らえられて鎌倉へ行けと命じるのです。
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しかし巴は断る。
「地の果てまで殿のおそばに!」
そう訴える巴の頬を血まみれの手で包み、義仲は別れを告げます。
「さらばじゃ」
このあと巴は薙刀を持ち、道を歩いてゆきます。するとそこへ敵がやってきた。
「我らが可愛がってやろう!」
「あなどるな!」
このやりとりから、義仲の託したものの重さがわかる。
巴は強いけれど女性である。それに生きて鎌倉まで行けということは、あまりに過酷なことでもある。
それでも巴は諦めない。薙刀を構えます。
「我こそは源義仲一の家人、巴なり!」
薙刀を振り回す、相当長く大変なアクションが続きます。
秋元才加さんが強く、猛々しく、美しい。純粋で本当にかっこいい。どこまでも義仲についていくと死を覚悟した顔も、美しかった。
けれども今、生きて義仲の思いを託すべく奮闘する姿も美しい。
そしてついに地面に倒されてしまった巴の元に、和田義盛がやってきます。
「大した女だ、気に入った!」
満面の笑みを浮かべる義盛。
あれ? なんでこの人が救世主に見えるのだろう?
生きて鎌倉へいく。その巴の望みを叶えるのがこの笑顔なのでしょう。
残るは、義仲と兼平の二騎だけになりました。
ここまでか……と覚悟を決めた主に、兼平は自害に向いている松原があると告げます。
「源義仲、やるだけのことはやった何一つ悔いはない。ひとつだけ、心残りがあるとするならば……」
そう馬上で振り返る義仲の額に、矢が当たります。
あまりに呆気なく訪れる最期。
リアルな死とはこういうものでしょう。
心残りとは、鎌倉にいる息子・木曽義高のことでしょうか。
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鎌倉には京からの知らせが続々と届いています。
思えば頼朝が挙兵する前、その手の情報は三善康信頼りだった頃とは変わりました。
しかし、同時に坂東武者たちの教養も明らかになります。
大江広元がまとめたところによると……。
★
土肥実平:悪筆すぎて読めない。書き慣れていない。
申し訳ありませんが、何もかも一から考え直した方がいい。
現代であれば、フォント選びから画像やグラフまで、何からなにまで間違ったプレゼンをしているような状態ですね。
ただし、史実からはいささか下方修正されておりますので、そこはご理解ください。
和田義盛:イラスト入りでかわいい。それなりの工夫がある。
スライドにかわいいイラストを入れているけど、そのせいでかえってよくわからないタイプ。
別に、かわいらしさは求めていない。
北条義時:内容は確か。しかし内容が細かすぎて頭に入ってこない。もっと工夫しましょう!
とにかく正確に伝えようとして、注釈が入り過ぎている。全ての情報を盛り込もうとするため、フォントサイズがやたらと小さい。
よって要点が不明瞭になる。もっとメリハリをつけて!
現代であれば、各省庁から出される国家公務員作成の資料でしょう。試しにどこかの省庁サイトをご訪問ください。はなから読む気を失います。
梶原景時:戦の進み方、働き方、まとめ方が上手で実に読みやすい!
この部署はみんな梶原さんにプレゼン資料の作り方を学ぶように!
現代であればカタログ雑誌やノウハウ本などの編集者向きですかね。
★
こうしたプレゼンスキルの評価は現代にも通じるもの。脚本の三谷さんも、様々な企画書を渡され、同様の思いを抱いてきたのかもしれません。
むろん歴史劇ですから単にそこだけを描くのではなく、紙と硯に向かう姿勢も重要でしょう。
梶原景時は実に綺麗。中村獅童さんは荒々しい殺陣だけでなく端正な動きもこなす。宝のような人です。
頼朝もご満悦。
なんでも景時の報告内容は読まずともわかっているとのことで、義経から「木曽義仲を討ち取った!」と報告があったとか。
気になるのはその報告書の体裁ですが……なかなか雑です。
しかし喜んでばかりもいられません。鎌倉には、義仲の討死を懸念する者もいる。
北条政子の前に阿野全成と実衣夫妻が来て心配そうにしています。
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辛いことになりそうだと語る全成に対し、政子はハッキリと言い切りる。
大丈夫。決して冠者殿を死なせたりはしない――そう決意を固めています。
北条政子は悪女だのなんだの言われるけれど、そうではないとこのドラマは示しています。
情に篤い。目の前の誰かが困っているのに、権力を求めるなんて性に合わない。まっすぐな人で、彼女にも「義」はあります。
そのころ、父の死を知っているのか知らないのか、木曽義高は海野幸氏とともに、大姫と遊んでいるのでした。
天才義経の戦術とは
京の範頼の陣では、平家討伐の軍議が始まっていました。
どこから攻めるか?
そんな主題について、景時は真っ向攻めではなく、軍を二手に分け、北から山を越えて攻めると献策します。
小馬鹿にするような顔の義経は無言のままです。
御家人たちは納得し、重忠は戦上手だと景時を褒めます。
しかし義経は、山から攻めるのはいいが後はダメだ!と言い切る。
景時が理由を聞くと、意表をついて山から攻めるのは子どもでも思いつく。ゆえに敵も思いつく。ならばいっそのこと手の内を見せてやるのだ。
なんのため?と義盛に聞かれると、義経は全部説明するのかと面倒臭そうに言います。
出た。自分がわかっていることはみんなわかっていると言いたげで、説明を省きたがる悪癖です。
義経の狙いは「敵を散らすこと」でした。
敵も、今のままなら二箇所だけ守っていればいいが、山にも進軍すれば、三箇所の守備が必要になる。
その上で平家の裏をかき、予想外のところから攻める。
では予想外とは何処なのか?
しばし考える義経は、程なくして「そのときその場で見て決める」と言い出します。
これには、義盛ですら「そんなアヤフヤな策があるか」と反発。
意に介さず義経は、行軍に二日かかる場所へ明日一日で夜襲をすると言い切る。
さらには戦に無理はつきものと突っ切ろうとすると、重忠ですら平坦な道ではないと困惑しています。
「なんだなんだぁ? 坂東武者は口だけかぁ?」
義経にオラつかれ、無表情になる景時。義時も困りながら、景時に意見を求めると、思わぬ返事がかえってきました。
「九郎殿が、正しゅうござる。すべて理に適っておりまする」
「あの男はわかっておる! あはははははは!」
そう言いながら、思いっきり笑い出す義経。
怒ったり笑ったり感情がコロコロ変わりますが、源範頼も景時がそう言うならと納得の様子です。
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義無き義経と法皇の波長
それにしても、なぜ景時は納得したのか。
本当は同意してないが反論するのも面倒だから、その場では義経の意見に従ったのか。
一瞬、そんな風に思えてしまうかもしれませんが、景時も凡人には非ず。
自分なりに正しいと判断した。
感情ではなく理性で考えたことを義時に説明。その上で、もう一歩深く思考できなかった自分に腹を立てている。
それも仕方ないこと。義経は戦をするために生まれてきたような男だと義時が讃えると、景時はこうきた。
「戦神……八幡大菩薩の化身のようだ」
信心深いからそうきましたか。
その化身である義経が二人の前にやってきて、義時だけを残すと別の策を話し始めました。
法皇に文を出し、平家に対し和議を命じてもらおう!
源氏と停戦するように伝えてもらい、その前日に知らぬして一方的に攻め込む――義からどんどん遠ざかる義経です。
それに朝廷の力を利用することは禍根ともなり得ます。
彼は自らが地獄へ堕ちる道を踏み始めてしまったかもしれない。
天才的な策にせよ、一つでも間違えたら総崩れとなる危険性がある。この英雄は、一押しで崩れる砂の楼閣のようでもあります。
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義時が暗い顔をしていると、義経はこう言います。
「騙し討ちの何が悪い?」
攻める側ですから今はイケイケですが、もしも自分が騙される側になった時、彼はどういう顔をするのか。
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それは、先の展開を待つこととして、義経の依頼を受け取った法皇は俄然乗り気です。
平家をハメる。そのために平宗盛に文を出すと告げると、平知康はすぐに取り掛かると言い出します。
丹後局が相手の意を汲み取って言う。
「今度の源氏の御曹司は、法皇様と気が合いそうですこと」
「こういうのが大好きなんじゃあ」
義を軽んじる者同士が連携してゆきます。
馬を背負ってでもついていく
福原の平家の陣では、平宗盛が文を受け取っています。
法皇様は和議を望んでいる――宗盛がそう説明すると、平家一門の勇士である平知盛は笑い飛ばします。
清盛の遺言に背くのか?
そう語気を強める知盛に対し、宗盛は一門の行く末も大事だと困惑しています。それでも知盛は叫ぶ。
「総大将がぁ! このようなことでいかがします?」
人には向き不向きがあります。この兄と弟はいる場所が逆だったのかもしれない。
宗盛は眉間に皺を寄せつつ、和議の可能性を振り払えないのです。こうして迷うだけでも人は弱くなる。実に狡猾な策です。
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義経は福原に向かい、険しい山中を進みます。
すると荒れた山を猟師に案内されました。
断崖絶壁だが、一箇所だけなだらかな鵯越がある。そこならば馬に乗って駆け降りることもできる。
義経はなだらかなところを駆け抜けても敵を出し抜けないと言います。景時は、なだらかといっても崖だと眉をひそめる。
この先には鉢伏山という切り立った山もあり、義経はそこを降りると言い出す。
馬では無理だと反論されても、出来ると引かない義経。
たまらず景時が怒りで声を荒げます。一人にできても皆ができなければ無理だ!降りれば多くの兵が無駄死にする。大将ならそこまで考えろ、と。
義時も景時に同意すると、義経は「馬に乗ったままで降りるとは言っていない」と返します。
馬は後戻りができない。まず馬を行かせ、続けて人を行かせる。
合理的なようでいて、坂東武者の自尊心を思うと中々の奇策です。
当時は、騎馬か徒歩かでまるで扱いが違いました。
言うまでもなく騎馬の方が上で、プライドの高い武士であれば反発しかない。だからこそ景時も、そんな無様なことはできないと引けません。
それでも見栄えなんて関係ないと義経は主張し、しまいには「自分の兵だけで行く」と言い捨てました。
義時が重忠に、義経について行くように頼むと重忠は返します。
「馬を背負ってでもついていきます。末代までの語り草になりそうです」
実際そうなります。畠山重忠の銅像は、馬を担いだ姿。そして上へと登ってゆく。

畠山重忠公史跡公園(埼玉県深谷市)
景時は悔しそうに義時に言葉を漏らします。
「なにゆえ、あの男にだけ思いつくことができるのか……」
まるで天才に嫉妬する秀才のようだ。
常識的に考えれば、景時が正しい。義経は兵士の損耗を度外視しすぎ、かつ技量に頼りすぎています。
これは日本の特徴かもしれません。
他の文化圏では、一つの技術なり作戦なりを集団で覚えて底上げする方法が重視されます。
たとえば諸葛弩(しょかつど)――諸葛亮が発明あるいは改良をした弩であり連射ができる、現在で言うところのボーガンです。
こんな兵器があれば誰だって矢を連射できる! 流石だ!
そんな風に讃えられる一方、坂東武者は扱いが難しい弓術の個人的技量を重視します。
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では、どちらが名将なのか?
そう問われたら、私は景時の方がよいと思えてしまうことも確か。義経は、とにかくリスクが高すぎます。
義村の娘
八重が金剛を抱いているところへ、留守を守る三浦義村が来ました。
三浦は後詰めだそうで、義村は赤ん坊を抱いています。
「俺の子だ。はつ」
なんでもこの子の母は訳ありとかで、要するに産褥死してしまった。そこで戻ってくるまで預かって欲しいとのことです。
「無理です」
「一人も二人も、同じではないか」
おおっと三浦義村、全国の視聴者を敵に回す無神経発言をしおった! 乳母ぐらい自分でなんとかしろー。
「まったく違います!」
八重がそう言っても、着替えと食い物はあとで届けさせると彼女の意見をまるっと無視。
食べ物って……まだ乳児でしょうよ。
八重が困ると言っても、金剛のいい遊び相手になると言うし。いやいや、遊べるワケないってば。
これは泰時の息子(北条泰時)と義村の娘(矢部禅尼)が結婚する伏線とは思います。
のみならず今週も最低値を更新する義村の面倒くささ。
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義村は、八重と義時をからかっていただけで、本気ではないとハッキリしましたね。
もし執着があるなら「あいつとの子を産んじまったか」くらいの反応はあるかもしれない。それに困っている八重をあぁも無視はしないでしょう。
娘に対しても冷たいですね。別れを惜しむ様子はなく、とっとと置いて振り向きもせずに去る。愛情表現がとことんズレてんなー。
根っからの悪人ではないけれど、本当にこいつは何なのか……。
一ノ谷の戦い
2月7日早朝――義経は70騎の武者とともに鉢伏山にいました。
鹿の糞を見つけて喜んでいます。鹿が降りられるのならば、馬も降りられるという理屈。それにしたって糞をそんなに重忠につきつけなくていいし、投げなくてもいいのに。
「この糞に命運を賭けた!」
そのころ生田口では範頼と知盛がぶつかっていました。
一ノ谷の戦い――源平合戦最大の戦いです。
知盛が矢を放つところへ、義盛が突撃。やっぱりバーサーカーはあなただ。
相当高度な映像です。
まず馬が複数いるし、馬に乗る義盛のアップも映り、弓矢も放っている。
大河の合戦でも、ここ数年で屈指であり、予算と手間暇を感じます。アクションもVFXも、かなりレベルが上がってきていますね。
本陣で宗盛は、幼い安徳天皇に告げでいます。
「帝、心配はございませぬぞ。この一ノ谷に、敵は参りませぬ」
頷く帝。まだ幼いのに、気品のある姿です。
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しかし、義経一行が土埃をあげ、すぐ側まで接近すると、獣のように叫ぶ。
「かかれー!」
白い旗を見て絶望の表情を浮かべる宗盛。
景時や義時は、知盛の強弓の腕前を見つめています。
人馬が入り乱れ、戦う中、義経はなおも雄叫びをあげる。
「八幡大菩薩の化身じゃ……」
景時がそう酔ったように言う隣で、ますます暗くなっていく義時の顔でした。
MVP:源義経と梶原景時
このドラマの義経には感謝しています。
義経というのは、私が子ども向け『義経記』を読んで以来、長いこと好きな人物でした。人生初の推しと言ってもよいほど特別な存在。
今回の義経は、そんな像を木端みじんに吹き飛ばしてくれる。
これが爽快なのです。
義経という邪悪な輝きにより、他の将の個性が際立って見えてきます。
畠山重忠は、理想的な源平の武士だと思えます。
見目麗しく聡明で優しい。昔好きだった義経像って、実はこの重忠なのではないかと思えます。
前にも言ったので繰り返しとなりますが、理想の源平武者の絵が生きて動いているようで、毎回驚いてしまいます。
大人になるというのは、源範頼の良さを理解することかもしれない。
地味な人だと思っていたけれど、優しくて組織の潤滑剤になる範頼こそ、本当の名将だと思えます。強さよりも、賢さよりも、大事なものはありますよね。
平知盛の勇敢さ。
平宗盛の安寧を願う誠実も美しい。
そういうそれぞれのよさを組み合わせた源平武者が、かつて自分が好きだった義経なのかもしれない。そう思えてしまいました。
そしてしみじみと、義経より景時の方が時代を先んじていて、組織の一員として有能で、実は役立つ人材ではないかと思えてきます。
景時は場の空気を理解している。
義経はまったく意に介さない。こういう人間がいるとチームワークがズタズタになり、かえってパフォーマンスが落ちます。
そういうバランスを見ていくと、実は景時の方が上ではないかと痛感できる。
景時は先天的な才能ではなく、後天的な学びを使いこなす達人です。
演じる役者も素晴らしい。
勝手にこう思っていました。東の染谷将太さんならば、西は菅田将暉さんだと。
こういう性格の濃い天才的な武将を演じるうえで、この年代なら東西でこの二人が競い合うだろうと。
まさにその通り。菅田将暉さんはまるで猛獣。得体の知れない何かが突如現れたような感覚があって見ていて飽きない。
声にノイズがあるというか。甲高かったり濁っていたり、特殊な楽器のようですごい、聞いているだけで不安になる。顔つきも声も獣です。
景時の中村獅童さんも見ていて飽きない。
所作はいつも重々しくて端正。あの表情が消えた顔。妬む顔。悩む顔。
こんな真摯な家臣がいたらどれほど心強いかと思えてきてともかく素晴らしい。
ただの好悪だけでなく、組織の一員としてどうなのか。
そう興味津々として見つめていたくなる、とびきり見事な人間像があります。
総評
木曽義仲は「義」と口にします。
そして後白河法皇はそんなものは手前勝手だと言う。
好き勝手に人を操り、騙し討ちの何が悪い!と開き直る義経と気が合っていた。
この対比から、「義」のない人間は空っぽなのではないか?と思えてきました。
たとえ志半ばで斃れるとしても、「義」さえあれば生きたことに意味があると見せつける義仲がいる一方、空洞そのもののような後白河法皇がいる。
そして第三の選択肢も欲しくなります。
義もあって、勝利も飾る――われらが主人公である義時がそんな道を行くとすればどうすべきか?
義については答えが出てきている気がします。
姉の政子は御家人の悩みを聞くと言い切った。これは義のある振る舞いであると、京都人らしい空虚な権力思考を見せるりくとの対比でわかります。
政子の意向に沿えば、義時は義を掲げることはできます。
それは金剛を前にして思う迷いでもよい。
頼朝は金剛を源氏の守り神にするつもりだけれども、義時はそうではなく、ただ我が子に幸せな人生を送らせたいと願っています。
この父としての純粋な思いに、政子の掲げた御家人を幸せにするという義を振りかざして、亡き兄・北条宗時の遺志、それに上総広常の願い……そうやってモヤモヤと考えていくうちに、義のある勝利が拓けてくるのかもしれません。
この義時は、まるで昭和の中間管理職だと共感する方もいるとか。
どこの昭和に、上総広常のような暗殺劇を見る中間管理職がいたというのか。それって『仁義なき戦い』ではないか?とちょっと苦言を呈したくなります。
あくまで彼は平安末から鎌倉初頭の人物です。
それでも現代人にも通じる何かはあるのでしょう。
義と勝利の両立、どうすればできるか?
一人一人が考えると、世の中良くなるかもしれません。自分一人だけのためでなく、皆が幸せになれることを考えればよいのかも。
義時の顔つきは前回あたりから変わりました。
そのヒントを、三谷さんもインタビューで明かしています。
◆「上総介」の死去に広がった衝撃。『鎌倉殿の13人』の“本当の始まり”とは? 脚本の三谷幸喜さんが明かしていた【大河ドラマ】 (→link)
義時は、上総広常の死を目撃して、彼なりにこれも必要悪だと学んだのかもしれない。
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そうはいっても、頼朝を恨む気持ちもある。その折り合いをつけるべく今悩んでいて、それが顔に出てきている。
かつてならば「義」こそ大事だと透き通った目で言えたかもしれないけれど、今はもうそうではない。義に殉じても目的は達成できない。
けれども、義なき勝利はただ虚しい。
そこでどう折り合いをつけるのか?
そんな義時の葛藤への道筋が、じわじわと見えてきたと思えます。
小栗旬さんも理解しているから、キッチリ伝わってくるのでしょうね。がんばってください!
◆小栗旬、「鎌倉殿の13人」北条義時役へ心境「現場は楽しいのに、しんどくなってきた」(→link)
彼女は、生きてこそ
巴の顛末にはなかなかショックを受けてしまいました。
義仲が生きるように告げるところ。あんなふうに文を託されたら、彼女はそれを反故になんかできない。
そして敵が可愛がってやるというところで、戦場に生きる女性の残酷さを思わされました。
俺と共に来て死んでくれという方が、よほど楽なんじゃないかと。
義仲は素晴らしいけど、ひどい人だと思ってしまった。
でも、それは偏見かもしれません。愛する男に殉じる女性像に縛られ過ぎているのかもしれない。
死ぬよりも、彼女が生きる方がよほど魅力的ではないか?
それは八重の時点でそうだったし、巴もそうなのだと気付かされました。
生きた方がいい。これは最高のヒロイン賛美だと。
しかし、そうなる時に気になることがひとつ。
八重はこの先そう長くはおりません。確率からいくと産褥死がありえる退場ではあるのですが、そうでもないような。
何か不安なので善児にはなるべく早く、ご退場いただくしかないとは思います。
予想では6月5日放送で、善児退場ではないかと思います!
あの男は不穏すぎるのだ。
時代の子・義経
源義経には大天才のイメージがある。
しかし、実際にそうだったのか、後世のイメージゆえか。
そこは慎重になった方がよいと本作は示しています。
義経はヤマトタケルとイメージが重なるとは指摘されるところです。
悲劇の天才戦略家が、新しい国づくりのために戦い、非業のうちに死ぬ。そんなところが重なる。
そのせいでわかりにくくなっているけど、そうした分厚いベールを剥ぐ流れが到来しつつあります。
近年の様々な研究成果をふまえ、人格に相当癖があったとされる日本史英雄の定番に入ります。
ちなみにその他の定番としては、織田信長や坂本龍馬も入ります。
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自分が好きだから。立派な業績をあげたから。だからきっと人格的にも素晴らしいと、人は思いたがるものですが、実際はそう単純なことでもない。そんな風に示す本作はやはり新しいものがあるとわかります。
義経はこの時代だからこそ英雄となれたのだということもわかる。
「超世の傑」(時代をとわぬ英雄)ではなく、むしろ「時代の子」だろうと。
彼自身は巧みな集団戦術を用いる転換点をうまく捉えているけれども、スタンドプレーがあまりに目立つ。
こういうことは軍隊の組織がもっとしっかりした時代にはむしろ嫌われます。
彼の言動が悪質な意味でも目立っていたからこそ、インパクトが強かったのでしょう。
これより前でも後でも、こうも輝かなかったのだと納得できます。
その時代にピッタリあったからこそ名を成した人物というのはいるものです。
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昨年大河『青天を衝け』の渋沢栄一も、伝記を手がけた幸田露伴にそう思われています。
確かに外国人殺傷思想である攘夷テロ繋がりで人生が開けるなんて、あの時代しか考えられません。
そういう人物を過剰に美化するよりも、今年の義経のような描き方にする方が、歴史もののアプローチとして正解だと思えます。
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【参考】
鎌倉殿の13人/公式サイト



























