鎌倉殿の13人感想あらすじ

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第16回「伝説の幕開け」

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第16回「伝説の幕開け」

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金剛――北条義時と八重の子は、頼朝によって名付けられました。

外は雪が降っています。

あけっぴろげな室内がいかにも寒そうで、この子が冬の生まれだとも示している。

秋に上総広常が誅殺され、その後に生まれました。

金剛とは仏法の守り神。源氏を支えるべくして生まれた者にふさわしい――と、頼朝が宣言。

義時も、衣装が立派になりましたね。本来ならば主君から我が子の誕生を祝福されて嬉しいはずなのに、礼を言いつつもどこか沈鬱な顔です。

源氏を支える運命とは、自分が味わっている重責そのものであり、我が子にも背負わせるのか……という苦悩を感じます。

金剛の祖父である北条時政も、そつなく挨拶をしています。伊豆から戻ってきたんですね。

政子が金剛の子を覗きに行こうかというと、八重がにっこり微笑んで「ぜひ」と答える。

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もう頼朝が間に挟まらないから、ギスギスしていません。

 

伊豆にいると謀反を疑われる

頼朝は時政の帰還を喜んでいました。

なんでも安達盛長まで使わしたようで、時政は一切のことを義時から聞いています。

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そして頼朝は、御家人を束ねていけるのはやはり舅だと甘ったるく誉めています。

微笑ましいようで、苦いものもある。

上総広常は万寿の乳母(めのと)に立候補して、それを頼朝からあっさり断られ、比企に任じられていました。

御家人が頼朝に取り入ろうとするのであれば、実力云々ではなく、どうにも女系の関係が大事らしい。

比企尼北条政子……果たしてこれを御家人はどう思うのやら。

義時は思うところがあるのか、父・時政に御家人が萎縮していると相談しています。

何か落ち度があれば、その所領は誰か別のものになる。

「御家人たちの馴れ合うときは終わりました……」

義時がそう告げると、時政はだから戻ってきたと言います。

伊豆にいたら、いつ謀反の疑いがかけられるかわかったもんじゃねぇ。そんな風にボヤきながら、今後はさらに源氏に取り入り、付き従うことしかないと悟っています。

このドラマの時政は、策士と評される北条時政にしてはノホホンとしているように思えました。

しかし、このやりとりからは、この時政は生きるために策を飲み込むしかなかったと見えてきます。

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頼朝を頂点とする殺伐とした世界……と、ここで確認したいことがあります。

頼朝嫌い! ムカつく! 腹立つ!

そんなネットの声を集めた記事が盛り上がっていました。

しかし、です。番宣資料で本作のコンセプトを再確認したところ、主人公の北条義時についてこう書いてあります。

源頼朝にすべてを学び、武士の世を盤石にした男

二代執権・北条義時

いくら頼朝を嫌っても、その後をついていくのが主人公。

我々も、がんばってこの謀略まみれの世界を呑み込んで参りましょう。

 

りくと政子の考え方

大きな代償を払い、御家人たちをまとめあげた頼朝。

一方、弟の義経は鎌倉からの援軍を待っています。

戦が近づいている。

政子は義母であるりくと対面しています。彼女も時政と共に戻ってきました。

政子は、これからは御家人たちと鎌倉殿を繋ぐことが役目だと悟っている。話を聞いてやることが御台所の役目だと。

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実衣が「御家人たちの駆け込みどころ」とまとめますが、聡明な彼女は状況を整理する能力がありますね。

しかし、りくは賛同していない様子。

これからは内より外。御家人の面倒を見る暇があるなら、京都で平家のように大きな力を持つ方策を考えるようにと答えます。

それにはともかく子を作ること。

男なら後継ぎ。女なら公家相手に政略結婚。平家はそうして力をつけました。

【外戚政治】ですね。

隣国の中国ではこれで散々痛い目にあったので、その歯止めをする方法も考えられたものですが、日本はそうではない。

困惑する政子は「万寿がいる」と返答しますが、それでは足りない、あと3人は必要だとりくが言う。しかも実衣に対しては、若いから10人産めとのこと。

りく自身も北条の後継を産むため頑張ると笑顔になります。

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どうです、このりくの言葉。この場面だけでも本作は腹が据わっていると思えます。

この発言は「女は産む機械」と同様。まさしく子どもを産むことだけに価値があるとした、一歩間違えれば炎上ものの発言です。

しかし、それは言葉尻を捉えて妙な解釈をするからそうなる。

こういう考え方がたとえ当時は当然だとしても、どれだけ女性を苦しめたか描けばよい。

それに、この会話に参加している女性全員が、そう単純ではない結末を迎えます。子を産んでも簡単に死ぬ仕組みならば、意味がないということでもあるのです。

この場面は政子とりくの違いがハッキリと見え、結果的に平家システムは失敗し、北条システムが成功します。

りくは古く、政子は一歩先を行くビジョンがあったとわかるのです。

それに当時は、今よりもずっと死産と産褥死が多い。

本作の登場人物には複数名の妻がいるケースが多い。それは一夫多妻ではなく、妻との死別が頻発したからです。今週もその事例が登場します。

 

頼朝への追討令

頼朝は御家人を前にして苦り切っています。

後白河法皇が、己に対して追討令を出してきた。義仲が背後にいることは明白。許せぬ、討たねばならぬと宣言します。

そして、和田、畠山、土肥、千葉氏ら御家人が、義経につくように言われます。

総大将は源範頼

軍奉行は梶原景時

景時の名が出るだけで、御家人に動揺が走ります。

上総広常を討った一件で、景時は頼朝の信任と共に、御家人の反発と不信も得てしまった。

こういう汚い仕事をする家臣は組織には必要不可欠であり、景時は偉いと思います。

そして必要悪のような家臣を失うと、政権には往々にして亀裂が入るものです。景時の動向から目が離せません。

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頼朝は鎌倉に残る。

居留守は北条時政と比企能員

信頼関係を考えれば反旗を翻さないこの両者が適切ではあるのですが、妙な野心と対立の芽生えがありそうです。挨拶の時点で、何かライバル心が芽生えています。

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ここで大江広元が、義仲を滅ぼせば義仲の所領、平家を滅ぼせば平家の所領が分け与えられると、御家人たちに告げます。

「よっしゃあ!」

ワクワクする和田義盛。これはもう忠犬になりきってしまった……。

ただし、忠犬の育成は必ずしも盤石を意味するものではなく、延々と“餌”を与え続けねばならぬ必要も生じます。これがなかなか厄介。天下草創の時期ならば仕方ありません。

頼朝と御家人たちのヤリトリを見ていた義時に、また変化が見られます。彼らの行動、言動をすべて聞きとり、己のノウハウとして吸収しているように見える。

かつての明るさは消え、別の何かが芽生えています。

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義時が八重に別れを告げています。

金剛が生まれて間もないのに心苦しい。

そう告げる夫に、八重はもう一度誰かのために生きる気持ちになったと言います。

母・八重には生きる力を与え、父・義時には『この子が大人になるころには世の中を安寧にする』と思わせる、金剛という存在。

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世を変えるため義時は出陣してゆきました。

 

範頼軍と義経軍の合流

寿永3年(1184年)も明け、鎌倉を出立した源範頼の本軍が、墨俣にいる義経先発隊と合流しました。

と、早くもここで不協和音が勃発。

和田義盛が梶原景時と同席したがりません。

この場面で切ないのが、文官でありながら義経の側に派遣されてきている中原親能さん……。顔が疲れております。

こんなことしたくないですよね。文書整理あたりが本来の仕事であり、弟の大江広元は鎌倉にいるのに。

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範頼が弟・義経と再会すると、まず勝手に攻め込んだりしていなかったことを褒めました。

しかし、小競り合いをしたと笑顔で返す義経。

胃痛で苦しんでそうな親能が「止めたのですが!」と苦しげに続けます。

それでも義経は無反省で、あちらが挑発したと答えれば、範頼も「鎌倉殿には私が命じたことにする」とフォローしている。そして景時がやんわりと嗜める。

義経:暴走する

範頼:暴走する奴をかばう

景時:庇うことを嗜める

三者三様の性格が浮かんできますね。

無反省の義経は、必ず義仲の首を取って見せると言います。おぉ、義経よ……。

こんなとき、兄の義円ならこう言えたでしょう。

将、外にあっては、君命も奉ぜざるあり――。

孫子』の引用で「前線の将軍は君命であっても受け入れられないことはある」という意味ですね。

利発な義円ならそうしてことをスムーズに運べたはず。

義円
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しかし義経はそうじゃない。

彼の軍略は天性の素養が大きな割合を占め、脳内でいつもドクドクと湧き溢れている。

朝起きた途端に湧いてくる。自分でも止めようがないから、叫び出したいほど合戦がしたかった。

戦のない鎌倉を「空気が澱んでいる」と言ったのもその現れでしょう。

こういう人物には、何らかの戦略を駆使する暇つぶしがあればよいのです。

現代ならばスポーツ、あるいはテレビゲームやスマホでも。せいせいガチャに金をぶち込むくらいで済んだかもしれないのに、乱世に生まれたからこそ義経は“伝説”となります。

今週の義経を「バーサーカー」と呼ぶトレンドや記事も見かけますが、わざわざ北欧神話由来の単語を持って来なくてもよいのではありませんか。

そもそも狂戦士とは、和田義盛のように矢に向かって馬を走らせるような武士でしょう。

義経はもっと精密です。

殺すことにかけて極めて精密で、かつ、それを好む。

東洋の言葉で表すなら、奸雄とか梟雄、はたまた豺狼(さいろう)でもよろしいかと存じます。

残酷なことを好み、かつ凶暴で頭が切れる。そんな人物に見えます。

 

使者を斬れ 冷静さを失わせろ

木曽義仲がいる京都の寝所では、近江に接近してきた鎌倉勢を意識しております。

手を組むつもりはないのか!と悔しがる義仲。

残念ながら小競り合いが始まったと告げる巴御前

それでも義仲は、一縷の望みを託して文を送ります。

義仲は純粋過ぎました。

平家討伐という「義」があれば、同じ源氏として戦えると信じていた。上総広常もそう。頼朝は父の仇を討つという「義」のために生きていると思い込んでいた。

しかし、人間はそういう者ばかりではありません。

一方、義経サイドでは、軍議が開かれ、京を攻めるなら勢多と宇治だと言い切ります。

作戦は無事に進むようでいて、義盛が景時の指示を聞きたがらずに止まってしまう。

それを諌める義時は、今週も苦労が尽きません。景時は、あくまで頼朝の命令で上総広常を斬ったことを再確認。恨むのならば鎌倉殿を恨むのが筋! と叫ぶのですが、ここで景時が止めに入ります。

不穏だなぁ。

義時は、己に言い聞かせているというか……無意識のうちに謀反の種を撒き散らしていますね。だからこそ景時も止めに入るのですが、一方で義経はこう。

「笑えるなあ」

人としての情けがあまりに欠けている。

と、そこへ弁慶がドスドスと現れ、何やら報告。義仲から文が届いたことを伝えます。

「ハァ? 寝ぼけてるのかー!」

共に平家を倒したい――そんな義仲の申し出に対し、義経には全く話が通じません。そして彼は使者の首を斬ることを思いつきます。

景時が「武士の作法に反する」と言っても、「義仲の頭に血を昇らせるんだ」とウキウキしながら義経は意図を語ります。

戦は平静さを失った方が負けだ。

そして和田義盛に斬首を命じます。

この義経の人選センスもいいですね。この場にいる中で、何の疑問やわだかまりもなく出来るのは義盛ぐらいのものでしょう。邪悪という意味ではなく単純ですので。

義経はさらに「こちらを味方と思っているならば兵数も掴んでいない」と察知。

軍勢は一千しかいないと偽りの噂を流すよう義時に命じます。

畠山重忠が「あれほど生き生きとした九郎殿は初めて見ます」と少し驚いていると、土肥実平も「引き絞られた矢だ」と返す。

しかし、この場面のこの策、『麒麟がくる』ならば通じないでしょう。

使者殺害は最悪の行為で、こじれにこじれるため、戦場では絶対的な禁忌です。戦国時代になると、家中の掟で禁じられたことも多い。

ところが鎌倉時代は徹底されていません。

最悪の例として、鎌倉幕府が元朝の使者を斬ったことがあげられます。

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そんな昔のコト……と思うかもしれませんが、モンゴル出身の大相撲力士たちは、しばしば神奈川県藤沢市にある常立寺(じょうりゅうじ)を訪れます。

ここに「元使五人塚」があるのです。

要は、梶原景時の方が時代を先取りしていたのですが、そんなコンセンサスも無かった為に却下されてしまった。

義経の戦術は画期的ではあるものの、戦国時代となると通じないと思えることも多い。この時代ならではの存在なのです。

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