悲劇の豪華客船、タイタニック号-――。
事故発生から100年を過ぎた今もなお、多くの人を惹きつけるのは、そこに様々なドラマがあったからでしょうし、ディカプリオ主演の映画も今なお鮮烈な記憶を残しております。
そんなワケで、
・出発地の英国
・目的地のアメリカ
両国メディアにとっても貴重なネタ箱となっているようで、最も気になる項目の一つ
【生存者のその後】
が取り上げられておりました。
ケンタッキーで展開するニュースサイト「kentucky.com(→link)」が興味深い記事を載せていたので紹介してみます。
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生き残り「771人」それぞれの人生
タイタニック号の死者数には諸説あります。
当然そうなると生存者数も複数になるのですが、ここでは時事通信社の記事(2006年5月7日配信)に依拠し、711人とさせて頂きます。
予期せぬ大事故で あるゆえ、世間(特にマスコミ)の関心は高かった。
豪華客船ですので、各界の名士も乗船していた関係もあります。
また、今日のように心のケアが充実していな かった時代ですので、その後の人生に色々と影を落としたようです。
何しろ、生存者の中には恐怖の余り発狂した人もいたぐらい。
さて、事故当時の ケンタッキーではレキシントン・リーダーという地方紙が発行されていました。
今日の日本の新聞でもそうですが、この手の大事故が起きた場合、全国紙なら【事故と原因の解説記事】を載せる一方、県版(ローカルニュースを載せる紙面)には、
「本県××市の○○さんが乗船。安否不明に気を揉む家族ら」
といった記事が載 ります。
地方紙の場合、一報は1面、解説記事は中面、そして上記のような「地元のご家族」記事は【社会面の トップ】として扱われます。
このリーダー紙でも、それを踏襲しています。
事故について報じたのは1912年4月16日。
レキシントンゆかりの人が3人乗っていたのです。
新婚旅行の最後を豪華に飾るはずが
1人はエロイズ・ヒューズという女性でした。
ケンタッキー州の上院議員を務めた後、ウェスト・バージニア州から下院議員として出馬&当選したジェームズ・A・ヒューズ議員の娘でした。
地元住民ではなかったものの「レキシントンを良く訪れる女性」という事で、注目されたようです。
このエロイズさんがルシアン・スミスさんという人と結婚したのが1912年2月のこと。ほどなく、身ごもっている事に気づかされます。
そして、運命の1912年4月15日、御夫婦は新婚旅行の最期を飾るべく、タイタニック号で幸せな一時を楽しんでいたのでした。
そんな状況でしたので、レキシントンに住む双方の友人らは大騒ぎです。
うち1人は花嫁の介添人を務めていた事 もあり、安否を凄く心配していたそうです。
レキシントン・リーダー紙では「日曜学校で土産話をたっぷり聴かせたい」と書いてあったエロイズさんの自宅に宛 てた手紙を入手し、掲載したそうで。
そんな夫婦は、どのような運命を辿ったのか。
お互いがデッキに出たまでは良かったのですが、エロイズさんは救命艇に乗れたものの、スミス氏の方はそういかなかった……。
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