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テンプル騎士団のムゴい最期~カネと権力欲するフィリップ四世が潰して自滅

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骨と灰、そして気高い精神が残された

大量処刑の翌1311年、審問は終了。

さらにその翌1312年、教皇クレメンス五世は、ヴィレンヌ公会議でテンプル騎士団の解散を宣言しました。

フィリップ四世は、没収財産が懐に転がり込むことを熱望していたでしょうが、ホスピタル騎士団に引き継がれます。

残りの財産は他の団体にうつされ、フィリップ四世が手にしたのは……?

フィリップ四世が手にした財産は、実に一割程度に過ぎませんでした。

あれだけ執拗に追い詰めておきながら、手にしたものは多くはなかったわけですね。

このことから、王によるテンプル騎士団迫害は財産狙いではない――という説もあるそうですが、いかがなものでしょうか。

財産の譲渡は1313年までに終わりました。

翌1314年、それまで黙秘を続けてきた総長ジャック・ド・モレーの審問が再開。このとき既に七十歳近い高齢であったド・モレーは覚悟を決めていました。

彼は頑として自白を拒みます。

ノートルダム大聖堂に引き出され、群衆に向かって叫びました。

「私はいつわりの告白をしたことを認めねばならない。修道会は無実だ!」

群衆は驚き、どよめきが広がります。

さらにもう一人の高位の騎士団員が、やはり自白を撤回。二人はたちまち捕まり、火刑台へと引き立てられました。

あとに残されたのは骨と灰、そしてその気高い精神でした。

 

呪われたかのような急死が続いて王朝は断絶

さて、首尾よくテンプル騎士団を壊滅させ、フィリップ4世は高笑いできたのでしょうか。

いえいえ、そんなことはありません。

彼は晩年、様々な不幸に襲われるのです。

まず息子の嫁・二人が騎士と密通していたという醜聞は、王を悩ませます。

フィリップ4世は密通していた男を去勢したうえで処刑し、嫁二人を幽閉しました。

そしてモレーが亡くなったその年のうちに、本人が狩猟中の事故で急死するのす。46歳。クレメンス5世も年を越せずに急死しました。

以降、まるで呪われたかのような歴史が綴られます。

・フィリップ4世の死後は太子のルイ10世が即位するものの、僅か二年で急死

・ルイ10世の死後に生まれたジャン1世は生後まもなく夭折

・フィリップ4世の次男であるフィリップ5世が即位、6年で崩御

・フィリップ4世の末子であるシャルル4世が即位、6年で崩御

それまで比較的安定していたフランス王家の相続が、突如として乱れに乱れたのです。

フィリップ4世の死から14年。

三百年間続いたカペー朝は断絶の憂き目に遭い、ヴァロワ伯の血統から始まる新しい王朝が始まることになりました。

相次ぐフィリップ4世の子孫の死は、『テンプル騎士団の呪いではないか』と、囁かれたのでした。

テンプル騎士団は、その後何世紀にもわたって異端として扱われ、完全に名誉が回復されるのは二十世紀初頭のこと。

その神秘的イメージから、現代は、様々なフィクションにおいてモチーフとされているのです。

まず名前がカッコイイだけでなく、前述のように「聖杯」や「契約の箱」などの伝説があり、埋蔵金のロマンと悲惨すぎる最期が残されているばかりか、「呪い」のチカラによってカペー朝を滅ぼしている。

これが例えば「ホスピタル(病院)騎士団」だったらここまで人気が出たかは疑問です。

今後もテンプル騎士団をモチーフとしたフィクションは作り続けられることでしょう。

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文:小檜山青

【参考文献】
佐藤賢一『カペー朝 フランス王朝史1(講談社現代新書)』(→amazon
ブレンダ・ラルフ・ルイス『ダークヒストリー2 ヨーロッパ王室史(原書房)』(→amazon
トレモリエール/ルシ『ラルース 図説世界史人物百科Ⅰ 古代‐中世―アブラハムからロレンツォ・ディ・メディチまで(原書房)』(→amazon

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