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【ミシェル・ネイ】
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ナポレオンのカリスマに屈する
しかし、ネイはあまりに単純、任務を甘く見積もっていました。
ネイだけではなく、王弟やマクドナル元帥(スコットランド系の叩き上げ系軍人)もナポレオン撃破に向かいますが、彼らは諦めて帰って来ました。
というのも、兵士たちが「皇帝万歳!」と言い出して、ナポレオンと戦う気がなかったからです。
これではどうしようもありません。というか、ネイにもそうするだけの機転があれば……。
しかしネイは、自ら言ってしまった「鉄の檻に入れて帰る」という言葉に縛られてしまいました。
すでに王弟とマクドナル元帥が任務放棄するほど、フランス各地ではナポレオンに傾いています。
ネイは混乱しました。
「もしナポレオンが復位したら……フォンテーヌブローで最終通告を突きつけた俺を許さず殺すかもしれない……」
「でも俺は生け捕りにして連れて行くと、国王陛下に誓ったんだ!」
「いや、しかし、そもそも俺が出世できたのはナポレオンのおかげじゃないか?」
「ダメだ。ああも大見得を切っておいて今さら逃げるなんてできない!」
「妻も貴族には侮辱されていた……」
3月14日。
ネイの精神は限界を超えました。
彼は兵士の前で剣を抜くと「ブルボン家の大義はない!」と叫びます。
「皇帝万歳! 皇帝万歳!」
兵士たちは大喜びして、ネイに賛同します。
18日、ナポレオンに再会した彼はこう言いました。
「あなたという人間のためではなく、祖国を防衛するために味方したのです」
主君の間では迷うかもしれないけれど、愛する祖国のためなら迷わない。それがネイという男の本質でした。
しかし、そのことを誰も理解しません。
宮廷から逃げ出した国王一派はネイを裏切り者とみなします。
ナポレオンに味方した者たちも、「ギリギリになって変心した奴」と彼を疑います。
実際、パリに入ったナポレオン自身が、ネイとは距離を置くのでした。
死に場所を求めて
ナポレオンの「百日天下」は、ワーテルローの戦いで粉砕されました。
この決戦においてナポレオン側は、精彩を欠いた戦いを繰り広げました。
ネイもその中に含まれています。彼は「フランス元帥の死に様を見よ!」と叫び剣をかざしながら、無謀な突撃を行いました。
まるでここで死にたいと思っているような態度です。
彼の馬は死んだものの、彼自身は弾丸がかすめただけでした。ネイは軍人として名誉ある死を遂げるチャンスも失い、生き延びてしまうのです。
ナポレオンが陸の孤島セントヘレナ島に送られ、再びルイ18世が王位に戻ると、裏切り者の粛清が始まりました。
ルイ18世が最も憎しみを抱いたのは、ネイその人です。
「鉄の檻に入れるとまで豪語したのに、なんだあのザマは!」
スルトやマッセナ、オージュローなど、ナポレオンの誘いに応じて裏切った第一帝政の元帥は、他にもいます。
そのうちスルトは国外追放になっただけで、帰国後はフランス史上6人しかいない大元帥にまで出世しています。マッセナとオージュローも罰は受けたものの、パリに住み続けました。
しかしネイには、反逆罪で逮捕令が出ました。
彼は、田舎町に移るだけで国外亡命をしませんでした。時間的には十分できたはずです。妻も泣きながら懇願しました。
しかしネイは悠然とした態度をとり続けるのです。
ネイは逮捕収監され、軍法会議にかけられることになりました。
ところがネイは「自分は貴族院議員である」とこれを拒否し、貴族院で裁判を受けます。軍法会議であれば、彼を裁いたのはその武勇と人柄を知る戦友であったことでしょう。
彼らならばネイのために温情を見せたかもしれません。
しかし、貴族院の人々はそうではありません。
ネイの追い詰められた状況も、過去の輝かしい軍歴も、罪を軽くすることはありませんでした。
投票結果は、161票対139票で、死刑。
死を目前にして、彼は妻と4人の子に別れを告げます。
妻は泣きながらこう言いました。
「あなたの息子たちが、きっとあなたの仇を討つわ!」
しかし、ネイは我が子に、復讐よりも許す心を学ぶように伝えたのです。
内戦を嫌った彼らしい考えでした。
12月7日朝、ネイは刑場に引き出されました。
妻は恩赦を求めて王宮を目指していましたが、国王への面会はかないません。
そして処刑の時を迎えます。
ネイは目隠しを拒否しました。
「この25年間、私が銃弾と砲弾を、正面から見ていたことを知らないのか?」
彼は心臓の上に右手を置き、こう言います。
「兵士諸君! 私は撃てと命じる時、必ず標的の心臓をまっすぐ狙えと言ってきた! 命令を待て。これは私の最後の命令である。私は、私への判決に抗議する。私は何百回とフランスのために戦ってきた。だが一度たりとも祖国に背いてはいない……兵士たちよ、撃て!」
銃声が轟き、勇者の体を貫きました。
46才で、彼は銃弾に倒れたのでした。
後世の審判
愛すべき赤毛の勇者を殺したことに、フランス人は罪悪感を覚えるようになりました。
もっと悪い奴はいた。
殺されても仕方ない奴はいた。
ネイは生前、死刑判決を人と法ではなく、神と後世に委ねると言いました。
その結果、後世の人々は悔やむようになり、
「ネイ元帥は生きているんだよ!」
なんて生存説まで流れ始めます。
源義経のように、豊臣秀頼のように、彼の死を受け止められない人々はそんな噂と伝説で、心を慰めたのです。
1930年、七月革命でブルボン王家がフランスを追われると、人々はもはやネイへの思慕を隠すことはありませんでした。
彼は勇者として、再び人々の記憶の中から蘇ったのです。
今日も彼は、フランスの人々から愛すべき勇者として尊敬されています。
なんとも切ないネイの一生。
特に王政復古からのストレスは想像を絶するものだったはずです。
「鉄の檻に入れて帰る」なんて言ってしまったばかりに自分の動きを縛り、ルイ18世には必要以上に憎まれ。挙句の果てには殺されてしまう。
真っ直ぐな性格ゆえに迎えた悲痛な死に様は、いつの時代も人々の胸に迫り続けるでしょう。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
安達正勝『フランス反骨変人列伝 (集英社新書)』(→amazon)