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華岡青洲『竒疾外療図卷 完』/wikipediaより引用

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その日、歴史が動いた 江戸時代

世界初の麻酔は江戸時代の華岡青洲! 妻と母を犠牲にして進んだ医術の道……

更新日:

 

現代の常識が「常識」と受け取られるようになったのは、意外に最近だというのはよくある話ですよね。
ちょっとした生活習慣や社会制度の違いくらいならともかく、命や痛みに関わる常識が全く違うものだったら……と考えると、具体的な話を聞かなくてもゾッとします。
本日はそんな感じのお話ですので、血とか傷に関する描写が苦手な方はお控えくださいね。

文化元年(1804年)10月13日は、華岡青洲(はなおかせいしゅう)という医師が世界で初めて全身麻酔を用いた手術に成功した日です。

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【TOP画像】華岡青洲/wikipediaより引用

 

チョウセンアサガオやトリカブトで麻痺させる!?

彼は代々医師の家に生まれたことにより、病気で苦しむ患者を見て「何とかして助ける方法はないものだろうか」と日頃から考えていました。
そこで思いついたのが、「痛んでいる部分を取り除くこと」、つまり外科手術だったのです。
しかし、そのためには体の一部分を切って中身を見なければなりません。当然の事ながら激痛が患者を襲います。
そこまで予測していた青洲は、次に「患者に痛みを感じさせないようにする方法を探そう」と考えました。

そこでいろいろな薬草を研究した結果、チョウセンアサガオやトリカブトなどによって、感覚を一時的に麻痺させられることをつきとめたのです。
これらを調合して麻酔薬を作り、動物実験を重ねた後、人間の外科手術を行うことに成功したのでした。

しかし、それは大きな犠牲を伴うものでもありました。
麻酔の成果を確かめるためには、誰かが実験台にならなくてはいけません。現代でも同じことですが、動物実験で成功したからといって、人間でも同じ効果が得られるかはわからないからです。
腑分け(解剖)とは違い、罪人の死体を利用することもできませんしね。

 

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母と妻が自ら実験台になると申し出て……

最終的に、青洲の母と妻が自ら実験台になることを申し出て、麻酔の効果を確かめることができたのですが……母は死亡、妻は失明という悲しい結果の元に得られた実証でした。

尊い犠牲の上で、青洲は患者の手術にも臨みます。
こちらは、60歳の女性の乳がんを摘出するという手術でした。麻酔は無事効果を発揮し、手術は成功したものの、4ヵ月後に彼女は亡くなっています。

これが手術時に何かしら失敗したことによるものなのか、寿命によるものなのかは判断がしにくいところですが、医学の発展においては大きな一歩であったといって過言ではないでしょう。

現代でも見逃されがちな乳がんを、江戸時代にどうやって見つけたのかも気になるところですが。夫婦仲が良かったんですかね。
さて、ついでに外科手術や麻酔の歴史についても見ていきましょう。

華岡青洲の肖像画/wikipediaより引用

 

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世界最古の外科手術は紀元前2750年のエジプト

現在わかっている範囲では、紀元前2750年のエジプトで行われたのが世界初の外科手術だといわれています。
残念ながらどの部分のどんな病気に関する手術だったのかまではわからないようですが、それは当然麻酔その他の「患者の苦痛を軽減する方法」があったかどうかもわからないわけで……恐ろしいですね。
余談ですが、世界最古の女性医師の記録もエジプトにあります。女性学者の記録もありますし、エジプトすげえ。

また、三国志の時代(西暦200年前後)には、華陀(かだ)という医師が外科手術を行ったという記録があります。
麻酔や手術のやり方、手術後の処置などもそこそこ記録が残っているのですが、中国ではその後儒教の「親からもらった体に傷をつけないこと」という教えにより、外科手術を発展させようという考え自体が発展しませんでした。

1200年ほどの時間と大陸を飛んで、次に外科手術の特徴的な形跡が見られるのは、南米大陸・インカ帝国の時代です。
当時、この地域の戦争では投石や棍棒による殴り合いが主流でした。そのため頭蓋骨骨折をすることも多く、そこに外科的処置をしたと見られる頭骨がいくつか見つかっています。

現代でも頭部への怪我や骨折は命取りですから、多分インカの人々は経験的に「頭の怪我ほっとくとヤバイ」ということをわかっていて、「どげんかせんといかん」と思ったのでしょうね。
手術が成功したかどうか、また術後どのくらい生きられたのかまでははっきりしませんが、麻薬による麻酔は行われていたようです。
インカ帝国の領土は高山地域=雑菌も少ないはずですから、同じ時代の平地と比べれば、手術の成功率は高かったかもしれませんね。

古代エジプト医学について書かれた書物(推定紀元前2,600年ごろ)/wikipediaより引用

 

欧州では「患者の体を押さえつけて根性で耐えさせる」

ここまでヨーロッパの話があまり出ていませんが、ヨーロッパでは「内科が医師、外科は職人」という概念が長い間主流だったからです。

刃物を使うからか、理容師が外科手術や歯科の治療を行っていたこともありました。現代でも床屋さんの看板(サインポール)が赤・白・青の三色なのは、「動脈・静脈・包帯を表している」という説がありますね。血管に動脈・静脈があるとわかったのは17世紀なのでガセかもしれませんが、何となく納得はできます。

他の地域での外科手術については、上記の通り麻酔らしきものの記録があるのですが、ヨーロッパにおいては「患者の体を押さえつけて根性で耐えさせる」という拷問に等しいやり方だったようです。聞くだけでゾッ!
まして衛生状態がよくない時代のこと、手術そのものが成功したとしても、その後の感染症で亡くなった患者は膨大な数だったことでしょう。
戦場や野戦病院であればなおのことで、「白衣の天使」ことナイチンゲールがクリミア戦争のときに衛生状況を改善するまで、戦死者と戦病死者の数はさほど変わらなかったとか。

これはおそらく、ヨーロッパで「病気」という概念が実際と大きく異なっていたためと思われます。
ローマ帝国の時代に公衆浴場があったことは有名ですが、当時は混浴が主流だったため、「(青少年の健全な育成のため自主規制)」な事態になることも多々ありました。現代でも不特定多数の相手と「(青少年の(ry)」するといろいろな病気の原因になることがありますが、当時はここから飛躍して「風呂に入ると病気になる!!」という考えが主流になってしまいました。
そのため風呂や水浴びなどが敬遠されてしまい、衛生という概念が実情と大幅に違うものになってしまったのです。お湯を沸かすための燃料が高価すぎて、ほとんどの人は調達できませんでしたし、アジア圏と比べて寒冷=汗をあまりかかないことや、雨が比較的少ないといった理由もあるでしょう。

となると、「傷口を洗うなんてとんでもない!」ということにもなりますよね。それでなくても周りの人や本人の皮膚も(現代の常識的には)衛生的とはいい難いわけで……。

 

今も全身麻酔の仕組みは完全にはわかっていない

このため、ヨーロッパで「患者の苦痛を軽減する」とか「衛生状況を良くする」という概念が生まれたのは、日本よりも後だったりします。
江戸時代の蘭学者の間で外科手術があまり発展しなかったのも、多分この辺が絡んでいると思われます。

江戸時代は儒教が広まった時期でもありますので、上記の通り「親からもらった体にわざわざ傷をつけるべきではない」という理由も大きいのでしょうね。あとは「痛そうだからヤダ」「ンなことしたら死ぬじゃねーかjk」(※イメージです)とか。
そりゃそうだ。

そんなわけで、青洲が麻酔を生み出したことは非常に画期的だったわけですが、実は全身麻酔の仕組みは今もわかっていない部分が多かったりします。

外科手術というと執刀医の腕前に注目が集まりがちです。

しかし、そもそも患者の容態をコントロールしている麻酔科医もまたスゴイんですね。

長月 七紀・記

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参考:華岡青洲/wikipedia 麻酔/wikipedia 内科・末廣医院 華佗/wikipedia

 

 




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