享保の改革

徳川吉宗/wikipediaより引用

江戸時代

享保の改革は失敗か成功か|目安箱や米政策をはじめとした吉宗の手腕とは?

2025/07/11

徳川家康の時代から、万全な体制を敷こう――と、代々頑張ってきた江戸幕府。

結果、約260年もの政権運営が続いたワケですが、その途中は決してラクなものではありませんでした。

世論や経済システムが変われば、必然的に社会体制も変わる。

特にこの時代は災害や天災でのダメージ蓄積が重なったこともあり、こうなったら大鉈を振るうしかない! そんな場面で行われたのが江戸の三大改革です。

1751年7月12日(寛延4年6月20日)は徳川吉宗の命日。

徳川吉宗/wikipediaより引用

今回は【享保の改革】に注目してみましょう。

 


六代~七代の相次ぐ早世トラブルで吉宗

そもそも吉宗が将軍につくまでの間、江戸幕府ではどでかいトラブルがありました。

六代・徳川家宣と七代・徳川家継が早世してしまったのです。

そもそも吉宗が将軍になった経緯も、妄想力を働かせると実にミステリアス。

※以下は徳川吉宗の生涯まとめ記事となります

徳川吉宗
家康に次ぐ実力者とされる徳川吉宗|享保の改革と共にその手腕を振り返る

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いずれにせよこの頃は、誰が将軍になっても幕府の地盤を固め直さなければならない状況でした。

幸い吉宗は、身体が頑健な人だったため、幕閣たちも安心していたでしょう。

まず享保の改革の概要を見ますと……政治のほぼ全般に関わる大規模な改革です。

一つ一つを細かく見ていくとかなり膨大になってしまいますので、有名どころを絞り込んでみたいと思います。

 


江戸町火消……それまで無かったのが怖い

もともと江戸は大火事の絶えない場所です。

五代将軍・徳川綱吉の時代には三度も大火が起きて、政権運営にダメージあるほどだった、と以下の【元禄の大火】記事で申し上げました。

元禄の大火
三度の大火事が江戸の街を襲った元禄の大火|すべて綱吉時代に起きていた

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木造家屋の多い江戸だけに被害が拡大するのも致し方ない。

と、思うのも実は早計で「幕府主導の大きな消火組織がない」ことも大火の原因の一つでした。

「消防署がない」というのは現代ではチョット信じられない話ですよね。

そこで吉宗が江戸町火消を結成。「いろは四十八組」に分かれて担当させたのです。

火消しいろは組/wikipediaより引用

確かに以前から、大名火消など「団結して火を消す」という概念はありました。

しかし「担当区域を超えた消火をしてはならない」といった決まりもあり、迅速な消火作業の障害になっていたのです。

火事場泥棒の予防などを兼ねていたのかもしれません。

歌川広重「明治維新後の火消出初式」/wikipediaより引用

吉宗は合理主義の見本みたいな人ですから、町の再建費用と防犯を天秤にかけたのでしょう。

そして前者を取り、

「大名火消も町人地の消火をせよ」

というように、担当区域をまたいでの消火活動を命じ、実際は、大岡越前で知られる大岡忠相に主導させました。

有能すぎて死の直前まで働かされた大岡越前守忠相|旗本から大名へ超出世

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目安箱……シンプルに「箱」と呼ばれた

吉宗といえば、真っ先にこれを思い浮かべる方も多いでしょう。

目安箱にあたるものはもっと昔からあったようですが、大々的に活用したのはやはり吉宗から。

投書の際は住所・氏名が必須で、匿名のものはその時点で捨てられていたと言います。

「将軍だけが箱の鍵を持っている」

ということも公表されていたため、老中や幕臣の苦情等もよく投書されていたそうです。

今で言えば、首相官邸のホームページにあるメールフォームみたいなものでしょうかね。

また、幕府内ではどシンプルに「箱」と呼ばれていたとか。

目安箱
吉宗考案の「目安箱」は機能したのか|享保の改革に対する批判は?

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それはそれでなんかこう、ただならぬ感じがしますが、より詳しいことは上記の記事をご参照ください。

 


上米(あげまい)の制……幕府へ米を納め江戸滞在を半減

全国の諸大名は、基本的に幕府へ納税などしていません。

吉宗はそこに目をつけ、所領1万石ごとに100石を上納させることにします。

デカい順でいくと、加賀藩が1万石くらい、薩摩藩だと9,000石、仙台藩で6,000石、熊本藩で5,200石……という感じです。

1石=当時の大人一人が一年間に食べる米の量(だいたい150kg)なので、加賀藩は一万人×一年分の米を幕府に収めることになるわけですね。

なかなか大きな負担です。

しかし、米と引き換えに

「大名が参勤交代で江戸に滞在する期間を半年に縮める」

というメリットがついていました。

園部藩参勤交代行列図/wikipediaより引用

江戸での生活は何かとお金がかかります。この滞在費用が、大名たちにとってバカにならない。

参勤交代には「あえて大名に負担を掛けることによって、反乱を防ぐ」という意味もありましただが、この頃になると度々起きる飢饉や天災で、どこの藩も家計は火の車。

ぶっちゃけ、反乱を起こすどころではなく、運営するだけで手一杯です。

結果「反乱の危険を弱めるために金を使わせる」という必要が薄れ、幕府の財政再建というメリットと合致し、【上米の制】が用いられた……というわけです。

 

足高の制……「あしだか」じゃない「たしだか」

「あしだか」ではなく「たしだか」と読みます。

現代でいえば、住宅手当とか交通費を会社が出してくれる感じの制度。

なぜ、こんなものが必要だったか?というと、当時は、身分の低い人が登用された際、対面を保つのが大変だったからです。

衣食住等にお金がかかり、そのやりくりに四苦八苦させられるのです。

それを防ぎ、安心して仕事をさせるために吉宗が作ったのがこの制度で

「登用された本人の代、かつその職についている間だけ、少し加増する」

という内容です。

当時は現代でいうところの「手当」とか「経費」という概念はほぼありませんから、考えとしてはかなり画期的だったといえます。

 

元文の改鋳……米の値段を上げる

金貨と銀貨に含まれる金銀の含有量をあえて減らし、通貨の流通量を増やそうとしました。

享保小判/wikipediaより引用

通貨の価値下落によって、相対的に米の値段を上げ、米の収入で暮らしていた武士の生活をラクにしようとしたんですね。

しかし、そもそも新田開発によって米の生産量が増え、それに応じて値段も下がった――そんな背景があったので、なかなかうまくいきません。

江戸幕府は、幕府や諸大名の成り立ちが石高(=米)になっていたので、もうどうしようもないんですが。

 

公事方御定書……裁判の判例マトメました!

何らかのトラブルがあったときに実施されるのが裁判。

そこで大切になってくるのが【判例】です。要は、過去の判断ですね。

吉宗の時代になると判例が積み重なっていて、それと基本の法律をまとめたのが公事方御定書です。

公事方御定書(上巻)/出典:国立公文書館(→link

上巻は司法警察の法律、下巻は刑事法が主体ですが、民事関連も含まれています。

ただし内容は一般には公開されておらず、

・寺社奉行
・町奉行
・勘定奉行

の【三奉行】に限られておりました。

「過酷だった江戸時代前期の刑罰をかなり軽くしていて」という内容だったので、もしも庶民に知られたら「犯罪が増えるのではないか?」と懸念していたようです。

ナルホドというか、全然信頼してないなっていうか、幕府の考えが見えて面白いですね。

 

成功か失敗か?

江戸幕府は米(石高)に依って成り立っていました。

それがいつしか貨幣経済へのシフトが進み、幕府の財政が逼迫する事態に陥り、そこで対処したのが【享保の改革】となりますが、果たしてこれは上手くいったのか?

結論から言うと、成功だったと言えるでしょう。

というのも吉宗の治世では黒字化が進み、幕府の石高収入も約12.5%の増加になったのです。

また公事方御定書などによる法制度も以前より整備されるようになりました。

いつの時代も貨幣改鋳は悪手とされますが、米を中心とした物価の引き下げに一定の効果が見られ、庶民の生活は安定化。

徳川吉宗の名が評価される理由になっています。

しかし、根本的な解決とはなっていないでしょう。

米をいったんお金に換えるという仕組み上、諸藩や武士の収入は米価によって左右されてしまいます。

石高がいくら増えても、武士一人一人は豊かにはならず、結局はお金に振り回されることに……。

その点を踏まえて貨幣経済の重要性を説き、実践に導入していったのがその後の田沼政治ということになります。

田沼意次の政策については以下の記事をご参照ください。


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【参考】
国史大辞典「享保の改革」「火消」「目安箱」「上米の制」「足高の制」

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長月七紀

2013年から歴史ライターとして活動中。 好きな時代は平安~江戸。 「とりあえずざっくりから始めよう」がモットーのゆるライターです。 武将ジャパンでは『その日、歴史が動いた』『日本史オモシロ参考書』『信長公記』などを担当。 最近は「地味な歴史人ほど現代人の参考になるのでは?」と思いながらネタを発掘しています。

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