今回から、今川義元の影がいよいよ本格的にチラついてきます。
信長の前半生における最大のピンチだったでしょう。
後の【桶狭間の戦い】が、今川義元による上洛中の戦いではなく、単なる国境沿いの争いが思わぬ大戦(おおいくさ)に繋がったことをご実感いただけるでしょう。
そのとき信長はどんな風に対処したのでしょうか。
目と鼻の先に今川が拠点を築く
熱田の東に、鳴海城(現・名古屋市緑区)という城がありました。
ここは当時信長の家臣の一人・山口教継が入っていたのですが……皆様、この名前をご記憶でしょうか?
この連載の10話でも出てきて、今川軍の手引きをしたあの人です。
彼は武勇で知られた人物で、同時に野心も抱えており、またしても今川に寝返ろうとしていました。
そしてついに、今川軍を鳴海城に引き入れることに成功。
近隣の大高城・沓掛城(くつかけじょう)も計略を用いて乗っ取り、一気にこの地域を今川方の勢力下にしてしまいました。
地図でご覧ください。
左上の黄色い拠点が織田信長の清州城。
下の赤3つが左から
・大高城
・鳴海城
・沓掛城
となっています。
そして中央の紫色が熱田神宮……ヤバイです。
熱田といえば、合戦前に戦勝祈願に出向くほど織田と結びつきが強く、日頃から庇護していた神社です。
それが自身の本拠地より今川方に近くなったばかりか、鳴海城には敵の重臣・岡部元信がやってきてしまいました。
現代人にとっての知名度は高くありませんが、信長や徳川家康とも関わりの深く、有能で忠誠心が高い武将とされています(また後々出てきます)。
他の二つの城にも、今川軍の兵が多く入り、防備を固めていきました。
詰んだ――そう思われても仕方のない情勢です。
山口親子はあえなく……
意気揚々だったのが、山口教継でしょう。
織田家の要衝に楔を打ち込むような勲功を挙げたのですから、そりゃもう喜びもひとしお。
今川義元からの呼び出しに応じて駿河へ出向いたところ、なんと、息子の山口教吉と一緒に切腹させられてしまいます。

一見するとひどい話ですが、まぁ、そうとも言い切れないでしょう。
教継は、今川軍と何回も戦っていましたし、信長の父・織田信秀の時代から何度も織田氏を裏切っては失敗し続けており、義元から見ても信用や評価に値しないと決断したはずです。
信長が関与した説もありますが、そうでなくても義元は山口親子を始末していたでしょう。
それでも人材豊富な今川家にとっては何ら痛みはありません。
ジリジリと圧を強め、チャンスがあれば一気に清洲まで攻め込む。そんな考えだったかもしれません。
一方、織田信長の力は、当時どれぐらいのものだったか?
尾張の半守護代だった織田大和守家の後継にあたる立場ですから、同じように尾張の半分を支配できてもいいはず。
しかし、大和守家が支配していた尾張の下四郡のうち、以下のような地域は信長の力が及んでいなかった――と信長公記には書かれています。
1.木曽川と長良川の河口付近
2.知多郡
3.他二郡
なんと下四郡のうち三郡以上の区域が、信長以外の者の支配権だったのです。
要は、清洲や那古野周辺のごく一部しか力を安定させられなかったことになりますね。
尾張の大半を手中に収めて……いない!
あまりに差のある両者の力量。
大大名の今川から見た織田など、もはや国衆レベルだったことでしょう。
しかも、対抗勢力の中には、弟・織田信勝(信行)を始めとした身内の敵もいたのです。
1については国人・服部友貞が独自の勢力圏を構築。
2は鳴海城の近辺ですから、既に今川方も同然。
3に関しては信長公記に詳細が書かれていません
いずれにせよ当時の信長の力が、後々とは比べ物にならないほど弱かったことは間違いありません。
18話や21話で話したような身内の失態に厳しい面も、逆に26話の信広のように、改心の見込みがある者をあっさり許すのも、この状況では致し方ないでしょう。
少しでも甘すぎたり厳しすぎたりすれば、身内の敵がどんどん増えて、すぐにでも殺されかねなかったのです。
常人であれば、神経が参ってしまうような神経戦の連続と申しましょうか。
信長の性格からして、ビクビクしながら日々を過ごしていたということはなかったと思われますが、まさに薄氷を踏むような状況です。
実際に今川氏へ通じる者が出てきてしまった以上、猶予もありません。
とはいえ、そこですぐ降伏や、正面からの戦を選ばないのが信長の信長たる所以です。
ありとあらゆる方法で周囲の度肝を抜きながら、まずは目の前の課題・尾張統一へ動いていきます。
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参考文献
- 国史大辞典編集委員会編『国史大辞典』(全15巻17冊, 吉川弘文館, 1979年3月1日〜1997年4月1日, ISBN-13: 978-4642091244)
書誌・デジタル版案内: JapanKnowledge Lib(吉川弘文館『国史大辞典』コンテンツ案内) - 太田牛一(著)・中川太古(訳)『現代語訳 信長公記(新人物文庫 お-11-1)』(KADOKAWA, 2013年10月9日, ISBN-13: 978-4046000019)
出版社: KADOKAWA公式サイト(書誌情報) |
Amazon: 文庫版商品ページ - 日本史史料研究会編『信長研究の最前線――ここまでわかった「革新者」の実像(歴史新書y 049)』(洋泉社, 2014年10月, ISBN-13: 978-4800305084)
書誌: 版元ドットコム(洋泉社・書誌情報) |
Amazon: 新書版商品ページ - 谷口克広『織田信長合戦全録――桶狭間から本能寺まで(中公新書 1625)』(中央公論新社, 2002年1月25日, ISBN-13: 978-4121016256)
出版社: 中央公論新社公式サイト(中公新書・書誌情報) |
Amazon: 新書版商品ページ - 谷口克広『信長と消えた家臣たち――失脚・粛清・謀反(中公新書 1907)』(中央公論新社, 2007年7月25日, ISBN-13: 978-4121019073)
出版社: 中央公論新社・中公eブックス(作品紹介) |
Amazon: 新書版商品ページ - 谷口克広『織田信長家臣人名辞典(第2版)』(吉川弘文館, 2010年11月, ISBN-13: 978-4642014571)
書誌: 吉川弘文館(商品公式ページ) |
Amazon: 商品ページ - 峰岸純夫・片桐昭彦(編)『戦国武将合戦事典』(吉川弘文館, 2005年3月1日, ISBN-13: 978-4642013437)
書誌: 吉川弘文館(商品公式ページ) |
Amazon: 商品ページ



