圧し切り長谷部

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信長の愛刀「圧し切り長谷部」ぶった斬り伝説!【戦国浮世絵ANARCHY14】

剣類の武器の中では世界最強と言われる日本刀。

鬼を切ったり、巨大ムカデを退治したり、はたまた徳川家を呪ったり。

歴史に残された伝説も数え上げたらキリがないですが、戦国一の人気者・織田信長に関わる話を一つ挙げよ――と言われたら、こいつを思い浮かべる刀剣ファンは少なくないでしょう。

圧し切り長谷部(へしきりはせべ)】です。

 


圧し切り長谷部の作者は国重

天下人だけあって、お宝日本刀も複数所有していた織田信長。

その中でも「圧し切り長谷部」は特にお気に入りの一本で、作者は南北朝時代の刀匠・長谷部国重(はせべくにしげ)と伝わっています。

大きな特徴は、名前の由来ともなった切れ味でしょう。

「圧し切り(へしきり)」とは、文字通り「圧して切る」こと。

上から振り降ろす通常の日本刀とは違い、圧し切り長谷部は対象物に押しつけるように切ることで、凄まじい威力を発揮しました。

そしてその名の由来となったのも実は織田信長さん。

あるものを「圧し切り」したことから名付けられました。

では、あるものとは?

茶坊主だった観内(かんない)、つまり人ですね。

 


茶坊主の体を真っ二つに……

信長の茶坊主だった観内さん。

あるとき無礼を働いてしまい、信長に追いかけられ、城内を逃げ回りました。

最終的にたどり着いたのが台所。

お膳をしまっておく膳棚( ぜんだな )に隠れたところ、呆気なく信長に見つかってしまいます。

そこで信長は刀を振り上げ、一刀両断のもとに棚と観内をぶった斬……るのではなく、棚板と観内の間に刀をすりこませると、そのまま下にグイッと押し込み、真っ二つに切ってしまったのです。

マグロ解体ショーで使われる包丁みたいなもんすかね。

食器棚に刀を押し当てて、そのまま観内と共に切った――という話もありますね。

こうなると完全に創作と思われますが……いずれにせよ面白い逸話。

「これは絵で見たい!」

ということで、弊サイトで独特の世界観(SAMURAIアート)を手掛けている鞘ェもん氏に、このときの信長を描いてもらうことにしました。

それがこちらです!

ジャーンジャーンジャーン!

圧し切り長谷部

棚から出てきた右手のことはさておき、なかなかサイバー空間な台所ですね。

黄赤に光った圧し切り長谷部は、この鞘からすると普段は充電とかしていそう。いわば「レーザー日本刀」的な。

と、ここまで書いてきてなんですが……信長さん、アンガーコントロールを覚えた方がいいと思います。

その後「圧し切り長谷部」は黒田官兵衛黒田長政親子の刀として黒田家で受け継がれ、現在は福岡市博物館にて所蔵(国宝)。

どうやって信長から黒田家に渡ったのか?

というのは、豊臣秀吉の播磨侵攻の際、いち早く織田家についた官兵衛(当時は小寺家の家臣)に対して信長が贈ったとか、秀吉が長政に与えたなど、諸説あって定まってはいません。

蛇足:文頭で「徳川家を呪う」と記したのは妖刀村正ですが、実際はそうではないと以下の記事にて説明しております。よろしければ併せてご覧ください。

絵・鞘ェもん(ツイッターサイト
文・五十嵐利休

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戦国浮世絵バックナンバー

【参考】
『日本刀(岩波新書)』(→amazon
『日本刀 妖しい魅力にハマる本 (KAWADE夢文庫)』(→amazon

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