2023年1月3日に放送されたNHKの正月時代劇『いちげき』をご覧になられたでしょうか?
永井義男氏の小説『幕末一撃必殺隊』を原作に、松本次郎氏が『いちげき』として漫画化――それを“クドカン”の愛称でおなじみの宮藤官九郎氏がドラマの脚本を担当されたもので、新年から非常に痛快な傑作でした。
幕末の熱気を庶民目線で描いた正月時代劇『いちげき』が痛快傑作だ!
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このドラマを見て以来、私にはある思いが募ります。
山田風太郎氏の小説を原作として漫画化された『警視庁草紙‐風太郎明治劇場‐(作画:東直輝氏 監修:後藤一信氏)』をクドカン脚本のドラマで見たい!
実は2001年に『山田風太郎 からくり事件帖-警視庁草紙より-』としてドラマ化された原作なのですが、これを2020年代ならではの映像化にできないものか?
そう思うには理由があります。
漫画版『警視庁草紙』の解説と同時に進めて参りましょう。
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伝説の落語家・初代三遊亭円朝が語り手
クドカンと落語といえば『タイガー&ドラゴン』――そんなファンの熱い声を聞いたことがあります。
2019年大河ドラマ『いだてん』も落語家パートがあり、お茶の間でも人気になるだろう……と思いきや、あの作品は最低視聴率を記録しました。
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今さら蒸し返しても仕方ないのですが、私なりの意見を述べさせていただきますと、やはりオリンピックという題材が厳しかった。
スポーツの祭典と無邪気に喜ぶには、あまりに安易な背景があり、言ってみれば近代帝国主義のお祭り。
古代ギリシャの伝統を持ち出して、白人種はいかに優れていたのかを啓蒙する。
徴兵制を導入した国家が国民の健康を促進する。
そうした意図はどうしたって指摘されるところです。
『いだてん』で描かれた枢軸国の連続五輪招致なんて、どうしたってそこを隠せない。五輪憲章で軌道修正しようにも、21世紀になってそれももたなくなってきた。
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落語というのは、そうした近代帝国主義とは相性が悪い――なんてことも『警視庁草紙』では示されているんですね。
日本の近代帝国主義といえば、明治維新以来の大日本帝国です。
明治維新で薩摩と長州が花のお江戸を踏み躙る中、消えゆく江戸っ子の粋な姿を伝えてきたのが関東の落語でした。
いかがでしょう。帝国主義の申し子たるオリンピックと、江戸っ子が愛した落語の相性が良いとは、とても思えませんよね。
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『いちげき』では、講談師である神田伯山氏が、御一新でえれえ目にあった江戸っ子のように語り、これがハマっていました。
これこそが『警視庁草紙』とクドカンの相性がマッチする大きな理由のひとつ!
物語は明治のあと、落語のみならず文壇にまで強い影響を与えた三遊亭円朝が重要な役割を果たします。
円朝が事件に巻き込まれ、それを元にあの有名な「牡丹灯籠」を語る。
怪事件の背景にあるのは、御一新で人生が大きく変えられた男女の情念なのであります。
円朝を巻き込みつつ、『警視庁草紙』は幕が開く――これをドラマにするならクドカンしかいねえ! と思う理由です。
最高傑作『警視庁草紙』とは?
落語家の円朝が出てくることはわかった。
では、そもそも『警視庁草紙』ってどういう話なんだ? その漫画版のよさはなんだ?
私は原作のファンでした。
その著者・山田風太郎というと、どうしても忍法帖の知名度と人気が高いですが、クオリティという点では明治ものが随一ではないでしょうか。
江戸川乱歩に目をかけられた小説家でもあり、乱歩が選んだ「戦後派五人男」の一人に数えられるほど。
本来はミステリが大得意なのです。
忍法帖もトリッキーなミステリ要素はありながら、徐々にバトルものになってゆきました。
それが明治ものではミステリに戻り、かつ、その原点へと遡ってゆきます。
明治維新からアジア太平洋戦争までが75年。そのあと現在までがおおよそ75年。
山田風太郎にとっての明治維新とは、現代人にとってのアジア太平洋戦争のような距離感です。
明治維新を迎えて、コナン・ドイルやエドガー・アラン・ポーに衝撃を受け、ミステリを書き始めた日本の作家たち。
そして戦争によって生活を大激変させられた、幕臣や佐幕派の者たち。
山田風太郎の目線は、敗北者になった彼らと同じ方向を向いています。
若い日の彼がみた日本の姿と明治を重ねています。
山田と同年代の司馬遼太郎は、自身がみた昭和前期の日本と対比させるために、明るい幕末明治を描いたとされます。
対して山田の明治は暗い。
百鬼夜行、黒暗淵、残月……そういった章のタイトルからして、おどろおどろしく、どす黒いものが浮かび上がってきます。
暗いだけだったら、クドカン脚本には合わなくない?
そう思いますよね。と、これが不思議な明るさとユーモアもあり、どこか斜に構えてふざけているのです。
主人公は元同心で、これまた元岡っ引きや元南町奉行と共に、できたてホヤホヤのポリスに酔狂な勝負を挑むという内容。
しかし、そこは明治初期です。
からかわれる側のポリスにはジゲン流を使う薩摩隼人だの、元新選組だの、元見廻組だの、まさしく百鬼夜行で危険極まりない――そんな修羅場をサラリと切り抜けていくのだから痛快なのであります。
元幕臣たちは肩の力が抜けています。なんなら主人公なんて、昼間から美女の膝枕で酒をかっくらっています。
一歩間違えたら悲惨なことになりかねないのに、いつも爽快で軽妙で、ユーモアがあふれている。
いかがでしょう?
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軽やかなのに精緻なパズルのよう
山田風太郎は、漫画化された作品の多い作家です。
本人もご遺族もおおらかで、作品をどうアレンジされようが一切のクレームを入れないようなんですな。
そのせいでセクシーな映像化作品も溢れ、そこは目のやり場に困るところではありますが。
数多ある漫画作品の中でも、どうやら週刊モーニング編集部には、山田風太郎原作の漫画を本気で世に送り出したい誰かがいるようなのです。
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まずは『風太郎不戦日記』でしょう。
原作は日記で、漫画化するのは難易度が高いでしょうに、勝田文氏が実に素晴らしい作品にしました。
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そして次が『警視庁草紙』です。
これが最善の人選ではないかと思うほど、原作の読み取り方が深い。
私は原作は読んだので、おおよそのあらすじはわかっています。それでもこの漫画は何度読んでも驚かされてしまう。
作画はうまい。うまいってそれは漫画家なんだからそうだろうって、あまりに芸のない褒め方ですが、たとえばポリスや明治の軍服や、着てくたびれた和服など、そういう服装の質感まで感じさせるのです。
作画にリアリティがあるからこそ、ウールの制服を着て畳の上にいる、そんな明治人の感覚まで伝わってくるのです。
漫画になってみると、実に不思議。江戸からさして変わらないようで、そうではない。そんな明治の混沌まで表現されています。
登場人物の個性もすばらしい。
熱血と冷血を使い分ける薩摩隼人。ひょうひょうとした江戸っ子。要領の悪い元仙台藩士。彼らの人生や性格まで伝わってきます。
山田風太郎のトリックはなかなか豪快で、絵にするとマヌケにならないか悩みどころだと思うのですが、そこはきっちりクリアしていて、むしろ幻想的な仕上がりを見せています。
時代の雰囲気を再現しているという点で、参ったとしか言いようがなかったのは、ある場面でジョン・エヴァレット・ミレーの「オフィーリア」にオマージュを捧げていたコマです。
明治時代の人々にとって、シェイクスピアと西洋絵画は衝撃的でした。
そんな彼らの驚きを再体験させるような描写には参りました。
明治人の味わった驚きを再体験させてこそ『警視庁草紙』、山田風太郎の世界です。この漫画はそこを完璧に再現しています。
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