大河ドラマ『べらぼう』で何かと田沼意次に反発していた徳川家治の息子。
徳川家基(いえもと)が劇中で急死しました。
意次のやることなすこと何もかもが気に喰わず、常に爪を噛みながら反発していただけに、急死なんてしたら『もしかして意次が暗殺した?』と思われても不思議はない展開でしょう。
では実際はどうだったのか?
なぜ今までの歴史劇で注目されてこなかったのか?

徳川家基/wikipediaより引用
当時の江戸幕府の状況を確認しながら、18歳という若さで亡くなった徳川家基の生涯を振り返ってみましょう。
家治と意次の評価は変わる
徳川家基の父である10代将軍・徳川家治。
皆さんはどんな印象をお持ちでしょう?
明治時代以降は、政権交代の反動もあり、江戸時代や徳川将軍の実力が過小評価されがちで、家治も高評価を受けたわけではありません。
かつては祖父の徳川吉宗も期待をかける聡明な少年だったのに、成人してからは文弱で趣味の絵にばかり夢中となり、田沼意次の言いなりだったと見なされたのです。
しかし、これは見方一つの話でして。
政権が盤石となっている以上、政治の舵取りを吏僚に任せることは問題でもありません。
実情を知らずに口を出してくるほうが厄介でしょう。
家治の場合は“田沼意次の評価”が鍵となるのです。
アジア・太平洋戦争の終結前、日本史には三悪人がおりました。
・弓削道鏡
・足利尊氏
・田沼意次
上の二人は「皇室に対して不敬である」という点が理由とされましたが、田沼意次はなぜ悪人に選ばれたのか?
ワイロです。
贈収賄政治家という悪評がすこぶる広まり、したがって田沼を重用していた「家治も暗君だ」とされたのです。
田沼の評価というのは実に難しい。

田沼意次/wikipediaより引用
彼も時代ごとに捉え方は変わるものであり、幕末の有能な幕臣である川路聖謨は高く評価していました。
その後、明治~戦前期を経て、アジア・太平洋戦争の終結により徳川幕府への不当な低評価という呪縛が解けると、田沼意次の再評価も進み、今度はその田村を重用した家治の評価も上がります。
そしてそんな田沼の功績の一つに“徳川家基の誕生”があるのです。
家基誕生までの過程
幼い頃から聡明とされた10代将軍の徳川重治。
しかし重治には、将軍としての役目を果たしきれていない重大な欠点がありました。
世継ぎを儲けることです。
元文2年(1737年)生まれの家治は、宝暦4年(1754年)に御台所を迎えました。
相手は、元文3年(1738年)生まれの五十宮倫子です。
二十歳にならぬ初々しい夫婦はそれはもう仲睦まじく、互いに思い合う姿は微笑ましいものでした。
しかし、待望の男児が授かりません。
宝暦6年(1756年)に生まれた長女・千代姫、宝暦11年(1760年)に生まれた第万寿姫は残念ながら夭折。
こうなってくると、倫子と仲睦まじいものの、色事に淡白である家治に、周りの者は不安なまなざしを向けるようになります。
せめて側室でもあればよいものの、家治が興味を示さないのです。
さぁ、どうすべきか?
世継ぎを産む「腹」を斡旋する
徳川将軍に世継ぎが産まれないことは、これが初めてでもありません。
3代・徳川家光は女性そのものに興味関心を抱かず、春日局ら周囲の者たちがどうにか知恵を絞り、大奥を設置したのでした。
家光と比較すると、家治の場合はスムーズにことが運びます。
大奥から田沼意次に「お知保を家治のそばに上げてはどうか」と相談が持ちかけられたのです。
お知保は寛延2年(1749年)11月、大御所・徳川家重の御次としてお蔦(おつた)という名で大奥に入り、家重逝去後も仕え、お知保と名を改めておりました。
春日局の場合、家光が好みそうな女性を選ぶのに実に骨を折ったものです。
その点、家治は素直な性格だったのか、周りから勧められればどうにかなるんでは?と思われていたフシがあります。

徳川家治/wikipediaより引用
当時の大奥は、実のところドラマや漫画のようにはドロドロしていません。
世継ぎをもうけるためのシステムが完成しており、家治の場合もそうした。
ここで重要なのは「田沼意次が大奥に気に入られていた」ということでしょう。
大奥で人気のでる人物は「イケメン」であることが多く、田沼も行事などで彼女たちの前に姿を見せると、女性がうっとりと眺めてしまうような美男であったと伝わります。
男女逆転版『大奥』では松下奈緒さん、『べらぼう』で渡辺謙さんが演じるのも納得できる話。
単なる見た目だけでなく、立ち居振る舞いや気配りといった要素も、愛される美徳となったことでしょう。
この田沼に相談を持ちかけた大奥の実力者としては、筆頭である松島か、あるいは田沼と懇意であった高岳とされています。
かくして家治にお治保が勧められ、「腹」として受け入れることになります。
田沼としても悪くはない話です。
家治だけでなく、次に生まれてくる将軍の代まで自身が権勢を保てるかどうか。政治改革を進めている彼としては、なんとしても成し遂げたいこと。
徳川幕府の将軍側近は、主君の死と共に権力を追われることが通例であり、田沼としては、どうしてもそれを避けたかったのでしょう。
宝暦12年(1762年)10月25日、かくして待望のお世継ぎとなる竹千代、後の徳川家基が産まれました。
待望の世子として育つ
竹千代こと徳川家基は、生みの母であるお知保ではなく、御台所である倫子のもとへ預けられ、育てられました。
お知保は世継ぎを産んだ功績により「老女上座」とされましたが、世継ぎを育てる母としては扱われなかったのです。
父に似たのか。聡明な竹千代は、父母を喜ばせました。
そして明和6年(1769年)、竹千代改め家基となり、将軍世子として西の丸御殿へ移されます。
お知保もこれに従い、格式が将軍側室に等しい「浜女中」(浜御殿の女中)とされました。

江戸城西の丸御殿/wikipediaより引用
明和8年(1771年)8月20日、家基の母である倫子が享年34で亡くなると、生母であるお知保が「御部屋様」となるのですが……こうして振り返ってみると、家治が他の男児に恵まれなかったことが浮かんできます。
こうなると、とにかく家基が無事に将軍職へ就くのが重大事。
成長するにつれて文武両道の若者に育ち、同時に政治に対しても強い関心を抱くようになりました。
しかし田沼意次にとっては思いもよらぬ展開となります。
家基は、田沼政治を批判するようになるのです。
権勢を誇る田沼は、幅広い人脈を活かして確たる地位を築き上げてきました。
しかしそのぶん敵も多く、若く理想に燃える家基が批判的になっても不思議がない状況。
そして、その最中に驚愕の事態を迎えるのです。
若くして「謎の死」を遂げる
安永8年(1779年)、徳川家基はわずか18という若さで「謎の死」を遂げました。
鷹狩りに出かけ、体調不良を訴え、その後、突如命を落とすという、あまりに呆気ない最期。
当然、訝しむ声が出てきます。
家基が田沼政治を批判していたことから田沼意次か、はたまた一橋治済による毒殺か――そんな噂が駆け巡りました。
こうした謀殺説は疑わしいものではありますが、よりにもよって家基の生母であるお知保まで信じてしまったとすら伝わります。
残された唯一の子の死に、父の家治は湯水も喉を通らぬほどやつれ切り、落ち込むことこのうえありませんでした。

徳川治済/wikipediaより引用
家基の死の背後にあった政治とは?
田沼意次としては、徳川家基の死を嘆いてばかりもいられません。
急ぎ、次の後継者を決めねばならない――将軍に世子がないとなれば、御三卿から選ぶこととなります。
田安と一橋は吉宗の代に起こされ、清水は家重の代であり格が落ちる。
おのずと田安か一橋に絞られ、田安徳川家には優秀な定信がいました。
彼こそが次の将軍の有力候補と目されたのですが、実は家基の死の前にこのレースから脱落しておりました。
白河藩松平家の跡継ぎとされたのです。
かくして一橋治済の子である豊千代が、家基に何かあった場合に将軍家世子となることに決定。
定信が松平家後継者として定められたときは、よもや家基が命を落とすとは思われていなかったことでしょう。
それが家基が急死したため、豊千代が後に11代将軍・徳川家斉となるのです。
家斉は家基の墓参を欠かさなかったと伝えられています。

徳川家斉/wikipediaより引用
こうした世継ぎの決定には、家治の信頼篤い田沼意次が絡んでいたことは確かなことで、田沼意次と一橋には浅からぬ関係がありました。家老の田沼意誠が、意次の弟だったのです。
家基の急死後、謀殺したのは田沼意次か、一橋治済ではないかと囁かれた背景には、こうした政治工作がありました。
家基が田沼政治に批判的であったことも、田沼意次犯人説を強化する材料となったことでしょう。
こうした政治の動きが、田沼意次の悪名を高めたことは言うまでもありません。
田沼政治に批判的であった松平定信は将軍の座から遠ざけられた。
徳川家基は急死してしまう。
背後に何があったのか――当時からそう囁かれても不思議はない要素が積み重なっていたのでした。
★
こうして見ていくと、歴史ミステリとしての田沼時代が見えてきます。
こんなに面白い時代が、なぜ、今まで大河ドラマにならなかったのか?
そう視聴者として唸りたくなるような展開を望んでなりません。
徳川家基がどのような死を遂げるのか?
その前後、政治はどう蠢くのか?
期待して見守りたいところです。
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【参考文献】
藤田覚『田沼意次』(→amazon)
江上照彦『悪名の論理』(→amazon)
安藤優一郎『蔦屋重三郎と田沼時代の謎』(→amazon)
他





