鶴屋がニヤニヤしながら『青楼美人合姿鏡』は売れないと言い切ります。
焦る西村屋は悔しがりながら、青楼美人のことを斬新だと認めておりますぜ。景色の中に女郎を入れるところがよい、と本の狙いを掴んでいる。
これはそうなんですね!
客にしても女郎については夜の姿しか知らんことが多いわけで、意外な一面を見せられればグッときまさぁ。
しかも絵柄は、勝川春章に北尾重政という売れ筋です。
「私たちはハッとしますよ。でも、世の人はどうでしょう。タダなら喜んでもらいますよ。しかし、金を出すとなると、よほどの浮世絵好きか、吉原好きだけじゃないですかね」
鶴屋はそう分析します。うん、確かにそうかもしれません。
目新しさがわかるのは、その業界に長くいるからこそで、客にとっては関係のない話。
単純に料金のほうが大きい――と、なんだか物事の本質を突かれてしまい、はなから涙目になっちまった……毎週、古傷をほじくり返してくるわ。
売れない…マニア向けすぎた『青楼美人合姿鏡』
蔦屋では留四郎が『青楼美人合姿鏡』を勧めています。

勝川春章『青楼美人合姿鏡』/国立国会図書館蔵
しかし、職人風のお客二人組は買うまでには至らない。
次郎兵衛が「なかなか売れないねぇ」としみじみとしていると、蔦重が「まあ、そのうち評判が立って火がつきまさぁ」と語りますが、それはどうでしょうか……。
煙管をしまった蔦重は、忘八親父どもの元へ『細見』納品へと向かいます。
するとどういうわけか、そこには若木屋与八がおりました。
「珍しいっすね」と駿河屋に囁く蔦重。なんのかんので駿河屋も楽観的で「おめえの方を入れるって気になったんじゃねえか」と返します。
しかし、若木屋は腕組みしています。和やかではない敵対ポーズですね。この若木屋も、いかにも短気そうな江戸っ子ヅラしてやがる。いい面構えだな。
蔦重が『細見』を見せようとすると、そこで若木屋が割り込んできました。
「俺たちは耕書堂の『細見』は入れない。鱗形屋版を買うことにした」
丁子屋が了見をただすと、若木屋はお前らのやり方に乗らないと叛旗を翻しました。『雛形若菜』にも載せてもらいたいようで、市中の本屋と付き合うと宣言します。
大文字屋が「吉原モンは市中に出てくんなっつたんだぞ!」と語気を荒げる。
と、そういうヤツもいる、いちいち気にしてたらキリがねえと若木屋。
「人扱いされてねえんだぞ!」と反論する丁子屋に対しても「てめえらの都合ばっかで決めてんじゃねえ!」と強気です。
若木屋の、怒りを示しつつ、サッと立つ所作がえれぇイイですね~。これ、結構難易度高いんじゃねえかな。体幹がしっかりしていていい動きです。今年は所作が本当に粋だな。
「吉原はてめえらのもんじゃねえってんだよ!」
丁子屋が怒りながら「それだけ言いにきたのか!」と立ち上がって追いかけてゆく。階段落としでも狙ってんでしょうか。
しかし、桐屋も黙って立って若木屋についていく。
彼らはこのごろ付き合いが悪いと松葉屋も思っていたところ。あっちに取り込まれたってことかとりつが毒づくと、大文字屋が鼻息荒く蔦重に迫ります。
「重三! おめえ、献上本、売れまくってんだろうな!『雛形若菜』ぶっ潰せんだろうな!」
深刻な顔になる蔦重。この世のおしめぇみてぇなツラしてんな。
次郎兵衛が三味線を弾きつつ歌っております(接客しろよ!)。すると熱心に『青楼美人合姿鏡』を見ているレアキャラ・朋誠堂喜三二がおりやす。そろそろレギュラーかな。
「これ、作ったの、お前さん?」
興奮しまくって早口になってら。絶賛しています。蔦重は、よくいらしていて、どっかでお見かけしたことがあるようだと首を捻っている。
「まあ、どっかで会ってるんじゃないかな」
そういうと、褒め言葉を続ける。絵もいい。あの志津山が琴を弾くなんていい!
そう絶賛していると、稲荷ナビが解説。
こうしたマニアはいたものの、その後も一向に売れる兆しはねえってよ。
マニアにだけ売れるニッチなもん作ってんじゃねえよ!
忘八親父どもが三味線を習う場面へ。
ここで注目したいのが、りつ一人と、他の親父たちが向き合っているという点です。りつが師匠役で、親父たちが習っている構図です。
何気ないようで、実はなかなか大事。
実際、江戸時代は芸事の女性師匠がおりました。大奥や大名家で女中をして技術を身につけて、教えるような女性もいた。結婚願望が薄いからあえてこういう奉公をして、師匠として一生を終える女性もいたのです。
そういう社会だから、女性から習うことに抵抗がありません。
幕末に来日した外国人の中には「女性がこんなふうに生きていくこともあるのか!」と驚いた記録を残していることもあります。
残念なことに、明治政府は女性から契約権や経営権を取り上げ「無能力者」にしてしまった。朝ドラ『虎に翼』でヒロインの寅子が愕然としてた法体系になってしまいます。
忘八の中に、りつがいることはジェンダーから歴史を見るうえでも重要です。
女性経営者も存在したし、発言権では男性同様の重みがあると伝わってきます。今週はそんなりつが主導して仕切る回です。
「うるせえ、女は黙ってろ!」という価値観だったら、実は今回はプロットからして成立しないんですね。
『3ヶ月でマスターする江戸時代』のマスコット小江戸ちゃんもこう言っていますよ。
「歴史の常識はアップデートしなきゃ!」
ジェンダー観もね。
てなわけで、今年の大河は吉原を扱うというだけで避けていたら、今後大損こきますよ。
弦が切れると、大文字屋が蔦重にどうなってんのか!と詰め寄ります。
座敷じゃ献上本の話を聞かないねぇ、と松葉屋が言うと、蔦重が困った顔で答えます。
「まあ……値も張るので、気長に構えた方がいいかと」
「待てば売れるのか?」
「へえ! けど、いつまでもお待たせするのもなんですし……」
そうして献上本を持ってくる蔦重。
「こちらを馴染みのお客様にお配りいただき、実入りにつなげていただければ!」
扇屋は「これで借金なしにしろってことか?」と問い詰める。
「まあ……そうとも言いますかね」
忘八どもが、えれぇアップテンポで三味線を奏でる。『光る君へ』の琵琶ではこうはいかんのよ。
それにしても三味線が死亡フラグにしか聞こえません。案の定、次に響いたのは蔦重が階段から落とされる音でした。
菓子をぱくつきながら帳簿をめくっていた女将のふじも、蔦重の負傷に気づいて起こしにきます。
この辺はドラマの誇張はあります。
実際の蔦重は、ここまでギャンブル気質でもなく、手堅い売れ筋を狙っていたそうです。

蔦屋重三郎/wikipediaより引用
それにしてもマニア好みのものを作ると現実には大変ですよね。
『青楼美人合姿鏡』を歓喜して絶賛する朋誠堂喜三二なんてのは、ほとんど例外で、結局、本は全然売れていない。
鶴屋の「これは売れません」という言葉が、こちらの胸にも刺さりすぎて心から血が流れました。
『光る君へ』のときは、放送が終わるたびにかな書道好きの方と「行成が尊い」とか、「道長の悪筆再現度がすごい」とか、「文房四宝が垂涎ものだ」とか、「吉高さんはじめ、皆の筆の持ち方が素敵だ」とか、「宋人は持ち方が違う」とか、そういう楽しい書道トークしていました。
他にも、五節の舞姫があり、打毬、曲水の宴など文化描写も素敵でした。
ただ、その凄さが多くの視聴者には伝わっていないのかもしれない。過去のテレビ番組由来のものとか。そういうネタを拾うネットニュースが多いのですよ。
好みや知識は人それぞれだから仕方ないと思っていましたが、今年は浮世絵はじめ江戸文化じゃないですか。
平安時代よりもずっと我々に馴染みが深く、他にも江戸文化の再現シーンが見られて眼福眼福!
と、思っていたのですが、別にみんな、そこまで浮世絵好きじゃないんじゃないすかね?
ユニクロ浅草で入手した推し絵師アパレルを着ていても、好意的な反応をされた試しがねえ。せいぜいが、浮世絵美術館の受付くらいで気づいて笑顔になってもらったことくらいすかね。
マニア受けと一般受けは違うのに、そこを忘れちまうっていうか。
今年の大河は、日頃は一般社会に溶け込んでいるであろう浮世絵マニアが確認できて、ありがた山っすよ。
油断してっとよ「クールベの波と比べたら北斎とかさw」とか心ねえこと言う人いますもんね。
まさに今年の大河が、マニア向けっつーことなのかもしれねえ。
毎回毎回お宝どっさりだけども、わかんねえ人の方が多いのかもしれねえ。それでいいのか?っつーとよ……。
起死回生の策はあるのか?
安永5年(1776年)4月、8代吉宗公以来の日光社参が出立しました。
なんと48年ぶりだとか。
再現するのも大変だし、白眉毛こと松平武元が張り切っていた理由も見えてくる。
ああいう長老格は、こういうときに威張れるモンだからウキウキワクワクしちゃうもんね。
さて、そんな長い長い行列を、江戸っ子たちは集まって見物しています。
江戸っ子はフットワークが軽いので、売り物屋も出ておりやすぜ。小腹空くもんな。
黒船来航んときも、こういうノリだったんすよ。その後に「コロリ」こと「コレラ」が大流行しちまって、異人の遺骸由来だと噂が広まってゆく。で、顔面蒼白になっちまったと。
小さな冊子が写ります。家紋と大名家の対応表すね。
『武鑑』といいまして、江戸っ子はこれでどの武家であるのか把握します。これは浮世絵鑑賞でも重要で、特に江戸後期以降、【風刺画】の解読には必須です。

『安永三年 大名武鑑』須原屋茂兵衛安永3年(1774年)刊/wikipediaより引用
そしてこのイベントを見ていた大文字屋があることを閃いたそうです。
蔦重は、理解者である須原屋に失敗を語っています。
手元に残ったのは借金だけ――そうぼやくと、須原屋が驚いています。
親父から借りたと言うと、身内からだと安堵しています。これもね、盲人から借りたりすっと、えげつねえ取り立てされて、命に関わってくんのよ。
親父どもは身内でもきっちり取り立てると蔦重が嘆いていると、須原屋が肩を叩きながら勇気づけます。
「吉原をよ、もういっぺん憧れの場所に戻してえんだろ。一回(いっけえ)ぐらいのつまずきで、しょげることはねえじゃねえか」
いいこと言うねえ。
蔦重にしちゃ珍しく、次になにやりゃいいのかと暗い顔をしております。思い浮かばねえってよ。
しかし蔦重よ、金じゃ買えないモンも残ったぜ。あの本を絶賛していた朋誠堂喜三二っつうマニアは、蔦重のセンスを理解した。これが実にこのあと生きてくるんだよ!
するとそこへ留四郎が呼びに来ました。
俄で祭りをやろうじゃねえか!
大文字屋が“俄(にわか)”を祭りにしようぜ!と言い出しました。
吉原で小さく行われていたパフォーマンスのことで、いきなり「俄」に歌舞伎役者の真似事をさせるというもの。お座敷芸から始まった独特の遊びだそうです。
「女子供を招き寄せ、神田に負けぬ、祭りにするわいなぁ」
りつが実際に「俄」のような真似事をします。
「よっ、大黒屋!」
そんな声も掛かってますぜ。
蔦重が尋ねると、大文字屋はご社参で思いついたんだって説明します。
吉原最大のイベントは祭りってことで、親父どもは老若男女楽しめるものにすりゃ、吉原の評判もあがると命じてきます。

月岡芳年『月百姿 神事残月』/wikipediaより引用
冴えない顔をしている蔦重を引っ叩く大文字屋。祭りに客来りゃ本だって売れるだろ!と、蔦重へアピールします。
「違いまさぁ!」
浮かない顔をしていたかと思ったら、蔦重が粋な仕草で立たちあがり、こうきたぜ。
「すげえいいって思ったんですよ! 確かに祭りっていうのはいいですよ! 楽しそうだって! あっ、人が憧れまさぁ〜〜!」
テンションが上がり、歌舞伎の見得を切る蔦重を、大文字屋はむしろ落ち着かせようとします。
「でさ、その祭りの目玉に、馬面太夫を呼びたいんだよ」
りつがそう言う声は、少し甘ったるい。こりゃ、その馬面に惚れてんな。
「おお〜馬面太夫!」
調子よく答える蔦重に、馬面太夫との知り合いはいないか?と尋ねるりつ。どうやら蔦重の人脈を頼りたいそうで。
「わかりやした! で、馬面太夫ってのはどこのどなたで?」
「あんた、ほんとに江戸っ子なの!?」
りつが呆れるのも無理はありません。まァなんでしょ、今で言えば大谷翔平選手を知らねえみてぇなモンですかね。
江戸っ子なら富本節くらいは知ってるよねえ?
「なんで馬面太夫知らないんだよ! 今、人気の富本節の太夫だよ」
りつがぼやきながら、蔦重を市中に連れ出しています。
なんでも富本節はいま江戸で非常に有名で、吉原でもやっているとか。
それでもピンと来ない蔦重が次郎兵衛に尋ねます。
「やってます?」
「やってるよ! 俺もしょっちゅうやってんじゃない!」
「あれ、そうだったんだ……」
そうなんすよね。あの次郎兵衛の下手くそな演奏が富本節だったんですね。これでは魅力が伝わらないのも仕方ないか。
回想シーンが出てきても「た」と口にしたところで終わりましたから。
りつがいそいそと浄瑠璃の正本を見にゆきます。今でいう芝居のパンフレットだそうで、浄瑠璃の語りが書かれている。次郎兵衛のように自分で浄瑠璃をする人の稽古用でもあるそうです。
蔦重は「直伝」の有無に気づきました。
「直伝」とは、いわば公式本。太夫の許可を得たものであり、それが無ければ非公式となる。他ならぬ大河ドラマのガイドブックにも公式と非公式がありますよね。
りつによると「直伝」のほうが間違いがなく、よく売れるんだとか。
水も滴るいい男に、江戸の女はメロメロさ
公演に来たりつが、嬉しそうに「女人気が高い」とニコニコしています。
みんな、馬面太夫や若い役者の門之助を目当てに来ているようで、蔦重が富本の人気について尋ねると、二人はこうきました。
「富本は艶っぽくてねぇ」
「色っぽくてねぇ。まあ、聞けばわかるよ」
析(き)の音とともに幕が開き、女性ファンの「きゃ〜〜!」という声が響きます。
舞台の上にいるのは富本豊志太夫。名は午之助。蔦重は確かに馬だと納得していると、りつが前の名が「午之助」で出来過ぎだと笑っています。
本当にうっとりしていて、愛くるしいですね。彼女だけでなく、女性ファンが皆、メロメロになっております。
千種の中に恋草は
月の桂の男ぶり
(『都見物彩色紅葉』)
すると花道から、門之助が出てきました。
水も滴るような美丈夫だ! そりゃ、女人気高くなりまさぁ。
歌詞も見事で「桂男」は美男のことすね。
同じチームの『麒麟がくる』でも、この桂男神話を用いた展開がありました。センスがいいねェ、粋ってもんを理解してる仕事ぶりだ!

月岡芳年『月百姿 つきのかつら 呉剛』/wikipediaより引用
ファンサうちわ持参娘と、出待ちする蔦重
終演後、女性ファンがウキウキワクワクしながら出待ち中。今も昔もそこは変わんねえんだわ。
ここはジェンダー観点からも重要で、女性が自由に出歩けるか、女性向け娯楽があるか、なかなか大事な場面になっています。
文化成熟度のバロメータとして、女性ファンの比率もありますんで。
蔦重は、いきなり馬面太夫に頼むことにして、次郎兵衛と、りつと、待ち受けています。脚を怪我しているのに出来るのか?
「午之助様!」
「きゃ〜〜っ!」
出待ちの女性ファンがはしゃいでいる。りつも小走りに名前を呼びつつ向かっています。
そこで声をかけようとした蔦重は派手にすっ転んだ。太夫が助け起こすと……。
「お優しい〜〜〜!」
背後でファンサ団扇を持つ女性ファンが、あまりの尊さに蕩けそうになってますぜ。
しかし蔦重が、自身のことを吉原の本屋だと自己紹介すると、太夫が「吉原?」と声を険しくします。
「太夫に、吉原の祭りにおいでいただきたく……」
「悪いが、俺は吉原は好かねえんだ」
一体なぜなのか。蔦重がすがっていると、聞き覚えのある声が……。
「ご当人に聞くんじゃねえよ、べらぼうめ! 相変わらず無礼だな、てめえは!」
鱗の旦那じゃねえすか! 親しげに馬面太夫に近寄ったかと思うと、そのままどこかへ案内してゆきます。
それを追いかけてゆく女性ファン。
りつが「大事ないかい?」と蔦重に声をかけますた、馬面太夫への声とトーンが全然違いますぜ。
なんで鱗形屋がいるのか?と次郎兵衛が気にしていると、りつはこうきました。
「正本でもやるのかね?」
どうやら富本は直伝本がないとかで、もしも販売が始まったら一気に銭が落ちますね。
しかも馬面太夫には「富本豊前太夫」襲名の噂もあると次郎兵衛が思い出しました。りつもピンときます。襲名を機に直伝本を出すつもりだろう。
ここで蔦重脳内の熊吉と八五郎が喋り出します。
富本太夫の直伝本を吉原で売る。江戸の流行を知りたけりゃ、蔦屋の軒先をのぞいてみな! そういうことにすればいい!
「お呼びですかい、旦那!」
そんな妄想劇を繰り広げながら、蔦重は確認します。
「どうします? 吉原、嫌われてるみたいですけど」
次郎兵衛が驚いています。
「おう、重三、脚!」
治ってまさぁ! マジかよ。このくだらなさがたまんねえっすね。

『江戸花柳橋名取 二代目富本豊前掾』/wikipediaより引用
馬面太夫は苦労人のブレイク枠
鱗形屋が馬面太夫をもてなしております。
しかし、襲名はお流れになったそうで、名見崎徳治がぼやいている。どうやら他の流派が横槍を入れたそうで、これで何度目かと鱗形屋も恨めしそうです。
江戸っ子は、こういう浄瑠璃ゴシップも仕入れていることがわかりますね。
そしてこれが浄瑠璃の魅力のひとつでやんす。各流派で切磋琢磨していて、足の引っ張り合いにもなりながら常に面白さを保ってもいられる。
同じことが大河ドラマにも言えることかもしれません。
昔は民放でも、多くの時代劇を作っていました。映画もそう。競争の途絶えていたことが弊害になっているのでは?と感じていたところ、最近は時代劇が復活傾向にあって嬉しい限り。
徳治によると「太夫の人気が鰻登りだから潰してえ」とのことで、さらに「初代が生きていればこうはならないだろう」と続けます。
なんでも初代は太夫が11の時に亡くなっているそうです。
徳治が富本の灯を消さねえように、ちっちぇえ太夫に教えてきたんだってさ。結果、太夫も精進して、精進して、ようやっとここまで来たそうで。
徳治はすっかり親の感情ですね。
鱗形屋は商売もあり、今後どうするつもりなのかと気が気でない。
徳治はもっぺん根回しするってよ。鱗の旦那に待ってもらうよう伝えている。
いかにも日本社会らしいと言いましょうか。明確な線引きはなく、人脈とかそういうもんで回すところがありますわな。
マッドサイエンティスト源内が蔦重で人体実験
蔦重は平賀源内のもとへ行きます。
吉原嫌いの馬面太夫に、吉原の祭りに出てもらいたい。そのため源内さんに間を取りもって貰おうと考えていたのですが、源内は何か妙な機械に夢中。
新之助が応対しますが、こんな調子では無理でしょう。
源内先生、実験に夢中です。
新之助は機械からのびるケーブルを手にして、蔦重の頭を触ります。
「火ィ出ねえか?」
「残念ながら」
何やってんだよ。いきなり人体実験かよ。完全にマッドサイエンティストじゃねえか! 蔦重の頭ぶったたいでこれですからね。
「こんにゃろう、なんで火が出ねえんだよ」
「いてっ! 俺から火が出るわけねえじゃねえっすか」
「出るんだよ」
「あいてっ」
エレキテルすね。

平賀源内作とされるエレキテル(複製)/wikipediaより引用
出たら悪いとこが治っちまう。病が治っちまう。こりゃそういうとんでもねえ品物なんだってよ。
ますます怪しいことを言い出す源内先生に「じゃあ悪くねえってことだ」と蔦重が返す。
彼の理解だと、病がなければ反応しないってことになりますね。
源内は「そういうことじゃねえんだよ」と蔦重を引っ叩いて、手に汗がついたところで閃きます。
水が伝導を阻害させてるってことかい。新之助はああなってしまってはもう話は難しいと言いました。確かにそうだ。私から伝えておくと約束してくれます。
でも、ここはエレキテルよりも、うつせみと新之助のことが気になりますよね。
新之助は、あの足抜け事件のあと、切腹を止めてもらったお礼を言います。地道にうつせみの身代金を貯めることにしたんだとか。
三百は無理にせよ、なんとか工面して談判をするつもりだそうですぜ。道は遠い。でも一歩ずつがんばるってよ。
なんか新さんがこういうことを言うと切ねえな。
時代劇モブ浪人も、こういう金欲しさに水戸黄門なんかを襲ったりしていたのかと、悲しくなってきまさァ。あれは江戸の「闇バイト」に引っかかったみてえな話だよな。
ここで視聴者が気になるうつせみのことでも。
蔦重曰く、近頃は和算書を借りているんだとか。
吉原を出た後、身を売る術しか知らないのでは困ると目覚めたそうですぜ。女将いねの「夜鷹になるしかない」という言葉で悟ったんでしょうね。これも泣けるじゃねえか。
男の嫉妬が、太夫を吉原嫌いにしたのさ
蔦重は、自分が抱いた吉原を盛り上げるという壮大な夢を思い出しています。
そのためには馬面太夫が必須だ――そう思いつつ蔦屋に戻ると、りつと次郎兵衛がいました。
次郎兵衛は、馬面太夫が吉原を嫌う理由を探り当てています。彼の人柄と人脈のおかげですね。
次郎兵衛はコミュ力強者なので、情報収集には向いています。彼みたいな無害な人には、なんでも喋っちゃうでしょう。
それによると、なんでも馬面太夫は売れていない頃に、駆け出しの市川門之助と、素性を偽って吉原に客としてあがったことがあったようです。
ところが門之助の面を知っている客がいて、バレちまった。
見ぐるみ剥がれて褌一丁に剥かれて大門の外に放り出され、水までかけられちまった。
追い出したのはあの若木屋です。
ここの場面は痛々しいっちゃそうなんですが、馬面太夫も門之助も綺麗な真っ白い褌でね。洒落てんじゃねんか。
別にこちとら助平心で言ってんじゃねえよ。江戸の男は褌もチェックされるもんでさぁ!
その気合を入れた褌と、若木屋の言葉の対比が辛い。若い二人が精一杯洒落込んで来て、この仕打ちですよ。
「嘘ついてあがり込みやがって! 役者なんぞにあがられたら、うちの畳が総取っ替えにならぁ! 二度と大門潜んじゃねえぞ。稲荷町が!」
そう怒鳴られちまったんですね。
次郎兵衛が「出禁は役者だけじゃないか?」と聞くと、ろくに確かめもしなかったんだろうとりつが答える。
この辺も曖昧なもんで、舞台に上がるもんは同じという理屈もつけられなくはないのですが。
次郎兵衛が、役者のもぐりなんてよくある話だというと、りつは悔しそうにこう言います。
「気付いた客が野暮だったのさ。俺の女を役者に抱かしてんのかって言い出して。門之助はいい男だからねぇ。男の嫉妬ってやつさ」
うん、言いたいことは、すげーよくわかる! ほんとうに秀逸なセリフさ。
今週のりつは、推しをする女の情念がバッチバチに出ていて本当にすごい。
息の吐き方からセリフの区切り方、目線から口元まで、感情の揺らぎやくやしさ、惚れた心境が余さず出ています。
女の敵は女とかいってよ。ババアが若い女に嫉妬するみてーな話ってよくあるじゃねえか。あるいは、女同士が胸の大きさ比較してバチバチ火花を散らすとかよ。
ああいうプロットは往々にして男性作者だったりするんですけど、男同士がそうだから女にも当てはめてんじゃねえかと思っておりやして。
認めたくねえし、そんな女みてえなことしてねえって否定すんだろうけどよ。
男だって自分よりイケメンはなんかムカつくし、ジジイだって若い男に嫉妬するもんでしょ?
大河記事でも今年みてえに若いイケメンが目立つと、男性向け媒体がしょうもねえ叩きをしたり、認めてやるみてぇな記事出したりすっけど、野暮の極みだと思いやすぜ。
そもそも、なぜ役者は吉原出禁なのか。蔦重がそう疑念を抱くと……。
「そりゃ役者は分としては四民の外、世間様の外だからだろ」
次郎兵衛が答える。「河原者」とか「河原人」あるいは「河原乞食」なんて言い方もありました。
能役者だって士分の者はいるし、浄瑠璃の太夫だってそうだ。という蔦重のセリフも伏線ですかね。
東洲斎写楽は、阿波徳島藩蜂須賀家お抱え、士分の能役者説である斎藤十郎兵衛説でほぼ確定しております。
実は葛飾北斎の変名であるなんて捻った説やらなにやらありますが、東洲斎写楽の正体云々はもう落ち着いた話なんですね。
浄瑠璃の「太夫」だって尊称。
と、これがどうにも複雑怪奇で、吉原だってかつて最高級の女郎は「太夫」でした。
四民の外と言っても、そういう尊敬をされる者もいる。なのになぜ役者は駄目なのか。
蔦重が納得できないでいると、りつがまとめます。
「ほっといたら、みんな憧れられちゃうからさ。売れりゃあ騒がれるし、千両の給金だって夢じゃない。けど、みんなが役者なんか目指したら、まともに働くやつなんかいなくなっちまうじゃないか。そうならないよう、役者は四民の外の分ですよってしたのさ。どれだけ煌びやかでも、まっとうに働いてるもんが、所詮世間様の外って吐き捨てられるようにしてるってことさ」
「お上の都合ってことか……」
ここで、りつのセリフに合わせて、まっとうに働いていない次郎兵衛のツラが映るのがジワジワと笑えてくるんですけどね。
りつの言い分もそりゃそうで、今だってその辺の連中がみんなYouTuberを目指したら、そりゃやべえじゃねえすか。
つーわけで、そろそろ規制なんかも入ると思うんすけどね。
「ひんむきゃみんな、人なんて同じなのにさ! これは違う、あっちは別って、垣根作って回ってさ。ご苦労な話だよ!」
そうりつが本質を吐き捨てると、蔦重は若木屋が発端じゃあ謝ってくれねえとぼやきます。
するとそこへ大文字屋が飛び込んできて、馬面太夫を呼ぶ策を思いついたんだそうで。
浄瑠璃の元締めは当道座。盲人組織ですな。
で、その元締めといやぁ検校よ。つまり、鳥山検校に話をつけられるってコトだ!
鳥山検校とその新妻の瀬以
かくして大文字屋と蔦重は鳥山検校の屋敷へ。
蔦重はどうにも気が乗らないし、瀬川の迷惑になるんじゃないかと気が気でないようで落ち着きません。
障子を開けると、懐かしいようで、ちょっと変わってしまったような、彼女の声が……。
「重三!」
そこにいたのはすっかり御新造らしくなった、瀬川の姿でした。
今では「瀬以」と名乗っているそうで、なんとも清楚なことよ。
「吉原から客が?」
そこへ鳥山検校が案内されてきます。
彼の耳には、楽しそうに語らう妻と客の声。
瀬以は、蔦重が富本を知らなかったことに、カラカラと笑い転げています。ちゃんと耳掃除してんのかとからかっています。
「ずいぶん楽しそうだな、お瀬以。もう花魁瀬川ではない。私の妻だからな。その方らは?」
そこへ鳥山検校が入ってきました。
大文字屋と蔦重が名乗り、頭を下げると、検校は蔦重の声に何かを感じているようです。
大文字屋の策はこうだ。
馬面太夫の襲名を実現させたい。そのためには当道座に根回しをせねばならない。それで恩を売って吉原に招きたいってことですな。
しかし、当道座には他流の三味線も多い。
ここで蔦重が切り出します。
「鳥山様、馬面太夫の声をお聞きになったことがございますか?」
蔦重は先日初めて聞き、世の宝だと思ったそうで。無意識かそうでないのかわかりませんが、蔦重は自分のセンスに自信があるんですね。
みんなが褒めているからよいと思うのではなく、自分で聞いてよいと判断する。そういう確固たる筋があり、自信があるからこそ、いろいろプロデュースできるんでしょうね。
彼の第一最大の味方は、自分自身の感性――そこを朋誠堂喜三二も嗅ぎつけてきてます。
その上で是非一度お聞きになって欲しいと訴えている。
蔦重とすれば、検校の感受性をも信じているのかもしれません。それこそ、こういうやりとりは瀬川とよくしていたものです。
しかし、なんとも残酷なことに、かつて瀬川だった女がこのやりとりを聞いている。
彼女はもちろん富本節は人気だと世間の声を聞いている。それだけでなく、蔦重のセンスもわかっている。
もしも決定権が彼女にあれば、飛びついて今すぐにでも聞きに行ってもよいところでしょう。
しかし、実際に決めるのはあくまで彼女の夫。この鳥は籠から逃れ、別の籠に入ってしまったのかもしれません。
瀬以は夫にこう語りかけます。
「旦那様、私も聞きとうございます。今度、共に参りませぬか」
「……人が多すぎるところは苦手でな。耳が音を拾い過ぎるのだ。そなたがそれでも行けと言うなら行くが」
聡明な鳥山検校は、自らと蔦重を秤にかけたのでしょう。
瀬以が困っていると、その状況を打破したのは蔦重でした。
「……いや〜、ごめんごめん、ひょっとこお面! 俺が考えなしでした。御新造様も、気まずい重いさせてすまなかったな」
蔦重は自ら秤を下りました。そして話を打ち切って帰るよう、大文字屋を促します。
詫びる鳥山検校に、話を聞いてもらえた礼をいい、強引に大文字屋を連れて行く蔦重。
「重三!」
短い声音の中に精一杯の未練を含ませた声をあげ、瀬以が立ち上がると、夫がその袖を取りました。
「随分とそなたに優しい男だな」
「ああ……重三は女郎には皆優しいので」
「脈が早い」
「そりゃあ、旦那様にこのように触れられては」
瀬以はそう言いますが、果たして誤魔化せているのやら。
りつが指摘していた“男の嫉妬”が重大深刻なかたちで出ているようで……どうなっちまうんだか。
籠の鳥に外を見せたくて
大文字屋が吉原に戻ると、検校を相手に「粘らねえでどうしんだ!」と不機嫌そうにしております。
二人がどこまで気付いているかわかりませんが、敗因は、瀬以の居るところに蔦重を伴ったことですよね。
りつなら、蔦重の同行を止めたかもしれません。
蔦重が次の手で悩んでいると、あのお騒がせ女郎のかをりが「うふん」と蔦重にしなだれかかってきました。
「かをりも連れてってくださんし」
蔦重が困ってもこうだ。
「主さんとなら、たとえ火の中、水の中! 道行の果ては極楽浄土〜!」
「おめえ!」
大文字屋が怒ると、蔦重は誤解を解こうとします。するとそこへ志げがビシッと棒を振り回しつつ、乗り込んで来ました。
「ぶつよ!」
かをりもおとなしく離れました。
「ったく、芝居じみたこと言いやがってよ」
「お座敷で師匠方があれこれやるのを覚えちまって!」
そう吐き捨てる大文字屋と志げ。
「けんど、わっちは籠の鳥。まことの芝居など見たことありんせん。主さん、いつかわっちの手を取り、芝居町へ」
かをりはそう訴えます。
これは悲しいねえ……実際に蔦重を愛しているというより、芝居の中に入り込みたい現実逃避ですかね。
「これだ! かをり、それだ!」
蔦重は閃いたぜ!
蔦重って、人助け精神、要するに侠(きゃん)を発揮するとなると敏感ですね。
馬面太夫と門之助を待ち受けていたのは
向島に馬面太夫と門之助がいます。
この二人の美男ぶりといったら、まさに絵から抜け出てきたよう。
浮世絵のジャンルといえば、美人画が有名です。しかしこれも研究者が男性中心だったからかもしれませんぜ。
蔦重より時代がくだって、浮世絵の女人気が高まると美男絵の需要が生じてきます。役者でなく、火消しや道ゆくイケメン絵も出てくる。
立派な眉毛に、すっと通った鼻筋。そういうイケメンを思わせる二人なんですね。

豊原国周『坂東彦三郎』/wikipediaより引用
なぜこの二人がここにいるのか?というと、かつて吉原に通ったころの女郎が身請けされ、「一目会いたい」と馬面太夫を呼び出したんだとか。
身請け先は酒屋で、門之助も一緒に会いたいそうなので、うまくいけばご贔屓を増やせると語る二人です。
しかし二人が向かう先にいたのは、蔦重、りつ、大文字屋でした。
「謀られました」
彼らの顔を見た瞬間に、騙されたことに気がつく馬面太夫。といってもそこは鎌倉時代じゃねえんで、謀られても殺されやしません。
今年の大河は教育に悪いと言われますが『鎌倉殿の13人』の方がよほどヤバかったと改めて思いやすぜ。
二人がすぐに踵を返そうとすると、りつが丁寧に謝り、差配の落ち度、同じ女郎屋として恥ずかしく思っていると認めます。
りつがそう言うのが重要で、彼女は馬面太夫にキュンキュンときめいていますんで、声音に艶が滲んでいるんですね。そこに嘘はない。
「あんたが謝ることではないでしょう。では」
それでも馬面太夫が出て行こうとすると、蔦重が続けます。
「お待ちください。身請けうんぬんは偽りにございますが、太夫と門之助様に会いたがってる者がおるのは、まことにございます。どうか、会ってやってはくださいませんか?」
そして襖を開けると、そこには吉原の女郎たちがずらりといました。
「こりゃ吉原の妓(こ)たち……かい?」
「へえ、是非、お二方にお会いしたい、詫びも含めてもてなしたいと手を挙げたものを、大門の外に連れてまいりました」
「さあさあ、水も滴るいい男が二人。皆、思う存分にもてなすぞ!」
「あい!」
大文字屋がそういうと、女郎たちはそう返します。
こんな涙相手に、どんな男が断れるのか?
かくして他愛もない目隠し鬼が始まります。
「鬼さんこちら、手の鳴る方へ」が『忠臣蔵』由来で「由良さんこちら、手の鳴る方へ」となっているのがご愛嬌。
馬面太夫は生い立ちを語っているようで、かをりが「13でそんな大舞台に?」と尋ねています。
「たいしたことではない。お前さんだって立派につとめてるではないか」
「買い被りしなんすな」
そう語り合う二人。自分で生きる道を決めることができない者同士ともいえます。
楽しそうな時間はあっという間に流れていく。
そして大文字屋が手を打ち、お開きだと告げます。
もうちょっとだけ!とかをりはせがみますが、夜見世もあるし流石に駄目だとりつがダメ出し。
すると蔦重が最後に、ほんの少しでいいので女郎に富本を聞かせて欲しいと馬面太夫に願い出ました。
「いいかい?」
馬面太夫が門之助に聞くと……。
「あたぼうよ! やらいでか!」
りつと大文字屋が三味線を弾き、始まりました。
声と芸に没頭しているうちに、女郎の目から涙がこぼれ落ちます。夜見世の赤い籬(まがき)の奥にいる女郎の姿が重ねられ、その切なさがあらわになる。
「こんな座興で……」
女郎たちの啜り泣く声を聞き、馬面太夫が門之助が感極まったように驚いています。
「慣れてねえんですよ」
そんな二人に蔦重が語り始めます。
「吉原の女郎は、芝居を見に行けねえもんで。座敷芸で芝居や浄瑠璃に親しむもんの幼い頃より廓で育ち、まことの芝居を見たことない者がほとんど。この江戸にいながら一度も芝居を見ず、この世に別れを告げる者もおります」
動揺している馬面太夫の前に座り直し、蔦重はこう願います。
「吉原には、太夫のお声を聞きたい女郎が、千も二千もおります。救われる女がおります。どうか……女郎たちのためにも、祭りで、その声を響かせてはくださいませんか!」
答えは……。
「やろうじゃねえか! こんな涙見せられて、断れる男が、どこにいる。なあ?」
「ああ」
待ってましたとばかりに即答する馬面太夫。門之助もそう返します。
「ありがとうございます!」
よかったねえ。ハッピーエンドの落語を聴き終えたみてえな涙が毎回ちょちょぎれんぜ! 感動したッ、いよっ!
江戸っ子が、すぐに「いよっ!」と言う気持ちが理解できた気がする。感動したとき、心の奥底から飛び出してきますね。いよっ、べらぼうだ!
するとそこへ留四郎が入ってきました。なんでも鳥山検校から書状が来たそうです。
当道座は、太夫の「豊前太夫」襲名を認めるとのこと。
蔦重が掛け合ったのか?というと大文字屋が「私です!」と言いかけ、りつに止められる。
蔦重は「検校は太夫の声を聞いて決めたとある」とし、太夫自身の声だと謙遜しております。
「あの、最後にひとつ。一つだけ、願いがございます」
そう蔦重は切り出し、太夫の直伝を預けて欲しいと願いました。
ったく、鱗形屋がここにいたらブチギレそうな話ですぜ、厚かましい奴だってよ。このちゃっかりしているところが蔦重の魅力ですね。
そのころ鳥山検校は三味線を弾いています。
妻の瀬以がやってきて、芝居に出向いたことの礼を告げます。
「そなたの望むことは全て、叶えると決めた。私はそなたの夫だからな」
「瀬以は、ほんに幸せ者にございます」
御新造はそう答えるけれど、夫の鳥山検校は何やら不穏な空気を漂わせてはいます。
めぐる侠気が世を良くしてゆく
襲名のことを早速聞きつけたのか。
鱗形屋が富本のためにも考え直して欲しいと豊前太夫に訴えています。
耕書堂は市中の本屋と諍いを起こしている。任せれば市中で売り広めができなくなる。
そう語るも、豊前太夫には逆効果だ。
「らしいねぇ。だったら尚更、あいつを助けてやりたいねぇ。それが、男ってもんだろ」
澄み切っていて、子どものような悪戯っぽさを秘めた目で返す豊前太夫。
りつやおっかけが見たら失神しそうな魅力ですな。
呆然とするばかりの鱗形屋が帰宅すると、利発な万次郎相手に、武士が絵解きをしています。
この武士は小島松平家内用人・倉橋格。筆名は日本史上最もカワイイペンネームなんてことも言われる「恋川春町」です。
鱗形屋が子守をさせてしまったことを詫びると、遊んでおっただけだと返す倉橋。
万次郎が礼を言いながら去ってゆき、倉橋は作品の相談をしたかったようですが、鱗形屋が困惑しています。
「いかがした?」
「いや……ろくにお礼もできぬのに、うちで書いてくださって、ありがた山で……」
倉橋は居住まいを正し、こう言います。
「当家の家老は、そなたにまことにひどいことをした。それを忘れるなど、男のすることではない」
偽板の件で、借りを返しているわけですね。そう言われ、感激が顔に滲む鱗形屋。
「すいやせん……すいやせん……」
そう頭を下げるばかりです。
蔦重にせよ、鱗形屋にせよ、「男の見せる侠」により救われます。
結果、蔦重は富本正本、鱗形屋は青本に力を入れるそうですぜ。
そのころ八丁堀の白河松平家では、当主となった定信が家臣を叱りつけています。
「これは市中の子供が読むものであろう。よい大人がかようなものでよう笑えるな」
「お許しくださいませ!」
そう頭を下げるしかない家臣。
手にしていたのは『金々先生栄花夢』でした。
ま、しょうがねえんすよ。参勤交代で江戸にいる武士は暇なもんで、貸本屋が来ると飛びついて借りて貪り読んじまう。
で、松平定信なんですけど、性格的には猜疑心が強いことは確かでさ。でも、感受性は豊かなんですよ。
面白いもの。美しいもの。それを見抜くセンスはしっかりあります。
さて、今後、彼はどう描かれるのか。
MVP:りつと馬面太夫
馬面太夫は市川門之助とのコンビが実に見事ですが、ここはりつで。
推しとそのファンを通して、エンタメ受容における女性の地位がみえてくる。ジェンダー的に大変面白い構図といえます。
浄瑠璃ブームの時点で、女人気が重要視されてきて、それが無視できないものになっていく過程が浮かんできましたね。
蔦重が「祭りに老若男女を呼ぶ」と断言したあたりにもそうした点は見えてくる。
これは江戸時代の文化を考える上でも重要なことだと思うのです。
馬面太夫のおっかけガールズは、ファンサうちわのようなものを持っておりました。
あれは実在していて、浮世絵師は団扇絵というものも手掛けているのですね。
しかし団扇絵は使い終えたら廃棄されるし、骨に貼り付けられるものですから、当時の現物は残りにくい。たまたま貼らずに残った絵が展示には適しています。
そんな事情もあって、団扇絵ばかりを集めた展覧会は、2024年夏にやっと開催されました。
太田記念美術館開催『国芳の団扇絵 猫と歌舞伎とチャキチャキ娘』であり、世界初となります。こうした団扇には美女や猫だけでなく、美男ものもあります。
国芳は蔦重の没年に生まれた江戸後期を代表する浮世絵師です。
この時代となると、女人気を当てこむことはむしろ当然。
蔦重と縁が深い山東京伝には山東京山という弟がいて、京山と国芳がタッグを組み、女性け出版物でヒットを飛ばしたりしているんですね。
国芳はイケメンと猫で、女人気もがっちり掴んだ浮世絵師でした。
なんせ国芳は、エロいイケメン絵が抜群にうまい。
武者絵とジャンル分けされますけど、あれは本当に抜群にいやらしいのだと私は気づかされました。
国芳は『水滸伝』の百八星を描いてブレイクしましたが、中国本場と比べても妖艶すぎて、具体的に説明してゆきますと、まず髪の毛に注目。
本場では髷を結っています。
それが日本だと、水に入るしザンバラになると解釈されて、濡れた髪がほつれて肌に張り付くというセクシーぶりになっています。
次に露出度。日本人は「水に入るから脱がせるだろ!」と考えたのか、褌一丁になっています。
当時の中国では褌が廃れていて、せいぜいが上半身裸、下半身はパンツスタイル程度です。紐パン一丁になっている日本の『水滸伝』はギリギリのエロスを攻めています。
そして表情も、悩ましい。
総じて、本場のものよりもはるかにいやらしい!
こうした武者絵は主に男性が買っていたとされますが、りつのような女性が手に取って「艶っぽいねえ」とうっとりしていても不思議はない。
なにせ、百八星でも露出度が高いイケメンの史進あたりは、複数のバージョンがありますからね。そりゃ、ファンとしては出るだけ買うだろ! そう腑に落ちました。
そしてこれが江戸男のロールモデルとなっていった。
江戸男のおしゃれは辛いんです。褌までチェックされるわ。ビキニラインならぬ褌ライン脱毛も要求されるわ。せっかちでないとかっこ悪いってんで、蕎麦は噛まずに飲む羽目になるわ。
中でも一番エクストリームなファッションは、刺青でさぁね。脱いだ時にオシャレだし、痛みに耐えたタフガイぶりをアピールできると。駿河屋の親父殿も立派なもんを入れてるそうですぜ。女房のふじも惚れちまうわなぁ。
りつが馬面太夫をうっとりと眺め、その艶や色気に惚れ込む様は、まさにこれぞ江戸だと思いましたね。

歌川国芳『通俗水滸伝豪傑百八人之一個』/wikipediaより引用
てなわけで、江戸の女はイケメンにキャーキャーすることが当然でした。
りつはそれをよく理解しているから、男の嫉妬を見抜いてズバズバ指摘してくる。
りつがイケメンにうっとりしていると、僻んだ男どもがなんかゴチャゴチャいってきたんでしょう。今でもおなじみの、こんな文句は江戸時代からつけられています。
「女に芝居や芸の良し悪しなんざわかりゃしねえ、美男目当てで来てやがんのサ」
そんなもん、男だって女の色香を目当てにして楽しむことあんだろ。
この手の偏見は未だにありますよね。男性アーティストなんかが「女性だけでなく男性向けにもパフォーマンスをしたい」みたいなことを言い出して揉めたりするんですけどね。
案の定、大河ドラマが女性ファン獲得のためイケメンを脱がせるつもりだ――なんてしょうもねえ記事が出てるだろ。いつの時代も同じさ。
女人気に応じる馬面太夫により、中身はさらに深く掘り下げられ、芸と顔だけではないとわかります。
彼は目が透き通っていて、とても美しい。人がよいのだと思わせます。
いつも穏やかで、繊細で、優しい人だとファンも理解しているのでしょう。
「お優しい〜!」
そう声を上げるファンから、優しさ込みで惚れていると伝わってきました。
彼は幼くして父を失い、名見崎徳治はじめ周囲に可愛がられ、育てられ、見守られて育ってきた。
自分一人でここまで来たわけじゃない。優しい気持ちに守られていると理解している。
その恩返しをしたい。
目の前にいる人。弱くて困っている人。気の毒な人を見たら、ともかく優しくしたい。優しくすることが行動原理だから、体が勝手に動く。それが男だと彼は理解しています。
見た目も声も大事だけど、それ以上に優しさが大事だ――そう自然と振る舞える、まさに世の宝のような人ですね。
そうやって損得を一旦横に置くことで、本来の意味での「情けは人の為ならず」を描いてゆく。
誰もが忘れてしまったかもしれない優しい心根を取り戻していくような、ありがた山ドラマです。
ただし、それをいうなら蔦重も、恋川春町も優しい男といえる。それが波乱を巻き起こすこともある。それが今度の着目点でしょう。
総評
私は満足したけれど、また絡まれそうだと思いました。
馬面太夫と恋川春町が、弱い者を助けたときに口にしたセリフが「それが男だろう」と性別に絡めたものだったからです。
これがジェンダー的にどうかと言われそうではありますが、文化の特殊性やら何やらも関わってきますよね。
確かにさっぱりした女性を「まるで男みたいだ」ということが物議を醸すことはわかる。
ただ、舞台は江戸時代の江戸ということは要注意ではないでしょうか。
江戸の場合、男女双方、共に強きを挫き弱きを助ける気風が重視されます。
京大坂の遊女を比較した場合でも、江戸は侠気があるところがよいとされたものです。
そこはなかなか考えられていて、今週は忘八のなかでも唯一の女性であるりつが活躍しました。
大文字屋が利益重視であるのに対し、りつはまっすぐな誠心誠意で事態を打開しようとします。
今回は芸能とその女人気という、ジェンダー観点からみて極めて斬新なところに切り込んできましたぜ。歴史学は日に日に進歩するもんだなあ。
それに最近は、男も女も、妙にギスギスしちゃって。人に救われて当然だと思うなとか平気で言っちゃうでしょう?
そういう厳しさは世の中をよいものにしていない。悪くばかりしている。
人を助ける前に算盤弾いて、自分が得するかどうか踏まえてでないと動かない。フォロワーがどう思うかとか。そんなことばかりで、自分のまっすぐな気持ちに向き合おうとしていない。
それじゃ、だめですよね。
自分の感覚を信じて、人を助けて、みんなで少しでもいい世の中にするよう考えていかないと、追い詰められるだけ。
そう感心しているんですけどね。
江戸中期の知識とか。伝統文化芸能とか。そういうものとフェミニズム批評の相性がかなり悪いんじゃないかとちょうど確認したところなんで、どうしたもんかと思っているところではあるんすね。
朋誠堂喜三二みたいに私は「いいねいいね!」と浮かれてますけど、どうにもそれって、マニア向けなんじゃねえかなという懸念もありますし。
でもそういうこと指摘すると、十中八九揉めるとわかっているんでね。
でもあえてやってみるんで、そんなしょうもない話につきあえるなら、ちょっと先まで読んでもらえます?
吉原はどう描かれてきたのか? 悲惨? キラキラ?
フェミニズム批評はこれから欠かせないだろうと、色々読んでいて気づいたことがあります。
どうにも日本映画、しかも古典や歴史ものとなると、対象に入りにくいのではないか?ということ。ましてや時代劇や大河ドラマではどうなのでしょう。
フェミニズム批評の要素として「エンパワメント」、女性を勇気づける要素も重視されると思うんですが、これがなかなか難しいところではあるんですよね。
何かを考える上で、いろいろな見方を使うクロスチェックは大事です。ですから私は大河ニュースのコメント欄や、アンチもざっと読んでいます。
それで打ち切りハッシュタグをいまだにしつこく動かしている人をみて、「打ち切り連」と命名し、年代や好み、価値観などなど、ちょっと考えてみました。
「吉原のような穢らわしいものを扱うとはけしからん!」
この主張は流石に差別的かもしれんてことで避けられております。
「吉原の女郎だって人間だよ!汚くなんかないよ!」は悪手でこういって無効化されますんで。
「吉原のような性的搾取を肯定する作品を流すことが嫌なのです」
これがむしろ上書きされているメインの主張です。
本編でそもそも肯定されていないので、どうにも意見が噛み合わず、暴走傾向を強めるばかりですね。どうしたものか。
・歌舞伎
・落語
・浮世絵
古典芸能での吉原女郎って、そんなにキラキラしてリア充しているという扱いではない。むしろ気の毒で哀れなものだという共通認識はあります。
親が病に倒れてやむなく苦界に身を沈めているとか。家が火事で焼けたせいでこうなったけど、本来はさる大店のお嬢様だとか。そういう苦労話は定番です。籠の中の鳥で出ていけない。
そういう基本認識があったんですね。
これは古典を見ていけばすぐに気づくことでして、今回も馬面太夫と門之助がハッとなったのも、その共通理念があるのです。
こうした状況が変化したのが明治以降とされています。
明治5年(1872年)の「芸娼妓解放令」が契機とされます。
外国から娼妓は奴隷だと指摘されたため、名目上解放して誤魔化しただけのもの。
女郎の境遇は変わらないにも関わらず「苦界に身を沈めた犠牲者」から「自由意志で身を売る女」とされました。
そして第二次世界大戦中とその後、日本の女性は深刻な性的搾取に遭遇します。
戦時下での性的搾取。アメリカ兵への奉仕。アメリカ兵による性的暴行。
家の中の男手が戦争で落命した結果、性的産業に従事しなければならない女性もいました。
戦災孤児が性的搾取にさらされることもありました。
そういう生々しい戦争の残した傷と、その記憶がある時代は、吉原を生きてきた女郎への憐れみは共感されやすい題材とされます。
遊郭を扱う作品は暗い悲しみに満ちたものが多いものでした。
それが変化したのが、戦争から半世紀経てきた2000年代です。
「てめぇの人生、てめぇで咲かす」
このキャッチコピーがついた『さくらん』は2001年から連載されています。
暗く悲しい苦界のイメージを、キラキラしたものに変化させること。ポップでオシャレで、最先端の流行だという動きはあったのです。
もちろんこれには性的搾取をキラキラと飾るなという批判はつきまといます。
こうしてみてくると、エンタメやカルチャーだけの問題に思えますよね。
でも、今週のりつが実にいい指摘をしておりまして。
お上の都合で垣根を作って回ってねえか?
そう考えてみてはいかがでしょう。純粋にクリエイターと消費者がキラキラ吉原を求めただけなんですかね?
2000年代に突入してゆくころ、世界的にみて女性が性的搾取を告発できるまで進んでおりました。
そして2000年末に「女性国際戦犯法廷」が開催され、戦時中の日本軍における性的搾取が有罪とされました。
これが保守派の反発を招き、NHKまで番組介入をされました。
そういった目立つ動きだけでなく、同時に性的搾取をキラキラコーティングするようなムーブも出てきたのです。
そうすれば性的搾取を訴える証言を無効化できるという狙いはありますよね。
そこを堂々と持ち出されたのか、あるいは誘導されたのか。そこは確認のしようはない。でもそれを望む世間の動きはあったわけです。
好きで女が色を売る。堂々と生きている。搾取? 大袈裟だ!
そんなことを言われかねない流れの中で、吉原の悲惨さを語ることは困難さが増していったように思えます。
吉原を暗く描くなんてダサい。キラキラさせてこそでしょ!
そうした動きが出てきてしまう。
ここまで読み解くと、答えがわかってきたと思えるのです。
「打ち切り連」はこの2000年代あたりの動きを知っている。そしてそれを許し難いと思った。
一度刻まれた感覚はもうなかなか塗り替えられないから、大河で吉原を扱うとなると、「またキラキラだ!」と反射的に出たのでしょう。
根っこにあるのは義侠心だとは思います。
近年では、炎上した「吉原展」は、センスが古く時代錯誤、歴史修正をダサいキラキラで誤魔化した路線でした。
しかし『鬼滅の刃』は十分吉原を悲惨なものとして描いていて、当初は叩かれても、トーンダウンしていきました。
今回もそういう系譜だと思います。
実は、吉原をキラキラさせるのは、もう古くてダサくて、それこそ「吉原展」のように燃えるから、もうやらない方向に進んでいるんですよ。
「芸娼妓解放令」にせよ。
「女性国際戦犯法廷」への反発にせよ。
国際社会から批判され、小手先で引っ掻き回して垣根作ろうとするお上の都合に振り回されて分断させられる。
ほんとにバカみたいだと思いませんか?
あっしらは人で、一皮剥きゃ同じなのにサ。もっとマシなことに労力使いましょうよ。
打ち切り延焼の危険性と、教養の喪失を考える
性的搾取に反対するような方は、なまじ真面目で上品だから、ゲスな興味関心は薄いもんで、そこが追いつけないのかもしれません。
正直、打ち切り連なんて、勘弁して欲しいと私は思っております。
この前、アメリカが「ゲイ」という単語を削除した結果、「エノラ・ゲイ」の写真まで消えるというバカの極みみてえなニュースがありました。
最悪、そういうことが起きかねないんですよ。
やってる側は正義を気取っているんだろうけど、「ペリーを酔いつぶして殺せば解決する!」と主張していた徳川斉昭じみたものを感じます。
たとえば定番の意見として、こんなものがありますよね。
「NHKが吉原なんて題材を扱うなんておかしい!」
いや、Eテレも含めて、テレビ局で一番吉原を頻繁に扱っているのはNHKですね。
Eテレの『浮世絵EDO-LIFE』なんて、番組紹介画像からして女郎絵ですので。
二番手が『笑点』の日テレでしょう。
古典芸能を扱うとなると、そこは避けられない。
ここまでしつこく書いてきたとおり、伝統芸能では廓ものが出てきます。
ですので、この分野の研究者や伝統芸能伝承者は、嫌われたり、差別をされたりもする。
今年の考証をつとめる山田順子先生なんて、男性からもセクハラをされただろうし、女性からも嫌悪感情を抱かれたことはあっただろうし。
そういうことを想像するだけで、私は胸がグッと詰まります。それでも続けてきたことには本当に素晴らしいことなんすよ。
伝統芸能は女性に厳しい世界です。
今年の大河打ち切り連を見ていると、女性の落語家さんなんか、本当に苦労するよなァとため息をつきたくなります。
性差別を促進する側だと思われかねない。鈍感でバカだからそんな仕事をできるとすら思われかねねえんじゃないかと……はっきりそう語る人はそりゃそうそういない。
でも、SNSでは、今年の大河スタッフやキャストまで罵倒し続ける打ち切り連もおりますんでねえ。
そこを伝統芸能だって、考えていないわけじゃないんですよ。
たとえば廓話を、女性の落語家が花魁目線で語り直す試みがあるのです。
確かに落語の花魁は都合良すぎっつうか、なんで花魁がそうするのか、わからないことは往々にしてある。
廓の話でも、花魁自身がどう思ったか考え直す。
それを女性がやることが大事。
海外でも、ポルノをあえて女性目線で描きなおすことがフェミニズムとしてあるのです。
むしろ伝統芸能や文化に関わる側は、批判も踏まえて、歴史も考えて、日夜生き残り策を練っていて当然だと思います。存続がかかっております。
『べらぼう』もこういう試みでは?
女性考証に女性脚本家で、吉原を描き直しているんですからね。
でも、なまじ上品な方は、そもそもポルノなんて近づかないから把握できないこともある。
こういう動きは「アンチポルノフェミニズム」とも呼ばれます。
なお、ポルノをきっちり線引きするゾーニングと、アンチポルノフェミニズムは別ものです。
フェミニズム批評は大事なのだけれども、その文脈で追った日本映画や日本古典評がまだ未確立のようにも思えます。私が知らないだけかもしれませんが。
今回の打ち切り連は、洋ドラ洋画とか。韓流華流ファンが「海外ならありえない!」と批判していることも多い。
いや、海外にも娼館を扱うものもあるので、鑑賞範囲外かもしれないとは思いますが。『ゲーム・オブ・スローンズ』のティリオンは娼館の常連でしたっけ。
そしてこれも、古典芸能や文化にあてはめるには無理筋もあります。
フランス人が『椿姫』を憎むとか。イギリス人が『ファニー・ヒル』排撃運動を展開しているとか。中国人が『警世通言』を罵倒するとか。そういう話が海外にあるなら別ですけど。
中国ではポルノの『金瓶梅』が古典名作扱いされることに対し、気まずさは若干あるみたいですけれど、もう全否定はできてないすよね。
なんだか海外ではどうこう言われると、突如蕎麦屋に、こういうことを訴える客がやってきたような気持ちになるんです。
「中国ではもっと具材に凝りますよ。香辛料も足りないですね。辣油でも使ってみませんか? 香菜はどうかな?」
「だいたい、栄養バランスがおかしいし、見た目も地味。もっと華やかで盛り上がる感じにできませんか? トマトでも使ってみませんか?」
悪いこた言わねえ。もう、帰(けえ)ってくれ……おとなしくガチ中華か、パスタでも食いにいけばいいじゃねえか。そう言いたくなるんです。
古典含めた先行吉原ものと比較することが筋では?
作られた垣根、分断にひっかかるのはやめよう
あと、みなさん、フェミニズムは好きですよね。
だったら今年の江戸中期はとてもいい時代です。田沼時代は日本のフェミニズムを語る上で重要な只野真葛が出せますので。
そして日本史上のフェミニストとして、市川房枝もあげておきましょう。
この人は偉大とはいえ、フェミニストでも差別をする悪しき先例でもありまして。
当初は中国人と手を携えて女性の権利を守ろうとしていたんですが、日中戦争に突入するとそうでなくなる。
野蛮で女性の権利もない中国人とは異なると、戦争協力し、中国のフェミニストを大いに失望させたのです。
そのへんを真面目に反省したのかというと、GHQなんかが「彼女こそ新時代の女性だ」と持ち上げたため、そのへんが曖昧になっています。
こういうフェミニストの先駆者は、性産業従事者に冷淡なこともあります。自分らとは別ものだという態度になってしまう。市川房枝もそうです。
性的産業従事者に厳しく差別的なフェミニストには呼び方があります。SWERF(性労働者排除ラジカルフェミニズム)です。
夜職の人がデモに来ると一瞬顔が曇って、作り笑顔で「あなたも早くまっとうな仕事につけれるといいですね!」と、悪意ゼロで語りかけちゃう人が典型例ですね。
“whorephobia”(娼婦嫌悪)という言葉もあります。どうにも、打ち切り連にはこういうSWERFの影が漂っているように見えます。そういう垣根に乗っかってはいいことないですよ。
嗚呼、紺屋の白袴
先ほど、打ち切り連には海外ドラマファンが目立つと指摘しました。
それそのものはいいと思います。ただし、フェミニズム批評は日本史を扱う作品では若干弱い点は頭の隅にでも入れてください。
そしてそこを踏まえずにいられると、「蕎麦屋で香菜やトマトを提案する無粋な客」になりかねないことも。
それに、それって紺屋の白袴ではないですかね。海外に詳しくても、自国に疎いのはちょっと問題ですね。
くどいようですが、日本人ってそこまで浮世絵を推していないとも思える。
私は推し浮世絵師をガキの時分に見つけましてね。でも、なかなか周囲の理解が得られねえんだな。
大人になりゃ、わかってくれる人もでるだろう。そう信じて待ち受けなんか推しの絵にしていたんです。
んで、年寄りになった今、気づいたんですけど。
みんな、漫画、アニメ、ゲーム、スポーツ、アイドル、音楽……子ども時代とさして変わらぬ話をしている。
話が違う。浮世絵を推してる奴、実は多くなかった……。
これは打ち切り連をざっと眺めていて、確信したことでもあります。
平均年齢はそんなに低くない。そもそもXは中年のツールです。
結構な人数が集っているのに、誰からも「それを言ったら歌舞伎・落語・浮世絵だってまずいんじゃない?」と指摘していないんですね。
そう気づいたら、ゾッとしました。
日本人中年以下の教養が、相当落ちているのでは?
東京オリンピック開会式や閉会式で安っぽいサブカルを推していたとか。プロジェクションマッピングが悲惨な出来になりがちとか。そういうのも全部繋がってるかもしれないと。
2024年と2025年が文化重視大河なのも、危機感あってのことだと思えてきました。
これは禍根を残しかねないんだ。もう待っていられないのだなと。
海外のエンタメもよいけれど、日本文化ももうちょっと学んでみませんか?
最低限、好きな浮世絵師が一人や二人はいて欲しい。
浮世絵は国際交流のツールとしても秀逸です。
ハガキを送るとき、外さないマストが浮世絵です。
北斎や広重の風景画は無難。
歴史好きなら国芳の武者絵。
かわいいものが好きなら国芳の猫や金魚。
中国人相手なら、国芳の『水滸伝』や月岡芳年の中国史ものもお勧めです。
相手が誰であろうと、まず揉めません。ハガキなら安いし、博物館や美術館に行ってまとめて買っておけば便利です。
ユニクロ浅草店は、店舗限定の浮世絵アパレルがあるのでお勧めです。
そうやって選ぶうちに、推し絵師もできてくるかもしれませんし。
今年の大河はよい機会なので、推し絵師を決めてみたらどうでしょうか。
浮世絵の歴史を学んでいくと、明治以降、日本がいかに伝統文化に冷淡であったかということも学べます。
今年の大河を叩く意見については、私から言わせれば既視感があって、新鮮味がさしてなかったんですね。
浮世絵はじめ、江戸の日本文化がどれだけコケにされ、貶められ、冷遇されてきたのか。学んでいるとわかってくるので。
罵倒するにせよ、もっと斬新なものにできないのか、なんてことは思いません。ただ、もっと自国の文化を愛してもよいのではないかと思うのです。

歌川国芳『猫のけいこ』 /wikipediaより引用
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【参考】
べらぼう/公式サイト





