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【『べらぼう』感想あらすじレビュー第11回富本、仁義の馬面】
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吉原はどう描かれてきたのか? 悲惨? キラキラ?
フェミニズム批評はこれから欠かせないだろうと、色々読んでいて気づいたことがあります。
どうにも日本映画、しかも古典や歴史ものとなると、対象に入りにくいのではないか?ということ。ましてや時代劇や大河ドラマではどうなのでしょう。
フェミニズム批評の要素として「エンパワメント」、女性を勇気づける要素も重視されると思うんですが、これがなかなか難しいところではあるんですよね。
何かを考える上で、いろいろな見方を使うクロスチェックは大事です。ですから私は大河ニュースのコメント欄や、アンチもざっと読んでいます。
それで打ち切りハッシュタグをいまだにしつこく動かしている人をみて、「打ち切り連」と命名し、年代や好み、価値観などなど、ちょっと考えてみました。
「吉原のような穢らわしいものを扱うとはけしからん!」
この主張は流石に差別的かもしれんてことで避けられております。
「吉原の女郎だって人間だよ!汚くなんかないよ!」は悪手でこういって無効化されますんで。
「吉原のような性的搾取を肯定する作品を流すことが嫌なのです」
これがむしろ上書きされているメインの主張です。
本編でそもそも肯定されていないので、どうにも意見が噛み合わず、暴走傾向を強めるばかりですね。どうしたものか。
・歌舞伎
・落語
・浮世絵
古典芸能での吉原女郎って、そんなにキラキラしてリア充しているという扱いではない。むしろ気の毒で哀れなものだという共通認識はあります。
親が病に倒れてやむなく苦界に身を沈めているとか。家が火事で焼けたせいでこうなったけど、本来はさる大店のお嬢様だとか。そういう苦労話は定番です。籠の中の鳥で出ていけない。
そういう基本認識があったんですね。
これは古典を見ていけばすぐに気づくことでして、今回も馬面太夫と門之助がハッとなったのも、その共通理念があるのです。
こうした状況が変化したのが明治以降とされています。
明治5年(1872年)の「芸娼妓解放令」が契機とされます。
外国から娼妓は奴隷だと指摘されたため、名目上解放して誤魔化しただけのもの。
女郎の境遇は変わらないにも関わらず「苦界に身を沈めた犠牲者」から「自由意志で身を売る女」とされました。
そして第二次世界大戦中とその後、日本の女性は深刻な性的搾取に遭遇します。
戦時下での性的搾取。アメリカ兵への奉仕。アメリカ兵による性的暴行。
家の中の男手が戦争で落命した結果、性的産業に従事しなければならない女性もいました。
戦災孤児が性的搾取にさらされることもありました。
そういう生々しい戦争の残した傷と、その記憶がある時代は、吉原を生きてきた女郎への憐れみは共感されやすい題材とされます。
遊郭を扱う作品は暗い悲しみに満ちたものが多いものでした。
それが変化したのが、戦争から半世紀経てきた2000年代です。
「てめぇの人生、てめぇで咲かす」
このキャッチコピーがついた『さくらん』は2001年から連載されています。
暗く悲しい苦界のイメージを、キラキラしたものに変化させること。ポップでオシャレで、最先端の流行だという動きはあったのです。
もちろんこれには性的搾取をキラキラと飾るなという批判はつきまといます。
こうしてみてくると、エンタメやカルチャーだけの問題に思えますよね。
でも、今週のりつが実にいい指摘をしておりまして。
お上の都合で垣根を作って回ってねえか?
そう考えてみてはいかがでしょう。純粋にクリエイターと消費者がキラキラ吉原を求めただけなんですかね?
2000年代に突入してゆくころ、世界的にみて女性が性的搾取を告発できるまで進んでおりました。
そして2000年末に「女性国際戦犯法廷」が開催され、戦時中の日本軍における性的搾取が有罪とされました。
これが保守派の反発を招き、NHKまで番組介入をされました。
そういった目立つ動きだけでなく、同時に性的搾取をキラキラコーティングするようなムーブも出てきたのです。
そうすれば性的搾取を訴える証言を無効化できるという狙いはありますよね。
そこを堂々と持ち出されたのか、あるいは誘導されたのか。そこは確認のしようはない。でもそれを望む世間の動きはあったわけです。
好きで女が色を売る。堂々と生きている。搾取? 大袈裟だ!
そんなことを言われかねない流れの中で、吉原の悲惨さを語ることは困難さが増していったように思えます。
吉原を暗く描くなんてダサい。キラキラさせてこそでしょ!
そうした動きが出てきてしまう。
ここまで読み解くと、答えがわかってきたと思えるのです。
「打ち切り連」はこの2000年代あたりの動きを知っている。そしてそれを許し難いと思った。
一度刻まれた感覚はもうなかなか塗り替えられないから、大河で吉原を扱うとなると、「またキラキラだ!」と反射的に出たのでしょう。
根っこにあるのは義侠心だとは思います。
近年では、炎上した「吉原展」は、センスが古く時代錯誤、歴史修正をダサいキラキラで誤魔化した路線でした。
しかし『鬼滅の刃』は十分吉原を悲惨なものとして描いていて、当初は叩かれても、トーンダウンしていきました。
今回もそういう系譜だと思います。
実は、吉原をキラキラさせるのは、もう古くてダサくて、それこそ「吉原展」のように燃えるから、もうやらない方向に進んでいるんですよ。
「芸娼妓解放令」にせよ。
「女性国際戦犯法廷」への反発にせよ。
国際社会から批判され、小手先で引っ掻き回して垣根作ろうとするお上の都合に振り回されて分断させられる。
ほんとにバカみたいだと思いませんか?
あっしらは人で、一皮剥きゃ同じなのにサ。もっとマシなことに労力使いましょうよ。
打ち切り延焼の危険性と、教養の喪失を考える
性的搾取に反対するような方は、なまじ真面目で上品だから、ゲスな興味関心は薄いもんで、そこが追いつけないのかもしれません。
正直、打ち切り連なんて、勘弁して欲しいと私は思っております。
この前、アメリカが「ゲイ」という単語を削除した結果、「エノラ・ゲイ」の写真まで消えるというバカの極みみてえなニュースがありました。
最悪、そういうことが起きかねないんですよ。
やってる側は正義を気取っているんだろうけど、「ペリーを酔いつぶして殺せば解決する!」と主張していた徳川斉昭じみたものを感じます。
たとえば定番の意見として、こんなものがありますよね。
「NHKが吉原なんて題材を扱うなんておかしい!」
いや、Eテレも含めて、テレビ局で一番吉原を頻繁に扱っているのはNHKですね。
Eテレの『浮世絵EDO-LIFE』なんて、番組紹介画像からして女郎絵ですので。
二番手が『笑点』の日テレでしょう。
古典芸能を扱うとなると、そこは避けられない。
ここまでしつこく書いてきたとおり、伝統芸能では廓ものが出てきます。
ですので、この分野の研究者や伝統芸能伝承者は、嫌われたり、差別をされたりもする。
今年の考証をつとめる山田順子先生なんて、男性からもセクハラをされただろうし、女性からも嫌悪感情を抱かれたことはあっただろうし。
そういうことを想像するだけで、私は胸がグッと詰まります。それでも続けてきたことには本当に素晴らしいことなんすよ。
伝統芸能は女性に厳しい世界です。
今年の大河打ち切り連を見ていると、女性の落語家さんなんか、本当に苦労するよなァとため息をつきたくなります。
性差別を促進する側だと思われかねない。鈍感でバカだからそんな仕事をできるとすら思われかねねえんじゃないかと……はっきりそう語る人はそりゃそうそういない。
でも、SNSでは、今年の大河スタッフやキャストまで罵倒し続ける打ち切り連もおりますんでねえ。
そこを伝統芸能だって、考えていないわけじゃないんですよ。
たとえば廓話を、女性の落語家が花魁目線で語り直す試みがあるのです。
確かに落語の花魁は都合良すぎっつうか、なんで花魁がそうするのか、わからないことは往々にしてある。
廓の話でも、花魁自身がどう思ったか考え直す。
それを女性がやることが大事。
海外でも、ポルノをあえて女性目線で描きなおすことがフェミニズムとしてあるのです。
むしろ伝統芸能や文化に関わる側は、批判も踏まえて、歴史も考えて、日夜生き残り策を練っていて当然だと思います。存続がかかっております。
『べらぼう』もこういう試みでは?
女性考証に女性脚本家で、吉原を描き直しているんですからね。
でも、なまじ上品な方は、そもそもポルノなんて近づかないから把握できないこともある。
こういう動きは「アンチポルノフェミニズム」とも呼ばれます。
なお、ポルノをきっちり線引きするゾーニングと、アンチポルノフェミニズムは別ものです。
フェミニズム批評は大事なのだけれども、その文脈で追った日本映画や日本古典評がまだ未確立のようにも思えます。私が知らないだけかもしれませんが。
今回の打ち切り連は、洋ドラ洋画とか。韓流華流ファンが「海外ならありえない!」と批判していることも多い。
いや、海外にも娼館を扱うものもあるので、鑑賞範囲外かもしれないとは思いますが。『ゲーム・オブ・スローンズ』のティリオンは娼館の常連でしたっけ。
そしてこれも、古典芸能や文化にあてはめるには無理筋もあります。
フランス人が『椿姫』を憎むとか。イギリス人が『ファニー・ヒル』排撃運動を展開しているとか。中国人が『警世通言』を罵倒するとか。そういう話が海外にあるなら別ですけど。
中国ではポルノの『金瓶梅』が古典名作扱いされることに対し、気まずさは若干あるみたいですけれど、もう全否定はできてないすよね。
なんだか海外ではどうこう言われると、突如蕎麦屋に、こういうことを訴える客がやってきたような気持ちになるんです。
「中国ではもっと具材に凝りますよ。香辛料も足りないですね。辣油でも使ってみませんか? 香菜はどうかな?」
「だいたい、栄養バランスがおかしいし、見た目も地味。もっと華やかで盛り上がる感じにできませんか? トマトでも使ってみませんか?」
悪いこた言わねえ。もう、帰(けえ)ってくれ……おとなしくガチ中華か、パスタでも食いにいけばいいじゃねえか。そう言いたくなるんです。
古典含めた先行吉原ものと比較することが筋では?
作られた垣根、分断にひっかかるのはやめよう
あと、みなさん、フェミニズムは好きですよね。
だったら今年の江戸中期はとてもいい時代です。田沼時代は日本のフェミニズムを語る上で重要な只野真葛が出せますので。
そして日本史上のフェミニストとして、市川房枝もあげておきましょう。
この人は偉大とはいえ、フェミニストでも差別をする悪しき先例でもありまして。
当初は中国人と手を携えて女性の権利を守ろうとしていたんですが、日中戦争に突入するとそうでなくなる。
野蛮で女性の権利もない中国人とは異なると、戦争協力し、中国のフェミニストを大いに失望させたのです。
そのへんを真面目に反省したのかというと、GHQなんかが「彼女こそ新時代の女性だ」と持ち上げたため、そのへんが曖昧になっています。
こういうフェミニストの先駆者は、性産業従事者に冷淡なこともあります。自分らとは別ものだという態度になってしまう。市川房枝もそうです。
性的産業従事者に厳しく差別的なフェミニストには呼び方があります。SWERF(性労働者排除ラジカルフェミニズム)です。
夜職の人がデモに来ると一瞬顔が曇って、作り笑顔で「あなたも早くまっとうな仕事につけれるといいですね!」と、悪意ゼロで語りかけちゃう人が典型例ですね。
“whorephobia”(娼婦嫌悪)という言葉もあります。どうにも、打ち切り連にはこういうSWERFの影が漂っているように見えます。そういう垣根に乗っかってはいいことないですよ。
嗚呼、紺屋の白袴
先ほど、打ち切り連には海外ドラマファンが目立つと指摘しました。
それそのものはいいと思います。ただし、フェミニズム批評は日本史を扱う作品では若干弱い点は頭の隅にでも入れてください。
そしてそこを踏まえずにいられると、「蕎麦屋で香菜やトマトを提案する無粋な客」になりかねないことも。
それに、それって紺屋の白袴ではないですかね。海外に詳しくても、自国に疎いのはちょっと問題ですね。
くどいようですが、日本人ってそこまで浮世絵を推していないとも思える。
私は推し浮世絵師をガキの時分に見つけましてね。でも、なかなか周囲の理解が得られねえんだな。
大人になりゃ、わかってくれる人もでるだろう。そう信じて待ち受けなんか推しの絵にしていたんです。
んで、年寄りになった今、気づいたんですけど。
みんな、漫画、アニメ、ゲーム、スポーツ、アイドル、音楽……子ども時代とさして変わらぬ話をしている。
話が違う。浮世絵を推してる奴、実は多くなかった……。
これは打ち切り連をざっと眺めていて、確信したことでもあります。
平均年齢はそんなに低くない。そもそもXは中年のツールです。
結構な人数が集っているのに、誰からも「それを言ったら歌舞伎・落語・浮世絵だってまずいんじゃない?」と指摘していないんですね。
そう気づいたら、ゾッとしました。
日本人中年以下の教養が、相当落ちているのでは?
東京オリンピック開会式や閉会式で安っぽいサブカルを推していたとか。プロジェクションマッピングが悲惨な出来になりがちとか。そういうのも全部繋がってるかもしれないと。
2024年と2025年が文化重視大河なのも、危機感あってのことだと思えてきました。
これは禍根を残しかねないんだ。もう待っていられないのだなと。
海外のエンタメもよいけれど、日本文化ももうちょっと学んでみませんか?
最低限、好きな浮世絵師が一人や二人はいて欲しい。
浮世絵は国際交流のツールとしても秀逸です。
ハガキを送るとき、外さないマストが浮世絵です。
北斎や広重の風景画は無難。
歴史好きなら国芳の武者絵。
かわいいものが好きなら国芳の猫や金魚。
中国人相手なら、国芳の『水滸伝』や月岡芳年の中国史ものもお勧めです。
相手が誰であろうと、まず揉めません。ハガキなら安いし、博物館や美術館に行ってまとめて買っておけば便利です。
ユニクロ浅草店は、店舗限定の浮世絵アパレルがあるのでお勧めです。
そうやって選ぶうちに、推し絵師もできてくるかもしれませんし。
今年の大河はよい機会なので、推し絵師を決めてみたらどうでしょうか。
浮世絵の歴史を学んでいくと、明治以降、日本がいかに伝統文化に冷淡であったかということも学べます。
今年の大河を叩く意見については、私から言わせれば既視感があって、新鮮味がさしてなかったんですね。
浮世絵はじめ、江戸の日本文化がどれだけコケにされ、貶められ、冷遇されてきたのか。学んでいるとわかってくるので。
罵倒するにせよ、もっと斬新なものにできないのか、なんてことは思いません。ただ、もっと自国の文化を愛してもよいのではないかと思うのです。

歌川国芳『猫のけいこ』 /wikipediaより引用
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べらぼう/公式サイト