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豊臣家

川並衆とは何者か|秀吉を支えた蜂須賀正勝らの木曽川水運ネットワーク

大河ドラマ『豊臣兄弟』の第7回放送から登場する蜂須賀正勝。

秀吉の「墨俣一夜城」を手助けすることで知られるが、ドラマの公式サイトでは「川並衆筆頭」と説明されている。

いったい川並衆(かわなみしゅう)とは何者なのか? 史実面から振り返ってみよう。

 

木曽川流域に実在はした

川並衆とは、木曽川流域で勢力を誇った土豪たちのことである。

土豪は、村の有力者が武装化した地侍などを指し、要は「地域に根ざした地元の武士」だが、中には出世して大名に仕えるどころか、大出世して大名そのものになる者もいる。

その代表が蜂須賀正勝だ。

※正確には息子の蜂須賀家政が大名となる

『豊臣兄弟』では、川並衆の筆頭とされる蜂須賀正勝。

蜂須賀正勝の肖像

蜂須賀正勝/wikimedia commons

しかし、一つ重大な問題がある。

「川並衆」という言葉が、史実としては認められてはいないことだ。

そもそも『武功夜話』という文書の中でしか見られない特殊な言葉であり、他の史料では確認できない。

ならば川並衆は実在しないのか?

というと、そうとは言い切れないのが難しいところである。

「川並衆」という用語が他の史料で確認されないだけで、木曽川のように大きな河川では蜂須賀正勝たち土豪が水運業者と密接に関わっていたことは十分にあり得る。

歴史学者の呉座勇一氏も、著書『真説 豊臣兄弟とその一族(幻冬舎)』の中で、秀吉が「川並衆」とされる蜂須賀正勝らのネットワークを利用していた可能性を指摘している。

確実な史料からは確認できないが、木曽川流域に実在していたであろう――川並衆とはそういう存在だった。

では彼らは、どんな職務をこなしていたのか。

どんなメンバーがいたのか。

 


流通や関所で日銭を稼ぐ

生活物資にせよ、建築用の木材等にせよ、当時の流通は河川が大きな役割を担っていた。

特に、尾張(愛知県)と美濃(岐阜県)の間には木曽川や長良川などの河川があり、川並衆が運搬そのものを担っていた(流通業者となっていた)ケースもあっただろう。

川並衆のイメージイラスト

また、関所のようなものを設置して、通行料を徴収していた可能性もある。

もしも船主が関所でカネを払わなければ、暴力を用いて船荷を奪い、最悪の場合は相手を殺してしまうのだ。

そんな馬鹿な話があるか……。

と現代人なら憤慨されるだろうが、中世の日本は全国の河川や道路で似たような状況があり、例えば淀川では京都~大坂間40キロの間に380箇所もの関所があったという。

むろん全ての関所でカネを支払うのではない。

通行証を発行したり、あるいは船便の場合は関所の土豪が直接乗り込んだりして“安全”を売買していた。

大河ドラマ『麒麟がくる』でも、若き日の明智光秀が旅の途中の関所で素直にカネを払い、逆にそこでゴネていた者が関所の土豪たちから袋叩きに遭う場面があった。

河川も同じような状況だったのだ。

では、こうした流通運搬や関所業務を生業としていたであろう川並衆には、どんなメンバーがいたのか?

 

川並衆のメンバー

蜂須賀と前野については、それぞれ別記事「蜂須賀正勝の生涯」と「前野長康の生涯」をご覧いただきたい。

他には以下のようなメンバーがいた。

※前述の通り、史実から「川並衆」という確認は取れないが、蜂須賀正勝の下でその手の働きをした者をピックアップ

坪内惣兵衛(坪内為定)

生没年不明で『武功夜話』では坪内為定とされる。

松倉城を居城として、蜂須賀正勝に従いながら仕事をこなし、前野忠勝の娘を妻としている。

永禄八年(1565年)11月に織田信長から領知安堵状を受け取っていて、実在そのものは間違いなさそうだ。

坪内利定

同じく織田信長から領知安堵状を受け取っている惣兵衛の親類であり、『武功夜話』では兄弟ともされる。

利定は、豊臣秀吉の配下になった可能性も指摘されており、その後、織田軍の越前攻めや小谷城の戦い、野田・福島の戦いでも戦功を挙げている。

こちらも確実に存在した人物どころか、その後、「甲州征伐」や「小牧・長久手の戦い」「関ヶ原の戦い」など数々の合戦で武功を称賛されている。

豊臣秀吉イメージイラスト

絵・富永商太

松原内匠助

尾張の土豪(野伏)。

『太閤記』によると、永禄九年(1566年)に秀吉が蜂須賀正勝と共に味方にしようとした。

日比野六太夫

松原と同じく尾張の土豪で野伏だったと『太間記』に記述。

『武功夜話』では蜂須賀党・頭衆の一人とされ、稲葉山城と鵜沼城の攻略に関わり、金ヶ崎の退き口でも活躍した。

青山新七

青山もまた『太閤記』に尾張の土豪(野伏)と記され、永禄九年(1566年)の美濃攻めでは、蜂須賀正勝らと共に秀吉に協力。

『武功夜話』では蜂須賀党・頭衆の一人とされ、墨俣城築城での活躍や稲葉山城攻めの手柄も触れられている。

確実に実在もしたであろう。

天正三年(1575年)5月20日、長篠の戦いにおける酒井忠次の別働隊で、信長馬廻衆の中に青山新七の名前がある。

『信長公記』での記載は「青山新七息」で、『池田本』には「青山新七父子」とある。

稲田大炊助

尾張の土豪(野伏)として『太閣記』に登場。永禄九年(1566年)に秀吉の味方となると、墨俣近辺への夜討ちを仕掛け信長から50貫文の領地を賜った。

『武功夜話』では、岩倉織田氏の老臣・稲田修理亮の嫡子とされ、岩倉城の落城後に蜂須賀党・頭衆の一人となった。

墨俣城や稲葉山城の戦い、金ヶ崎の退き口に参加するだけでなく、秀吉の播磨平定まで従った。

その子孫は蜂須賀家の徳島藩で老臣を務めている。

加治田隼人佐

『太閣記』によれば尾張の土豪(野伏)。永禄九年(1566年)、蜂須賀正勝と稲田大炊助と共に墨俣城を出て近辺の村を夜討ちし、信長より50貫文の領地を賜る。

※川並衆のメンバーは随時追記予定

『豊臣兄弟』総合ガイド|秀吉と秀長の生涯・家臣団・政権運営等の解説


参考書籍

太田牛一/中川太古『信長公記』(2013年10月 KADOKAWA)
呉座勇一『真説 豊臣兄弟とその一族』(2025年11月 幻冬舎)
小和田哲男『戦国武将の実力』(2015年10月 中央公論新社)
谷口克広『織田信長家臣人名辞典』(2010年10月 吉川弘文館)
柴裕之/かみゆ歴史編集部『太閤記解剖図鑑』(2025年11月 エクスナレッジ)
清水克行『室町は今日もハードボイルド』(2023年12月 新潮社)

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BUSHOO!JAPAN(五十嵐利休)

武将ジャパン編集長・管理人。 1998年に大学卒業後、都内出版社に入社し、書籍・雑誌編集者として20年以上活動。歴史関連書籍からビジネス書まで幅広いジャンルの編集経験を持つ。 2013年、新聞記者の友人とともに歴史系ウェブメディア「武将ジャパン」を立ち上げ、以来、累計4,000本以上の全記事の編集・監修を担当。月間最高960万PVを記録するなど、日本史メディアとして長期的な実績を築いてきた。 ◆2019年10月15日放送のTBS『クイズ!オンリー1 戦国武将』に出演(※優勝はれきしクン) ◆国立国会図書館データ https://id.ndl.go.jp/auth/ndlna/001159873

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