浅井万福丸

信長を裏切り、攻め滅ぼされた父の浅井長政/wikipediaより引用

浅井・朝倉家

浅井万福丸の処刑|信長を裏切った長政の息子に科された過酷な運命とは?

こちらは2ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
浅井万福丸の処刑
をクリックお願いします。

 


世界史も皆殺しがデフォだった

世界史でも「かつて王様になった人間は自分の親兄弟を含めた血縁者を皆殺しにするのが当たり前だった」なんて時代もあります。

だいたい中世くらいの話です。

ヨーロッパでの記録が多いですが、オスマン帝国でもだいたい同じようなことをやってましたので、一時期においては”世界の常識”レベルの話でした。

こういうことを知ると、現代の庶民に生まれて良かったと思いますね。

信長は自分が織田家を継ぐときにもさんざん苦労していますし、家中の統一でも手こずっておりますので、この手の”戦後処理”を徹底しています。

織田信長/wikipediaより引用

それでも一度きちんと謝ってきた相手は許したり、血縁者やお気に入りには相当甘いんですけどね。

松永久秀はどっちなんだって?

使える人だったから勘弁していたのでしょう。

なにより松永久秀は、最近の研究で人物像がかなり変わってきており、武人としても文化人としても相当デキるタイプだったと目されております。

ゆえに、信長は二度目の裏切り後も信長は許そうとしていたぐらいです。

松永久秀像(高槻市立しろあと歴史館蔵)
松永久秀の生涯|三好や信長の下で出世を果たした智将は梟雄にあらず

続きを見る

 


岐阜を追い出された龍興は何度かの激突の末に……

面白いところでは斎藤龍興でしょうか。

岐阜を追い出された後、何度も信長へ仕掛けて、そして尽く跳ね返されています。

結局、朝倉義景を頼り、同家が滅亡するタイミングの【刀根坂の戦い】で討ち死にしました。

この辺、漫画『センゴク』でも非常に面白く描かれておりましたね。

斎藤龍興・浮世絵(落合芳幾画)/wikipediaより引用

浅井家については、三姉妹を助けて血筋だけでも残したあたりが粋な計らいとも取れます。

代々武士の家に生まれたからこそ、血が続くだけでも充分な栄誉であることがわかっていたのでしょう。

実は、浅井長政には、万福丸の他にもう一人の男児・万菊丸がいて、逃げ延びたという話もあります。

坂田郡長沢の福田寺に匿われ、そのまま同寺の住職(12世・正芸)になったという話です。

📚 戦国時代|武将・合戦・FAQをまとめた総合ガイド


あわせて読みたい関連記事

正月の酒宴「浅井と朝倉の首」を肴に酒を飲む|信長公記104話

続きを見る

小谷城の戦い(信長vs長政)で浅井滅亡~難攻不落の山城がなぜ陥落したのか

続きを見る

浅井長政
浅井長政の生涯|信長を裏切り滅ぼされ その血脈は三姉妹から皇室へ続いた

続きを見る

お市の方
信長の妹・お市の方の生涯|浅井に嫁ぎ勝家と共に自害した波乱の一生を振り返る

続きを見る

淀殿(茶々)
淀殿(茶々)の生涯|お市の娘で秀吉の妻は本当に“稀代の悪女”だったのか?

続きを見る

【参考】
国史大辞典
畑裕子『浅井三姉妹と三人の天下人』(→amazon
峰岸純夫/片桐昭彦『戦国武将合戦事典』(→amazon
山本大/小和田哲男『戦国大名系譜人名事典 西国編(新人物往来社)』(→amazon
谷口克広『織田信長合戦全録―桶狭間から本能寺まで (中公新書)』(→amazon
浅井万福丸/wikipedia

TOPページへ


 

リンクフリー 本サイトはリンク報告不要で大歓迎です。
記事やイラストの無断転載は固くお断りいたします。
引用・転載をご希望の際は お問い合わせ よりご一報ください。
  • この記事を書いた人
  • 最新記事

長月七紀

2013年から歴史ライターとして活動中。 好きな時代は平安~江戸。 「とりあえずざっくりから始めよう」がモットーのゆるライターです。 武将ジャパンでは『その日、歴史が動いた』『日本史オモシロ参考書』『信長公記』などを担当。 最近は「地味な歴史人ほど現代人の参考になるのでは?」と思いながらネタを発掘しています。

-浅井・朝倉家
-