まんが戦国ブギウギ

まんが戦国ブギウギ67話 て、て、て、て、敵は、ほ、ほ、ほ、ほ、本能寺に!

佐々成政前田利家を率いた柴田勝家が越中へ攻め入り、滝川一益は甲斐から関東へ。

丹羽長秀が神戸信孝(織田信長の三男)と四国討伐の準備を進める頃、備中高松城の水攻めに腐心していたのは羽柴秀吉

文字通り織田家の名だたる武将たちが全国の方面軍を鼓舞する最中、織田信長は京に入り、自らの中国出陣の準備を進めていた。

秀吉から対毛利の援軍要請があり、間もなく安土城からやってくる本陣を率いる予定だった。

ところが!
このとき信長、ひいては日ノ本大名の運命が一変す――。

京付近にいたのは信長だけではなく、羽柴援軍を務めるために編成された明智光秀軍も同様。

その数、実に13,000であった……。

 

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天意

◆実際の所、そんな劇的な言葉が発せられたかどうかは不明。

史料によると光秀は4~5名の重臣にだけ意を告げていたとされます。それは以下のようなメンツでした。

明智左馬助の生涯を描いた記事。光秀の親類にして福知山城代を任された武将はいかなる生涯を駆け抜けたか。
明智左馬助(秀満)の生涯|光秀に福知山城代を任された男 その事績とは?

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斎藤利三
斎藤利三の生涯|最期は秀吉に斬首された光秀の右腕は春日局の父でもあった

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明智光忠
明智光忠の生涯|光秀に「本能寺襲撃」を打ち明けられた明智四天王の一人

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藤田伝吾
藤田伝吾の生涯|光秀に託された筒井順慶との交渉が明智の命運を握っていた

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襲撃

◆「是非もなし(しかたない!)」

太田牛一さんの「信長公記」によると、本能寺から逃げてきた女官に聞いたセリフとのこと。

真偽の程はともかく、死ぬ間際に敦盛を舞ったというのは、あくまで映画やドラマでの逸話でしょう……。
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アニィたかはし

2014年から歴史系の漫画家として活動。
2015年にはコミック版『戦国ブギウギ』を全国の書店へ向けて発売。
武将ジャパンでは、従来の歴史マンガには無かった独特のポップ感で『ブギウギシリーズ』を展開している。
現在は『大河ブギウギ』シリーズを連載中。
◆主な著書
『織田信長の戦国ブギウギ』鉄人社・2015年・ISBN-13 : ‎978-4865370324

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