戦局を劇的に有利にさせるためには、四国を動かすことがどうしても不可欠だった。
そう、元親率いる長宗我部家の存在である。
長宗我部元親が土佐一国から戦乱の四国を統一!最期は失意に終わった61年の生涯
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長宗我部元親は、もともと織田家と仲違いの上、交戦状態にあったとされており、本能寺の変が勃発したちょうどそのきには、丹羽長秀と織田信孝が攻めこむ予定だったとされるほど。
織田家を掌握し、配下の仙石秀久に四国攻めを命じていた秀吉にとっては、まさに頭の痛い存在であった。
さて長宗我部は動くのか――。
出来人の息子
◆長宗我部元親が目にかけていた長男の長宗我部信親さん。
四国の戦国武将・長宗我部信親の最期「オレは戸次川の戦いで死ぬ」
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その名は、烏帽子親※1の織田信長から一文字を貰って名付けられたという経緯があり、織田家と長宗我部家を結ぶ楔のような存在でした。
しかし両家はその後、信長の心変わりで敵対関係となり、すわ戦争か!というところで本能寺の変が勃発。
混乱のゴタゴタに振り回されながら、現在は家康からの要請を受けているところでした。
なお、変人・中島可之助(ベクノスケ)と織田信長の異次元のヤリトリをまとめた回はコチラです。
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まんが戦国ブギウギ30話 変人は変人を知る? ベクノスケと信長が出会った~
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※1 烏帽子親……元服の儀式で加冠(烏帽子)を行う者のこと
第二次十河城の戦い
◆後に悲劇の死を迎える信親さん。その死を機に長宗我部家自体が衰退していくほど期待されておりました。
ことのほか父・元親の期待は大きく、項羽と劉邦のもとで大活躍した将軍・ハンカイに喩えられたという逸話からも見てとれるでしょう。
本人は気に入らなかったかもしれませんが……。
なんせイラストやドラマの配役はごっついヒゲ男なんすよね。三国志で例えたら張飛みたいな。
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