天文五年(1536年)6月10日は花倉の乱(はなくらのらん)の決着がついた日。
今川家で起きたお家騒動で、方ノ上城(かたのかみじょう)や花倉城を攻めた今川義元が勝者になりました。
地図で示すと以下の通り、現在の静岡県焼津市に位置しています。
勝者の今川義元と言えば、2021年の大河ドラマ『麒麟がくる』では片岡愛之助さん、2023年『どうする家康』では野村萬斎さんが演じて注目されましたよね。
この義元は【花倉の乱】にて、兄の玄広恵探に勝利して今川家の当主となります。
今回はそこに至るまでの経緯などもあわせて振り返ってみましょう。
血筋からして義元があとを継ぐのが道理だが……
そもそも今川家は、室町幕府将軍家である足利家の一門の中でも格の高い家です。
いざというときには将軍も輩出できますし、正式に駿河の守護に任じられておりました。
しかし、もろもろのトラブルで一族の争いが度々起こるようになり、少しずつ勢力が弱まっていました。
義元の父・今川氏親の代にはいったん落ち着いていたのですが、氏親の跡を継いだ長男・今川氏輝と、その後継者に決まっていた次男・今川彦五郎が急死してしまったために家中は大混乱。
二人が同日に亡くなったのはどう考えてもアヤシイということで、暗殺説もあります。
ともかく次の当主候補になったのが今川義元です。

今川義元(高徳院蔵)/wikipediaより引用
血筋からして義元が継ぐのが道理でしたので、本来は起きるはずがなかったのが花倉の乱ともいえます。
他の側室生まれの兄も出家していましたし、氏親正室の子供では義元が一番上でした。
年齢順でいくと側室生まれの兄のほうが上にはなりますが、正室生まれの方が有利であり、そう簡単に序列はひっくり返せません。
外戚の福島家が横槍を入れてきた
しかし、当主に就任するため義元が還俗すると(義元も出家していた)、有力家臣の一部が大反発しました。
娘を氏親の側室に出していた福島(くしま)家が
「玄広恵探(げんこうえたん)も氏親様の子だし、こっちのほうが年長だし、家継がせてよ!」(超訳)
とゴネだしたことで話がこじれるのです。
どう見ても外戚だったジーチャンが権力を握る気満々。
こうして
「正室生まれの弟(義元)」
vs
「側室生まれの兄(玄広恵探)」
という構図ができてしまいます。
戦国時代あるあるですね。
ここで仲裁に入ったのが氏親の正室であり、義元の母である寿桂尼(じゅけい)にでした。

寿桂尼/wikipediaより引用
今川義元の生母である寿桂尼。
彼女は、時に「女戦国大名」と称されるほどの実力者です。
しかし、今回の争乱鎮火は失敗に終わります。
長引けば不利と見たのか、福島家はこの年の5月25日に挙兵して強引に当主の座をかっさらおうとするのでした。
花倉城を攻撃
こうなっては今川義元も引き下がるわけには行きません。
そもそも嫡流である彼が引く理由はありませんしね。
北条との関係重視から、寿桂尼は義元ではなく玄広恵探を推していたともされます。
しかし福島家らの勢力が、今川家の本拠・今川館へ攻め込むと、見事に追い返されます。
義元は、参謀の太原雪斎にも助けられ、さらに北条の支援を受けて、6月10日に福島家をはじめとした反乱側のこもる方ノ上城を攻撃。
これを落城させると、兄・玄広恵探がいた花倉城を攻め、徹底的に追い詰めました。

花倉城の案内
そのためこの乱は【花倉の乱】と呼ばれているわけですね。
ちなみに『麒麟がくる』で伊吹吾郎さんが演じられていたのが太原雪斎です。
わずか半月で決着 福島家は読み間違えた?
恵探は攻め込まれたときに花倉城から逃げ出し、付近の寺で切腹しました。
当時の福島家の当主が誰だったかもはっきりしないので、恵探が家を継ぐ意思を持っていたのかどうかもよくわかりません。
しかし、首を取られるより自ら腹を切ることを選んだあたり、やはり武家の人という感じがしますね。
なお、この乱は上記の通り半月程度で勝負がついてしまいましたが、福島家はそもそもどこに勝算があって兵を挙げたのか?
それを考える時、にわかに浮上してくるのが今川義元サイドについた太原雪斎です。
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今川義元が栴岳承芳(せんがくしょうほう)を名乗っていた幼き頃より教育し、跡目相続にあたって還俗させ、さらにはこの花倉の乱で共に戦いました。
福島家としてはこの義元&太原雪斎コンビの力量を見誤ったのではないでしょうか?
もちろん太原雪斎は僧侶ですから槍働きではなく、また詳細な記録も残っておりませんが、彼の前後の関わりからして大きく影響したのは間違いないでしょう。
雪斎はこの後、武田信玄(当時は晴信)と北条氏康との【甲相駿三国同盟】にも深く関わっていたとされ、その手腕が今なお高く評価されております。
なお、今川義元の生涯や太原雪斎の詳細については、以下にも記事がございますので、よろしければ併せてご覧ください。
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【参考】
国史大辞典
峰岸純夫/片桐昭彦『戦国武将合戦事典』(→amazon)
日本史史料研究会『戦国僧侶列伝 (星海社新書)』(→amazon)
花倉の乱/Wikipedia





