麒麟がくる感想あらすじ

麒麟がくる第2回 感想あらすじレビュー「道三の罠(わな)」

2020/01/27

岐阜県で、私の大好きな五平餅と『麒麟がくる』を組み合わせたスタンプラリーをするそうです。五平餅はポテトチップスにもなるとか

もう……。岐阜に行くしかない!

五平餅、明宝&明方ハム、朴葉味噌、牡丹鍋、モーニング、栗きんとん、鶏ちゃん、飛騨牛。いろいろありますけれども、今回は鮎やナマズ等、淡水魚料理をお勧めします。理由はちゃんとあります!

天文16年(1547年)、秋――。

尾張の織田信秀は、二万を率いて国境に布陣。光秀、東庵、駒が直面したのは、戦の構えをする美濃の姿でした。

稲葉山城下は、騒然としています。馬が走り、土埃が舞い、防衛のための備えが整えられてゆきます。

城まであとわずか。
急ぎながら三人は進んでゆきます。

 


彼を知り己を知れば百戦殆からず

城では、戦支度をしている叔父・明智光安がおります。

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光秀が旅からの帰還を報告すると、光安は、尾張が敵、性懲りもなく織田信秀が攻めてきたと説明します。

明智の者は井ノ口を守る。
ここで暗い口調で続けます。

「心しておけ。此度は苦戦。4千と2万……」

どの城も守るばかりで、美濃は兵力不足というのです。2万ともなれば、信秀には何らかの、勝利への確信があるとみた。それゆえ、殿はご機嫌斜めだと説明される。

そんな殿・斎藤利政(斎藤道三)に帰還報告をしなけばならない光秀なのでした。

「面白やこの宿は 縦は十五里 横は七里……」

そう歌う利政。こういうちょっとしたものでも、それらしい歌詞を調べるなり考えて、節をつけるから現場は大変。それでも本作は、やる。

ん? あれ?
なんだかご機嫌よさげですが。

「光安殿。敵をよく知れば、戦を百戦しても負けぬと言った方がいたな……」

光安が戸惑っていると、光秀が正解を出します。

孫子――彼を知り己を知れば百戦殆からず――そう引用してきます。

「それよ!」

利政は喜ぶ。忠実に守ってきた。
そしてこう言います。

「織田信秀のことはなんでも知っておる。夫婦の閨のことまでもな。金はあるがさして人望はない。2万は金が欲しいか、お義理で集まった輩じゃ。脆いぞ。戦は数ではない。そのことを思い知らせてやる。長井と稲葉を呼び戻せ」

そうドヤ顔になってくる。
信秀だけではなく利政(道三)の性格もわかる。

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史実のこと、大河を含めた過去作品は、この際一旦忘れましょう。

利政(道三)こんな人

・愛読書は『孫子』。読むだけではなく、考え方、セオリーが染み付いている ※光秀は『四書五経』

・閨もことまで知っている。つまり利政は乱破を尾張に放っている。情報収集は盤石。鉄砲に関心が薄いように前回思えたのは、フェイクの可能性がある

・「お義理」という軽蔑しきった言葉ひとつとっても、「義」や「道徳」を軽んじているとわかる。

・利政だって、人望はない。信秀のことをどうこう言えない。そのことを本人も意識はしている。そのうえで、開き直っている。

麒麟がくる版の斎藤利政(斎藤道三)の性格が浮かび上がってくる。

『三国志演義』なら曹操が大好きとみた。
曹操は『孫子』にガッチリ注釈入れたくらいです(『魏武注孫子』)。

※単独映画主役にもなりました

上司として嫌だと光秀がぼやいていますが、確かに気持ちはわかります。スティーブ・ジョブスと似たタイプかな?

※ジョブスは『アイアン・スカイ/第三帝国の逆襲』で出てくる程度には性格がアレでして……

そんな嫌な上司に、出張報告をする光秀。鉄砲をどうしたと聞かれ、差し出します。

ちょっと考えて手にする利政の所作ひとつとってもタメが素晴らしくて、そんな本木雅弘さんに見入ってしまう。

医者は連れて参ったのかと聞かれ、光秀は小見の方の館にいると答えます。

もう容態を見ていると知り、利政は喜びを見せているのです。

彼も冷血にはなりきれない。妻のことは気になってしまうんですね。

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豪快さを前面に出して、柔らかい心を見せないようにするけれども。そこがかえって、哀しい。

 


旅の費用は侍大将の首二つで

このあと利政は、堺を見た感想を光秀に尋ねます。

美濃もあのような豊かな町を持ちたいと思った。そう聞くと、満足げでもある利政。

「その気持ちを忘れるな。豊かであれば、戦もせずに済む」

哀しい話だ。
経済的発展のためには、無駄に金がかかり、農地が荒廃する戦なんてしている場合じゃない。

戦国大名が直面した苦悩――それは軍事力と商業の両立でした。

しかしここで、嫌な上司っぷりを発揮。

「ところでそなたの旅の費用だが、あれで足りたか?」

「はい、十分でございました」

「すぐにとは言わぬ。半分返せよ」

ぎゃー!
皆やったわけではない。金がないから渡した。返すあてがないならいくさで返せ、こたびの戦で侍大将の首二つ取れって。それで帳消しだって。

最低最悪だ。

光秀は、もう侍大将の首を二つとることで頭がいっぱいです。これは危険な瞬間です。

人の命を、金と結びつけてしまった。人間性喪失への第一歩なのです。

光秀は、小見の方の館へと呼ばれていると告げられます。それどころじゃない光秀は、わかりやすい不満を顔に出して向かうのです。

そこにいたのは、いとこの帰蝶でした。

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久々じゃな。そう言い、堅苦しい挨拶はいらぬと本題に入ります。母といっしょに明智荘に行って以来だそうです。

彼女は、母のために名医を連れてきた光秀に感謝を告げます。そのお礼を一言言いたかったそうです。

「武運を祈る!」

別れ際、帰蝶に言われて光秀は出陣を目指します。

「注進!」

そう伝令が告げます。敵は木曽川を渡り、城下に進んできているとか。掛太鼓の音が響く中、光秀も、斎藤高政(斎藤義龍)も、そして利政も戦に備えています。

こなれてきたドローンの空撮が美しい。セットも凝っている。ここまでVFXのレベルを上げられるのか!

織田の大軍は、川を渡り城下町まで迫ってきます。村を放火しながら進んでくるのです。

「エイエイエイエイ!」

声を上げつつ進む織田勢に、矢が襲い掛かる。

「伝吾、佐助、いくぞ!」

この市街地戦は、映像技術がものすごくあがっている。

「侍大将ぉー!」

光秀は、侍大将で頭がいっぱいだ。

「侍大将ォー!」

「侍大将はいずこー!」

「侍大将ぉッ!」

「侍大将はいずこー!」

「侍大将ぉお!」

「首二つ! 侍大将!」

しつこい!
連呼してる……ってのも真面目なんですね。

でも、考えてみましょう。言うまでもなく、これは殺し合いです。

槍を投げ、刀を抜く。そういう命のやりとりなのに、首が現金に見えている。これは危険です。

利政も、彼らしい嫌なことをしたと思う。
戦果に賞金をかけるなんて、古今東西多くの将がしてきたことではある。そのことで、どれほど人の倫理観が歪んできたことか。

 

敵を騙すにはまず味方から。それは、己の心すら騙すこと

「エイエイエイエイ!」

そう叫び声が上がる中、使い武者が走ってゆきます。軍議をしている斎藤君臣に、凶報が届くのです。

「注進!」

茜部口、突破。
田代城、大熊城も落ちた。

そもそも、稲葉山城に敵が入っただけで、これはもう相当危険なことです。

本拠地に近い支城が段階で、あっけなく開門することもある。防御がしきれぬとなって、士気が落ちて抗戦できなくなるのです。

ましてや、美濃は川が多い。清流の国です。だから魚釣りに熱中している方が多いし、川魚料理も多いものでして。

防御に有利だった川を越えて、敵はここまで来た。もう震えてしまってもおかしくないところ。

けれども、利政は違う。扇を持ち、前を見据えている。

「兵を城に戻せ。まず引くのだ。退き終わったら全ての門を閉ざせ。篭城致す」

ここでの家臣団の顔をご覧ください。
露骨に嫌そう。すごいとも言わない。さすがとも思わない。むしろ、ついていけないシラケムードが漂っています。

でも、リアリティあるんですよね。

ものすごく強かった将や、英傑とされる人物の伝記を読んでいると、

「賢くとも、ともかく人望がない」

「性格が本当に最低でした」

「友達にしたいタイプじゃないんだなぁ……」

というような、人格最悪表現はしばしば出てくる。

人の上に立つ人は人徳者であって欲しいというのは後付けや願望です。前述したジョブスの伝記にせよ、人間性の問題を避けて通らなくなっているのです。

成功した人間は、人格だってともかく素晴らしい! そんな企業創始者伝説は、眉唾もの――そう踏まえましょう。本作主演俳優が副主人公であった朝ドラは、そういうモデルをクリーンアップしようとして失敗していました。

ともかく、こういう人のもとで働くことは、なかなかつらい。本作のテーマでもあるはず。

その一方で、光秀はまだこれだよ。

「侍大将ッ! 雑魚に用はないわ!」

思い切りヒートアップしているのに、退き鉦を鳴らされて光秀ショック!

本作の光秀は、人間離れした賢さがなくて、かつ感情に流されがちで好きです。

イライラが割とハッキリ出てしまうんですね。長谷川博己さんが、そういう役側の特性にきっちり踏み込んでいく。彼ありきのこの光秀だということは、見ているだけで伝わってきます。

高政も不満そうな顔をしています。

母の看病をする帰蝶も、退き鉦の音を聞いています。

本作はサウンドエフェクトも練り直して、効果をふまえていると伝わってくる。

軍事行動でこういう音での誘導も大事。そこまで、視聴者を引き込む。五感に踏み込む生々しさを感じます。

ちょっと色彩設計は尖っておりますが、春までにはこなれてくるでしょう。

 


神通力では勝てない

その頃、織田信秀は喜んでいます。側には神官がおります。

「千秋殿の神通力もある、もはや勝ちは疑いない!」

でも、これが織田信秀の弱いところではあるのです。

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戦国時代の人だからって、全員が神仏を信じていたわけでもない。同時に占いも気にする。むしろそれが普通。現代人だって地鎮祭に神主を呼ぶし、おみくじも引くし、お守りも身につける。御朱印集めもする。

一方で、時代を問わず、占いをバカに仕切って、信じるつもりがまるでない。そういう人もおります。
信じればかえって負けちゃう。そうバカにしまくる。

占いを信じない人が合理的でクールなわけでもない。
人のお守りを踏んづけ、墓を蹴り飛ばすような人間は、いつの時代だって嫌われます。

そういうことは最近でもある。慰霊施設をポケストップにすると、問題になるでしょう。

でも、そういう暗黙の了解を無視する人もいる……前述の曹操も、占いだの予言だのバカにしまくって生きてきました。

それで「流石ぁ、合理的!」と言われたかというと、むしろ人の心を無視する最低最悪の奴だと当時から嫌われていました。

合理主義だけではどうにもならない――人の心を踏みにじる奴は問題ありだとみなされるのです。

この先、信秀さんの嫡男が墓石をガンガンぶっ壊すようなことをやらかして、両親と教育担当者揃って苦い顔になることも、想像できてきました。

キャラクタービジュアルの時点で、土田御前は顔がうっすらと疲れている。我が子が理由なのでしょう。

「退け退け退けー!」

「十兵衛様、退き鉦です!」

「退き鉦じゃー、退き鉦じゃー!」

「なんだ?」

光秀は納得できない。一方で、信秀の弟・信康は喜んでいます。その理由として、熱田神宮の神通力を強調されるわけです。
源頼朝の母・由良御前はこの宮司の娘とされています。武門にはたまらないパワースポットだ。

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斎藤勢は、燃やした俵を転がして直撃させ、敵兵を燃やす。水に転がってやっと消火すると。

見たかったんですよねえ、そろそろ大河でも人を焼く頃だと思っていた!

気持ち悪い、どんだけ人を焼くのが好きなんだ、『ゲーム・オブ・スローンズ』でも見とけ!
そういうツッコミはあるとは思いますが。それが世界基準だからさ。

※やっぱりそこは燃やさないと

 

側女の子、その苦悩

光秀は水を受け取り飲む。高政(斎藤義龍)は不満を募らせています。
どうせ父上はわしの意見なぞ聞かぬ。そうイライラしているのです。

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これは若いからでもない。稲葉良通のような古参の家臣も不満なのです。

美濃の古くからの領主は、皆そんなものだそうです。コミニケーションに問題ありですね。

利政は、人の心を慰める暇があるなら、もっとマシなことをすると言い切るタイプだ。そのせいで自分自身も追い詰めているけれども、認めるわけにはいかないのです。

光秀はイライラしております。
いくらなんでも退き鉦が早い。蹴散らして和議を結べばいい。それが合戦のリアルではあります。

軍記で全滅だのなんだの書いていても、そういうことは滅多に起こり得ない。全体の数割が死傷するだけでも、軍とは身動きできなくなるものなのです。

稲葉山城には、兵が3千。民が2千避難してくる。
こうなると、物質補給も厳しい。

ジリジリと死ぬのを待つだけなのか?
そう不満を抱いても何の不思議もありません。

ここで高政は、悲痛な声を漏らす。
嫡男なのに言うことを聞かれない理由を光秀に聞かれ、側女の子だからと漏らすのです。

日本を含めた儒教文化圏では、正室以外の出生でも継承権は喪失しません。キリスト教文化圏とは違います。

また『ゲーム・オブ・スローンズ』かよ! そう突っ込まれることはわかっておりますが……あのドラマでは「庶子」が重要な要素でした。彼らは貴族や王族生まれでもその継承権がなく、本人に責任はないにもかかわらず、差別に直面するのです。

それと比べればマシなようで、そうでもないのが日本。

父が同じであれば、母の身分が問題になる。
「劣り腹」(※生母の身分が低い)という嫌な言葉もありまして。徳川将軍生母の身分が低いことが続いたせいか、誤解されがちな点ではあります。

高政は自分の血に対して、誇りが持てないのです。そのことを開き直れる父ほど強くもない。

愚かでもない、暴虐でもない。ただただ傷ついていて、実の親すら信じられない。そんな人物なのです。
彼のような人物は、このあとも出てくるのでしょう。

そのころ、信秀はちょっと集中力が途切れてきたのかもしれない。

でも、本人はそこに無自覚なのです。乱破から敵が飯を食べているという報告を受けて、すっかりガードがゆるゆるになってきました。

山城は攻めるほうも大変です。
ここは休憩して、明朝攻める。そういう妥当な判断をします。

お城といえば千田嘉博先生ですね。彼は山城でアウトドアにふさわしい服装をしています。そうじゃないと辛いから……。
山城は大変だ。休みましょうか。

「今日はここまで。陣を戻せ」

信秀は極めて常識的な判断をしました。

兵も楽勝ムードではあります。ご飯を食べて、戦利品に浮かれているのです。

 

戦国の皆が騙し合いができるわけでもない

一方、斎藤の軍議では。

「よし……一同、杯を置かれよ。水では流石にまずいものじゃな」

利政はそう言い、杯を置く。家臣団もこれには苦笑しています。こんなことに付き合わせるのは人が悪い。そう言っています。

利政は、織田の乱波がうろちょろしているからたぶらかすと言い切ります。

はい、ここでわかりみを感じてニコニコになる。そんな大河のアイツがいる。2016年『真田丸』の真田昌幸だよ!

利政のやっていることは、昌幸とそっくりではある。

アイツも、笑顔で騙しまくっていたじゃないですか。武田勝頼に「武田は滅びませぬ!」と言った直後、それを全否定して視聴者がズッコけた。

※武藤喜兵衛……知らない名前ですね

この違いを、三谷氏がコメディで悪ノリするから、池端氏はシリアスだから。そう処理していると、ちょっと何か罠に引っかかるかもしれない。ともかく、この二人の脳には同じOSが入っていると思いましょうか。

そして、戦国時代だろうとこういうOSで生きている人間は、そこまで多くはないのです。

「芝居はここまでじゃ。今、織田の軍勢は背を向けてのこのこ歩いている。この機を逃していつ勝てる! 篭城はここまでじゃ、全軍を集めよ、門を開け!」

かくして矢が放たれ、油断し切った織田の軍勢に突き刺さってゆきます。

帰蝶も、駒も、東庵も。異変を察知する中、反撃開始です。

馬も走り出し、だらけきった織田勢に襲い掛かるのです。

「侍大将ぉぉお!」

光秀、またブーストかかっちゃってる。

 

勝敗

そのころ、織田信秀と信康は兄弟そろって用を足しておりまして。

「注進! 注進!」

美濃の軍勢が向かっていると知らせが来ます。

「エエトウエエトウ!」

そう声があがる中、「しまった!」と悔やんでも遅いのです。

「信康!」

「兄上!」

兄の信秀はなんとか逃れても、信康はそうはできない。討たれてしまう!

「エエトウエエトウ!」

「侍大将ぉ!」

光秀も、頑張りを再開します。
ちょっといい加減うるさい。一生懸命なんですね。

「侍大将! 名を名乗れ!」

光秀はついに侍大将を押し倒し、とどめを刺そうとします。その相手の顔は、叔父上そっくりなのでした。

偶然似ていたのか、それとも、罪悪感の見せた幻でしょうか?

太鼓が響き、悲鳴が聞こえる中。カッと目を見開き、光秀はとどめを刺すのです。

木曽川にいくつも流れてゆく屍。沈む屍。踏みおられた織田の軍旗。信秀は家臣に導かれ、木曽川を渡る。

それを見つつ、扇をかざし、斎藤利政は勝鬨をあげる。

「エイエイオー!」

「エイエイオー!」

「エイエイオー!」

嫡男の高政も、そんな父に畏怖の念を抱いているようです。

光秀の頬には血がついています。
武功を上げたのに、その目は暗く濁っている。長谷川博己さんが光秀である理由は、彼自身が透きとおった水晶の器のようになれるからだと思う。そういう器だからこそ、中に濁った何かが入ると、見ている側まで心が動かされてしまうのです。

信秀はすっかり落武者状態になっているのです。側の家臣に、信康の安否を聞きます。

「討ち死にされたよし」

家臣も、神官の千秋殿も、同じく討ち死にした。そう聞かされ、悔し涙すら滲む信秀なのです。

「皆討ち死にか……城に帰って、寝るか」

そう言う信秀は、どこかコミカルですらある。
本作のこういうコミカルさは、毒を持っていて怖い。深作欣二や、そんな深作のファンであるタランティーノの映画を思い出させるのです。

人が死ぬ。傷つく。そこにユーモアすら入れてしまうというのは、はっきり言って異常。人があまりに簡単に傷つくものだから、いっそ笑い飛ばしてしまう。そんな荒廃の極みです。

笑いそうになってから、信秀が哀れで哀しくなってしまった。

実の弟が死んで、家臣もそうなって、信じていた神官まで死なせてしまって。
それでも笑うしかない。そんな状態を想像するだけで、もう、胸が詰まってどうしようもない。

そのころ、稲葉山城下では歌声が聞こえています。

敵を追い払った喜びを分かち合い、酒が振る舞われています。山の上まで、篝火がみえるのです。

けれども、負傷者はいる。
苦しみに顔をしかめた人々を、東庵が治療しています。

光秀は叔父の光安を見つけます。
光安は、油断してここをやられたと笑い飛ばします。

そんな叔父をじっと見つめる光秀。東庵は、添え木になる柳の枝を用意するよう駒に指示を出しています。奥で手当てをすると案内されてゆく光安は唖然として見ています。

駒は光秀に声を掛けます。

「おめでとうございます。お手柄をお立てになったと聞きました。侍大将を討ち取られたそうで、叔父上様も喜んでいらっしゃいましたよ」

光秀は認めつつ、こう言います。

「おめでたくもない気分です……」

討った侍大将の顔は、叔父上に少し似ていた。ためらい、それで首を落とすのが遅れてしまった。

「その時、妙なことを思うていたのです。これが武士の本懐かと、武士の誉かと。こんなことが……しかし戦は戦だ、勝たなければ自分が討たれる。戦がある限り、勝つしかない。首を落とすのをためらう自分を愚かだと……武士の誉を……」

「よいではありうませんか。それでお勝ちになった」

そう慰められても、光秀は傷ついている。こんなにも心が濁ってゆく様を見せられて、こちらもどうしたらよいのかわからない。

東庵は、駒を叔父上に付き添わせようと言い出します。駒はそのことを承諾し、祝いつつ光安の元へ向かいます。

 

蝮の牙と毒と、苦しみと

そのころ、利政は。

守護様を本陣に迎えて欣喜雀躍だと、誰かを出迎えております。

その喜びを分けてもらおうと、馳せ参じたという御曹司めいた青年は、土岐頼純です。妻の帰蝶ともども、喜びを申し上げに来たそうです。

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城をたつ時、どちらが勝つと思われましたか。そう聞かれ、頼純は舅殿だと答えます。

織田が2万で、こちらが4千なのに?  そう突っ込まれても、苦労はひとしおだが勝てるはずだとおべんちゃらを言う。

「では何故、鎧兜を身につけてはおいでにならぬのですか?」

帰蝶がそう聞く。
土岐源氏の流れを汲む武門でありながら、義父が合戦をするなら加勢をしろと問い詰めるのです。

そのうえで、父に我が夫をお許しくださいとまで言う。

先週も書きましたが、帰蝶は清々しいほど儒教規範を踏みにじっています。嫁いだら、その先に従うべき。これは戦国大名でもそうなのです。

『信長の野望』の顔芸で有名な二階堂盛義の正室・阿南姫は、実家伊達家の当主である伊達政宗に徹底抗戦しました。嫁ぎ先のために戦うことこそが、当時の女性の規範なのです。

【大坂夏の陣】のあと、徳川秀忠は娘である千姫に怒りました。嫁ぎ先の豊臣に殉じるべきだと考えていたのです。
そんな我が子を抑え、孫娘に温情をかけたのは徳川家康でした。

そうした例を踏まえると、帰蝶は非常識で面倒な女です。

「もうよい、そなたは下がっておれ」

利政は娘を下がらせ、義理の子と向き合います。そのうえで、挑発にかかります。

娘の不調法を詫びるでもなく、帰蝶は守護様の事情を知っていたようだと言います。

「織田信秀と取引なさいましたな」

美濃を攻め、利政を討ち果たしたあかつきには、領地を与える――そう書かれた書状を見せつけるのです。

見つけたのは乱破か、帰蝶か?

土岐家は織田家とつながりがある。
こんなことを探るくらい、利政からすればわけのないことではあったのでしょう。

利政は美濃のために、土岐家のために、どれだけ尽くしてきたか、と語る。それをよくご存じのはずであると。しかし頼純には通じません。

土岐家を分裂させ、叔父に相続を持ちかけ、弱体化をはかっている。そのことを頼純は知っている。そう罵倒に転じます。

「美濃を飲み込まんとする蝮めが!」

そう言われ、舌先でチロリと唇を舐める利政。そのうえで、異な事を仰せだと言い返す。

「黙れ黙れ、油売りを温情をかけて見出したのに、その恩を忘れ、土岐家を二つに裂き、美濃を我が者のように振る舞うておる成り上がり者!」

「恩を忘れたのはどちらでございます? 守護の座に押し上げ、娘まで差し上げた」

「それがどうした! わしはそなたの言いなりにはならぬ!」

頼純はもう勝てない。
物的証拠を持つこの義父が、逃すはずもないから罵倒をしている。けれども、利政だって心の底から冷えてゆくような気持ちはあるかもしれない。

蝮と言うけれど。
悪どく、人の気持ちを傷つけると言うけれど。
そういうお前は、その見下す目線が、こちらを傷つけていることには気付こうとすらしない。蝮の毒が必要なのに、そのことを認めない――。

利政は、頼純に座るように言います。この城の主人は身ども。出口はありません。そうして座らせると、不満はあるだろうと認めたうえで、それを聞かせて欲しいと言います。

茶を立てながら、百姓が好きだという風流踊りを覚えたと言い歌うのです。

「面白やこの宿は 縦は十五里 横は七里……薬師寺詣でその道に 梅と桜を 植え混ぜて……」

茶を飲んだ頼純は、むせて苦しみ、倒れてゆきます。

カッとわざとらしく吐血しない。リアリティのある苦しみがそこにはあります。

「おもしろや この宿は……」

そう歌いながら、義理の息子の死骸を見る。そんな斎藤利政(斎藤道三)でした。

 

MVP:斎藤利政(斎藤道三)

悪モッくんが見どころだと、製作側も言っている。

でも、ここで考えたいことはいくつもあります。

彼はそんなに悪い奴なのでしょうか?

嫌なところはたくさんある。旅費返済を光秀に迫るわ。敵だけではなく、嫡男を含めた味方まで騙すようなところがある。

おまけに、娘婿を歌いながら毒殺した。

誰がどう見ても悪い!

でも、これも結局は見方によると思うのです。

暗殺は悪いという。その悪事を、まざまざと彼は体現したけれども。

本当に暗殺は悪いことなのでしょうか?

むろん現代人からすれば、悪いことではある。ただ、殺害人数を考えてみましょう。

たった一人です。
戦と比較したら、一人殺して話が終わるなんて、むしろ効率的な話ということになりませんか?

暗殺を多用する人々は、陰険だということにされてきた。

スコットランドのクラン。

ボルジア家をはじめとする統一前のイタリア。

東北の戦国大名等。

こうして並べると、共通点が見えてきます。

集団の構成員が少なく、乱立しているとそういう傾向が出てくる。

最低限の犠牲者数で勝ち上がるためには、暗殺はうまい手段なのです。

「暗殺するあいつらは陰険で最悪!」

「数の問題じゃない!」

「人の心を踏みにじるようなことをするな!」

暗殺への批判は、こういう道徳心への問いかけとなってゆく。

※『ゲーム・オブ・スローンズ』最低最悪の場面とされる「レッド・ウェディング」。犠牲者が多いとはいえ、合戦よりは被害者は少ない

合理的な勝利手段を用いる相手には「それは不名誉だ」と返すしかなくなってゆくわけです。

今回は、前回と前後編の作りになっていると言います。

向き合う相手の心を動かす。たった一人の少女を生かすために、危険をものともしなかった光秀を描いた先週。

相手の心を踏みにじり、罵詈雑言を言われて傷つく自分の心すら、見ないようにして生きることを選んだ利政を描いた今週。

人としての情か?

それとも道理か?

この対立する概念に、この世界を生きる人々は引き裂かれてゆく。一年間、その苦しみと歪みをじっと見つめてゆく。

それこそがこの作品の訴えかけたいことなのだと思うのです。

 

総評

今週を批判する声は、だいたい予想ができてはいる。

光秀は甘っちょろい。うっとうしい。こういうのは求めていない。戦国武将をなんだと思っているのか――先週の時点で、後半の医者のところでシラケたという感想はちらほらとみかけました。

しかし、それは本作の仕掛けた罠にスッポリ落ちている気がしてなりません。

「光秀が金を見せた状態で飲むのも変!」という批判あたりもそう。

戦国武将は冷酷で、殺人くらい平気!
戦国武将であれば、いつでもガード万端!

それはどうでしょう?
戦国時代人に対する侮辱や偏見ではないかと思うのです。

当たり前ですが、戦国武将だって人間です。

織田信秀は、弟や家臣、宮司の死に衝撃を受けていました。やはり心が苦しいものなのです。

むしろ目の前で娘婿を暗殺して、平然と歌える利政がおかしいって? でもそれは、利政の苦しみを無視しているとは思えます。

心に訴えようとしたけれども、相手には通じない。成り上がり者の心を、相手は踏みつけてゆく。蝮としての毒だけを求めて、あとは追い払おうとする。
相手がこちらの心を無視してくるのに、どうしてこちらが気遣ってやらねばならぬのか?

そういう気持ちは、戦国時代だろうと現代人だろうと、同じことなのです。程度の問題はあるでしょうけれども。

人間の心は傷つき、折れてしまう。
そんな当たり前のことを、実は人間は見ているようで見ていなかったのだと。それが本作の追い求めるところなのでしょう。

人間が知っているようで、実は知らない。まだ追い求める旅がやっと始まった分野の知識を踏まえて、本作は展開してゆくのです。

本作を鑑賞するうえで、過去の大河ドラマを遡る意味はある意味あまりない。

2016年、2017年は前段階と言えるとは思いますが。

本作は、作り手も演じる側も「今までの戦国ものではない」としつこいくらいに言っています。過去大河、日本史の本はとりあえず横に置いて、もっと別のものを考えてゆきたいのです。

気持ち悪いと断ったうえで言います。

あの利政の暗殺劇――自分でも嫌気がさすくらい感情移入してしまった。

こんなことでは、ドラマ枠やNHKごとぶっ壊れると思って、それなりに分析してレビューを書く。

すると罵詈雑言がボコスカふってくる。私や役者の心を傷つけるな、って。まあ、いいですよ。実際態度悪いし、利政と同じで、相手の心を敢えて踏みつける仕掛けはいくつもいくつも考えた。

私は成り上がり者であるとも思えた。レビュー対象枠を、全部見ていたわけじゃない。

むしろテレビ番組の話題についていけずに、ぼっち飯だったほうだ。

まさしく、こういうコーナーを担当するのは、編集さんの温情ではあるのだけれども。

開き直っていたけれども、やっぱり、嫌なことは嫌だったんだな。

そういう気持ちがあると、毒を飲ませたうえで歌うような、いやらしい発露を考えるようになってしまう。

人間の心は、自分でも気がつかないうちに傷つき壊れ、それがよろしくないことを起こすらしい。それはお互い様だ。

そう痛感できた、おそろしい夜でした。

 

オマケ:『麒麟がくる』はナゼ好調なのか?

ここからはオマケです。せっかくだから、思考実験してみませんか?

『麒麟がくる』はナゼ好調なのか?

これに対する私の答えはコレですね。

「まったくわからん!」

※真田昌幸だよ!

今年も、『真田丸』と『おんな城主 直虎』にはさんざん言及します。本作と通じる要素があるのです(あ、戦国時代だから、という点じゃありませんよ)。

真田昌幸は賢い。ぶっ飛んでいる。それがどこからわかるか?

この「まったくわからん!」がそうなのです。

ただの三谷流のジョーク? だったらよいのですけれども。

実は世の中で、一番言いづらい言葉を昌幸は口にしました。

「まったくわからん!」

です。は? どういうこと?

この言葉を聞いて、どう思いましたか?

「賢いはずがぶん投げていて、なんかバカみたいなパパおもしろい〜!」あたりでしょうか。

バカっぽいと思えますよね。ここが、ポイントなのです。

「わかりません」

このセリフはバカっぽく思える。だから人は、なるべく言わないようにする。職場ですと、クビにされちゃうかもしれない。言えないから、まぁ、なんか推察するわけですね。

でも、私は昌幸と同じ気持ちです。

「『麒麟がくる』が高視聴率であった理由? まったくわからん!」

もちろん、いくつか推論はあります。

ただ、それが正しいのか?と自身に問うてみると、やっぱりワカラナイ。敢えて言えば、失敗要因が少ないから成功したってことじゃないですかね。

それなのに、ネットニュースはじめ、おもしろい理由の推察はたくさん出てきます。

なぜか?
わからないでぶん投げたら、アクセス稼げないから。

私の原稿が通るのは、編集さんの寛大さのおかげ(と言いたいところですが、意味不明すぎて今年と再来年の大河予測は無事ボツになりました。いや、小出しにしていきますけど)。

ネットニュースでは、趣旨なんざ、正直どうでもよろしい。肩書きと実績と見出し、それに想定読者のニーズを満たせば、それでよろしいのです。

具体的にみていきましょう。

『麒麟がくる』が好調な理由は各メディアでどう描かれているか?
その分析です。

・昨年大河の反動
・ジジババ、本来の視聴層は戦国ものが好き
・時代劇に飢えていた

このあたりの理由は、ありきたりすぎておもしろくありませんので、別のところからいきますね。

◆「王道!」

→王道という言葉は奥深くて、それを考えるだけで厄介です。ただ、ドラマレビューでこれを使う意図はわかります。

「この味噌汁は味噌を使っている! つまり王道!!」

まあ、いちいち指摘するまでもない「スゴイからスゴイ!」みたいな話ってことです。個人的には使いたくない。

ただ、一発でわかるほど「王道」だと、考えたいところはある。「王道」に勝る遮蔽物はありません。新たな策を練るなら、むしろ「王道」でやると盤石。

◆沢尻エリカさん騒動のご祝儀だ! 川口春奈さん効果!

→これは書き手と想定視聴者層がゴシップ好きなのでしょう。でも、その理屈でいくと昨年はもっと伸びたはずではないでしょうか?

「ご祝儀」という言葉からは「まぐれあたり」という悔しさが滲んでいる。大コケ事前予想でもあり、引っ込みがつかないのかもしれません。

ついでに言うと、女優のルックスが見たい欲求がダダ漏れかな? と突っ込みたいところでもあります。

◆主役を集めたのは川口春奈さんとお笑い芸人!

→それは書き手の注目点、ってことでしょうね。

◆松永久秀の爆死に期待!

→どうやら書き手、あるいはネット投稿者は最新学説を追えていないようではあります。むろん本作が松永久秀の死に様をどう描くかは想像もつきませんが。

松永久秀像(高槻市立しろあと歴史館蔵)
信長を2度も裏切った松永久秀は梟雄というより智将である 爆死もしていない

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◆『国盗り物語』を思い出す! RPGぽい! 大塚明夫さんに大歓喜!

→同作品を好きな方が多いようですね。声優ではしゃぐということは、そういう層の書き込みもいると。

◆圧倒的映像美だ!

→ここに本質があると私は思えません。ナゼか? 受信環境でどうにもなるものに、本質的な改革を宿すことは危険なのでできません。

◆SNSでは、AIの分析によると、こんなにファンアートが投稿されている!

→AIのツイート分析。SNSを眺めること。そこに何らかの答えを求めるのは避けた方が良い気がします。さしたることはわからないどころか、分析そのものが危険をもたらしかねないのです。

ナゼか?
特定の投稿を集める系の雑な記事は、書き手のバイアスが入る。

だからこそのAI?
というのも、どうでしょう。

どんなAIでも、投稿者の背後に何か誘導があるということは分析できない。

ハッシュタグを投稿する。タイムラインを見つめながらドラマを見る。このことで鑑賞者側の集中力も減衰している。悲劇的であるのは、本人すらそれに気づかず、誤誘導に簡単に引っかかるということ。

ファンアートもそうです。

「どんな絵を描けばフォロワーさんに受けるかな?」

こう思った時点で、残念ながら数パーセントであれ、集中力と解析力が落ちてしまう。AIなり、人間の脳なりを、過大評価しては危険です。

そもそも、こういう「ネットでは」が未だに通じるということは、海外では疑念を持たれているネット評価万能論が、未だに日本では生きているということでもある。
そのことそのものが危険です。特に「『電車男』がスゴイ!」気分を潜在的に抱えていては危ない。

◆(演者が同じだから)あの朝ドラ、映画のキャラにしか見えない!

→衣装、時代、言動が異なるにもかかわらずそう思えるのであるとすれば、鑑賞者および書き手は疲労その他原因で認識力が落ちているようです。休養を推奨します。

◆昨年の大河で若者層を獲得した。これぞNHKの戦略! 前年にコケてでも若者層を獲得した!

→この手の著者および想定読者層は、昨年の大河が大好きで、強烈な執着があり、なんとしても成功作にしたい。そういう情熱はわかります。ただ、昨年はまったく参考になりませんし、そんなわけわからん捨て身の策を取るとも到底思えません。

好悪でなく、ここは数字を出してみます。

通常の大河視聴率範囲をざっと15パーセントから20パーセントとする。

そうすると、その2割となれば、3パーセントから4パーセント程度。

これを踏まえますと、昨年は全年齢層が大幅に下がり、かつその傾向が高年齢層で顕著であったということが推察できる。ここまで違いすぎると、あれは不幸な例外処理とした方がわかりやすくなる。

今年と昨年の比較については、四文字で片付きます。

月明星稀――月が光れば、星の光は見えなくなる。それだけのことよ!


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【参考】
麒麟がくる /公式サイト

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武者震之助

2015年の大河ドラマ『花燃ゆ』以来、毎年レビューを担当。大河ドラマにとっての魏徴(ぎちょう)たらんと自認しているが、そう思うのは本人だけである。

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