元亀元年(1570年4月)――織田信長は、越前の金ヶ崎から京へと逃げました。敗戦です。
足利義昭の側近・摂津晴門にとっては吉報。その敗報を持ち、二条城まで挨拶に来たのは光秀でした。
ほくそ笑む摂津晴門に対し、義昭は兵が何人討たれたか気にしています。
1,000人と光秀は告げますが、これはどうなのか?
古今東西、死傷者数の確たる証拠は曖昧で算定ができません。合戦直後ならなおさら。
ですので、もしそこをデタラメだのなんだの問い詰められても、光秀顔で「フッ……」と笑い飛ばせばよろしいものでもあります。
実際、戦は負けだ……と義昭が浮かない顔をすると、光秀は「引き分けでございます」と言い切りました。
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機密情報の出どころは政所だと?
実は合戦の勝敗自体も、古今東西そんなものだったりします。
『三国志』で一番有名とされる【赤壁の戦い】だって、曹操側の公式発表では「疫病が流行したから船を焼いて戻っただけ」と苦しい言い訳をしております。実際には大敗北ですけどね。
案の定、摂津晴門がツッコミます。逃げ帰った兵は散々な負けであったと聞いている、と返すのです。
けれども、相手が悪い。光秀が逆に問い詰めるカタチで返答するのですが、ここの会話場面は注目ですね。
光秀の特技とでも言いましょうか。長谷川博己さんの本領とは、まさしくこういう知性を発揮する場面で輝く!
構築大好き、滑舌抜群、目の奥で知性をキラキラと光らせながら語ります。
――信長が金ヶ崎を滅ぼし、朝倉が総崩れとなりながらも深追いは危ういから兵を戻した――。
確かにこれも兵法の基礎。勝ちに乗じて乗り込むことは危険です。
物は言いようだと苦々しい顔の晴門は、浅井長政から挟み撃ちにされ逃げたのではないかと簡単には引き下がりません。
信長が絶体絶命の窮地に陥った「金ヶ崎の退き口」無事に帰還できたのはなぜ?
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義昭も、悲しそうにここ3日ほど眠れず過ごした……信長の心中を察してのことだと言います。
晴門も3日眠れないと返す。
「3日も?」
その言葉に反応したのが光秀。浅井が寝返ったのは4日前のことです。
にもかかわらず3日以前からそのことを知っていたら恐ろしき早耳だと返す。
いったい情報入手ルートはどこなのか? 誰から聞いた?そんな機密情報がどこから漏れたのか?
義昭は晴門から聞いた。
晴門は“政所”が情報の出どころだと言う。
つまりは幕府内の者から……要は、幕府が浅井と朝倉に通じていたという証拠ですね。
ならば、その密通者の名前を教えて欲しいと迫る光秀。怒涛の迫力で、敵の敵は味方であり、情報の主は我らの敵かと追い詰めます。
ここで義昭が流れを止め、晴門は政所に仕事を残しているとそそくさと去ってゆくのですが……。
演じる建築家
こうした一連のヤリトリは【科学的思考】ですね。
2010年代あたりから、この使い手がフィクションで増えていて、古典ミステリのリメイクでもより強化される傾向がある。
例えば社会現象にもなっている『鬼滅の刃』では、冨岡義勇が得意です。
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こういう理詰めは当然ながら感情由来では失敗します。
例えば先週は視聴率があがりました。サブタイトルに信長が入っているからか、それとも内容か。理由はわかりませんが、よいことです。
例年のこの回あたりを思えば、突出して低いわけでもない。仮説を形成できるまでには至りませんね。
代表例がBBC『SHERLOCK』のタイトルロールで、彼は会話でズバズバと相手の弱点を察知し、怒涛の追い詰め方をします。
ハセヒロさんはNHK『獄門島』で金田一京助を熱演しています。
エンドロールでマリリン・マンソンが流れたあの作品であり、怒涛の追い詰め方が凄まじかった。そこを踏まえて“理詰め殺し”ができる光秀になったのでしょう。
実のところ光秀はそこまで情に篤いわけでもないし、誰に対しても優しいわけでもなく、敵に回すと精神をガリガリに削ることができるとみた。
◆【インタビュー】「獄門島」長谷川博己「金田一耕助を演じてきた歴代の俳優の中に、自分の名前が連なると思うとすごくうれしかったです」 (→link)
会話で観察し、証拠を集めて、仮説(この場合は幕府の内通)を形成し、検証する。その光秀の検証過程で、たまらず義昭が止めたわけです。
厄介なタイプですね。
こういう理詰めタイプは話がややこしくなるので、そう何度もドラマに入れるわけにもいかないのですが、2020年現在、力押しとノリだけでやっていくと、作品の出来がお粗末になります。
海外の歴史モノも、最近はこの辺細かいところが非常に多い。
実は2010年代前半、スマホをいじりながらドラマを見るから、難易度を下げるべきじゃないかという意見がありました。
例えば2013年『八重の桜』でもそう言われた。
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けれども、それは正解ではなかったのでしょう。
『ゲーム・オブ・スローンズ』のように、登場人物や要素が多く、複雑怪奇なドラマが時代を変えていく。ドラマ以外の場面でも考察を拾い、背景を深読みし、思考の深掘りを重ねてこそヒットする。
その点、日本は遅れ気味でしたが、本作は本気で難易度をバリバリにあげて、追いつくつもりのようで、ハセヒロさんはそういう時代にぴったりな役者です。
理詰めで考えることが好きで、物語を自分の思考回路で再構築して、綺麗な滑舌で知的な演技をする。
いわば演じる建築家――こんな素晴らしい彼には、これからもずっと、難しくて歯応えがあり、きっちり構築された脚本ばかりが届くことを祈らずにはいられません。
泣き虫十兵衛
晴門が去ったあと、光秀は義昭に慈愛の眼差しを向けるかのようです。
金ヶ崎で殿(しんがり)を承り、味方を逃した後、僅かな手勢で2万を食い止めた。身のすくむ思いがし、泣けるものなら泣いてみたいと思ったと。
幼い頃の思い出をここで光秀は語ります。
高い木に登り、山の彼方を見てみたいと思い、脇目もふらず、ただひたすら高みに登ってみた。
あまりの高さに目が眩み、思わず泣いてしまったことがあった。
帰蝶がよく語る、泣き虫十兵衛の話です。
本作の光秀は子役時代がありません。こうした幼い頃の回想で、彼の本質を探るようにできていますね。子役時代があった家康同様、彼の本質も幼少期にある程度は出来上がっているはず。
これはどういうことか?
怖がりのようで、そうではない。高さというエネルギーの持つ危険性を無視して、一直線に目標へ向かっていってしまった。ある意味、怖いもの知らずです。
高い木から果てを見たいという、そんな大それていて大きな心。目標のためならば、恐怖という感情を捨て去ることができる。光秀と信長には共鳴するものがあると思えます。
大河も朝ドラも、幼少期の木登りは定番です。
特にヒロインは登る。けれどもこの場合は男で、しかも泣きじゃくっている。ただの定番をなぞるだけではなく、何か深い意味があるのだと思えるのです。
義昭も、わしもあったとしみじみと語ります。高い木に登り、泣いたと。
これに対し光秀は、割とズバズバと義昭に聞いています。本音を引き出したいのでしょう。
話を踏まえて、義昭に告げます。
何故金ヶ崎に公方様がおられぬのか。公方様がおいでならば、浅井も裏切ることがなかっただろうう。浅井も怯んだだろう。
2年前、公方様と信長様は、心をひとつにして、世を平かにするために上洛なされたのに。
我らは敵が誰であれ、心をひとつにして戦い、よき世を作りたい、その一心で戦をしてきたのに。そこに公方様の姿がない、高みの見物をなされている!
そう真っ直ぐに批判をします。しかも光秀は目に曇りがない。
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2020年、少年向け目の曇りがない主人公は『鬼滅の刃』の炭治郎であり、大人向けは『麒麟がくる』の光秀ですね。
その上で、まことに恐れ多き願いと前置きしながら、次の戦へのお出ましを願うのです。
公方様の御旗が立てば、大義の力を得る。そのことをよく胸にお刻みいただきたい。そう念押ししました。
これも、古今東西ありえる話です。
イギリスの王族は従軍します。第二次世界大戦時、エリザベス女王は軍用車両整備をしていたものです。
王族と無縁のアメリカでも、大統領が軍人に理解を示さないと深い禍根を残す。
この作品は、現代とも重ね合わせることでもっと輝きます。
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ここで信長も来訪。
義昭は信長を歓迎し、出迎える。祝着だと告げ、無事で戻ったことを嬉しいと言うのですが……光秀が【科学的思考】を練って、幕府が裏にいた【仮説】をぶん投げておいたせいか、不穏感が漂います。
歴史的な予備知識だけでなく、会話と演技で不穏感を漂わせることも大事ですね。
天下を定め、家族を守る
光秀は自分の館に戻ると、次女のたまが花に水を与えていました。
「おかえりなさいませ」
「たま、来たのか」
煕子も出迎えます。なんでも昨日たどり着いたのだとか。
そう補足するのが藤田伝吾であり、妙覚寺においでで近々戻ると聞き、お連れしたそうです。光秀は上出来だと喜び、道中の疲れを思いやります。
たまが、途中で伝吾におぶさったと話すと、光秀も「伝吾には一生頭があがらぬな」と軽口を叩くのでした。
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煕子はしみじみと語ります。越前への出陣に間に合うように急いだものの間に合わず、ご無事のお帰りを見てこの上なく嬉しいと。
「お帰りなさいませ」
愛妻にそう出迎えられた光秀は、喜びがほとばしっております。
そのうえで、母・牧のことを確認します。牧は木助らと夫の菩提を弔うとのこと。母上はどこまでも母上だと納得する光秀です。
そして妻にこう告げました。
「煕子、これからはここが我が家ぞ。わしはここでそなたたちを守ってみせる。都を守り、天下を定め、ここを守る」
固く誓う光秀は真っ直ぐで善良に思えます。
けれども視聴者も気づいてきたかもしれません。そんな善良な光秀が時折見せる恐ろしさにも……。
夫妻の背後では、娘たちが『論語』「学而編」を音読しています。
子曰わく、君子、食飽くを求むること無く、居に安きを求むること無し。事に敏にして言に慎み、有道に就きて正す。学を好むと謂うべきのみ。
君子とは、美食を求めない、居心地のよい家も求めない。行動はテキパキとしていても、言葉は慎み深く、道を知る者に指導を求める。こういう人こそが、学を好むと言うべきである。
光秀の本質ということでしょう。
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